第6号(2001)
学期完結制とその経緯 真砂和典 教務センター 1.学期完結制とはどんなシステムか 学期完結制(Term Course System)と呼ばれる本校のシステムには下記の3本の柱となる特徴がある。 学期完結制 1年間を60授業日の均等な3学期に分け、学期ごとに完結する授業を置いて単位を認定する。日本の学校の始まり:4月、OIS(併設校の大阪インターナショナルスクール)など欧米の学校の始まり:9月、そして12月と、1年に3回の新しいスタートが切れることにより、世界各地からの帰国生や編入生そして留学をする生徒達の学習がなめらかに積み上げられていく。また、授業を学期単位に分割したことにより、必修科目が無駄なく最小限に押さえられるので、取りたい科目をより自由に選択する幅がひろがる。更に、OISも同じ流れのカレンダーで動いているので、合同授業や交換授業を増やしていくことができる。 自由選択制 1学期の中で効率良く授業を組むために、全授業時間を7つのブロックに分け、それぞれに学校が提供する授業を散りばめて置いた。そのブロックごとに、生徒達がそれぞれ、自分の取りたい授業を選ぶ。それでこそ活気ある教室が生まれ、教師の創意工夫が更に引き出される。世間では、学校自体の存在意義が問い直されるなかで、私の意識は授業に立ち戻る。今まで通りの、無難な、与える授業やカリキュラムでいいのだろうか。もっと主体的に自分自身で選び取るカリキュラムがあってもいいはずだ。学校の思想が反映されたカリキュラムを与えるのではなく、生徒達に自分のカリキュラムを創らせる学校も独自の思想を持つということができるのではないか。もちろん生徒達は授業選択の中で失敗し、試行錯誤を繰り返すこともあるだろうが、将来を考えながら学習計画を組み立てていくうちに、少しずつ自分を見つけることになる。進路の変更に対応し易いのは言うまでもない。学校の決めたカリキュラムのベルトコンベアーに運ばれて卒業まで来てしまうのでは、その先の進路も他人のものさしを借りるしかなくなるかもしれない。 無学年制 幅広い選択肢の中から、取りたい授業を、取りたい時に、選ぶとしたら、それはもう横並びになるはずはない。一般の学校では非常に抵抗が大きいであろうが、本校ではこれを乗り越えた。多くの人々がこのシステムの意義を理解してくれたからだと思う。海外現地校から来た生徒達に最も適合する授業が1学年の枠に収まるはずがない。日本人学校や国内からの生徒達も大変個性的だ。生徒ひとりひとりの個性を生かすためには、学年の枠を外すことが必要になることもある。 ◇ できるだけ選択の幅をひろげ、今学期取れなければ、次の学期、そうでなければ来年というように、選択の機会を繰り返すためには、学期完結制、自由選択制、無学年制の組み合わせが効力を発揮する。 2.学期完結制までのあゆみ ここでは、このシステムがどのような経緯で、また、どのような要請から誕生したかについて述べたい。まずは開校以来の関わりのある出来事をまとめる。 ふたつの学校 私がこの学校に来たのは、93年4月だった。初めの3年間は非常勤であったが、あけぼの寮の仕事もしていたので、93、94年とリトリートには参加した。そこでは、OIS/OIA両校のスタッフが集い、どのようにふたつの学校をひとつにしていくかについて多くの時間を割いていた。お互いの教室の場所をかためないで混ぜてみるなど、和気あいあいとした雰囲気の中で、いろいろなアイデアが出た。しかし、私が少し物足りないと感じたのは授業(これこそが学校の中心のはずなのだが、)での相互乗り入れが、あまり話題に上らなかったからだ。もちろん、音楽、美術、体育、英語、国語などでは開校以来行われていたことだが、もっと拡大してもいいと考えたのだった。ところが、事はそう簡単ではなかった。96年に私が常勤になり、教務の仕事に関わって知ることになるのだが、この学校の時間割は恐ろしく複雑で、改善の余地がなかった。その原因のひとつが、まさにシェアードの授業(OIS/OIA共通の授業)だった。ふたつの学校が別々に時間割を作るなかで、シェアードの授業を学年別に、教科別に、一致させなければならないのは、至難の業だ。私が時間割に関わった時点で、一致させる方法は出来上がっていたが、他に時間割をより良くすることはほとんどできず、様々な所に歪みが出てきていた。 理科だけの改革 私が常勤になって、まずしなければいけないと考えたのは、本校の理科のカリキュラムを改革することだった。それまでのものも他校と比べて特に劣っているという訳ではないが、中途半端な気がしていた。高校1年と2年で週3時間、1科目ずつ、合計8単位を全員に必修とし、更に深く勉強したい生徒は、高校1年の続きを高校2年で、高校3年でもう1科目の続きを選択できるようになっていた。何に不満を感じていたかというと、 はじめにも書いたように、これらは本校だけの問題ではない。高校で生物を全く取らないで医学部に入学している生徒がかなりいることに象徴されるように、高校教育だけの問題でもなく、入試制度や大学教育の問題にまでも行き着く。 96年の暮れに、私なりの理科の改革案を作って、理科教員達に検討してもらったが、上記Fの問題もあって、改革はもっと大きな流れになっていった。もしあの時点で、理科のカリキュラム変更を翌春から実施しようということになっていたら、私は満足して、それ以降は自分の授業に没頭していたかもしれない。ただし、Fの問題はいずれ、避けて通れないようになる。このことを次に詳しく述べたい。 多様化イコール細分化? 2000年夏、私は「総合学習・クロスカリキュラム研修会」という全国規模の会に参加した。2002年から実施される新学習指導要領の中の特に「総合的な学習の時間」について理解を深め、どのような授業にしていくかという講演、発表、討議があった。小グループに分かれての各校の報告の多くは、「今の時間割に、新たに時間を作り出せるのか。それでなくても、どうやって週休2日にしようかと悩んでいるのに…。どの教科にもやっとお願いして少しずつ時間を削ってきたのに…。」というものだった。大規模校では、「もう身動きが取れない。どうやってお茶をにごすか…。」などと、教務担当者は頭を抱えていた。確かに、ほとんどすべての学校は大変な状況だ。学習指導要領が改定される度に、隔週土曜休日、ゆとり、週休2日、と学習時間は減りながら、選択教科の拡大、情報、外国語や総合的な学習の時間の必修化と内容は増加していく。全体の必修時間数はやや減少しているが、科目数が減っている訳ではないので、多様化は細分化を伴ってしまう。公立中学の2、3年生は音楽も美術も週1時間ずつになっていく。この流れからの当然の帰結である。 社会の動きに対して学校は取り残されてきた。多様化は学校でも必然と思われるが、相反する均一化からまだ抜け出せずにいるので、細分化を伴ってしまうのだ。生徒全員がいつも、やたらとおかずの種類が多い幕の内弁当を食べさせられているのが今の学校だ。時には親子丼、ある時はステーキ、たまには焼き魚と、気分によって好みを言うことは許されていない。 教師の側からしても、前項Fのように細分化は授業の空疎化をもたらすので、とても都合が悪い。だから、教科間に時間の奪い合いが起こって教務担当者を苦しませるのだ。本校のあゆみにもどって、1995年の報告書「OIAの道」にもこのことが書かれている。青山さんが『過密時間割の解消』と題して、問題点を挙げている。意欲的かつ個性的な教師が世界各地から集まったこの学校で、各教科からの要望を調整するのは、大変な仕事だったろう。いくつか抜き出してみると、「時間割を組んでいるとひしひしとかんじること。取らなければならない科目が多すぎる。それだけで時間が満杯状態。」「モジュラースケジュールシステム(開校以来当時まで、本校が採用していた15分刻みの時間割)の中で、ほしいだけの時間をいっていったところ、溢れてしまい、今度はかえって減らされてしまって、満足に授業ができない。というのが、今までの数年に見られたパターンだったといえよう。」「文部省指導要領に示される必修科目は実はそれほど多くない。」「一度生徒の立場に立って、高校生活の1年1年が鮨詰め状態になってしまわないか、ひとつひとつの科目の意図はよくても、全体として効果的でないプログラムになってはいないかを充分に毎年反省検討する場が必要と思われる。」「例えば全員に課すのは文部省の必修科目のみとして、あとはもっと自由に選択できるよう、配慮すべきなのか。」とある。 根本的な発想の転換がこの問題の解決には要求される。教科間の時間配分の調整では何も解決しない。どの教科もじっくりと授業を進める十分な時間を取りたいのならば、時間割を何重にも縛り、身動きできなくしている必修をできるだけ少なくしなければならない。 誰が選択をするのか 理想に燃える教師は、ぐいぐいと生徒を引っ張っていくことがある。その教師についていけば、いつのまにか良い結果に導かれている。このようなことはよく聞くし、厳しいクラブ活動や名門と呼ばれる塾などでは確かに起こっているのだろう。しかし、これは教育だろうか。生徒が育っていると言えるのか。学校では結果にたどり着く過程を大切にしたい。その基本になるのは、何よりも生徒本人の意思と責任ではないのか。ある程度良い結果が出ても、体をこわしたり、勉強嫌いになってしまってはしょうがない。特に日本の学校ではこういうことが、往々にして起きていると思うのだ。勉強はできるが、好きではない。有名大学に入ればそれで勉強は終わり。学生の側からすれば、将来何の役に立つのか展望のない教養科目や専門科目の上にあぐらをかいている教授達が、自分の趣味を押し付けているように見えるだろう。それならば勉強は、単位を落とさない程度のほどほどにして、モラトリアムの世界で、何事も経験と、時間を過ごすことになる。自ら学ぼうという強い意志と成果に対する責任が生じない大学は、世界の中でも希な存在ではないか。 話を元に戻そう。学ぶことを好きになってもらいたい。それが私の一番の願いだ。生徒が学ぶことを楽しいと感じれば、学校は誰にとっても居心地のいい場所になる。そのためには、もちろんいい授業が必要だが、更に学校のシステムとして、他からの強制でなく、生徒の意志と責任を尊重することが大切だと思う。それが授業の選択にまで及ぶべきだと私は考えるのだ。 再び、「OIAの道」から引用する。当時の進路部長だった平尾さんが『進路指導の基本方針』として書いている。「生徒が自分の将来の進路について、いろいろ悩むことは当然あっても、自分の意志で選択し決定できるようにすること。」「情報の提供及び各立場から適切と思われるアドバイスをする、大切なことは、生徒を自分だけに向けようとしたり、価値観を押しつけようとしたりしないこと。生徒及び保護者が自由に各立場の人にアドバイスをもらえるような環境を整えておく必要があると考える。それらのアドバイスや情報を総合して最終的に決定するのは生徒自身である。」「この学校の先生はおそらくどの学校の先生より生徒を細かく見ています。その意味では先生が生徒を捕まえて与えることはそう難しいことではありません。でも、大切なことは、生徒から積極的にわからないところを解決しようという姿勢を持つことではないでしょうか。その姿勢を育てることは大学入試はもちろんのこと、その後の大学生活や社会に出てからも多いに役に立つと信じています。」 これを読むと教務関係でも同じようなことがあったのを思い出す。この生徒はこちらの授業をとるべきだと教師が主張したことがあった。教科間の生徒の取り合いだ。もちろん、アドバイスするのはいい。しかし、最後に決定するのは生徒自身のはずだ。必修が絞られて、盛り沢山の魅力的な選択科目が用意されても、教師の側が何か別の制約を付けたのでは意味がない。 新国際学校の行き着く先に 更に、「OIAの道」を読み進むと、開校時から英語科におられて、99年3月に退職された東さんが、『単位制』の項目をまとめている。定時制、通信制から全日制に拡大する単位制高校の設置に至る経緯を教育の個性化・多様化の視点から説明し、本校にとってどのような意味があるのかを検討している。「OIAで単位制を検討するに値する大きな理由は帰国子女受け入れ校ということにある。」「単位制導入がOIAにもたらす主要な利点は、OIAの教育の方針のなかの、『生徒の個々のニーズにあった学習』と『自発性と個性を尊重する』の部分に相応するものである。これまでにも一定の成果はあげてきたが、尚、問題点も抱えたままであり、現状を越えてよりよいものを作るためには、制度的な改革を検討する価値があると思える。」「OIAには世界各地の学校から様々な教育背景を経て生徒が集まってくる。故に同学年の中でも生徒の学力は千差万別であり、生徒が必要とする学習内容は一律でありえない。一部の教科では習熟度別のクラス編成により、生徒達のニーズに応える工夫が為されている。しかし、学年制の枠の中では習熟度クラス編成に限界があることも事実である。また、学年指定の科目が生徒の学力に適していないため、無理な教授・無理な学習が一部で行われている。自分の学習ニーズにあった科目履修計画をたてることを可能とする教育課程の実現には、無学年制の科目提供制度と、より多様かつ数多くの選択科目の開講が必要となる。」「現在は、ごく限られた生徒に取り出しという形で指導を行う例があるが、単位制が実施されれば個々のニーズにあった履修が正規の履修として認められるから、『取り出し』という言葉は教育の現場から消えることとなる。」「生徒が自分で時間割を作るためには、教師の助言を参考にしながらも、自分でいくつかの事柄を考えなければならない。自己の学力の理解、興味・関心の把握、卒業後の進路の模索等を通して、高校での学習計画をたてる過程自体が、自発性・主体性を養う訓練である。さらに、与えられた時間割ではなく個別の時間割で行動することにより、自分の行動により責任を持つ姿勢が求められる。」等など、学期完結制の芽生えから原理的な裏付けまで貴重な考察がなされている。 当時の教務部長の大迫さんは、『教育課程の整備』、『カレンダーの統一(含む四学期制の検討)』の中で、その後に設けられる委員会や組織が取り組まねばならない懸案事項について様々な指摘をしている。「議論の展開上重要と思われることは、開校以来の現実的実践を議論の根拠に置くというこであろう。」「95年度よりOIA校務分掌として『カレンダー委員会』が正式に設けられ、OISとのカレンダー統一に向かって具体的な議論を開始した。本件の最大の問題はOIA/OISの始業時期のずれ故に発生していた諸問題である。とりわけOIAのサマープログラムは(6月中旬からの)一ヶ月に渡るOIAのみの片肺飛行が行われ、生徒数・クラス数の少なかった時期は辛うじて乗り越えられたが、生徒数の増加にともない年々内容的に難しいものになっている。授業体制の問題のみならず、OIA教員が通常以上の負担で苦しんでいる時にOIS教員は既に休暇に入っているという現実が、教員の心理に与える影響は、決して小さくないようにも思える。」「また、年度の開始・終了時期のずれは行事に関して年間を通じて常に慌ただしい日程となる原因にもなっている。」 大迫さんは、開校準備の段階からいつも改革・実践をリードし、その後の難しい契約上の問題にまで取り組み、解決に努力している。ひとつの改革と見えても、それはいろいろなところで関わり、絡み合い、往々にして深い、太い根をもっている。 私が常勤になって暫くすると、この学校ならではの仕事がまわってきた。海外現地校やインターナショナルスクールから入学を希望する生徒達の書類審査だ。ほとんど英語で、多くは癖のある手書きで書かれた成績評価書を読み進むのは大変な苦労のいる作業だ。1人につき10ページ以上あるのが普通だ。しかし、そこから様々な事を学んだ。海外の学校の様子が少しずつだが、見えてくるのだ。更に、海外から帰って来た本校の生徒達の話、そして自分の経験を重ね合わせていった。すると、学期完結制は大学だけでなく高校でも、海外ではよくあるシステムである事が分かる。日本の学校のように全ての科目を週に数時間ずつ、年間を通して続けているのは、むしろ少数派だ。自由に選択できる訳ではなさそうだが、ひとつの学期には5から8科目ぐらいに集中して学習している。 さて、このようにして歴史を振り返ってみると、この新国際学校は「国際性」を切り口に色々な検討や経験を重ねてきた。より具体的に言えば、「OISとOIA(SIS)の関係をどうするか。」「帰国生をどのようにスムーズに受け入れるか。」等について試行錯誤してきた。しかし、そこから見えてきたのは、より本質的な学校の問題だったように思う。 夢を現実に----瑣末でも具体的であることが前進の第一歩 1997年の教育政策委員会は最も短期間の委員会だった。しかし、それは、これまでの夢を実行に移す最後の話し合いの場にするためだったからだろう。それまでの多くの会議が核心に迫りながらも次の一歩を踏み出せずに、煮詰まった状態が続いていたように思う。私もこの委員会の一員として、とにかく何か具体的な前進をしたかった。そこで提案したのがブロック制だ。OISとOIA(SIS)の科目が複雑に絡みあって、がんじがらめになったそれまでの時間割をどうにかして交通整理する必要があるという思いは、時間割の仕事を始めた時から募っていた。各教科から持ち寄った授業を分散して、組み合わせて時間割を作るのではなく、初めに枠を作って、そこにOISもOIA(SIS)も授業をはめ込んでいけば、最も効率よく選択科目が並ぶ。ふたつの科目は週に1時間でも重なれば、同時に取ることはできない。重なるのならば全て重なり、そうでなければ、完全に独立している方がずっと効率が良い。このとても瑣末に見えるが、具体的なところから、自由選択制、学期完結制へと繋ぎ、拡大していった。 この委員会でそれまでに出ていたアイデアを集約して、実体感のある骨組みを作り、どんな利点や欠点があるかを議論した。ただし、この委員会の答申にもあるように、「指導要録の記載、その他細かな障害は今後いくつも出てくるだろうが、そのような細かな問題を理由として、本件の議論を否定的にとらえストップをかけることは本校の可能性を自滅させることになろう。」という基本的な姿勢は、多くの教員によって貫かれた。私は何度、「『石橋をたたいて…』壊す事のないように…。」と祈ったことだろう。 教務実務的なものが中心となるが、他のところで書いた学期完結制の特徴以外にその頃から上がっていたものをここに記す。 Although I know that my English is not good, still I must write this one
sentence in English in appreceation of non-Japanese speakers. They are tolerant of new
ideas and try hard to make good use of the Term Course System. They encourage Japanese
education with innovation. ほとんど校則のない本校で、それに代わる指針として5つのリスペクトがある。そのうちのひとつに Respect for Leadership(リーダーシップを大切に)がある。今回の改革も強いリーダーシップに導かれてここまできている。 学園長は雲の上の存在で、どんな仕事をしているのか意識したこともなく、話をしたことさえほとんどなかった。しかし、97年の教育政策委員会ができる少し前に呼び出されて、福田さんとお話をした時には、教育システムの改革に対する並々ならぬ熱意を感じた。その後の小さな会議にも頻繁に足を運ばれ、時に暖かく、時に鋭く事の進展を促された。 その頃、藤澤元校長の退任が決まっていたようで、ポツリと、次はどんな方に校長になってもらうかという話をされた。私はでしゃばるべきではないと思ったが、この流れを止めたくない一心で、「今、外から新しい校長がくれば、経験のある立派な方であっても、いや、経験が豊かであればあるほど、逆に、現在の改革に戸惑うでしょう。この学校の現状を知らない校長は難しいと思います。」と言ってしまった。多分、私の言葉などは、気に留めていらっしゃらなかったとは思うが、結果として福田さんが、最も大切な次の1年間を校長として引っ張っていかれたのは、本当に有り難いことであった。難しい局面の要所要所で強いリーダーシップを発揮された。 1998年1月に保護者会が開かれた。2ヶ月後に退任される藤澤校長の話とその後の学校の体制、そして新システムについても少し説明するための集いだった。藤澤さんは帰国子女教育でも有名な人で、保護者からの絶大な支持をうけていた。退任の衝撃を和らげる意味も、その会にはあったのだろう。次の1年間は、福田校長(学園長兼任)、大迫副校長の連携でやっていくなどという話があってから、「学期完結制」の話になり、ひと通り説明があった後に質問をいくつかしてもらった。まだ、多くの教員にさえ漠然としたシステムだった頃なので、あまり突っ込んだ内容にはならなかったが、本質にふれる重要な質問がひとつでた。誰が答えるべきかと、そこにいた教員達が顔を見合わせたとき、藤澤さんがすっと立ってとてもわかり易く説明して下さった。私は感動した。あと2ヶ月すると東京にいってしまうのに、去ったあとに始まるシステムなのに、ここまで深く理解して、代表として質問に答えてしまったからだ。 それ以降も、お会いする度に励まして下さった。東京から参考資料を持ってきて頂いた事もある。今は外務省に居られ、帰国子女教育のエキスパートでありながら、教務の仕事にも精通されていることが良く分かった。 コンピュータによる「学期完結制」 私はどちらかというと機械が苦手だ。コンピュータを使ってみようと考えたことはほとんどなかった。今、コンピュータに向かってこの原稿を書いているのがとても不思議なくらいだ。 1998年6月のOIS/OIA合同職員会議で学期完結制の理解を全校に広げるためのプレゼンテーションをすることになった。いつもOIAでやっているように手書きの資料を作ろうと思っていたら、OISのルイスさんがコンピュータを使ってプレゼンテーションをやろうと提案してくれた。コンピュータと連動したOHPスクリーンでの資料作りから教えてくれた。というよりも、ほとんど準備をしてくれたうえに、会議の英語の部分まで担当してくれた。ルイスさんはこのシステムに興味を持ち、良く理解してくれていたので本当に助かった。これがきっかけとなってコンピュータとの付き合いが始まった。ルイスさんは学校中のデータを全てコンピュータでまとめていく作業を進めていたので、学期完結制もその中に入っていった。開講科目一覧の作成では依頼がそれぞれの担当者にいき、それが返ってくると一冊の本の原稿になったり、ネット上で公開できるようになっているプログラムをいとも簡単に作ってしまった。生徒が選択した科目を入力すると教務で役に立つ資料が次から次へと作れるようなプログラムもある。何がなんだかよく分からない私にとっては魔法使いのようだ。はっきり言えるのは学期完結制のシステムそのものが、ルイスさんの力で成長したということだ。 IMAGINE (村上春樹『ノルウェイの森』風のはじまり) 僕は四十三歳で、そのとき卒業式会場の片隅に座っていた。その体育館での長い式典をくぐり抜けて、最後のスライド上映に差し掛かったところだった。三月初めのまだ冷ややかな空気が、がらんとした天井から静かに降りてきていた。 賑やかなBGMが終わると、スピーカーから静かな曲が流れはじめた。それはジョン・レノンが訥々と語りかけるような「IMAGINE」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕の心を揺さぶった。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を揺り動かした。 1999年3月に卒業生を送り出し、春休みがあけると、いよいよ学期完結制のはじまりだ。 この数年間、やはり、いろいろな苦労があった。こんなことができるだろうかと不安になったり、意見が対立して動きがとれなくなったり、どうすれば分かってもらえるのだろうと悩んだり、辛いときもあった。そんな時、カセットテープに13回連続で録音した「IMAGINE」を聞いてじっとしていた。ふとんをかぶって繰り返し聞き、口ずさんでいると少しずつ勇気が出てきた。黒澤明の「生きる」の主人公のように、静かに、しかし粘り強く、もう一度やってみようかなと思い直したのだった。 3.学期完結制を生徒達はどのように受け止めたか 1999年12月、このシステムが始まって2学期と少し経ったところで、生徒達に次のような呼びかけをしてアンケートに答えてもらった。 10月26日の朝日新聞、「声」の欄にこんな投書が載りました。 中高の授業は選択制で 私は受験生だ。最近は学校の授業でも「これはセンター試験に出やすい」「この問題は○○大学の試験に出ました」などの言葉をよく耳にするようになった。私のしている勉強って一体なんやろう?ふと、そう思った。そこで私は、中学、高校の授業を選択制にしたらいいのではないかと考える。学年に関係なく選択できる授業を半分はつくる。一応今のように自分のクラス・教室はあるが、毎時間移動する仕組みだ。 利点は三つある。まず第一に学年、クラスを超えた友達や先生との輪が広がる。上級生が下級生をサポートするルールもできあがってゆく。第二に、授業内容が充実する。おもしろそうな授業には必ず生徒はついてくる。先生による授業内容の工夫が期待される。少なくとも教科書ガイドマシンではいられないはずだ。戦争や環境に関する授業も導入すべきだ。第三に、何を勉強するかを生徒自身が選択することで、勉強に対して受け身でなくなる。自由な選択から自信と責任感が生まれるのだ。自分は一体何に興味を持っているのかを知るチャンスにもなる。 生徒、親、先生方、学校にかかわる皆さん、学級崩壊や少年犯罪が増える社会を変えていくのは私たちです。もっと学校を楽しい場所にしようと思いませんか。 同意するものにはいくつでもチェックをつけてかまいません。意見や説明があれば是非書き添えてください。よろしくお願いします。 その中で、「アンケートが長すぎる。もっと生徒のことを考えて。」と叱られたり、「集計、がんばって。」と励まされたり、「このシステムはいいと思う。何もかもが順調っていうわけではないけれど、このことによって、いろんな可能性が見えてきた。このアンケートに答えるのはけっこう大変で1〜2時間くらいかかったけど、このことに関しては私もいろいろ意見があったので、書けてよかった。私はこのシステムが好きなので、あまり変えないでほしい。しかし、良くない、と思っている人もいると思うので、その人の意見も聞きたい。」という声に背中を押されたりしながら、なんとかここまで辿りつきました。 とりあえず、選択肢をチェックした人数を[ ]で表し、他に出た意見を「 」、その人数を( )で表してみました。もちろん様々な少数意見も無視することはないように、新しい授業選択制の改善に努力します。皆さんのアンケートのコピーを図書館に置くようにして、生の声を聞いてもらおうと思っています。また、どんな所が手直しできるかは、決まり次第インターカルチュアに載せるつもりです。 Q1 必修が文部省の求める最小限度に押さえられて、皆さんの自由な選択の幅が広がりましたが、どのように考えていますか。 Q2 これまでの1年間の授業に対して、学期ごとにひとまとまりが終わる授業形態はどうでしょうか。 Q3 1年間を通して多くの科目を少しずつ学ぶのではなく、学期ごとにいくつかの科目に集中して勉強するという形はどうでしょうか。 Q4 この形態の基本となっている、毎日(週5回)ある授業の進み方についてはどうでしょう。毎日、授業があれば、教師はじっくりと授業を進めて、生徒はゆとりを持って勉強ができると考えていましたが、あなたの取った科目はどうでしたか。 Q5 週2回の授業は24時間で完結します。どう感じましたか。 Q6 まず、あなたの学年を教えて下さい。 Q7 ひとつのクラスにいくつかの学年が集まっていることがありますが、どうでしょうか。 Q8 無学年制の利点のひとつは、自分の取りたい時期に、取りたい科目をとることがでるということですが、あなたはそれを活用していますか。 Q9 例えば、ブロックZに説明の多い授業をとると、教師が催眠術師に見えてくるとか…。皆さんの意見を書いて下さい。 Q10 このシステムの授業の取り方についてあなたはよく理解しましたか。 Q11 授業選択について疑問や相談したいことがあった時にあなたはどうしましたか。 Q12 あなたは授業選択をする時どんなことに重点を置いて選びましたか。 Q13 あなたにとってアンスケ(授業の空き時間)は1週間にだいたい何時間ぐらいが適当ですか。 Q14 あなたが取りたいと思う科目は多く開講されていますか。 Q15 こんな科目を勉強したいというものがありますか。 Q16 春学期(4月〜6月)と秋学期(9月〜11月)で、取ってよかったと思った科目を書いて下さい。 Q17 取りたいが、取れない科目があれば、具体的に挙げて下さい。例えば、音楽と政治経済が同じブロックで重なっているなどです。多くの場合、時期をずらして取ってもらうようにしていますが、それでも難しい時には時間割を一部変更することも考えています。 Q18 OISとの授業での相互乗り入れは、これからの課題と思いますが、現状をどう考えますか。 Q19 これから先、OISの科目で取ってみたいと思うものはありますか。 Q20 皆さんは、5月に3学期分(秋、冬、春学期)の授業選択をしましたが、夏休み以降に変更をした人も多くありました。あなたは、 Q21 新しいシステムでは、進路の変更や現在取っている授業の状況から、これから先の学期に取る予定の授業を替えることができるという利点があります。しかし、今回は新方式に慣れていないこともあって、変更する人が多く、コンピュータへの入力し直しや教材の変更で教務センターと事務局が混乱しました。この経験を生かして、次回の授業選択を慎重に、そしてよく考えてからしてもらうことと、変更の時期を限定して受け付けることにしたいと思っています。あなたは1年分(3学期分)の選択科目を決めるのに苦労しましたか。 Q22 あるクラスでは定員を超えてしまったり、閉鎖されたりしたために、皆さんに科目の変更をお願いしたこともありました。その時あなたはどう思いましたか。 Q23 教務センターでは、普段の授業から評価を出し、期末の試験やレポートのウエイトを軽くしていけば、試験期間を特に置かなくてもよいと考えていますが、あなたはどう思いますか。 Q24 その他に意見があればなんでも書いてください。 4.学校に何ができるか 私は子供の頃、1999年の暮れから2000年の正月には44歳になった自分が何をしているのだろうと、よく想像することがあった。O・ヘンリーの短編小説のように、1999年12月31日23時59分に小学校の鳥小屋の前で会おう、なんて友達と約束したこともあった。だが実際には、前のアンケートの集計をしていた。いろいろな意見がでるな。さすが個性的で、自分の意見をしっかり持ったうちの生徒達だなあ。と感心しながら、どうやってまとめようかと途方に暮れていた。しかし、今、私は教師として本当にやりがいのある仕事をさせてもらっていると感謝している。子供の頃には予想もしなかったが、こんな学校で働けるのは実に幸せなことだと思っている。 慣れないシステムでそれなりの産みの苦しみもあるだろうが、もともとこの学期完結制は生徒を管理するのではなく、自由にして責任を持たせる思想が根底にあるので、生徒の悲鳴はある程度予想していた。生徒の手取り足取り世話を焼くつもりはない。自立しやすい条件を整えるのが学校のすべきことだと考えている。 このアンケートに対応して、まずできるところから始めたのが、次のインターカルチュア69号(2000年5月)の記事だ。 中等部3年以上のみなさんは、いよいよ9月からの授業選択が始まります。2月号に掲載したアンケート結果も踏まえて改善されるところをお知らせします。 開講科目一覧は改訂されて新しい本になります。更に詳しい内容も加えたシラバス(syllabus=摘要)は学内のコンピューターで見ることができます。アクセスの方法は掲示します。 昨年度(1999年4月から2000年3月まで)の学年成績と合計単位が配布されます。以前に渡し、もう一度配るつもりの「履修・計画・必修一覧表」にこれまでの授業と単位や成績を記入すれば授業選択をし易く、必修の取り忘れもないはずです。今学期の授業も含めて一度振り返って先の計画をたてましょう。 1年(3学期)分の授業選択をしますが、どうしても無理ならば、秋学期の分だけでも構いません。ただし、定員を超えた場合は、先に登録した者や選択チャンスが残り少ない上級生を優先します。もちろん、できる限りそうならないように、時間割の工夫や開講科目の調整をします。 国語科は国語Vで漢文のクラスを春学期から置いています。今年の冬学期からは国語Uで1単位の現代文(週2時間)を新しく始めます。これらは継続して国語を取り易くする助けになるでしょう。 社会科は、これまで高等部2年からしか取れなかった、地理と世界史A2,A4そして日本史A1,A2,A4を高等部1年から取れるようにします。世界史・日本史A3も2学期早めて高等部2年の春から取れるようになり、更に中村先生のクラスに加えてダッタ先生のクラスも作ります。これらの変更によって以前より取り易くなり、定員の超過も解消されるはずです。またブロックVは、音楽を取る生徒にとっては他の科目との組み合わせが難しく、逆に音楽を取らない生徒にとっては科目が不足する時間帯になっていましたが、同じ科目をふたつ以上開講する場合にはひとつをブロックVに置くという解決策を考えました。政治経済、世界史A1,A2、世界史・日本史A3などがこれに該当する科目です。これらの改革のために、社会科の一部の科目は、2000年のみ開講されるものと2001年から開講されるものが、時間割に示されていますので注意して下さい。 数学科では中等部3年生向けの科目を新たに作り、数学Tの負担を軽減しました。また数学Vの時間を増加してゆとりを持たせます。更に、各学年でどのように数学を選択していけばよいかというモデルプランを進路別に、様々な条件も合わせてプリントにしています。まだもらっていない人は数学科の先生に尋ねてみて下さい。 英語科は新しいレベル分けと授業の展開や組み合わせで選択に広がりを持たせようと考えています。詳しい説明の資料が配布されます。 美術科でもインディペンデントスタディというコースを作って空き時間を活用するなど、様々な取り組みをします。 第二外国語では中上級の既習生徒が担当者と直接、放課後を主体にアンスケ(授業のない時間帯=Unscheduled Time の略)も含めて、時間調整をすることによって不必要な混乱をさけるようにしました。また、全くの初心者でも高等部1年生の秋からは、これまでのように5人以上集まらなくても、勉強できるようになりました。こちらは昼の時間帯で、冬、春学期と続けていけば、既習生との合流への道も開かれます。有料で保護者の署名付きの履修届けが必要なのは以前と変わりません。 その他の教科でも、この1年間の経験とみなさんの意見をもとに、科目の増減を考えたり、開講時期を調整したりしています。アンケート結果は難波先生と奥様のおかげで英訳もでき、OISも含めて多くの方に検討して頂いています。上に書いた教科での取り組みだけでなく、個々の先生方も色々と知恵を絞って下さっています。例えば、山本先生は英語で心理学を学ぶというような授業を始められます。 最後にもう一度、敢えて「自由選択」と叫びたくなりました。このシステムを「自由」とは感じない生徒がいることや、授業を進めにくいと考える先生がいること、そして何よりも多くの生徒が「選択」で頭を痛めていることを知りながら。そういう生徒たちの傍らにいて、それでも私は実感したのです。困り、悩み、迷いながらも、生徒たちは、確実に、自分の勉強を思い、将来を見つめ、選び取りながら、少しずつ前進して行きます。自分だけの時間割を組み立てながら、だんだんと逞しくなっていくのです。 生徒と教員の個性がいきいきと輝く学園にしたい。この新しい試みに多くの方々が苦労をされながらも、前向きに受け止めて切り開いて行く先に、美しい彩りの野が拓けて行くことを願って止みません。さあ、いい選択をしましょう。 ◇ 私が大学4年の卒業研究で研究室に配属されていた頃のことだが、お世話になっていた博士課程の大学院生と話していた時、なぜ研究をするのかという話題になって、「楽をするために、努力している。」と、生意気にも、答えてしまったことがある。先輩に十年、いや百年早いと、苦笑いされた懐かしい思い出がある。 私の本質的なところにそういう無精な部分があって、今回のシステムでも一度きちんとしたものができてしまえば、毎年の時間割作りの苦労から解放されるのではないかという不純な動機があったことを最後に告白しておこう。より良い学期完結制を創るには、まだまだ、努力がいるようだけれど…。 |
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