第6号(2001)
「学期完結制」と社会科のカリキュラムの再構成 野島大輔 社会科 はじめに 「学期完結制」の導入に際し、社会科ではのべ数十時間にわたる科会の議論を重ね、その考え方にふさわしいカリキュラムの再編成を徹底議論し、中高の社会科の全体を再構成することとなった。もとより社会科は、地歴科・公民科への分割、必修科目の変更など近年カリキュラムの異動が大きいが、それは全体カリキュラムの構築が、特に社会科という教科の特性を元に、大きな意味を持っているからである。そこで、個々の授業をどのように新制度に適応するかという「やりくり」「つじつま合わせ」の次元を超え、「学期完結制」の暗示する教科内容・教授法を模索しつつ、教科の編成そのものに本校ならではの独自性と工夫をいかにして表現していくか、という点に尽力するべきである、という考え方に教員達は合意に達した。それらは; @社会科本来の教科学習の目的、A学習指導要領の遵守条件、B本校の学習指導の理念、C本校社会科の特色、D生徒の自由選択の確保、E他の校内秩序との調和 「学期完結制」の下でいかにして教科カリキュラムを成立させるか、という議論の開始に当たって、社会科では、まず次のような大シナリオ3つをたたき台として作成し、俎上に挙げた。 □シナリオ2…全ての既存の科目を、例えば「インド」「アイヌ」「法律入門」などのテーマ別にいったんバラバラにし、単位習得要件では個人の履修結果に応じてそれぞれ「世界史A」「政治・経済」などへの“読み替え”を行う(最もラディカル)。 □シナリオ3…世情に逆行して従来科目中心・教科単元中心に科目を再編成し、学期完結制にはまりにくい性質を持つ科目のみを解体して、校是である学習スキルの習得を重視した科目や国際理解に属する科目を学校の責任において校長直轄で置いてもらう。こうしてゆとりを創り出し、社会科は本来の科目に専念する。 より新国際学校の運営にふさわしい新しい時間割システムが今回ようやく完成して、これまでの学校内の主要な問題点のいくつかが解消しつつあり、社会科一同は大いに安堵しているところである。こと時間割システムの問題は学校全体の円滑な稼動が一義的に重要であり、それらの全体的な長所などは他欄で担当者が記しているが、以下は教科プロパーの立場からの、主として技術面の諸点と若干の理念的な考察とを中心とした議事録の再構成である。議論の過程では、新システムに対する疑問や批判、当惑等も当然含まれているが、「学期完結制」が学校全体に与えるメリットを勿論踏まえた上での忌憚のない激論であったことをお断りしておきたい。 T.「学期完結制」と社会科の教科方針 社会科では、これまで概ね次のような教科方針を骨子としてきており、当然まず教科の立場からはこれらをいかにして新システムの中で活かしていくか、ということから議論が始まった。 「(1)文化背景の違う生徒が互いに学び合う環境を維持するため、習熟度別学級を設置しない」について <詳説> (1)の方針は、「違い」をもとにした学びを保障する枠組みとして、いわゆる「自然学級」(授業に出席する生徒たちの背景が偏っていない)を前提にクラス編成を行う、ということであるが、これまでの時間割システムでは社会科が、例えば他教科の習熟度別編成や自由選択編成の時間割上の「裏番組」として、間接的に偏った編成を強いられてきた苦い経緯を踏まえている。「全ての授業が国際理解」と標榜する本校にあって、その中でも責任の大きな社会科の授業では、たとえば日本語力や、日本地理・歴史の用語のような基礎的な事柄の習熟度よりも、立場や経験の違いを互いに理解させた上で意見の交換や交流学習を一層重視して取り組む必要がある。その上でクラスの生徒の構成は、授業の深度に決定的な影響を及ぼすのである。 また、歴史系諸科目の時代順配列については、既に数年前の段階からこだわりを排除していたが、さらに生徒の選択に任せるということになり、網羅主義・時代順主義は一層追放されることとなった。担当教員からは不安の声も上がっているが、大枠においてインターナショナル・スクールの授業法をさらに推し進めるという方向である。この試行の功罪については後年改めて評価の時を持ちたい。 また、未知の時間割システムの導入に当たって、教科計画にとっては当然不安が生じるところがあった。「学期完結制」の実施は多くの教科にとって労務負担の軽減をもたらす反面、社会科に限っては以前よりも負担増となることが当初よりコース・アドバイザーからも指摘されていた。校務分掌との整合性も含めて、教科計画の議論には相当の落汗を余儀なくされた。いろいろ手を尽くしたが、結局最も頼りになる解決の原動力は、毎度のことになるが、各教員の新国際学校やそこに集う生徒に対する熱意や心意気であったと思われる。 <詳説> もとより専任5名・非常勤1名で、中高6学年分の社会科の授業全てを担当していくという条件下では、歴史「A」「B」両科目の並立を支えることはできない。歴史「A」の増加単位、という案は、積極的な提案というよりも、4単位の授業が「学期完結制」に収納すると週10時間(全てで約30時間のうち)になって現実的には不可能であり、さりとて学期を跨いでの開講が教務上多大な負担を生じる、という閉塞状況の中での苦肉の策であった。もっとも心配されたのが、大学進学希望者がほとんどである本校生徒の進学希望先の受験資格への影響であった。当初「A」しか学んでない者が「B」科目で受けることは問題無し、という情報に基づいていたが、入試形態・方式の多様化に伴い、新たに若干の問題点が生じ、結局必要な者に限っては履修してきた内容の範囲で個別に認定を要する、という措置に変更となった。 旧来の時間割システムにおいても、人的・物的限界から4単位の授業を時間割平面の上に表現しにくく、また必修要件の緩和も同時に求められていたので、教務の要請に基づき日本史・世界史の枠を廃絶した「国際関係史」を置いて習得単位規則の緩衝材としていたが、代々の教務担当者間での情報の連携が困難な状況の元、科目編成の根本から覆るような違った対応が毎年々々求められてきた。「国際関係史」はそういった事情を持ちつつも、“進度”のため取り組みがおろそかになりがちな現代史に焦点を当てつつ、国家政府中心の歴史観を超越する視点を与える意味で本校社会科の特色ある科目として運営してきたが、この科目の必修指定も外す決断を求められた。 高等学校の卒業を認定する必修要件についても、新しいシステムの下では教科担当が事前に問題を発見することが不可能になるので不安の声も挙がったが、それこそ自己管理の理念の下で自主選択を求める新時間割システムの主旨のひとつ、という説明があり、「コース・ディスクリプション」に要件を明示するのみとして指示に従った。 中学社会の公民的分野に該当する「基礎社会」は、従来週3時間で年間履修としていたが、新時間割では3単位のものをシステム内に収納することができず、校長判断により特別に2単位編成となった。授業内容も当然大幅に精選することになったが、上記のようにもとより中高6年間で教科内容を精選していた上でのことだったので、実質の指導は多大な困難を承知で進めることとなった。1年度分(3学期間)進めた現状としては、充実した指導はやはり相当困難であると言わざるをえず、例えば学校の教育方針の根幹である「自由の探究」「ディベート」などを集中して学ぶ独自カリキュラムを全く廃するか、中高6年間で履修の機会のない単元(例えば経済や青年期と心理の部分が現状では生徒に学ぶ機会を提供できない)を作ってしまうか、どちらかしかない。前者を主軸としつつ後者を随時編入させていくという最善の工夫をしているものの、時数の限界から学習内容を大きく割愛せざるを得ないというのが実状である。また、「基礎社会」は本校の理念や校是について社会問題を絡めながら集中的に学ぶという目標を持つおそらく唯一の科目であると思われるが、従来も時間割編成上、授業時数を削減されるなど、学校の教育計画から軽視され続けているという印象を払拭できない。 「(3)学習スキルの段階的習得を授業の中で重視し、「自分で学ぶ」「他者と学び合う」力を育てる」について 「学期完結制」導入の狙いの一つに、連日の指導の中で生徒の経験や活動を重視するタイプの授業構成を間接的に奨励することがあったが、社会科では既に開校当初から多種多様な文化背景を元に徹底して「考える」「討論する」「論文を書く」力を重視しての指導を意識して科目編成を実行してきたつもりである。旧時間割の上で、そういう生徒同士の交流の深まりや、学習スキルの習得に必要な時間をインプットして、また教師と生徒が個々の学習相談や打ち合わせができることを前提として、科目編成や授業構成を行ってきた。これらを新しい時間割の上で再度実現しなおす際に、「学期完結制」の導入目的に反して、皮肉にも逆説的な困難が生じることが議論の過程で明らかになった。 即ち、週5コマ、ブロック制、教員は週60modsを基準に担当、というフォーマットができたことで、授業の「空き時間」(本校ではUnscheduled Timeとして、各人のニーズに見合った積極的な活動が期待されてきた)の持つ意味合いが変わり、例えば生徒の経験を重視する指導を行う教員ほど労務負担が急増するという予期せぬ影響が出ることになるのである。 「考える」「討論する」「論文を書く」力はそもそも本校の教育理念の一部にあった「I.B.(国際バカロレア)」のカリキュラム観に基づくものであったが、例えばI.B.では課外の時間に論文作成や教員の指導が行われることを前提として学習水準が設定されている。60日間連続する授業時数の中、頻繁に生徒の発表の事前打ち合わせが生じ、さりとて授業時間中に個別の指導時間を設ける単元の余裕も持ちにくく、結局「考える」「討論する」「論文を書く」力を重視しUnscheduled Timeを積極的に活用してきた教員ほど負担が高くなるということになった(例えば発表の打ち合わせは週あたり2回程度から5回程度に増えたが、そのような「見えないが授業成立のために肝要な指導」は担当時間として考慮されない。これでは打ち合わせの必要がない教師中心・教科単元中心の指導に切り替えることを間接的に強要されることにもなりかねず、「生徒の主体的な学習を重んじる」学校目標と矛盾してしまう)。 また、「比較文化」のように生徒相互の関係の深まりこそを実質的な国際理解の重要な一部とし、交流の深化にどうしても一定の心の開かれていく期間を要する科目においては、“相互反応時間”が単一学期の枠には到底収まりきらず、またかつてのようにはHRなどで生徒同士の交流の場が重視して指導されなくなった現状において、編入生徒のイニシエーションや交流の場作りにおいても心配が残ることとなった。一時は教科の骨組みを根本から変えることになるため、教科担当者の交替も含めて真剣な議論を重ねたが、この面についてはコース・アドバイザーを通じて管理職の理解を得、「学期完結制」の例外として通年でのコース設置が認められることとなった。然るに、「学期完結制」の中で通年指導科目が併存するという矛盾も内包することになり、いずれはいつまでもこのままで進めていけるという訳には行かなくなってくることも想像される。果たして、学期単位の授業の下で、生徒同士の打ち溶け合った「国際交流」が実現できるのか、恒常的に編入生徒を受け入れている本校において、生徒集団作りができるのか、今後更なる検討を重ねなければならない。 一連の議論の根幹にあるものとして、「学期完結制」と「経験カリキュラム」の相性が、本校において十分には研究されていないまま新システムの試行に踏入したことが指摘される。今後数年の展開が重なる中で、学校のしっかりした評価と研究がなされ、社会科でもベスト・フィットの方法を早期に見出す必要が痛感される。 「(4)国際理解について特に集中的に学ぶための独自の科目を設置・研究する」について ○昨年度からの「国際理解」科廃止の後、果たして様々な文化の教員や生徒が共に「居る」ということだけで果たして校内の国際理解が深化するだろうか。 <詳説> 「国際理解教育」の解釈の変更については、時間割の改革に一年先行して進められてきていたが、従来中学必修の「国際理解」が様々な事情により学級担任の経営に委ねきれなくなっていた状況や、旧時間割システムが各科の科目で既にパンクし「国際理解」を排除するよりなくなってきたという背景において発議されたという経緯があった。それ以前の問題として本校では国際理解教育をどのように推進するかという確固たる哲学があったという訳でもなく、いわば帰国生徒や外国人教員が暮らす中で自然に形作られるであろう、という楽観論があったように思われる。そして確かに学園の黎明期においては、それでも十分な時期も存在したと思われる。 しかし、本学園においても、いわゆる「先進国病」(現在の先進国の物質生活が途上国の犠牲や搾取の上に成立しているという事実を看破できないかしようとしない)や「日本病」患者(多者の中に自己を埋没することにより利益を得る行動様式に過度に習熟してきたために、例えば外国人との1対1のコミュニケーションに耐えうる水準の精神活動ができない)特有の症状が多々垣間見られるようになり、従来の自然発生型の国際理解教育観に対しての疑義が生じてきた。「日常生活が国際理解」「全ての授業が国際理解」という理想には社会科の教員は原則大賛成ながら、ではいったいどのような日常生活や授業をすればそれらの症状に対するワクチンになるのか、という面について本校の教育がまだまだ未熟であることも同時に指摘された。 校長(当時)に直にそういう問題症状の具体例(「集団いじめ」の発生、文化的少数者や老齢者に対する偏見を含んだ授業中の発言や落書、排他的な仲良しグループ相互による“派閥争い”、海外の長い帰国生徒の不適応ケース等)を報告することにより理解を頂き、直前になって国際理解を直接主眼に入れた科目を維持・新規設置することになった。また、I.B.については、上記のように直接カリキュラムに表現されることはOISとの合同授業を除いてはSISではここ数年途絶えていたが、新国際学校の設立理念の出発点に帰って再度チャレンジを進めることとなった。 このようにして「国際理解」「I.B.」など新国際学校のカリキュラムを考える上で最も重要だった事項について根本的な研究や合意がないため、現段階としては、国際理解を直接扱う科目の研究と設置については、教員の個々の意思にまったく依存して展開されていると表現せざるをえない。この意味では旧体制と異なる大きな変化が生じたとは結局言い難くなってきているものと思われる。 U.教科の再編成の結果 このようにして、「学期完結制」のもとでの社会科のカリキュラムは次のように再編成されることとなった(生徒の選択しやすいように対象学年順に示したものや、科目の詳しい内容などはコース・ディスクリプションやシラバス等を参照)ので、その要点をまとめて記す @新たに設置した科目 A名称変更した科目 B整理・統合した科目 C従来と同様の科目 D廃止した科目 ○中村(中学基礎社会1、世界史A3、日本史A3、宗教学入門コーディネイター) 「学期完結制」の下での授業を実際に少し経験してからの、それぞれ個別の教員の声を集め以下に教科全体として整理して記す。 1.長所: ○毎日の授業なので連続して教えることができるので、生徒の記憶も新鮮で授業内容が定着しやすいと思う。
2.短所: ○生徒が2、3日以上休むと進度のメイクアップが大変。 3.その他のコメントとして: ○導入前に心配していた、毎日同じ授業で生徒も先生も飽きてしまったり、クラスがうまく行かなかったりという心配は今のところない。 おわりに・課題 最後に、「学期完結制」に関する一連の議論の中で、個々の科目担当や教科の位相を超えて出された様々な指摘や見解について記し、今後の課題および反省点として残しておきたい。 |
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