第6号(2001)
本校の教育と学期完結制 大迫弘和 SIS校長 §1 exodus …・・集会では、学校側にどういうことを認めさせようとしたの? 更に「…・・生徒が教師を選ぶなんてことも、たとえ三光年の彼方まで行ったって、不可能。」とも。 しかし、千里国際学園中等部・高等部は、2000年というこの段階で既に、村上龍氏が「たとえ三光年の彼方まで行ったって、不可能。」と書いたことを実現しようとしている。 §2 はじめに 千里国際学園中等部・高等部(略称SIS)は1991年4月、大阪府箕面市に開校した。(開校当時の学校名は大阪国際文化中学校・高等学校、1999年4月に千里国際学園中等部・高等部に校名変更)。 本校の設立の経緯については本校「研究紀要 4号(1996年7月)」に収められている『学園の設立の経緯と教育方針---関西の国際化への期待を担って』に詳しい。これは開校時より1998年3月まで初代校長を務められた藤澤皖氏によって書かれている。 本稿では同氏が2000年9月に本校保護者会フォーラム委員会の求めに応じ本校大会議室で行った講演「多文化社会を生きる人間像を求めて」のレジメを以下に引用し、本校の「基本的役割」を確認してみたい。 T.目標とする人間像 1.
日本人(あるいは○○○人)であると同時に地球市民としての自覚をもっている人 U.教育の課題 1. 自主的判断能力の育成 V.千里国際学園の教育 1. 学園をミニ国際社会とする 千里国際学園中等部・高等部の10年の歩みは、上記の内容の実現をめざし、そして、それを基本的には相当程度実現してきた歩みであったと、自信をもって言うことが出来る。 §3 responsibility 出発の10年は、あらゆる世界において共通であるだろう、ものごとを立ち上げる、といった事に付随する、その機ならではの労苦といったものは、勿論あった。しかし、そのような辛い時期をなんとか乗り越えつつ、時間の流れの中に、開校準備段階あるいは黎明期といった時期には見えなかった「私たちの学園の更なる可能性」あるいは「役割」といったものが見えてきたのは確かである。 一条校であるSISとインターナショナルスクールであるOISとのジョイントプログラム、それ自体が、勿論日本で初めての試みである。 一条校であるSISとインターナショナルスクールであるOISとのジョイントプログラムは、正に前例のないことであり、それゆえの困難に多々巡り合うのではあるが、同時に、そのような困難な歩みの中、本校は、「帰国生徒、外国人生徒、国内一般生徒が共に学ぶ学園」というものを二校の中で実現していくという、いうなれば「一校二制度」という形を本校がどうより深く実現させていくか、という開校時にはある意味イメージでしかなかった事柄を、現実的な課題として捉えることが出来るようになっていったといえる。 そして、§2の藤澤初代校長のレジメにある、例えば「規則や指示の多い管理教育はしないで、本人の自覚による行動を尊重する」あるいは「個人を尊重、詰め込み教育管理教育を排する」そして「実験・調査・レポートなどを重視し、自ら思考し表現する力を養う」、「図書館・語学学習センターなどを整備し、自由に学習する時間を与える」、「専任カウンセラーもおいて個人の悩みや相談に対応できる態勢をとる」、これらのひとつひとつが一校が抱える課題としてはそれだけで十分な重さがある。それを本校は一挙に実現しようとして10年を歩んだ。 それらの課題に必死に答えを出そうとした10年であったのだが、学園全体としては、幸福なことに、高い社会的評価をいただいている。それは奇跡に近い様にも思えるが、じつは、この「成功」は、なにより学園の主役たる生徒諸君の、柔らかな感受性と思考力、素直な性質と強い向上心、によって、かろうじてあり得たものであった。 本校の壮大なプランを支えてきてくれた生徒たちの豊かさ。彼らのような生徒が集まってくれている以上、この学園は、様々な可能性に満ちた場所として存在し続けよう。 これは、逆に言うと、学園は、ここに集う生徒がどのような生徒であるか、開校前にはこれもまた一つのイメージでしかなかったものを、私たちの取り組みに対する彼らの反応から、現実の形で認識できてきたことを意味する。そして、学園の目標が、他の誰のためでもない、目の前のこの生徒たちのために実現されること、そこに私たちは自ずと焦点を絞りはじめた。 ここに集まる生徒はどのような生徒で、どのようなことを求め、どのように悩み、そんな彼らに対して私たちができることはなにか?ここに学ぶ生徒たちに対する適正なresponseを行うことによる学校としてのresponsibility。それが「学期完結制」の「根本」であると考える。 §4 プロセス 「学期完結制(Term Course System)」と本校で呼んでいる「履修の仕方における工夫」の具体的な検討が始まったのは1996年度であった。それまで、その下地と位置づけてもよいさまざまな議論が、校内で、既に開校まもないころから行われていた。それは「授業の提供の仕方(時間割、学期の切れ目等)」といったいわばハードの問題と、「どのような授業が提供されるべきか」といったソフトの問題の二様であったと言える。前者の議論については、 1991年の開校時において、「モジュラーシステム」という米スタンフォード大学教育学部で発案されたシステム(一日を15分刻みにし、6日サイクルで授業を回していく)を本校は採用したのだが、それをSIS/OISの二校体制という本校の複雑さの中で運用していくことが極めて難しかった、というところに出発があった。(モジュラーシステムの運用の難しさの原因として、他に教授方法、教材、学校サイズからの教員数等があった。)後者については、学校というものが、ある意味、その役割を意識化していくために、その折々に、生徒の様子を見ながら、自然発生的に行う議論、と言える。そうであるなら、この議論に、終着駅はない。この下地的な議論についても、本紀要に真砂教諭が詳しく書いているのでそちらに譲ることとする。 さて、1996年度、校内組織としての「教育政策委員会」(校長の諮問機関、委員長大迫)が組織され、97年度5月、この「教育政策委員会」により「学期完結制(Term Course System)」についての答申が校長に提出された。1997年度、6月1日の職員会議において、全校方針として、この「学期完結制(Term Course System)」を採用することが決定され、各教科が必要な具体的作業に入った。この年度をもって校長の役を去られた藤澤氏が、98年1月に行った保護者会で、退任の挨拶に加え、初めてこの新システムについて触れられ、大迫(当時教頭)が、その概要について説明を行った。 1998年度、福田國彌学園長が校長を兼任され、本システム確立のための陣頭指揮にたたれた。平尾(当時教務部長)、真砂、大迫(当時副校長)の3名により、教務内規上の問題の詰めその他の検討が、年間50回を越える回数の打ち合わせによって進められた。この間の事情については、本紀要において平尾教頭が書いている。 「学期完結制(Term Course System)」の実施の為の基礎的な条件として、OISと授業日数及び学期制を揃えなければならなかった。 1998年4月にSIS (当時校名は大阪国際文化中学校高等学校)は3学期制をスタ―ト、OISはこの年、6月11日にその年度を終了し、9月から3学期制をスタートさせ、ここで春、秋、冬の3学期制及び授業日数が揃った。(OISはこれに伴いそれまでの6月中旬授業終了をやめ、99年の6月は6月30日までの授業を実施。このようなカレンダー上の一致を校内では「コモンカレンダー」と呼称していた。) 98年度は生徒に対しては勿論繰り返し「学期完結制(Term Course System)」についての説明を行ったが、保護者に対して、また、学校事務職員に対して、さらには学校を支援する株式会社阪急電鉄に対して、説明を行い、理解と協力をお願いした。校内誌であるインターカルチュア第59号(98年10月)、第60号(98年11月)、第61号(99年2月)、第62号(99年3月)と、大迫が「学期完結制(Term Course System)」に関連する記事を掲載した。ここでは第59号(98年10月)と第62号(99年3月)の記事の一部を紹介しておく。 〔インターカルチュア第59号より〕 福田先生から「99年度以降のカリキュラム」について現在決定している大枠の紹介がありました。本件は今年1月の保護者説明会でもその方向性は示されましたが、今回「180日3学期制」「一日の時程のOIA/OISの完全一致」「学期完結制の科目履修」の3点が具体的に示されました。当日の最大テーマのカリキュラム問題について、福田先生の概説を受け、そのあと大迫の方からさらに細かな説明をさせていただきました。今回のカリキュラム改革が「生徒一人一人を大切に」という本校の大切な基本精神のカリキュラムとしての実現を目指したものであることをご理解いただきつつ、大迫の説明は最もわかりにくいだろうと思われた「学期完結制」について中心的に行われました。「学期完結制」とは「ひとつの学期ごとに科目履修を決めていく」というやり方で、学習の上での切れ目が、春学期、秋学期、冬学期の年3回できるシステムです。この文章の後に、当日お配りしました資料を掲載いたします。これをお読みになられ、ご不明の点が少しでも明らかになりますなら幸いです。 学園の教育の根幹にかかわることがらです。冬学期にいま一度説明会を持つ予定です。それまでの間、もしご不安等ございましたら、大迫まで、どうぞいつでもご遠慮なく、連絡下さいますようお願いいたします。心を尽くしてご説明申し上げる所存でございます。 なお、当日、ご出席いただきました皆様から、学園をサポートするためにこそ学園の今をより深く理解しておきたいのだ、という熱い想いを感じ、なんともうれしく、また、心強く思いました。世間ではときとして、保護者が学校を、教員を、糾弾することが目的で集まるような保護者説明会があるや、とも耳にするのですが、OIAでは「保護者=学校間の理解形成の場」としてこのような時間が持てますことを、特に私学としての「保護者=学校関係」を考えるにつけ、本当に幸福なことと感謝いたしております。 【補足説明】 学期ごとの科目選択において、学年相当のレベルの学習をごく自然の流れの中で履修していくケースが、とくに中学からずっとOIAで学習している生徒の場合は多く見られると考えられます。途中編入生の場合は、それぞれOIAの学習を開始した時期、その時の学力等の要素から、適当と思われるクラスを、学年をあまり考えずに、履修することも出来ます。『無学年制』ということばは、科目履修の自由さ、という意味です。学年は、学級編成の時期に関係なく、毎年一つずつ上に上がるのはいうまでもありません。 〔インターカルチュア第62号より〕 「大阪国際文化中学校・高等学校」 「千里国際学園中等部・高等部」 履修希望人数が多くなった場合の対応(1クラス予定を2クラスにしたりという柔軟な対応も考えていますが、場合によっては次の学期まで履修を待ってもらうことはありえます)、先の学期までの予定を立てながら履修を決定する中で一旦示した先の学期の履修について変更はどの程度可能なのか(一人一人の状況を丁寧に見ていく中、必要なものは認めていきます)、といったような皆さんが共通して心配なさっている点について、質疑応答の時間に質問が出ました。このように皆さんが共通して抱いていらっしゃるだろう疑問につきましては「Q&A集」を作りますのでお待ちください。 今回の説明会の目的が、生徒の履修の助けのために、ということでしたので、当日出席できなかった保護者の方で、お子様の履修にご不安をお感じの方は、担任、コースアドバイザー(99年4月より)真砂先生、あるいは私まで、どうぞ直接ご連絡ください。 今回の改革、ひとまず、予定通り、生徒の一人一人にとってよりよい学習環境を提供する、という目的を、形としては、実現しました。形が出来上がった中、丁寧な履修指導を通し、この制度が本当に生徒ひとりひとりにとって有意味なものとなるよう全力を尽くすこと、一つ一つの授業の内容充実のために全力を尽くすこと、という新しいステージに入ったと、実感しています。 この間、できるだけいろいろな機会を通して、今回の改革についてお話をしてきたつもりです。もちろん、力足らずで、なかなかうまく趣旨をお伝えできなかったところも多々あったかとも思いますが、今は、生徒のみんなも、保護者の皆様も、この制度を理解してくださり、いかにそれを生かしていくか、という風に取り組んでくださっていることを嬉しく思っています。保護者会は今回の改革に合わせ、これまでの「クラスマザー」を「学年委員」という形に変える、という決定をしてくださいました。このような決定が、私たち教員に、なんという力を与えてくださることでしょうか。本当に感謝しております。 生徒も、この一月、これまで以上に、自分の科目選択について、各先生のところへ、相談に行っているようです。 〔インターカルチュア第63号より〕 特別な春 「私が**からの帰国生徒だと分かると、その国について色々尋ねてくれる。それはそれで嬉しいのだけれど、ふと気がつくんです、質問はその国のことばかりで、私のことはなにも聞いてくれていないなって。」 「ね、あなたは英語はどのクラスにしたの?」 生徒それぞれが、正に学園が望む形で、即ち、友達が取るから自分も、といったレベルの選択でなく、自らの自立的な判断に基づき科目を選択しています。正に、SISの生徒のよき文化があって初めて成立していくシステムであると、あらためて思うのです。そして同時に、生徒の「わくわく」に十分応えられるような授業を提供していかなければならないと、深く責任を感じるのです。 家庭―学校の協力関係の中でSISの教育は育っていきます。家庭―学校の協力関係の基礎になるだろう基本的コミュニケーションに、可能な限り心を配っていきたいと思います。 「我が家は子どもには勉強のことも何も言わず、自分の人生なのだから、親からは期待を押し付けたりしないようにしてるんです。」 でも、それでは、やはり、子どもは少しかわいそう。もちろん過度の期待は子どもを圧迫するだけの結果になるでしょうが。 親というものは、赤ちゃんのころから、ずうっと我が子を見つめてきて、そしていつか自然に「その子にちょうどよい大きさの期待」というものに気づいていくものなのではないだろうか、と、そんなことを思っています。 私の父母も、そうであったように、いま、ふと、気づくのです。 「ちっちゃな体で、幼い頃は病気ばかりしていて、ただ知的好奇心のようなものだけはずいぶん強そうな」そんな子を我が子として持った私の父母の思いを、ふと、思うのです。 §5 本紀要について 本紀要は『研究紀要』という名称ではあるが、「学期完結制(Term Course System)」の成立の過程から現段階までの実践報告といった「報告書」といった狙いで発行するものであることを御了解いただきたい。各教科の報告からは、その教科の特性により、「学期完結制(Term Course System)」の実施に当たっての課題に若干の違いが見られることが読み取れる。それは、97年度からの準備の過程からも感じられたことである。しかし、本紀要にある全レポートを読み通し、以下の2点を強く感じたので、最後に記しておきたい。 (1) 私学として、一つの明確な「独自性」を、示すこと。SISは「学期完結制(Term Course System)」をその核に据え、SIS独自の教育の実現を目指す。教員にとっては、それまでの教科観、授業方法等を場合によってはドラスチックに変えていかなければならないこともあることが、本紀要からも読み取れる。しかも、求められる自己変革の程度は、担当教科の特性あるいは個々の教員のこれまでの経験等により、様々であると思われる.本紀要に収められた報告からもそのことが見てとれる.「学期完結制」の実施に伴う労苦は決して一律ではないという認識の共有が必要であろう.しかし、そのような教員側の自己変革は、本校のように先行するもののない教育を推し進めようとしていくかぎり、ある意味、必然的に発生する事柄であり、厳しくまた大きなエネルギーのいることであるが、先生方には、これまでの労苦に感謝するとともに、そのことを改めてお願いしたい。出発10年の様々な課題に、とにもかくにも、知恵を絞ってぶつかってきた本校の教員集団なら、この「学期完結制」というシステムを、生徒にとって比類なきよき教育システムに育て上げることが可能だと信ずるのである. (2) 私は先に§3で「目の前のこの生徒たちのために実現すること」と書いた。それはそれで自信をもってそう言えるのだが、もう一つ、全く異なる位相のこと、いや、実は本質的には通底する問題意識として、次のようなことを考えている。本校の「学期完結制(Term
Course System)」が、日本という国の中で学んでいる多くの生徒にとっても、極めて有効なシステムであり、このシステム、あるいは最低限その底に流れる考え方を採用されるなら、日本の教育は、変われる、と。 |
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