第6号(2001)
日本文化総合入門 井嶋 悠 国語科 背景 この講座は、1999年9月から開講した中学3年生以上を対象としての自由選択科目の一つであり、本校の「開講科目一覧表」での分類ではどの教科にも属さない ゛その他″の科目の一つである。 1999年9月から「学期完結制」が導入され、それまでの一年間を一つのサイクルとして展開していた発想を変え、一学期間(開講日数60日)を一つのサイクルとすることを基本にした考えである。ここでは、その制度を論ずるのが目的ではないので、その発端、経緯、成立、そして現状については、導入のための委員会の中枢として尽力された真砂和典氏の論考を参照されたい。ただ、本講座との関連から「学期完結制」への私なりの理解を記しておきたい。 (1) 本校が帰国生徒を主対象として開設された学園である、ということ 1970年前後から日本経済の上昇と確立、そしてそのことにも裏付けされた国際社会での役割の自覚と期待から、海外で職務や研究に従事する人々が増えた。そして、その子女,子弟の教育は次代を担う人間を養成する、という教育の持つ意味からも重要課題として取り上げられ、と同時に日本国内を映し出す鏡として今日に至っている。いわゆる海外子女教育問題である。この海外子女教育問題は、現在、高校学齢時での現地在留の増加傾向といった、今日的課題があるとはいえ、基本的には帰国子女教育問題と表裏の関係にある。 ある帰国生徒の保護者は「海外にあって保護者である大人は逃げる場所があるからいいですが、子ども達は逃げられるところはないのです」と言う。また、「大人は仮住まい、しかし、子どもは本住まい」は、よく言われるところである。子どもの成長を願う保護者にとって、子どもの教育は国内にあるよりも数倍の神経を使う課題である。しかも、海外派遣者の多くには任期があり、終了後の帰国が前提となっている。さらには、海外派遣の多数を占める企業派遣の場合、経済の変動によっての、任期以前の帰国、また他任地への転任もしばしば見られることである。と、すれば帰国後の学校教育内容に順応していけるかどうかは、子どもにとって、保護者にとって切実な問題としてあることは容易に推察できることである。その時、受け入れ側の私達国内にいる教師、学校が明治時代以降の、また戦後の学習内容観、学力観を前提にする時、帰国向けの学習は勢い強くならざるを得ない。高校の義務教育化まで検討されるほどの進学率の時代、そして大学の大衆化時代とはいえ、学校観、学歴観は根強く残っていることは否定できない事実であり、科学技術の高度化と平均寿命の上昇にあっても、なぜか18歳人生決定論(あるいは、18歳階層社会発生論)は今もって脈々と生きているように思える。 日本の国際化の必要が説かれ、海外で子とも達が在籍する学校種も、現地校・インターナショナルスクールが増えてきている。そして、一方で帰国に向けての日本語力を含めた学力が求められるとすれば、どうすれば良いのか。「補習校」の役割の大きさが最近とみに言われてきているが、一週に一日、あるいは半日で、できることには限りがある。バイリンガル、バイカルチュラルという言葉が美しい輝きをもって語られるが、どれほどの子ども達がその状況にあるのか、否、その状況に到達するまで時間と良き指導者との出会い、家庭,学校,地域の環境、そして本人の並々ならぬ意志と努力を考えれば非常に限られた子ども達ではないのか。 地域によっては、日本人学校に在籍する者も多いが、その日本人学校の規模の違い(例えば、500人以上の生徒がいる日本人学校と数十人の生徒で複式学級等で授業展開をしている日本人学校)によって、学習内容は必然的に違えざるを得ない。 このような精神的、物理的状況にあって、受け入れ側の日本国内の私達が従来の学校教育観、学習内容観、学力観を変えていかない限り、塾産業は必要不可欠にならざるを得ないのではないか。 以上に記した私なりの現状認識に立てば「学期完結制」の導入は、帰国生徒にとっては光明となるに違いない。開講の初めは、4月、9月、12月の3回であるが、それでも一年間のサイクルから考えれば、未学習による不安はいくらかでも解消されるであろう。 「日本文化総合入門」については、入門という言葉が示す通り、日本の文化、歴史、社会の基礎・基本に触れることで一人一人の多様な経験と歴史から、何かに気づいてもらえれば目的を果たした、と考えている。やや大仰な言い方をすれば、多文化教育とアイデンティティーを意図した、興味づけの時間としての授業である。それは、私の根底に、教育は学校の専有ではないし、中高校は人生過程の単なる一つ、という考え方がある。 このような考えからすれば、一年間より一学期間の方が、教師と生徒の集中した対話はより効率的ではないか、と考える。 (2)大阪インターナショナルスクール(略称OIS)とのジョイントスクールであること OISは、9月に始まり、6月に終る。授業はJSL(第二言語としての日本語)を除いてすべて英語である。゛一条校″ではないので日本の大学に進学する場合は原則として「大学検定試験」を通らなければならない。卒業生の大半は欧米の大学に進学している。(尚、OISが採用している国際バカロレア《IB》のプログラムで所定の成績を修め、資格を取得すると国内の大学への進学の道も徐々に開かれつつある)ジョイントスクールとして、始まりと終りが違うのは、ジョイントとしての教育活動に支障をきたすことになる。しかし、学期完結制により、ジョイントスクールとして一層の一体化(ジョイント化)が期待される。例えば、日本語力をある程度持ったOIS生徒が自身の関心興味から本校の授業に参加する、また逆の場合。この連動・連携がよりプログラム化されれば学園はバイリンガル・バイカルチュラルへの基礎教育機関として大きな機能を有することになる。そして、それを受け入れる国内外の教育機関が増えることで、新しい学力観まで踏み込んだ討議が、さらには具体的提言が可能になるのではないか。それは、最近使用度が高くなっている “グローバルスタンダード”の裏付けにもなるかもしれない。とは言え、現実には学校観、教育観の異文化理解からの統合という困難な課題がまず眼前にある。 間(はざま)という語をつけた「異文化間」という表現があるが、間にあることでの創造の可能性に注目しても良いように思う。国際の際(きわ)が持っている意味と際であるがゆえの重合性からの創造の可能性と同じように。 「日本文化総合入門」は、ジョイント化の中で、いくつかは英語を第一言語とする教師と協力して実践してみたい、とは思う。しかし、その曖昧さから、この講座を受講することでどのような学力がつき、どのような有益性をもたらすのか、本校での受講希望者自体少数なのであるから、先の思いは夢また夢であろう。数年前のことであるが、高校生対象に「教養古典」という自由選択講座を設定したことがある。受講したのは数名で、その殆どが長期海外滞在生徒か外国籍生徒であった。そして、ある時、一人の受講者から次のような話を聞いた。 家庭で「教養古典」を選択した旨、伝えた時の母親の言葉。「そんなもんとって、受験に役に立つの。後悔してもしらんからね」その生徒は、それでも受講し、授業では大いに発言し、そして大学に進学した。その大学が本人にとって、また保護者にとって本意のそれかどうかは知らないが。 (3)受講生徒のこと 当初、受講生の対象を帰国生徒や外国籍生徒を主に考えていたが、開講すると日本で生まれ育った日本国籍生徒(一般生徒)も希望してきた。 私にとっては、日本の文化・歴史・社会のあれこれを伝える過程で異文化体験者からの教えを期待していた。そのことで私自身の中の単眼性を広げるとともに、生徒達が一面的な日本への見方や日本についての断片的知識から脱け出て、自身の体験と重ね合わせ、異文化理解とはどういうことなのかを考えるきっかけになれば、と思っていた。 それは、日本の大阪府箕面市で同じ時空を共有する私と生徒が、各々の経験に裏打ちされた言葉の交流(対話)から「私って?」ということを考えてみよう、ということであった。しかし、一般生徒が希望し、授業に積極的に関わることであまりにも自明なこととはいえ、二つのことを実感させられた。 一つは、一般生徒が、細かな断片的知識はあっても、それは点としてしか存在せず、それを結びつけ、線へ、そして面へ広げることが十分でないこと。 もう一つは、「相互啓発」が今日的課題とすれば、結果的には私という教師と帰国・外国人生徒との独善的、閉鎖的なものではなかったのか、ということ。言葉を換えれば、「相互啓発」の原点が脱け落ちていたことである。 1999年に開講した時で10名、第二回目で5名、そして、現在3名の受講生であるが、各々が実感をもった相互啓発の定着の難しさを痛感している。対話は大いに進むが、定着までにはまだまだ到っていないように思う。 「日本文化総合入門」の内容 〜1999年9月からの一学期間(第一回目)での展開〜 以下に記すのは、初めての開講時の概略であるが、初めての実践ということもあり模索続きで、次の学期の実施では、いくつか変えている。将来的にこの講座が維持継続されるならば、何回(何学期間)か実施した内容を集約、整理し、ある程度土台となるものを骨格として、そこからの応用・変化といった、この講座としての「教材」ができれば、とも考えている。 @ 自分の生まれた時代を知る あとがき 教師となって27年になる。気ままで、時に妙に型にこだわる一国語教師として出発したのが28歳の時である。先輩の諸先生方からの厳しい指導は日常茶飯事であった。そして、その過程で帰国生徒や外国人留学生と出会い、日本語教育に自省の念も含めて関心を持つことになる。その後、紆余曲折を経て今日に到っている。 「日本文化総合入門」は、その経緯の産物のように思う。そして、それは、千里国際学園にいればこそかもしれない。 2000年4月から、中等部1年生と2年生の、新入生・編入生を対象に、必修科目としても開講した。(多様な科目と時間数の関係から、週1時間で、限られた生徒だけが対象である)学年(年齢)の違い、自由と必修の違い、そして当該学年の全生徒対象でないこと等、いくつもの要因の重なりのゆえか、私の意図することと教室での展開の一致に、いろいろと難しさと,時に矛盾すらを感じている。27年の教師経験であることの正負を、教材を介しての対話の中で実感しているのが現状である. |
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