第9回 アメリカの大学へ進学した卒業生たち
アドミッション/英語科 井藤眞由美
アメリカ滞在中の皆様、充実した日々を送っておられることと思います。現地校に通っておられる皆さん、現地校での勉強・生活にはもう慣れましたか?来たばかりで「今まさに悪戦苦闘中だよ」という人もいるでしょう。現地校での学習の仕方がやっとわかって楽しくなってきたところという人もいるでしょうし、気がついたらアメリカでの学習にすっかり慣れ、日本に帰る自分というのを想像するのは今となっては難しいな、と感じている人もいるでしょうね。
「いつかその日が来たら家族と日本に帰る。それも楽しみだけれど、将来自分の専門的な勉強をする場所としては、やっぱりまたアメリカに戻って来たいな」と、はっきりと、または漠然とでも感じている皆さんへ
千里国際学園(SIS)では、毎年卒業生の1−2割が、卒業後直接海外の大学へ進学します(ちなみに、交換留学の制度を持っている日本の大学に進んでそこから留学する生徒や、日本の大学を卒業してから海外の大学院に進む生徒を含めるとかなり大きな割合になると思います)。これまで紹介させていただいたように、SISは、併設の大阪インターナショナルスクール(OIS)と、二つの学校が一つになった環境で学習や課外活動をする学校です。多文化・バイリンガルな環境、リサーチやプレゼンテーションを重視した学習スタイルを持つSISは、北米の現地校での学習に慣れているあなたにとってスムーズに日本での学習を進められる場としてあなたの帰りを待っています。また、第七回の記事で進路情報室長の新見教諭より詳しく説明があったように、海外の大学への進学を希望する生徒にとっては、SISとOIS両方のカウンセラーから、アドバイスや情報提供を受けることができる体制も整っています。
このようなSISで学んだ後アメリカの大学に進学した卒業生たちは、実際どのようなコースをたどったのでしょうか。これまで北米から帰国し、SISを卒業後に北米の大学に進学した人たちの中から3人の人にインタビューしてみました。彼ら彼女らの生の声を交えて紹介させていただきます。
◆Aさんの場合(University of Toronto :
専攻はCommunication, Culture and Information Technology)
「とにかく、SISにいなければこんなに満足して海外の大学の受験はできなかったと思います。OISがあるおかげで、SATを学校で受けることもできるし、カウンセラーの先生はもちろん、いろんな国からの先生がいるので各国の事情を直接教えてもらえる。相談もできる。日本の高校でこれだけできる学校はSISだけだと思います。」と強く言い切ってこの夏カナダへ旅立ったAさん。いつも元気いっぱいのパワフル少女。学校中で彼女のことを知らない人はいないといえるほどあらゆる場面で大活躍をしてくれた人です。Aさんは、ミシガンに2年半(その前は台湾のアメリカンスクールに5年)滞在し、SISには、中学2年生の秋に編入しました。当時ミシガンでの生活があまりに楽しく、日本への帰国を受け入れることが難しかったそうです。しかしその想いがあったからこそ、日本でも、SISの環境を最大限に活かし、「英語力をさらに伸ばすために人一倍頑張った。自分にとても厳しく過ごしたことには強い自信がある。」といいきれるSIS生活を過ごしました。OISに友達も多く、編入から卒業するまで学校内での日常会話のほとんどを英語ですごす生活をしていました。9年生からはOIS
English
の授業がはじまり、初めてのシェークスピアなどに苦労はしたそうですが、ますます英語での学習に力を入れ、SISでの選択英語授業も含め、毎学期2−3種類の英語の授業(つまり週に10−14時間)をとるようになり、さらにOISの授業の「IB
History」「IB
Music」も受講しました。授業以外にも、生徒会での通訳の仕事、年に一度の校内ミュージカル、吹奏楽・コーラスでの海外遠征チーム参加、校内テレビ放送での司会…など、英語力を活かすことのできる活動として考えうるものすべてに参加していた、といえるAさんです。もちろんここに書いた以外の授業は日本語で受けており、日本語での学習も問題なく続けて非常に高いレベルのバイリンガル度を身につけた人ともいえます。在学中に英検一級に合格、TOEFLも270点をマークしました。
こんなAさんにとって、北米への大学進学ということは あらためて「決意」することではなく自然な流れであったようです。専攻は、幼いころから人前で演技をしたり歌ったりするのが好きだったことや、MUN(模擬国連)に参加したきっかけで世界の問題や国連に興味を持ったことから、将来国際的なプロードキャスティングをめざす気持ちをもって決めたそうです。具体的に出願する大学を決めるにあたっては、OISのカウンセラーMr.
Stengerが多くの大学とのメールや手紙のやり取りをしてくれました。
もうひとつ、これは保護者の皆さまへ。日本への帰国の話を聞いた時、Aさんはそのショックから「ちょっとした反抗期に突入」したそうです。親と口を聞かず、泣きながら友達と電話ばかりして親を困らせたとのこと。振り返って思い出せば、「親も相当精神的につらかっただろうな」との思いがこみ上げるそうです。今まさに、同じような辛さを味わっているお父さんお母さん。今は苦しいかもしれませんが、きっと数年後にはこんなことばを成長した我が子の口から聞ける日が来るはずです。どうかその日をお楽しみに。
◆Bさんの場合(Brandeis University :
専攻はInternational and Global Studies)
Bさんは、サンディエゴに6年間滞在し、ちょうど帰国と同時に中学一年生として入学し、SISの生徒となりました。サンディエゴの日差しを思わせる穏やかで明るい笑顔のBさんは、Aさんと同じく英語は本校でのレベル分けの一番上のクラスになり9年生からはOIS
Englishを受講しました。また、テニス部では海外遠征を経験しています。が、どちらかというと、のんびりおっとりした性格と生活ぶり。Aさんが意識的にエネルギッシュに英語力を伸ばす環境を自分で広げたのと比べ、BさんはSISの生徒としてのごく普通の生活の中、ごくごく自然に二つの言語での生活・学習を続けた生徒。特別意識していたわけではないけれど、気がついたら、どちらの言語でも大人として深く考え、生きていける自信が備わっていたということです。大学進学を考えるときにも「国際平和」という勉強したいテーマが先にあり、日本の某大学某学部、または、アメリカへの留学、という二つの選択肢をはじめから持っていたBさんは、両方の受験準備を平行して進めていました。結果的には、第一希望とした日本の大学に合格ならず、その後集中的にアメリカ留学に向けての本格準備を進めることになったのです。
Bさん曰く、「うちの学校は海外の大学の資料が多すぎ。多すぎてどう探していいのか戸惑った」と。彼女は、担任がアメリカ人教員でしたので、その膨大な情報の中から絞って北米での大学選びをするにあたって、まず担任に相談し、援助を受けることができました。さらにOISとSIS両方のカウンセラーにも相談し、具体的なサポートを受けたそうです。「少人数教育のSISのよさをこの時あらためて感じた」とのこと。
Bさんは今アメリカで多様なバックグラウンドを持つ学生たちとの様々な交流を楽しむと同時に、日本語を教えたり日本人会を立ち上げたりと、多忙で充実した学生生活を送っています。「日本の大学では味わえなかったであろうこと、日本人の留学生としてならではの生活がとても楽しくて、アメリカに来て本当によかった。」というBさんは第一希望の進路先に合格できなかったことなどもう記憶に残っていないかもしれません。
◆C君の場合 (University of Denver:専攻はComputer
Science)
最後に紹介するC君はさわやかなスポーツマン。高校2年生からSISの生徒になりました。テネシー州に二度、4年余りと5年、通算約10年の滞在を経ての編入でした。帰国当時は、すでにアメリカで進学したい大学について考えていた年齢でもあり、日本への帰国ということを実感として受け入れるのがとても難しい、そんな状態であったそうです。そんなC君も、日本に帰ってみると日本の大学に進学することのよさも感じ、アメリカと日本の両国を視野に入れて進路先を検討しました。最終的には学びたいと思った内容(Computer
Science)に関し、日米の多くの大学の内容を検討し、最新のことを学ぶにはやはりアメリカだ、と決めたそうです。アメリカでの高校生としての経験があったC君は、アメリカに友人も多く、情報の得方もわかっていたため、進路先を決定するのに学校から受けたサポートは、AさんやBさんに比べると、少なかったかもしれません。が、OISカウンセラーのところにも何度か通って詳しい情報を得たり、SATを学校で受けることができたのはとても助かった、と語ってくれました。
C君は今、「大学での勉強は大変ですが、何かを学んでるって実感があって勉強が楽しくなってきました。」との気持ちでがんばっています。
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3人の体験が参考になれば幸いです。皆さんがアメリカでますます充実した生活を送られますように、そして安心した気持ちで日本に帰国されるようにと願っています。See
you soon.
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Modified
2008/06/03