Senri International School (SIS)

研究紀要

第6号(2001)


学期完結制に関しての考察

福島浩介
国語科

はじめに

 学期完結制を始めて三学期が経過し、従来の通年形態の授業形態と比較することが可能になった。ここで、従来国語科が実施していた授業の形態・構成と現在のものを比較し、現時点でのこの制度に関する考察を行いたい。ただし、学期完結制という制度自体のメリット・デメリットに関しては、他の論考に譲り、ここでは余り触れないこととする。また、十分な分析の時間がとれず、「考察」と題名をつけたものの「感想」程度にしかなり得ていないことに忸怩たる思いはあるが、ご容赦願いたい。
 先ずは、大規模に改変された高等部での授業に目を向けてみることとする。

高等部の授業の形態

 従来、高等部では、一年次に国語T四単位(週現代文二時間・古典(古文・漢文)二時間)、二年次に国語U四単位(同)を必修としていた。つまり、高校二年次までは、全員が、古典を含めて週四時間の国語の授業を履修していた訳である。三年次になると、現代文二時間のみが必修で、生徒の必要性に応じて、古典、小論文、演習など(各二単位)を履修していた。また、クラスは、91年度〜96年度は、基礎クラス以外にも、習熟度別の編成を行っていたが、後には実施しておらず、ほぼ、ホームルームの単位で構成できるため、15人から20人で一定していた。全体の構成は次の図のようである。途中編入生は、この授業に加わることになっていたが、空き時間、放課後の補講などによって、また、日本語に慣れるまでは、日本語科のお世話になったり、一年次生のみ対象ではあるが「基礎国語」の授業を開講したりしていた。また、高校三年次にも現代文のみは必修であったため、国語科の学習の総決算としての『卒業論文』執筆(400字詰め原稿用紙10枚以上)を全員に課し、卒業時には印刷・製本された形で配布を行っていた。これは、千里国際学園国語科のよき伝統となりつつあったのだが、現在の制度ではこの様な指導が出来ず残念である。

 ここに、従来の授業の構成を図式化したものを掲げる。なお、高校三年次冬学期は、自由登校の期間であった。

wpe1.jpg (45660 バイト) 次に、現在の授業形態では、必修は『国語T』の@Aのみとなり、週五時間の授業を二学期間履修すればよい(各学期二単位計四単位)。その履修後は、国語UまたVの科目を履修することになるが、極言すれば、以後卒業まで国語を履修する必要はない。一方、一学期間に複数の授業を履修することも可能で、「国語漬け」の学期を作ることも可能である。クラスの人数は、毎学期履修者が変わるので、2〜3人から20名超まで一定しない。例えば、福島が担当する『国語U-a』のクラスは、99年春学期には10人、秋学期3人、冬学期19人、2000年春学期11人という風に変動している。

 先ず、科目選択の際に配布する『コース・ディスクリプション』に掲載している説明を挙げ、次に現在の授業の構成を図式化したものを掲げる。

1     10〜12学期の間に国語T-@、A(全員必修)を、順番に必ず履修してください。
2    10年生冬学期(第12学期)以降は自由選択科目がありますので、各自の興味と必要性に応じて履修してください。
3     自由選択科目は下の二つのグループに分けることが出来ます。
<1>    98年度までの11年生対象レベル・グループ 12学期(高1冬)〜15学期(高2冬)対象
    国語U-a(現代文、古典を含む)         国語U-c(現代文、古典を含む)   
    国語U-b(現代文、古典を含む)         国語U-d(現代文、古典を含む)
<2>    98年度までの12年生対象レベル・グループ 15学期(高2冬)〜18学期(高3冬)対象
    国語V-e 現代文         国語V-g 現代文   
    国語V-e 古典         国語V-g 古典演習
    国語V-e 小論文         国語V-g 小論文
    国語V-f 現代文         国語V-h 現代文
    国語V-f 古典         国語V-h 現代文演習
    国語V-f 小論文         国語V-h 小論文
* <2>のグループの科目を履修するためには、<1>のグループの科目から3つ以上を履修済みであることが望ましい。また、<1>のグループの内容を3つ以上履修していれば、ほとんどの大学(文化系・理科系共に)が受験可能です。

wpe2.jpg (37960 バイト) 表中の両端に●のついたバーは、各科目を履修する期間を表す。例えば、『国語U−a』の場合は、高校一年次の冬学期から高校二年次の冬学期の間に履修する。

 表作成の都合上、アルファベット順に並べてあり、履修可能期間中最も早い時期に並べてあるが、履修の場合は順不同であり、より遅い時期から履修を開始することも可能である。

高等部における学期完結制の考察

 まず、選択の幅が増えたことによって、各授業は能動的に集まった生徒が増え、授業に積極的に参加する姿勢はより多く見られるようである。また、各担当者の担当教材に対する理解は、否が応でも深まり、内容の充実した授業の展開が期待される。

 一方、前の二つの図を見比べて分かるように、必修は国語T通年週四時間と国語U通年週四時間・現代文週二時間二学期間の計336時間(年間授業日数180日より180÷5×4×2+120÷5×2=336)から国語T二学期間週五時間の計120時間に激減している。また、国語T-@Aは必修ではあるが、履修時期は編入生のことも考え高校二年時が終了するまでと、定められているので、場合によっては高等学校入学後、数学期の間、国語を履修しない生徒もでてくることになる。現時点(2000/6)でも、内部進学生であるが他教科の履修の都合で、国語T-@を一年次の冬学期になって履修するという生徒がでてきている。

 また、必修の国語T−@Aでは、履修する順番が決められているものの、国語Uの四つの講座では、その後、順不同で履修するため、以前のように学習を積み重ねていくことが難しくなっている。畢竟、高校二年次冬学期から履修可能な各科目についても、学習レベルの低下が懸念される。また、ほぼ全員が進学希望である本校では、授業の選択を大学の入学試験の科目によって決定する生徒が、以前に比べて増えたように感じられる。生徒から「(入学試験に)要らないからとらない」「(推薦入試で)評定平均が下がったら困るからとらない」などという台詞を聞く回数が増えたようである。これは、本来の本校の教育理念からは乖離しているように思われるが、あくまでも生徒中心主義の本校では、生徒一人一人が、そのような基準によって選択を行うわけで、指導にも限界があるように感じられる。 

 以上が、一担当者として、また、国語科主任としての分析であるが、分析に際して、国語科の担当者各個人の意見を参考にした。ここで、その全文を掲載する。

A
 国語は、他の教科もそうだと思うのですが、特に持続性を必要とする教科です。読解力は語彙力だけでなく、いろいろな経験を積むことによって増えていきます。そしてその中で思考力も養われます。それで、生徒は科目選択において、途切れる事なく選択し続けて欲しいと願います。
 学期完結になって、同じ程度のものが繰り返されるわけですから、国語力の弱い生徒にとっては、理解しやすくなったと思いますが、反面、国語力のある生徒にとっては物足りなくなっています。より力を付けるために、力に応じるクラスの開設が望まれますが、相当数のカリキュラムが必要です。国語科としては、限られた人数でより良いものを作っていますが、限度があり、これからの課題であると思います。
 そして一番心配な事は、国語力の弱い生徒が必修だけを取って、自由選択で国語の選択をしない事です。不必要だからしないのではなく、弱いからしない生徒が増えるのではないかと危惧しています。社会人になって必要な書類も読めない様では困った事だと思います。

B
 学期完結制度に移行した中で一番の違いは、今まで一年間という時間の流れの中で国語のクラス作りをしてきたのが、出来なくなったということです。教師に対して、あるいは生徒同士の中でもきちんと自分の意見を表明するのは慣れないうちは難しいものです。お互いに色々な場面を通じて理解を深めていき、お互いの関係が出来上がっていく中で、一人一人の発言が生れてくるのではないかと思います。3か月という短い期間では、その関係が出来あがる前、クラスが出来あがる前に終わってしまいます。うまく関係が作れない場合は、早くクラスが終わってしまったほうが生徒にとっても、教師にとっても楽だとは思いますが、苦労がない分互いの力量を高め合う事は難しくなります.
 3ヶ月で終わってしまうので、内容を徐々に高めていくということも難しくなりました。同じ生徒を長い期間を通して教えていく中で、半年前には出来なかったことが出来るようになったなどという事も難しくなりました。一年間ずっと授業をしていけば自ら身に付いていくこともあったと思うのですが、(語学関係は特にそうだと思うのですが)学期によって取ったり、取らなかったりしていたのでは身につくことはあまりないでしょう。
 最後に教えるものとしての困難さは、同じ教材を一年に何度も授業で使うことです。どんなに気をつけても、何度も同じ事をやっていけば集中も徐々に失われていきます。(私達は機械ではありませんから。)それがいやならば、毎学期変更すればいいわけですが、それほどのゆとりと時間はありません。かといって、繰り返さなければ学期完結自体のメリットは無くなってしまいます。これらの困難を今後どう解決していくべきか、が課題だと思います.
 
C
国語T−@A古典(必修)
 時間数減により、漢文の配当時間を大幅に減らさざるを得なくなった。従来は、10時間以上かけて学習していた漢詩はすべて削除し、必要最低限の基礎的な句法を学ぶだけの学習になってしまったのが、残念だ。古文に関しては、週3時間の時間数確保のため、特に基礎文法の定着が著しくよくなった。(これは必ずしも学期完結制の結果とは言えないが)Fを出すこと(出しやすくなったこと)の効果は現れていると思う。基礎知識の習得が不十分だと判断された生徒が、必修の早い時期に未消化部分を再履修することで、結果的に次の学習段階に進みやすくなっている。
Vの各講座について
 主に進路の変更に伴う講座変更が行いやすくなる、という利便さの裏返しとして予想されていたことではあるが、年間を通じてクラス集団をつくりあげたり、年間を通して成長(進歩)を見るという、従来システムの良いところは失われてしまった。それでも、現代文や古典などの授業は、高校3年生の生徒が自分の進路にあわせて選ぶようになり、従来見られたような無気力な授業態度(受験には関係ないのにやらされている、というような)も見られなくなったという点で、教師側としても授業がすすめやすくなった。一方、現代文演習などの「演習モノ」では、時間をかけてステップアップをしながら徐々に力を付けていくという方法がとれなくなっている。国語科内のカリキュラムの工夫も必要ではあろうが、一方、他教科も含めどんどん複雑化していくカリキュラムに、生徒が混乱していくのではないかという危惧も感じる。

D
 学期完結制の長所はすでに明らかになっていると思います。でも、短所についてもよく見る必要があると思います。私は昨年、8年生を1年間持って、あの子たちの抱えている深い悩みや長所、弱さ、積極性などをリアルに知ることが出来ました。
 それに比べ、学期完結制ではつかみにくいこともまた経験しました。気心が互いに分かった頃にお別れになるから、私も生徒も残念!ということがよくあったのです。
 生徒の悩みを聞いて、生徒が前向きに立ち上がることを望んでも、それが難しいことははっきりしています。いわゆる生活指導と学習指導は、本来切り離せないものだと思います。高校生についても年間を通じて教えることの出来る科目を作ってほしいと思います。

E
・古典において、通年で体系的な学習がさせられないので、達成度が低いものになっている。
・小論文演習において、初めて取る人、既に取った人、別の演習を取った人と様々なのでやりにくかった。また、レベルアップしていくことができない。
・冬学期に高1と高2が混在するクラスがあったが、高1にとっては大変のようだった。(国語Ud)
 以上、自分が授業をもった範囲で気づいた今後の課題と思われる点のみを挙げてみましたが、生徒の学力を伸ばすという点で今後更に検討すべき課題も多いように思います。学校が受験に重点をおかずに、学習を生徒の自主性にまかせるということに徹するのなら問題はないと思います。けれども実際には、なかなか自主的に勉強していないようです。また、教える側にとっては、何度も同じものの繰り返しという苦痛や、たくさんの種類を同時にもたなければならないという問題があります。

F
 学期完結制について、私の感じたことをいくつか述べると、
プラス面
・学期ごとにクラスメンバーが変わるので、気分的にリフレッシュできる。生徒にも「今度はがんばろう」と、意欲的な面がうかがえる。
・同じ内容の教材を繰り返して用いるので、教材研究する上で、教える側の理解が進み、より有効な授業が行える可能性がある。
・生徒が選択した授業なので、彼らに対して、能動性を求めた授業が可能である。
マイナス面
・短期集中なので、学習する時間数は同じでも、期間が短くなり、生徒の実力を培うという意味では、効果が薄い。
・クラスが短期間で変わるので、生徒の様子がつかみにくい。
・学期の変わり目が、あわただしい。時間割変更のために、生徒も先生側も準備に追われてしまう。また、直前でないと予定が立たない。
・学習内容が系統的に組み立てられにくい。断片的にならざるを得ない
・自分たちの興味がどこにあるのか、どうやって見つければいいのか、という勉強に対する目的や方法を、高校生という年齢で理解できるのか、という疑問がある。
・アンスケを、自分で有効に使える者もいれば、ただ、時間を持て余すだけの者もいる。時間の使い方に、自分なりの考えを持てない場合がでてくる気がする。

中等部における学期完結制の影響の考察

 まず、2000年度版のCourse Descriptionに記載されている国語科の中等部対象授業の概要を掲げる。

 中学時代は、国語の基礎力の確立を目標に学習していく。 主に教科書の教材を扱いながら授業を進める。 新しい教材ごとに、語句、漢字を辞書で調べて言葉ノートを作成し、提出する。 (一生懸命に詳しく調べる生徒は、三年間で随分語彙を増やすことができる。) 教材によっては、課題作文を書くこともある。 (その中で、思考、表現力を伸ばす。) 古典分野は、興味、関心を育てることを目標として、かぐや姫絵巻きや漢文紙芝居、平安事典などの作成のような、調査、作業を伴った学習を各学年で行う。 毎週一回、漢字学習帳を使って、漢字テストを実施。七割を合格点として、不合格の場合は再テストを行う。 (点数を競うのではなく、覚えることが目標。) 読書については、読書ノートを作り、記録を残す。各学期、長期休業中などには、教材と関連したテーマの課題読書も実施する。

 先にも述べたが、中等部では、三学年とも国語が必修であり、通年の授業を行っているため、従来と大差ない授業を行うことが出来ているように思われる。授業数は、各学年、週当たり3時間である。

 国語科では、中等部の授業は従来通り一人の担当者が一つのクラスを持ち、一年を通じて授業を行うという形態のため、それほどの改変は行われていない。しかし、授業担当者は、同時に、学級担任でもある。従来中等部では、学級担任を持つ学年を優先的に担当し、生徒との関係確保に役立てていたものであるが、現在ではこれを実現するためには、担当教材数を一つ増やすことになり、学期完結制のメリットを一つふいにすることになってしまう。ただ、現在の国語科教員の担当教材数は、以前の制度下での担当教材数に比べそれほど減っておらず、差といえば、同じ教材を年に三回授業することが出来るようになったことであるが、履修する生徒の人数が毎学期変われば、それに応じての調整が必要である。

まとめ

 以上、学期完結制下で行われた一年間の授業を元に大まかな考察を試みた。一年間の実践、しかも新しい取り組みの一年目ということで結論的なことは語りえないが、現時点では、国語科としては新しい制度を実施していく上においての多くの課題を抱えている.ただ、学期完結制という大きな改革に対して、各教員とも対応に戸惑っているというのも事実である。また、構想の段階では、大学の講義のように「小説」「評論文」また「中世説話」「平安女流文学」といった括りでの授業まで構想されていたのだが、生徒の実状・必要度などを鑑みるに実施には踏み切れずにいる。

 この画期的な制度が真価を発揮するためには、まだまだ様々な方法論を模索しなければならないかと思われる。


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