Interculture 98号 (2005年3月号) 抜粋
<特集>卒業生へ贈る言葉/オーストラリア留学報告/2005年度入試結果/ドイツ語検定多数合格/APACバスケット女子2位
★最後に残るもの
大迫弘和
SIS校長
§1
生物の斉藤先生からこんなお願いがありました。
「このごろ『ありがとう』の一言がきちんと言えない生徒が増えているようなのが気になっています。大迫さんから、機会を見て、生徒の方にそのことでなにかメッセージを出してもらえませんか。」
生物の実験中に、先生に質問をして、先生が、それはこんな風にするといいかな、と教えてくださった、そんな場面でしょうか。それとも、チェックを終えたノートを手渡すそんな場面でしょうか。
「ありがとうございます」
ほんのひとつの言葉の大切さ。
§2
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
石川啄木の歌です。啄木は一体誰に、どのようなことを、どんな思いで言おうとしていたのでしょう。そして啄木は、なぜ、その言葉を言いそびれてしまったのでしょうか。
言いそびれてしまう、ということは、私たちの生活の中で、決して少なくないように思います。そして、言いそびれてしまった言葉は、確かに啄木のように、いつまでも心に残っていたりします。
教師という仕事をしていて、生徒たちと共に過ごす毎日の中で、「ああ、あの時、きちんと言ってあげられてたらよかったのに」と、あとになってから後悔とともに思い返すことは本当によくあることです。それは「言いそびれる」というのとは少し違うかもしれませんが、残る感覚には似たようなものがあります。生徒の様子でちょっと気になることがあったとき、生徒がなにかを求めてこちらに来てくれているとき、そのような時には、ほんの小さなひとつの言葉が生徒の力になるかもしれない。また逆に、ほんの小さな言葉がなかったことにより、生徒が苦しみを深くしてしまうかもしれない。
そのような、教師という仕事の中での、ほんのひとつの言葉の大切さ。
§3
「先生、明日、高校一般生入試ですね。」
12年生のAさんが話しかけてくれました。
「もう3年経ってしまったんですね。なんか、むちゃ、懐かしいです、3年前の入試の日のことが。」
Aさんは3年前の一般生入試に合格して入学、SISでの3年間の高校生活をもうすぐ終えようとしています。
そのAさんが、本当に屈託のない笑顔で、こんな風な言葉を送ってくれました。
「校長先生、私、SISに来れて、本当によかったです。」
そして、卒業後は、観光の仕事を学ぶために海外の大学に進むことが決まっていることを教えてくれたのです。Aさんの笑顔を見て、本当にぴったりの道を選んでいるな、としみじみと思いました。
私自身の高校時代を思い返して、先生に対してこんな風に自然に話しかけるということはほとんどなかったと思うのです。
それに比して、SISの生徒たちの、なんという自然で伸びやかな姿勢よ!
それはSISという学校の、14年という時間の中で形成された、よき学校文化、伝統、校風なのだと思います。大切にしたいと思います。
一人一人が、人間として、正直に向かい合うことによって生み出される、暖かな言葉のやり取りの大切さ。
§4
韓国・朝鮮語で「ありがとう」は「カムサハムニダ」ということは皆さんよく知っていることです。日本語の「感謝」と韓国・朝鮮語の「カムサ」が同じです。私ははじめてそのことを知ったとき、本当に二つの言葉は近いのだなぁ、ととても感動したことをよく覚えています。
SISでも2005年4月から韓国語の授業が始まります。
韓国語の授業で、どんな表現から学習が始まるのでしょうか。英語圏で子供に躾としてまず教える言葉は「Thank
you」と「Please」である、ということはよく耳にします。
カムサハムニダ。Thank you。ありがとう。
口ずさむだけで、心がきれいになっていくような気がします。
§5
信じあった二人に言葉はいらない、という考え方があります。感覚的に分かります。大脳生理学的に言うと「フロー」という状態にある場合のようです。また、どんなに信じあっていても毎日言葉によって自分の思いを相手に伝えることが大切、という、全く正反対の考え方もあります。これも感覚的に分かります。全く正反対のことが、共に感覚的には理解できてしまうところに、人生の難しさと面白さがあるのかもしれません。
言葉についてのさまざまな考え方。
でも、最後に残るのは、実はあまり複雑なことではないのかもしれません。
なにか間違いを犯してしまったのなら謝罪の言葉を述べる。間違いを犯してしまうのは人間として避けられないことであるなら、大切なのはそのあとの態度です。「ごめんなさい」という一言の大切さ。
また、日々の小さな出来事の中で、「ありがとうございます」という言葉が、ごく自然に口から出ること。「ありがとう」が自然に出てくるような心のあり様の大切さ。
最後に残るのは、そんなとても素朴なことがらなのかもしれません。
存在するさまざまな「社会的問題」をすべて個人の倫理観・心のあり方に起因するものとし、教育の世界に一律的な「心の教育」を忍び込ませていこうとする現在日本国内にある動きに対して、ある種の危険性を十分に認識しながら、ほんのひとつの言葉の大切さを、生徒たちには伝えたいと考えています。
★<特集> 卒業生へ贈る言葉
大迫弘和
SIS校長
「意味」というものが、時間の流れの中で、少しずつ明らかになっていきます。
SISという場所のあなたにとっての「意味」、あなたが愛するだろう人にとっての「意味」、あなたの出会う全ての人々にとっての「意味」。
SISという場所のことを、いつの日か、かけがえのない「意味」をもったものとして思い返してくださることを、心から願っています。
卒業おめでとうございます。
栗原真弓
カウンセラー
ご卒業おめでとうございます。
毎年思うことではありますが、取り分け今年の卒業生とはこの6年、関わりが多かった感があり、感慨深い思いに浸っています。今、SISを巣立っていくあなた方に心よりのエールを送ります。
シェークスピアの素敵な言葉に出会いましたので、ここにご紹介したいと思います。
"The quality of the mercy is not strained.
It drops as the gentle rain from the heaven."
本当の恵みというのは、求めて得られるのものではなく、やわらかい雨のように天から降り注いでいるという意味です。日常において既に受けている恩恵に気付き、感謝する素直さを持ちたいものです。一見当たり前に思える恵みをどう受け止めるかによって日々の気分も違いますし、どう生かすかによって人生は大きく変わってくるでしょう。その恵みとは物質的なことや成功だけでなく、自分を支えてくれている人間関係も含まれます。究極の恵みとは思いやり溢れる豊かな人間関係であり、その中において生じる喜びこそ真の幸福なのでしょう。
人間関係は時にストレスやプレッシャーをもたらすこともありますが、人はやはり一人では生きられず、人に支えられていない生はあり得ないのです。人々の中にあって、自他を発揮することを楽しみ、日常生活を楽しみ、人を助け人に助けられることを楽しみと感じられるような生き方をしてください。
全てがうまくいっていないように思う時、 "... drops as the gentle rain
..." とつぶやきながら天を仰いでみてください。既に色々な恵みを受けている自分に気付き、ポジティブな気持ちで新たな一歩が踏み出せることと思います。
廣田文野
カウンセラー
卒業おめでとうございます。
皆さんとの思い出はやはり環境にやさしいプロジェクトです。もう3年も前になるのですね。
カフェテリアでのイベント、乾燥機を回っていた割り箸、寒い中でのフリーマーケット・・・
頑張り屋の皆さんに、この言葉を贈ります。
「本当に辛いときに辛いといえる人になってください。辛いときに辛いといえる友達を見つけてください。友達が辛いときに気づいてあげられる人になってください。」
もう学校を巣立つのですね。さびしいけれど、新しい門出をお祝いします。
井藤眞由美
1組担任、英語科
卒業していくClass of 2005のみんなへ
個性豊かなあなたたちの顔を思い浮かべ、全員に共通する餞(はなむけ)の言葉をさがしてみたけれどとても難しいので、複数のパターンでメッセージを贈ることにしました。自分に当てはまるところを読んでください。
《心優しい人が多いね》これはこの学年を担当した当初の第一印象。仲間を思いやり、意見が合わなくても相手の話にじっくり耳を傾けて聞く姿勢。「優しすぎるんじゃない?」と思う時もあったし、もちろんいつもそうはいかず、喧嘩や揉め事もあったっけ。卒業したら世間はSISほどやさしくないかもしれません。傷つくこともあるかもしれません。ちょっとだけ覚悟して。でも、あなたの心優しさは失わないで。
《自分らしさを大事にがんばったね》と声をかけてあげたい人たち。自分のペースを乱すことなく勉強でコツコツがんばり続けた人。好きな教科で周りを驚かせる頑張りを見せた人。音楽活動やスポーツ活動で輝いていた人。ボランティア活動に力を入れた人。目立つことが好きだった人、目立たないところで努力するのが好きだった人。お互いのがんばりを認め合える集団だったね。
《新しいものを生み出すエネルギー》にはいつも圧倒させられました。ゼロから作り上げたものがたくさん形になりました。一期一会の沖縄旅行、巨大お化け屋敷、ニコニコ郵便ポスト、ピアヘルパー、卒業プロジェクト…、力を合わせて取り組んだあの時のエネルギーはSISを離れてからもきっとあなたの自信となると信じています。
最後に、これだけは卒業生全員に。《バイリンガル、バイカルチュラルなみんなへ》二つ(以上)の言語と、多くの文化に触れ、それが当たり前だと思ってすごしてきたSISからの旅立ち。新しい世界で多少の戸惑いを感じることは避けられないかと思います。でも私にとっては、あなたたちが多様な価値観を受け入れたうえで自分の信念を貫く強さを持って卒業していくのだな、と思えることが大きな誇りです。「国際化」という言葉が大きく取り上げられるようになって久しいですが、何を持って「国際的」というのか?というところで疑問を感じさせられることが多々あります。言語を複数話せることや、多くの文化を知っていることにではなく、「国際的」であることの本質は、『5つのリスペクト』にあると私は感じています。SISの原点であった『5つのリスペクト』にあらためて想いを馳せ、新しい世界に自信を持って飛び立ってください。卒業おめでとう。
馬場博史
2組担任、数学科
卒業の季節になるといつも思い出します。私が高校3年生の頃は、椎間板ヘルニアという腰の「故障」のため頻繁に病院通いをしていました。背骨の下のほうにあって、骨盤とつながる仙骨の上にある5本を腰椎といいますが、その間にある軟骨が出てきて、すぐ近くの坐骨神経を圧迫するので、腰から足の指先まで痛みと痺れが起こります。病院では、牽引、赤外線照射、太い静脈注射、時には腰に突き刺す硬膜外注射などいろいろな治療を試みましたが、少し良くなってはまた悪くなるということの繰り返しでした。痛くて長く椅子に座っていられないことも多く、運動なんて全くといっていいほどできませんでした。
大学受験直前の1月には、その病院からの帰りに原付に乗っていて、交差点で止まろうとしたら、目の前で急に車のドアが開いて接触し転倒、手の指の骨にヒビガ入るという事故にも遭いました。受験勉強の追い込みの時期に約1ヶ月、文字を書く方の右手に板をはめて過ごしました。まさに踏んだり蹴ったりの高校3年生。健康で、思う存分遊んだり運動したり勉強したりできる人を羨ましく思っていました。結局大学3年と4年で2回手術し、その後数ヶ月間身につけたリハビリ用のコルセットををはずす日まで、長い間つらい思いをしました。
でも今はそれらの出来事が当時自分に与えられた人生の試練だったと思っています。それからももちろん、苦しいことやつらいことはありました。そのたびに、「これも試練だ」と思って乗り越えることができました。精神的な面でも数多くありますが、身体的な面でも、これまで5回の手術、6回の入院をしているので、ちょっと「試練」が多い方かも知れません。でもそのほとんどは今となっては笑って話すことができます。もちろんそうでない話もありますが…。
誰にでも、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、苦しいことや悲しいことが待ち受けています。「その時」「その一瞬」はつらいかもしれませんが、それらが過ぎ去ったあと、いつか必ず笑って話せるときが来ると信じて、その試練を乗り越えていきましょう。3月14日、3.14…、円周率πの日に卒業していく皆さんに幸あれ!
Mary Pfeiffer
12-3 Home Room Teacher, English
My dear, dear twelfth graders,
Congratulations! Thank you for years of fond memories, particularly our last two
years together in the gakunen. I am so proud of who you have become and what you
have accomplished at SIS; knowing your talents, I anticipate hearing good things
about your futures. Long after graduation I will remember your unfailing
support, generosity, and enthusiasm. Even if distance and time separate us, I
hope that we will remain connected. Love, Ms. Pfeiffer
土佐礼子
4組担任、理科
あの幼く可愛いかった皆さんが早や卒業されるとは、本当に信じられない思いです。もう一度取得単位を確認したほうが…否、しないほうが良いでしょう。
ところで、2005年は国連が定めた「世界物理年(World Year of Physics
2005)」です。この記念すべき年に卒業される皆さんへ、人類の英知の結晶とも云える物理法則から2つを厳選して贈る言葉に代えます。
(T)作用・反作用の法則
(U)エントロピー(乱雑さ)増大の法則
これらの法則から、
・与えよ、さらば与えられん。
・人間の諸活動は、エントロピーを減少させる飽くなき努力である。
・物理を学ぶと物理教師になれる(にしか、なれない)。
などの教訓を得た人は、教えてください。
皆さんの未来と私の老後が明るいことを祈ります。
井嶋 悠
国語科
地球は、私たちの周りは、ますます騒々しくなって来ています。大人年齢への第1歩を踏み出した今、老荘の説く無為自然の道、禅の説く以心伝心、ゼロを導き出したインドの大地に、独り心を向けるのも、次代の担い手であるあなた方の貴重な基礎栄養・美容になるかと思いますが・・・・・。心豊かに!
松島 勇
国語科
論語に「和して同ぜず」という言葉があります。「和」は「調和」、「同」は「賛同」ですが、この二つは決して同じものではなく、むしろこの二つを区別できることが大事だと孔子は言っています。なかなか含蓄のある言葉ではないでしょうか。これから広い社会に巣立つ皆さんに贈ります。
見島直子
国語科
ついに卒業の日を迎えましたね。明日からの日々、すなわちあなた達の前途は、この1年の模索を経て自分なりに決定した進路であることを忘れずに、毎日を大切に過ごしてください(浪人生も含めてね)。結果を出しいそいだり、誰かに認めて貰うことばかりを求めてはいけません(浪人生もね)。自分の選んだ進路が正しかったか否かは、今自分のやるべきことを、出来るところまで精一杯にやってみて初めて決められることです。それではお元気で!(浪人生はくじけそうになったらおいでなさい。発破かけてあげるから。)
ご卒業おめでとうございます。
福島浩介
国語科
ご卒業おめでとうございます。君たちの学年は、高校一年の一年間だけ担任させていただきましたので、何か、よい言葉を送りたいと思うのですが、思い浮かぶのは、毎年のように書いている言葉です。これは、デーモン小暮氏の言葉なのですが、「常識破りとなるも常識外れとなる勿れ」というものです。常識外れは、常識を知らないからなる訳で、何の努力も要りません。しかし、常識破りとなるためには、常識を知り、そしてそれに満足しないから、打ち破り超えていくことが必要です。大変だよぉ。また、タモリがこんなことを言っていたのを聞いた記憶があります。「下品になっても仕方がないが、下種にはなってはいけない」 下品は、作法などを知らないからなってしまうというのです。下品は知識の問題、下種は心根の問題。Guts,
Fight, Challange! 胸を張り、上品に生きてください。
中村鏡子
国語科
卒業おめでとうございます。
歩歩是道場(日常の行動の一つ一つが修業の場であり目標に近づく一歩一歩となる)。
あゆみの年にしてください。
北尾友美
国語科
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。長いようで短い学園生活が終わりますね。楽しかったことだけでなく、辛かったこともあったと思います。でもそういったさまざまな経験をこれからの新しい生活に大いにいかしていってください。今までもこれからも多くの人に支えられていることを忘れず、自分に対して正直でありつづけてください。
野島大輔
社会科
皆さんのうち一番長いメンバーが、7年生に入ってからもう6年。体調の整わないまま、中等部の学年主任を3年間おおせつかわり、緊張のうちに懸命に毎日を過ごしたことを懐かしく思い出します。本当にいろいろな思い出があり過ぎて大変です。中でも、一見バラバラに見えても、心の奥底どうしは無言のうちに繋がっている…そんな皆さんのチームワークがじんわりとしっかりと輝き出すとき、とても眩しかったです。ありがとう!お元気で!
(1999-2001年度学年主任担当)
南 淳
社会科
これからも君たちの成長を、『未来』を期待しています。
ゆっくりでもいいです。疲れた時は途中で立ち止まってもいいんです。
一歩ずつ、君たち自身が思う『夢』に進んでいってくださいね。
卒業、おめでとう!!
高橋寿弥
数学科
第12期生の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!!!
皆さんの団結力をこの6年間で一番目の当たりにしたのは、何と言っても今年度の運動会で見事『優勝』したことですね!!!ここ最近3年ほど12年生がずっと連続して優勝しているので、君たちもプレッシャーがあったのではないでしょうか?これで4年連続12年生が優勝ですね!これがこれから先の伝統になると面白いかも・・・。
いよいよ皆さんは本校を巣立って、それぞれ違った道を歩んでいくことになりますが、本校で培ったこと,また学んだことを忘れないで、しっかり腰を据えて進んでいって下さい!心から健闘を祈っています!!!では、また再会する日まで・・・。
北口幸恵
数学科
卒業おめでとうございます。
学生時代の友達は宝物です。いつまでもいつまでも大切にして下さい。
そして、これからの出逢いを大事にしていって下さい。
皆に出逢えたこと、とても嬉しく思います。どうもありがとう。
難波和彦
英語科
僕は、中学の間は今の12年生の人は教えていませんでした。それで高校にあがるときに、英語科の科目説明に行ったとき、初めて学年全体に対して話をしたのです。そのときの印象は、とてもいい雰囲気で静かに話を聴いてくれる生徒たちだな、と関心したことです。その後授業で何人もの人とふれあう機会がありましたが、ついこの学校では忘れがちな、”他の人に対して気を遣う”
=“Respect for others” を実践できる人が多かったように感じます。
Mark Avery
English
Let’s see. What are some of my most vivid images of your six years at this
school? I remember a pair of gold sneakers, thousands of scuffed knees,
surprisingly astute reflections at the end of the day, an enormous coin
collection, a particular student growing three feet in one year, the little
after school English study sessions, saying goodbye to students leaving us,
saying good luck to students who were to return, the day in grade 8 when I
stopped even trying to do homeroom in Japanese, red ribbons in the theatre on
graduation day, how wonderful you all looked that day, eating Ise-udon with you
in … where was that?..., and finally I remember you looking at some of you out
on the field one day recently. You were doing PE and I suddenly thought, “Is it
really next month?!” While measures of time are ambiguous, one thing certain is
that our time together has been a pleasure. Welcome new challenges and friends,
and change something.
Simon Parker
P.E.
Dear All,
Well now ? time is up - time to get down to some real work for a change !! I
will miss having you around every day and hope that all your dreams for the
future come true. Be good, be careful and be sure not to forget us. Go Sabers !!
中尾直子
保健体育科
ご卒業本当におめでとうございます。あなた方と同時にこの学校にお世話になり、6年間いっしょに過ごしました。7年生のときは本当にちっちゃかったね。6年はそれ相当の重みの6年間だったと思います。これからあなたがたが進んでいく世界はときとして、理不尽なものかもしれません。上手に、巻かれるふりをして立ち向かってください。世界を変えていくのは君たちだ!
青山比呂乃
図書館
また、卒業の季節がめぐってきましたね。私が高校を卒業したのは、気がつくともう四半世紀前になりますが、この季節になるとその頃のことをいつも思い出します。私にとって、中学高校の6年間は(つながっている私立でした)、何も自分から行動しなくても、言われたこと、いや言われそうなことだけやっていれば、何とか生きていける場、わずらわしさから逃れてぼうっとしていられる場でした。卒業とは、そこから出て行かなければならない時がきたということ、とうとう自分で行動していかなければならなくなる、という不安と開放への期待の両方を味わっていました。
千里国際学園という「自由」な場で、積極的に活動している人たちを見ていると、すごいなあと感じることが多いです。「自由」には「責任」が伴うのに、皆自然と少しずつでもそれを引き受けてがんばっている。英語では、「責任」とはresponsibilityといい、見ての通り、response「応答する」という語から、出てきた言葉です。何に応答するのかといえば、元々の意味は「私たちを創造した神の期待に」という事のようです。
それでは、神は人間に何を期待しているのでしょう? 神、と呼ばなくてもよいけれど、人間としてどう生きる事が、期待に応える事になるのでしょう?いろいろ考えてきた今の私の答は「生き生きと生きる事」「自分自身を最も良く生かす事」です。そしてそれは周囲の人・物全てをおたがいに生かし合うものであるはず。それが人間の責任なのだと思います。そしてこのように言葉で言うのは簡単でも、一つ一つの場面で、きちんと判断して、丁寧に生きるのはたいへんです。
今回卒業する皆さんも、千里国際学園にいる間も、がんばって責任を負うということを少しずつ経験してきたことと思いますが、やはり卒業したらずいぶん変わるはずです。もちろん学生を続ける人が多いので、まだ完全に自分の責任で行動することにはならないかもしれません。それでもいろいろな場面で、判断を問われることが増えるはず。いざというときに悔いのない決断が下せるよう、よりいっそうの人生の勉強を続けてください。
卒業、おめでとうございます。
弥永千穂
保健室
今年卒業するみんなは学年旅行で病人をださなかったおそらく最初で最後の健康な学年でしょう!これからもその健康管理(忍耐力?)を続けよりよく長生きしてください。保健室でいろいろな話をした子達、本当に楽しかったです。みんなありがとう。これからいろんな世界が広がっていきます。周りを良く見て、空気(風)を読み、思いっきり羽ばたいてください。みんなの未来が素晴らしいものになりますように。
Peter Heimer
OIS IBDP Coordinator
Heimer gives his best wishes to all SIS graduates. In particular, I would like
to say something to two groups of seniors. First, to the three seniors who took
the Speech and Debate class in the fall (Mari, Miho, Hitomi): Thank you for your
enthusiastic and sincere effort. You are engaging English speakers and
thoughtful human beings who will do wonderful things. Second, to the five senior
men who played basketball this year (Senjun, Taka, Kenzou, Akihiro, Hiroyuki):
You did not have to play basketball; in the past, most SIS seniors have not
played because they were too busy. But all five of you played this year, the
largest group of SIS men to play together as seniors (with one of you playing
for the first year!). I was so happy and honored that you chose to be part of a
very special team. Thank you, good luck, and you are now officially invited to
play with the teachers on Wednesday nights, 6:30-8:00.
Donald Gagner
OIS Science
Dear Aya, Miki, and Alisa,
I did not have the pleasure of teaching you in class the past few years, but I
have had the immense pleasure of coaching you in basketball. You have all been
such great role models with our attitude, effort, and kindness. You have always
been such an inspiration for the younger players, and that is why we have been
in the finals of APAC the past three years. You are the last of the original "Gagner
Girls", and I will miss you so very, very much. I know that you will all be very
successful in whatever you attempt in life, as you already have been. Mostly,
you will be loved and remembered for the special, wonderful people you are. So
much love and respect, Mr. Coach Gagner
★<退任あいさつ>
次のありがとうございましたへ
井嶋 悠
国語科
千里国際学園に関わっている、あるいは関わっていたすべての人々に対して、また今年8月に満60歳(還暦)を迎える私に、今日まで生きる力を与えてくださったすべての人々、その人々以外の動物そして植物、風景、森羅万象に対して、先ず「ありがとうございました」を言いたいと思います。
生きる力を与えてくださった、と言うと、私への好意的理解者だけを思い浮かべるかとも思いますが、私を、時には積極的に、時には消極的に否定した人々も含まれています。
とは言え、平均寿命が80歳という世界でも冠たる長寿国、を言い訳にする、何とも日本的な発想とは思いますが、暦一還りになるとはいえ、人間まだまだ熟さず、なのでこの境地に全的に達するにはもう少し時間はかかりそうです。それでも来し方を振り返っていると、少なくともここ数年前とは違った心模様を実感できつつあります。
有名な或る学者と詩人の言葉を引用します。或る学者の言葉「人間は理屈を言う動物である。」。或る詩人の言葉「人生は人生論ではない。一見あたり前のことではあるが。」。
そこで千里国際学園に、教員生活に終止符を打つにあたって、井嶋悠なる一人の人間の来し方数片を、それも羅列的ですが、お話しすることで、どなたかの人生への正負の糧になれば、との傲慢な思いに到りました。と同時に、次の暦への私個人の礎にもしたいとの、公の紙面を私的に流用する非を承知しつつ思っています。
1945年8月23日、8月9日の2週間後、8月15日の8日後、私は長崎市郊外で生まれました。井嶋家の菩提寺は京都市内にあるのですが、父親が海軍軍医として長崎に居たことによるものです。子ども時代、父から、
8月9日、そして15日前後のことを何度か聞きました。軍上層部等ある種特権階級の人々と一般市民の様子、その中での人間のエゴイズム、食用油供出による火傷手当て等々。この事は、後に幾つかの小説や詩、絵画等の作品から私の想像力を更に刺激することになります。場所は、長崎でなく広島ですが、何年か前に接した映像とエッセーでの、大江光さんの、父大江健三郎さんへの「すべてだめです。」との言葉は、表現のありようも含めて、相当の衝撃をもって考えさせられた7文字でした。
その後、京都に戻り、小学校3年生まで、上賀茂神社の近くに住み、賀茂川での“ゴリ釣り”“ドジョウ刺し”や近くの山での虫取り、そして路上での数々の遊びに夢中になっていました。向かいに父と子一人の貧しい父子家庭があり、その男の子は、知的障害を抱えていましたが、虫取りの名人で、私達の英雄でした。彼の後を、息を潜めてついてまわったものです。彼は今どうしているのでしょうか。
このように子どもらしい時間を過していましたが、大人の世界ではいろいろとあったようで、私はその後、東京の親戚の家に預けられ、小学校卒業と同時に、関西・西宮に戻ることになります。現在しばしば耳にする方言の復権なんて当時正に机上の空論で、東京弁も方言の一つのはずなのに、関西弁は時に冷やかしの対象となり、連日のように、学級担任の先生から発音矯正の指導を受けました。明石家さんまさん、ダウンタウン、99等々の功績はやはり偉大です。
紙幅のことがありますので、端折って続けます。
中学は地域の公立中学校でした。転校生なので初めは一人ぼっちでした。ここでもいろいろなことを学びました。その一つが、被差別部落を通しての同和問題でした。この学習は事前学習なしの体験学習から、でした。その地域から来ている生徒達で、いわゆる“荒れている”生徒達から学んだ肉体的痛み、当時中学を卒業して就職する人は自然でしたが、その時にいわれない差別を受けることになる生徒、また荒れていたことからの転換を目指し葛藤している生徒達から学んだ精神的痛み。
修学旅行は、修学旅行専用の夜行列車での東京見物でした。その車中で進路指導があり、私は学費の安い某進学校を受験することになりました。そしてなぜか合格しました。今振り返れば、学校選択を間違えたようにも思っていますが。異種奇っ怪な劣等生の3年間でしたが、私を認めてくれる先生や友人とも出会いました。1年の浪人生活。といっても予備校に在籍はしているものの、住み込みで新聞配達をしたり・・・。(もっとも、この新聞配達は2ヶ月で音を上げました。)
そして、高校時代、何人かの先生が、世間の常識、といった風情でこけおとしていた私大に入学しました。大学にはほとんど行かず、体よくいえば芸術世界での逍遙でしょうか。要はデカダンスな日々です。親の苦悩はかなりのものだったと思います。一方で、無償で他の学生の分までレポートを書いたり、一人の学生の卒論まで書いたり、などという事もしていました。こんな不可解な日々の中、ゼミ(「古事記」)の先生からの進言もあって大学院を受けるこのなるのですが、これまたなぜか合格しました。研究テーマ希望は世阿弥でした。しかし、時、1970年前後。『全共闘』真っ只中の時代。1960年に続く日米安保条約。学園の民主化。羽田・成田闘争。在籍していた大学だけでなく幾つかの大学はロックアウト、機動隊の警備。欧米の青年達と連動しての反ベトナム戦争。東大の安田講堂の攻防、入学試験の中止。京都市内での解放区。よど号ハイジャック。内ゲバ。派閥抗争からの凄惨なリンチ等々・・・。激動とも言える時代でした。厳しい意識を培っていた同期生や上級生からしばしば詰問されました。「左であれ、右であれ、己が考えを明確にせよ。」
当時、「連帯」という言葉が頻りに使われ、権威とか既成の価値観から自身を解放し、それぞれが、限りない自己へ飛翔しようとする、そんな開かれた発想は心に鋭く響くものがありました。しかし全国あちこちで、多くの学部学生、大学院生が、時には先生も大学から去っていきました。大学院入学後1年、私も去りました。
ここで突きつけられた課題については、不勉強もあって、今もって私の中で十分に整理、解決できていないところがあります。ただ現在、この課題の再検討は必要かと思っています。国際化社会にあっての日本の新生[ルネッサンス]のためにも。
尚、この頃、アメリカに端を発したヒッピー運動に触発され、様々な芸術活動が展開されましたが、表面的模倣に溺れた日本の一部の青年は、「フーテン」と呼称され、東京の新宿あたりに、時にシンナー漬けで出没します。
未来を決めて退学したわけでもないので、ここからの3年程は、気取った表現で言えば、「空白の時間」です。この間にも実に多様な人々と出会い、学びました。最下層の中で喘ぎ生きている人々。公私にわたって天才的な日々を過していた数学研究者のたまご、等々。私自身は総合芸術としての映像に関わりを持とうとして、撮影現場に入ったりしたものの、自身の不甲斐なさから入り口近辺でウロウロするばかりでした。そしてある時、生きる事の孤独、自身の傲慢さを痛覚することに出会い、実家に戻ることになります。
人生どこで何があるか分かりません。帰宅後直ぐ、8月のことです。高校時代の恩師から電話がかかりました。「今何をしてる?」「別に。」「将来は?」「特に」こんなやりとりの後、「直ぐに履歴書を作り、×日×時、××(学校名)に行って面接を受けろ。」これが、私の教師への第1歩です。
この学校は、キリスト教主義の俗に言う名門女子校で、小高い丘の上にあり、稀有なほどの自然環境の美しさを湛えていました。面接のため生まれて初めて女子校の門を入り、夏の木漏れ陽を浴びながら、宮澤賢治の世界を思い起こしたりしていました。契約は半年。しかし、またしても天は何かしたようです。18年いることになります。
ここでの18年間こそ、教科授業の、課外活動の、校務活動の、そして教育全般の私の礎の場所となりました。教科で、校務で先輩の先生方から、何度も何度も叱責、叱咤されました。つまりひどく可愛がられたわけです。それは生徒からも同じでした。そこの生徒達は、勉強だけでない全人的に優れた人が、多かったものですから。(私の在職期間の後半から、かなり様変わりし始めましたが、この前半期に「生徒が、教師を創る」ということを知りました。)
日々、授業での脂汗のような濃厚な冷や汗、クラブ活動(最初は、当時近畿圏のトップレベルにあった卓球部、その後サッカー部)での健康的な汗。そんな中、海外からの帰国生、外国人留学生(1年間在籍)から日本語の教育について、私の未熟を思い知らされることになり、学内制度を利用して大学院日本語科に留学しました。
このへんが、教員としての私の原点、そして千里国際学園にいる根拠かと思います。
固い用語で言えば、海外帰国子女教育、外国人子女教育、国際(理解)教育、異文化間教育、そして国語科教育と日本語教育、文学教育と言語教育等々。そこで出会い、今も交流を続けている方々からの薫陶。
1991年、千里国際学園が創設された年、私は神戸の私立新設校に移ります。これがまた、私の人生を変えることになります。その新設校に失望し、2年で退職。その時48歳。家には妻と二人の子どもと犬一匹。この教員生活の終焉を実感する窮状に、手を差しのべて下さったのが、SIS(当時、OIA)初代校長の藤澤皖先生(藤澤先生とは、先生の前任校ICU高校時代に出会いがありました。)、大学院留学時代の指導教授、サッカー部関係で出会った某高校の先生にして塾経営者、そして不思議なことに辞めた新設校を含む幾つかの学校を運営する法人理事長でした。この方々の尽力で、この後2年間、SIS国語科非常勤講師、塾教師、先の学校法人での国際教育センターの設立、この法人の新設校とは別ながら同じ法人の高校の非常勤講師、インドシナ難民定住促進センターでの日本語教員を併行し、同時に韓国・中国・台湾の日本語の先生方と新たな出会いを持つことになります。(尚、中国と台湾をこのように併記することには、十分な配慮が必要ですが、ここでは、このままとします。)
孔子は「50歳にして天命を知る」と言っていますが、私の場合、50歳にしてSIS専任教員となりました。言うまでもなく例外中の例外です。それを実現へ導いて下さったのは、藤澤先生をはじめ、国語科の先生方、学園の方々です。そして今日に到っています。
数限りない出会い、そこから教えられたことに、新国際学校ならではのSIS/OISの広い視野と豊かな経験を持つ教職員の方々、生徒達、保護者達との新鮮な出会いが加わり、あれこれと思い巡らしている内に、周囲の変化も手伝って、この度、定年まで1年を残し、退職することにしました。(今回は妻も快く?理解してくれています。)
退職後は、国内外のこれまでに出会い、私を理解下さった方々と手を携えて、アジアの日本について考え、実践し、同時に「連帯」を模索する、そんな新たな始まりを、心安寧に、焦らず、急がず、持てれば、と願っています。
次のありがとうございました、に向けて。
★Teachers leaving at the end of the school year (From OIS "Educator")
Mr. Bill Marocco, Band Director, will be retiring after 12 years at OIS/SIS.
Mrs. Brenda Marocco, grade 1 and 2 teacher, will also be retiring after 12 years
at OIS.
Dr. Terry Driskill, HS English, will be moving to the USA after 5 years at OIS.
Mrs. Hwei Li Driskill, Languages and ESL teacher, will be moving back to the USA
after 5 years at OIS.
Mr. Greg Watt, our Librarian and technology support teacher, will be leaving for
Bucharest, Romania. Greg and his family have been at OIS for 6 years.
Mr. Josh Berg, HS English, will be moving to Brazil after 5 years at OIS. Mr.
Berg and his wife, Mary Pfeiffer, SIS English teacher, were also here from
1994-97.
Ms Susan Hunter, MS/HS Art teacher will be moving to Canada after 5 years at OIS/SIS.
Mr. Lowell Jonson, Math teacher, who has been here for 3 years will be returning
to the USA. Mrs. Beverly Jonson, part time ESL teacher, will also be returning
to the USA.
★<留学報告> 得るものをしっかり得られた留学
野村 悠
高等部2年
私は2004年の高1の2月から12月中旬までの約10ヶ月半の間、オーストラリアのパースと言うとてもきれいな都市で留学生活を過ごしました。自然豊かで、小規模な都市なのですが、のんびりとした感じがあり、とても住みやすい所でした。シドニーやゴールドコーストの様に観光地にもなっていますが、パースは断然住みやすい場所なので本当にお勧めです。
2月の始めに出発し、真冬から真夏に移動したので、シドニー空港に着いたときの暑さはまだ今でも覚えています。私の団体からパース行きの日本人は私1人しかいなかったのですが、特に不安を覚える事も無くシドニーまで同行した他の留学する友達に「一年間頑張ろうね。」と別れを告げパース行きの飛行機に乗りました。パースはウェスタン・オーストラリア州というオーストラリア西部地域で、オーストラリアの1/3の国土を保有している州の首都なのですが、比較的人口は少なく、シドニーやブリスベンに比べるととても小さい都市です。シドニー空港からパース空港まで4時間半かかり、なんだか私だけまた違う所に行っているような気分でした。
空港に迎えに来てくれていたのがホストファザーとホストマザーで、とても陽気なファザーのおかげで初対面での重苦しい緊張はなく、家族の暖かい歓迎で迎えてくれました。私のホストファミリーの構成はホストファザー、マザー、シスター、ブラザーの4人でパース郊外のWannerooという静かな町で暮らす事になりました。本当はホストシスター・ブラザー共に全員で6人いるのですがすでに4人は親元を離れて暮らしていて、最終的にホストブラザーの1人とは会えませんでしたが、他の3人はちょくちょく実家に訪れていたので仲良くなれました。特に21歳のホストシスターにはいつも可愛がってもらいました。家族の優しさもあり、最初の2ヶ月ほどはホームシックなどまったくなく、少しは恋しがった方がいいのではないか…、と自分でも思うくらいでした。新しい日常を作って行く毎日が楽しくて仕方ありませんでした。
毎日にぎやかな家族で最初は家族の輪に溶け込むのが大変で少し苦痛だった事もありました。最初は優しい家族だったのに、人間なので良い所だけではありません、共に生活をしていると粗を見たり、腹を立てたりしてしまいます。やはり他人の「家族」という事もあり、遠慮したりコミュニケーション手段の違いに戸惑ったり…。そんな状況が多々あり自分の居場所が確認できなくて、本当に辛い時期があり、「ホストファミリーを変えたい」と悩んだ時もありました。しかし私も自分から不満を言うようになると苦痛と感じる事はなくなり、前より段々家族との距離が縮まり、本当の自分で彼らと接する事ができるようになりました。そして彼らもそれを私に返してくれました。いつも側にいて、いろんなことをサポートしてくれたのもホストファミリーです。共に24時間365日生活するとなると容易な事ではありません、私と同じように留学している友達はホストチェンジをせざるを得ない状況になってしまったりいつも上手くいくとは限りません、それをお互い受け入れる事が出来る関係になれたこと、それに気付いた時とても嬉しい気持ちになりました。ファザーとは怒鳴りあいのケンカまでしたことがあります。1年間私を家族として受け入れてくれたLangford
Familyには本当に ”TA!!”と心から言いたいです。
学校も私の留学生活の中で大きな活力となりました。家から歩いて15分のところにあるWanneroo Senior High
Schoolというところに通う事になりました。公園の中に校舎がちらばってあるという感じで、緑の多い学校でした。それは実は炎天下の中、冷房器具一切なしの中で授業を受けなければいけないので、太陽をさえぎる役目を果たしているそうです。でもさすがに40℃にも達する日は来ない生徒も多数いました。授業は5限62分(SISは7限50分授業なので)慣れないうちはとてつもなく長く感じました…。私は歴史、生物、メディア、コンピューター、SWL(職業体験ができるクラス;卒業後就職を主に考えている生徒向け)英語、の5つを選択しました。楽しかったのが生物、メディア、SWL。SWLでは2回職業体験をする事ができました。1回目は獣医、2回目は幼稚園で2つの職業を体験する事ができました。動物病院では雑用ぐらいしかすることはなかったのですが、手術の観察などができて興味深い体験ができました。辛かったのが歴史…。文章などがとても複雑で難しかったです。学校の人はみんな優しくておもしろくて良い人達ばかりでした。なかなか仲良くなれないな、と最初のうちは不安とSISの友達を懐かしく思いましたが、そうしているうちに慣れていって、いつの間にか学年全員の人と一通り仲良くなっていました。土日にcity(パース)に遊びに行ったり、友達の家に泊まりに行ったり、学校の後近くのショッピングセンターに行ったり…、よく遊んでいました。オーストラリアはイギリス系の移民が多いのでオージーアクセントと呼ばれるのはイギリスアクセントまじりです。私はオージーアクセントを習得するまでアメリカ英語だったので、友達によくそれをおもしろがられました。学校の友達と同じように私にとってかけがえのない存在になったのが他の留学生の友達でした。私の団体は世界中にある大規模な団体で、私と同じようにオーストラリアに留学している世界中の人と友達になる事ができました。この人たちとの出会いというのは私に本当に大きい影響を与えてくれたと思います。留学中の辛い思いは同じ様に留学している人にしか理解できない事がたくさんあって、学校の友達より話しやすい存在でした。しかも本当に世界中から来ていて、今では各大陸に最低1人の感覚で友達が出来ました。世界中から集まった人たちと私が話している、というのはとても貴重で、価値観やバックグラウンドがまったく違う人たちと友達になれた事に私はとても嬉しく思っています。いつかみんなのところへ訪れたいと本当に思っています。
このような生活の中で私は前より将来について深く考えるようになりました。今まで考えた事もなかったような職業に興味を抱いたり。違う環境に渡り、新たな刺激を受けていろんな思いを張り巡らせました。最終的な結論はまだ出ていませんがそれに確実に近づけるように一歩一歩を進める準備が出来るようになりました。私の留学生活は本当に充実したもので得るものをしっかり得られたと思います。ここで得た経験をこれからも活かせるようにしていこうと思います。いろんな人に感謝の気持ちをこめます。ありがとう。
★<留学報告> オーストラリアでの貴重な一年
菅野もえか
高等部1年
Perthでの一年間の留学を終え、2004年の12月に帰国した私は、少しでも早く家族や友人に会えるのがとてもうれしくて待ち遠しかったです。飛行機の中では逆に一年前オーストラリアに出発した時のようにすこし不安で内心ドキドキしていました。なぜならオーストラリアを離れるとき向こうの生活に慣れてしまい、空港でたくさんの友達に見送られている自分が日本に行くのがすこし変な感じがしたからです。言い換えればこの一年で私はオーストラリアの人だと自分で思うようになっていたのかもしれません。最初は何もかもが初めての体験で異文化になじもうと必死だった毎日がこの一年の中でそれらが日常化し、それは今までで一番楽しく、幸せでそして有意義な年になりました。
半年前のインターカルチュアにも書きましたが、私は西オーストラリアのパースで昨年の2月から留学していました。学校は市内から少し離れた小高い丘に建つ St.
Brigids College
という女子校です。そこでホームステイではなく寮生活をしていました。寮生活はオーストラリアの家庭を知るということはあまりできないので行くまではホームステイにするか寮にするかずっと迷っていました。今だから言えることですが私はこの選択は間違っていなかったと思います。むしろ寮でよかったと胸を張って言い切れます。一番良かった点は友達ととても深く仲良くなる事ができ、集団生活の勉強にもなったことです。
留学するにあたって私が一番不安だったことが友達のことでした。もしも誰も私の事を相手にしてくれなかったらどうしよう、とずっと思っていました。しかし寮に行ってみるとそんな不安は一気に掻き消されました。みんな親切で何も知らない私に一から学校のことや寮の規則について教えてくれました。授業のことで悩んだりホームシックになった時にはみんなが励ましてくれたり、手を貸してくれたりして大家族のようなものでした。Englishの授業ではじめてプレゼンテーションの宿題が出た日には発表の前の夜に5人がかりで手伝ってくれて終わらせた事もありました。
土曜日はみんなでCITYに行って一日中買物をしたり近くの男子校の寮に遊びに行ったりもよくしました。暖かくなってきた11月ごろにはよく友達とBEACHに行きました。オーストラリアの海には何回見ても感動させられます。また、学校からは二ヶ月に一回ほどSOCIALというダンスパーティーのようなものが開かれます。これはPerthの女子高校、男子高校の寮生が学校に集まって夜の10時ぐらいまでDANCEしたりしゃべったりします。そこでは日本人とも会う事があり、いろいろな情報交換をしたり、みんな久しぶりの日本語で楽しくおしゃべりもしました。おいしい日本食のレストランにみんなで行ったり、日本のカラオケにも連れて行ってもらいました。
Holidayには寮も閉まるのでその2週間の間ホームステイをしました。寮生活では知る事のできなかったオーストラリアの家庭を知る事ができました。そこのおうちには二回のHoliday中お世話になりました。たった4週間だっだのに私の
host family
は私を本当の家族のように受け入れてくださりそれだけでは寂しいからといって学校がはじまってからも週末に食事に連れて行ってくださったりしました。
今私の頭の中、そして心はすばらしい思い出でいっぱいです。オーストラリアの思い出話を語りはじめたらきりがありません。このようなすばらしい思い出が出来たのも、私のまわりにいてくれた友達のおかげだと思います。私はオーストラリアで出会ったすべての人たちのことを一生忘れる事はないと思います。なぜなら中には途中でけんかをしてしまった子もいますが、私はみんなのことが本当に大好きだからです。私は「いつか絶対またPerthに行く」と決めています。でもこの先もう一生会えない人もいるかもしれません。しかし私には思い出という形でしっかりと胸の奥に刻みこまれました。こんな私は自分でも世界一幸せだと思います。このすばらしい経験を基にこれからもいろいろなことにチャレンジしていきたいです。
最後になりましたが留学するにあたってお世話になった先生方、そして留学中も私を支えてくれた友達に感謝しています。そしてこの留学を実現させてくれすべての面でサポートしてくれた家族には特に感謝しています。ありがとう!!
★バイリンガリズム通信 お勧めの電子辞書
バイリンガリズム=二つの言語を使うということについてのトピックのひとつとして、翻訳・通訳があります。今回は、その翻訳・通訳に欠かせないtoolである辞書についての、英語科と国語科からのお知らせを書かせていただきます。
電子辞書 SIS英語科推薦モデル
難波和彦
英語科
ちょうど1年前のインタカルチュアで、辞書についての記事を書かせてもらいました。英語科では英英辞典を使うことを薦めていて、現在、iレベルの生徒にはLongman
Dictionary of Contemporary English(第4版)を、hと h+レベルとの生徒には、Collins Cobuild English
Dictionary
(第4版)を教科書購入の際に、申し込めるようにしています。一方、電子辞書の普及はめざましいものがあり、内蔵されている辞書もどんどん新しく・多くなっています。紙の辞書のよさもあるのですが、何冊もの辞書を手軽に持ち歩けるというのは、電子辞書の大きな利点です。(特に通学・教室間の移動などを考えると)すでに多くの生徒が電子辞書を所有し活用していますが、新たに電子辞書を買いたい、買い換えたい人のために、学校でも電子辞書を買うことができるようになります。
英語科から強くお薦めをするのは、SEIKOのSL9000というモデルです。これは本来大学の生協で販売されている大学生用のモデルなのですが、SISの生徒の幅広い英語力に対応できる辞書が必要だということで、中学・高校である本校でも販売をしてもらうことになりました。内蔵されている辞書は二つの英英辞典、二つの英和辞典、二つの連語辞典、和英辞典、類語辞典(Thesaurus)、広辞苑などもついています。このそれぞれの辞典について、少し説明します。1)
英英辞典- Oxford Advanced Learners’ Dictionary (OALD)とConcise Oxford Dictionary
(COD)の二つが搭載されています。OALDは、上記のLongmanはCobuild
などと同じく英語学習者向けの英英辞典で、定義の語数を3000語に絞ることによって、学習者にも説明がわかりやすくなっています(Longmanは2000語)。最も歴史のある学習者用の英英辞典で、例文なども的を射た適切なものが多いです。CODは、ネイティブの人向けの辞書で、学習者が必要とする文法・語法・発音などの説明が詳しく、CODのほうは辞書に載っている見出し語の数が多く、語源の説明が詳しくなっています。2)
英和辞典-リーダーズ英和辞典とジーニアス大英和辞典の二つです。リーダーズは翻訳・通訳に携わる人の間では、昔から定評のある辞書で、適切な訳語を探したいときに便利です。一方ジーニアス大英和は、語法・文法などの説明が詳しくなっています。つまり英英辞典・英和辞典ともに、二つの辞書がそれぞれとくいな分野が違っており、場合に応じて二つをうまく使い分ける、あるいは組み合わせて使うことにより、言葉の理解をより深めることができます。3)
連語辞典-連語=コロケーションというのは、ある語は他のどんな語とよく組み合わせて使われるのかを教えてくれる辞書です。英和活用大辞典という英和辞典の形をとった連語辞典と、Oxford
Collocation
Dictionaryという英英辞典の連語辞典のふたつが入っています。英文を書いたり、発信をするときには、欠かせない辞書です。これだけの辞書があると、例文も豊富にでてきます。価格は24800円ですが、内臓されている辞書の質・量、大学生や社会人になっても使えることを考えると、reasonableな値段になっています。英語のこだわった電子辞書が欲しい人には、お薦めです。
電子辞書 SIS国語科推薦モデル
福島浩介
国語科
国語科でも、昨年末からCasioとSEIKOの二社の数モデルを購入したり、借用したりして調査を進めていました。ちょうど、今回英語科も推薦する辞書を選定するということで、一緒に記事を書かせていただくことにしました。国語科では、SEIKOのSL-H4500と、CasioのXD-F4100というモデルを推薦したいと思います。
SEIKOの電子辞書は、学校販売専用モデルということで、一般の店では買えません。学期ごとの教科書購入の際に、学校で注文をとります。収録されている辞書は、国語辞典が『広辞苑』『逆引き広辞苑』『明鏡国語辞典』、漢和辞典が『漢語林』、古語辞典が『三省堂 全訳読解古語辞典』、英語は『ジーニアス英和辞典』『ベーシックジーニアス英和辞典』『オックスフォード現代英英辞典』、そのほか、百科事典の『マイペディア』と『日本史小辞典』です。加えて、ハードケースと三年間の保証がつきます。また、価格が18000円と比較的安価なことも特徴です。
Casioの辞書は、国語では『広辞苑』『逆引き広辞苑』『全訳古語辞典』『漢字源』『故事ことわざ辞典』『四字熟語辞典』『ことば選び辞典』『古文単語・熟語ターゲット270』、英語では『ジーニアス英和辞典』『ジーニアス和英辞典』『英語類語辞典』『ロングマン現代アメリカ英語辞典』『英会話Make
it! <基本表現編>』『英会話Make it!
<場面攻略編>』、その他、『日本史事典』『世界史事典』『日本史年代暗記ターゲット312』『世界史年代暗記ターゲット315』『数学公式集』『三省堂
生物小事典』『三省堂 化学小事典』『三省堂 物理小事典』『日経パソコン用語事典
電子辞書版』など満載です。これ一つあったら、多くの教科がカバーできるのではないでしょうか? ただ価格が、定価で42000円、実売で30000円前後になっており、やや高価です。
英語科が推薦されている辞書に、古語辞典が載っていればそれに越したことはないのですが、残念ながら載っていません。やはり古語辞典を使ってもらいたいということで、この機種を推薦します。国語辞典が二種類載っているというのもよい点で、一般的な電子辞書は『広辞苑』のみというものが多く、『広辞苑』の解説だけでは、語の理解に手間取ってしまうことがあります。二つの辞書で同じ言葉を引いてみるというのはよいことで、語の定義がより明確になりましょう。そして、実際の辞書だと大変なこの作業も、電子辞書なら簡単に行えます。ただ、この機種は、古語辞典が現代仮名遣いのみでしか入力ができず、例えば、「ゑびす」「あふひ」を最初から「えびす」「あおい」と読めて入力できなければなりません。この点がやや問題で、Casioの辞書も同時に推薦することにしました。英語科推薦の辞書を買ってもらって、古語辞典だけ印刷されたものを買ってもらうというのでもよいかもしれません。
電子辞書なら常に持ち歩いて、授業中にどしどし引いてもらうことができると思い、推薦していますが、辞書を引くことの醍醐味のひとつに、ある言葉を引いている途中のページで偶然、今まで見たことのないような言葉に出くわしたり、引いた言葉の隣や、上や下の段に書いてある言葉に興味を引かれたりなどということがあります。電子辞書の場合、引く言葉を「直撃」ですので、そういう味わいはないかもしれません。
語彙が少ないということは、一つの色で「世界」を塗りつぶしていることにもなりかねません。「きれいな花」も、「かわいらしい動物の子供」も、「素敵な洋服」も、「おちゃめな失敗」も、すべて「かわいい」で片付けるのは、それらすべてを同じ色のペンキで塗りつぶしているのと同じことだと思うのです。電子辞書と本の辞書、時と場合に応じて使い分け、言葉の海に揺蕩い、世界をテクニカラーにすべく精進してください。
★インターカルチュア100号記念特集記事募集
インターカルチュアは、2005年度春学期後半号(6月号)で第100号を迎えます。ひとつの通過点ではありますが、開校15年目を迎えることもあり、区切りの良い数字なので何か特集を組もうと考えました。そこで次のテーマで、教職員・生徒・卒業生・保護者等の学園関係者すべての方から広く原稿を募集しようと思います。
「ふたつの学校がここにあること」(仮題)
SISとOISが共存していることならではのエピソードで、良かったこと・楽しかったこと・面白かったこと・困ったこと・苦労したこと等々何でも結構です。
E-mailでのみ受付けます。字数制限は設けませんが、必ずタイトルをつけてください。一緒に掲載したい写真があれば、JPEGファイルで添付してください。最初の締切日は5/10とします。いただいた文章は極力掲載したいので、多数の場合、連載することを考えています。(馬場)
プレイバックインターカルチュア (創刊号1991/05より)
発刊にあたって
初代校長 藤沢 皖
帰国生徒、外国籍生徒、国内生徒が一つのキャンパスで共に学ぶ小さな国際社会を形成し、「明日の世界をひらくリーダーシップ」「いきいきとした個性」「友愛の心」の育成を目標として、千里国際学園は発足しました。4月に大阪国際文化中学校・高等学校(現千里国際学園中等部高等部)がスタート、共存する大阪インターナショナルスクールも9月に始まって、やっと学園の全体像が見えてきました。先生方も日本、アメリカ、イギリス、アイルランド、カナダ、オーストラリア、フランスと7力国の国籍の人が集まっています。考え方や慣習も異なっている先生方が一つの目標を求めて集まったのです。
時間の組み方、学校行事の組み方、進め方、生徒会のあり方、保護者会の進め方、なに一つ取っても、円滑には行きません。しかしそれだけに何事も単に慣習に従ってやるというのではなく、どういうやり方がベストなのかということを常に考えさせられています。生徒達も保護者の方もいろいろととまどいがあると思います。学校の方針の不明確さにも焦っているかも知れません。しかし、3年後にはやはり、この学園に入ってよかったという学園になることを確信しています。
多様な文化背景を持つ者が集まって一つの共通の文化ともいうべき学園を創り上げていくことは、思ったほど容易ではありませんがお互いのコミュニケーションも円滑にして、よりよい学園作りに励みたいと思います。この学園だよりもそのために定期的に出していく予定です。これからも学園の方に、ご意見などお寄せください。
★学年だより
●中等部1年生(7年生)
自分の成長を大事に
中尾直子
2組担任、保健体育科
4月に緊張した面持ちの62名を迎え、そのあとひとり仲間が増えて、現在63名の7年生たちです。あらためて入学式の写真を見ると、みんなの何と、かわいいこと!(もちろん、今もかわいいですよ。別の意味で。)早いもので、もうすぐ1年が過ぎようとしています。学園祭、長い夏休み、スポーツデイと何もかもが初めての行事で必死に上級生を見ながらこなしていました。今度は自分たちがひとつ上級生になります。新7年生をかげになり、ひなたになり、支えていってください。ただ、まだまだ自分のことで精一杯の人もいるでしょう。じつは、今の時期は発育の個人差が一番ひろがるときなのです。それは、からだだけではなくこころも同じです。身長が10cm以上伸びた人もいれば、声が低くなった人、おとなっぽい顔つきになった人もいますね。そうかと思えば、まだ、小学生でも通用しそうな人もいます。からだつきはおとなっぽくなったのに、こころがまだまだこどもの人もいます。こころのほうが先におとなに近づく人もいます。どうか、自分の成長を大事にしてください。他人と比べる必要はありません。20歳になったときに心身ともにおとなになっていればいいのです。8年生でもいろいろな経験をして、成長していってください。いっしょにがんばりましょう。
●中等部2年生(8年生)
「ミッション1:きれいにしようぜ北公園」の報告
水口 香
2組担任、英語科
さる1月26日、昨年秋から準備してきた8年生の北公園の掃除が実施されました。とりわけ寒い日でしたが、皆で公園中を駆け回りゴミを回収しました。中には思いもよらなかったゴミに出くわしびっくりしたり、タバコの吸殻や空き缶、また犬の落し物の多さに憤りを覚えたりしましたが、感情をこらえ、それらをきっちりと袋に収めることで、社会に貢献することの重要性に気がつき、また共同体の一員としての自覚を得ることができました。
前回のインターカルチュアで紹介しましたように、このプロジェクトは生徒が主体となって構想を立て、備品調達とそのための資金集め、分別方法の学習、広報、作業方法の検討など、全員が1つの組織として働けるよう順序だててプロジェクトを進めています。実施までの道のりは決して平坦なものではなく、ミスコミュニケーションや計算違いなど数々の問題が発生しました。しかしながら、皆で決めたことを最後までやり遂げようと、お互い考えを寄せ合って問題を解決し、実施にたどりつきました。皆で前向きにがんばれば道が開けることを知ったこの経験は、今後学年旅行やボランティア活動など目標が変わっても達成できる力になるはずです。
実施後の反省会では、掃除範囲、係りの配置、有効的な時間の使い方など問題点の指摘と対応策が検討されました。これをこのままで終わらせるのではなく、本当に反省として生かすため、8年生は再び2月23日に北公園の掃除を実施する予定です。
8年生から皆さんへメッセージがあります。
『皆さん、北公園に行ったことはありますか。恐らくこの学校のたくさんの人が北公園を通ったり、遊んだりしたことがあると思います。しかし、その北公園はゴミでいっぱいです。8年生は1月26日のロングホームルームの時間に北公園の掃除をしました。ある程度ゴミを回収することができましたが、それでもなお多くのゴミが草むらや土の下に隠れています。私たちは再度2月23日に北公園を掃除する予定です。私たちは北公園を掃除することによって、改めて5つのリスペクトの「環境を大切に」を考え直すことができました。この紙面をお借りして、皆さんにも北公園をきれいに使うご協力をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。』
ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
●中等部3年生(9年生)
中学生の自分に挨拶をしよう
野島大輔
3組担任、社会科
早いもので、中等部の卒業も間近になりました。今、卒業式委員たちを中心に、様々な式の企画やプログラム作りが進んでいるところです。義務教育の年齢が終了することはもちろんですが、内部進学、校長先生に提出する「5リスペクト」の中等部の卒業記念作文、6年間の教育が建前のSIS生にとっても重要なけじめの時期でもあります。自立心をいっそう旺盛にして、甘えを捨て、いよいよSISの様々な活動で中心的な活躍ができるように心身の準備をしましょう。また、事情あって外部の学校へ進む人たちに、心をこめて応援の挨拶をいたしましょう。
これから新しい友達を迎える大切な時期でもあります(どうすれば上手に迎えられるか、具体的な案について先日のLHRで意見をまとめたクラスもあります)。たくさんの新入生を温かく迎えて、新しい明るい学年を創りましょう。また、高等部を卒業していく先輩たちの遺してきた財産を引き継ぎ、私たちの学園が「SISらしさ」を失わずに進んで行けるように力を発揮しましょう。勉強の面でも、内容がいっそう高度になり、基礎学力や自主的な取り組みがなければ展望が開けなくなってきます。春休みの間に、不十分だったところをしっかり補っておきましょう。
昨年末に、世界的な大災害の現場に居合わせながら、様々な偶然から幸い助かりました。単車で、海で、…学生時代以降これまで命の心配をしなければならないような場面に何度も巡り会いましたが、今回は世界史上に残る歴史的な災害。大げさですが、大津波の洗礼を受けて、何か生まれ変わらされたような心境です。同時に、私たちの社会や人生がとても短く小さなものに見えて来るようにもなりました。だからこそ、誰もが、悔いのないように、人に役立てる好きなことにそれぞれが取り組んで行けるようであればいいな、と思います。そしてそのようにできる若さやたくましさ、それを支える自由って素晴らしいな、といつまでも思える教師でありたいと思っています。
卒業、おめでとう。
●高等部1年生(10年生)
本校の入試で思うこと
木村典子
1組担任、国語科
今、私は本校の入試業務を担当しています。今年も中学・高校入試が終わりました。力を十分に出して合格する生徒もありますが、一方、日頃の力が出せなくて不合格になった人もいます。今年も入試が終わり、不合格になった受験生のことを考えて、2月の3連休は重い気分で過ごしました。不合格になった受験生が、どこか他校に合格してくれて、良い学校生活を送ってくれることを祈らずにはいられません。
現在の高1生も千里国際学園に中学から入っている生徒は、長い間受験から遠ざかっています。受験の緊張を覚えているでしょうか。4月から高2です。ここらで自分の進路を真剣に考えてみてください。そして、一生の中でこれほど勉強をしたことがないほどの2年間にしてください。私は一概に受験戦争を悪いとは思いません。人生は自分で切り開き、勝ち取っていくものです。与えられているばかりの人生なんて手応えもありません。
人間は安きに流れがちです。自分の方から簡単な入試に流れないで下さい。本当に自分がやりたいこと、また自分に合ったこと(そのために適性検査をしました)を認識して、自分に厳しくなってください。今のあなたの時間は二度とは来ないのです。そして進路のことで迷った時には、遠慮なく担任に相談してください。人生の先輩として、教師として喜んで相談に応じます。
本校では進路選択も自分でやります。そのための資料は十分にありますから、まず自分の力で動いてみてください。迷ったときには相談してください。最初から教えてくれると思ったら大間違いです。そのためにあなた達は本校を選んだはずです。
●高等部2年生(11年生)
「へえ〜」に出会えますように
池田大介
2組〔臨時〕担任〔代行〕、社会科
『(地ベタから)独言、或いは、懐古を以て回顧として(再そして改)』
いつも柔和な笑顔で、生徒達を(常に・きっと)和ませ・癒してこられたジェーン・シェパード先生が倒れられ、急遽2組の“(臨時)担任(代行)”を拝命の池田(大介)です。それ以前から、04年度高等部11年生付き“副担任(?)”として、当該学年の先生方がお休みの際は、其処彼処と朝のHRにお邪魔しておりましたが、特に2組には、運動会という特別な行事に担任の代わりを務めさせてもらう等、縁が、或いは、因縁が深かった、という思いがあります。その上での“今回”は、ある種(相変わらず大袈裟な表現ですが…!?)運命的な…感覚に陥る程(HRの教室番号が、妻と私との結婚記念日に合致し、その点について「も」!)。兎にも角にも、限られた期間内(秋〜冬学期中)に、限られた時間内(毎朝のHRや週1回のLHR)に、皆さんと座標点を同じう出来た事は、今迄(進路情報室と)授業内でしか学生との接点がなかった私に、「久し振りの担任(オッカナ吃驚ではありましたが…)」のチャンスを提示してくれた、と認識しております。その中でも、LHRで数回展開の「(福島先生主導の)会議の進め方」講座は、特に印象深く、皆さん方の、内在し、未だ開花され切っていない、今後の生きるパワー(一種の問題解決能力!?)を垣間見、眞に(教師冥利に尽きる、的に)体感できたような気がします(マリさん・アサミさん・リエさん、御苦労様!)。残念乍ら、“じゃがバター(Uショウタくん、お味の方は如何でしたか!?)”の機会は逸してしまいましたが…現在は、先月に、生徒達との個人面談を終え、今月から、保護者の方々との面談を、一ヶ月かけて、(のんびり…!?)行っており、又、ココに至って、学年旅行も、益々ますます具体的になってきた(委員の皆さん毎日まいにち、本当に御苦労様!)、11年生です。
却説、その面談についてですが、矢張り、話題は、時期的に、進路に関することが話題の中心になったようです。これを受け、そうですね、これを機会に、“昔話”を一つ…;
「昔むかし…」
今から二十数年以上前の私は、法学部・法律学科を自分の大学進路に選んだ。
よく生徒からも「何故なぜ」その道を選んだのか、と聞かれるのだが、(他所行きの)説明では、何時もこう言っている…
私が高校2年生の時に、「政経」担当の先生から、‘軽犯罪法’なる進路選択のキーワードを伝授され、そこに小さき頃からの疑問(?)であった“立ち小便したら警察に捕まるデ…!?”という巷のオハナシが、実際に存在しているや否やという、多分に出歯亀(この‘デバガメ’という言葉も、池田亀太郎という、出っ歯の・覗きの常習‘(所謂表現としての)変態’男がその言葉の由来だったなあ〜)的好奇心から図書館を訪ね、生まれて初めて「六法全書」を開いたのである。
私のアルマイト製(?)巨大弁当箱(フタにお茶を入れて弁当をツカッたなあ〜懐かしい!)より大きく、そして、そのブ厚いことに、先ず素直に驚き、そして、“立ち小便…”に関する部分を見つけた、いや発見、いや発掘、した時の喜びようと言ったら…その時私は、その「六法全書」自身がもつ、他人を寄せ付けない、崇高なまでのカタサと同化し、自分までもが、そこまで昇華されたような錯覚に陥ったのである(思い出とは、多分に脚色された第三者への自賛物語である!?)。
そう言えば、図書館にも本当によく通った(含デート。マアちゃんやナオちゃんは、今頃どうしているだろうかあぁ…)…私の自宅にはテレビがなかったからだ。父親は、前(々)世紀の遺物とも言うべき、恐ろしいまでの堅物(?)で、ある時右手を挙げ家族全員にこう言ったそうである。
「“一億人総‘(所謂表現としての)白痴’化”だ!テレビはこの家に必要なし!」
…この英断(?)の御蔭で、中学時代の私は、友人(特にクラスの女学生…)と、殆ど話が合わず、如何にツラかったか…然し、父は、ほぼ毎日まいにち(あれだけよく続いたなあ〜、と思う…父はスゴかった!?)のように、姉・兄・私・妹(5番目の妹は未だ小さかった)の4人に対して「本」を手渡し、人類が、どれほど多くの素晴らしい本に出会わずして死んでいくかを、何万回となく握り拳で演説したのであった…
実際、父も大変な読書家・書痴(何やら小難しい本も出していますよ。研究書と事典〔共著〕ですが、御希望とあらば、私を通して頂くと一割引き可、とのこと。尤も元々の値段が確か数万円なので…)で、数年前に、とうとう本が実家に収めきれなくなって、蔵書用に一軒家を建ててしまう程であった。その一戸建ては、書籍類保管用に太陽光線を遮断するため窓が一つもなく、不気味と近所で大評判で、「箱根細工の家(←京大推理研〔だったっけ…!?〕風)」とも呼ばれているらしい…
中学時代は、真剣に父を恨んだものだが、高校に入学すると、誰もが良い意味での「隣は何をする人ゾッ」になり、それぞれがそれぞれ、てんでバラバラのことを、一つの教室内で行っており、‘(これ見よがしな!)なかよしこよし’はなくなった。ガリ勉(懐かしい響き!)するもの、オシャベリしている者、ヒンズースクワットをして汗を飛び散らしているレスリング部・柔道部員、‘早弁’している者…お互いがお互いを妙に尊びあい、そして、干渉しない…勿論妙な詮索もなし…古いふるい公立高校によく見られる(?)光景が展開され、漸く私は自分の居場所を見付けた心地であった。
公立高校の、雑食的(?)、‘これでもか’的カリキュラムには、時には閉口したが、激しいクラブ(中学〜高校〜大学迄、陸上競技部に所属していました)の練習が始まる放課後迄は、休み時間、“カットの時間(本校でのアンスケ時間)”には、教室の自分の机(一年間決まっていました。SISでは考えられないでしょう…)で、はたまた部室(汚いけれど、何故か居心地が良いのだ!)で、大好きな「推理小説」を、貪り読んだものだ。
…あ〜、連々と書き綴ってしまったが…
私の学生時代には、その先生を、尊敬して・崇拝して・盲信して、その先生の考えに傾倒した、ということは、あんまりなかったような気がするが…「へえ〜」というキーワードを与えてくれた先生は、確かにいた!!
私の学生時代には、その(本の)作者を尊敬して・崇拝して・盲信して、その作品・作者に傾倒した、ということはあんまりなかったような気もするが(作者をこき下ろし、いっぱしの批評家ぶっていたことはあった…←恥ずかしい!)…「へえ〜」というキーワードを与えてくれた本/作者は、確かにあった/いた!
ところで…『04年度卒業生諸君、「へえ〜」には出会えたでしょうか?これからも、新たな「へえ〜」に出会えることを祈念して…合掌…!』この場を借りて、卒業生への“送る言葉”とさせて頂きます。
最後に…今も、私に読んでもらうことを待っている‘本’が、研究室に21冊積み上げられています(2004年2月14日現在)…今尚、「へえ〜」には、出会えるのか!?
さてさて、皆さんは…?
★<学年だより番外編>
一足お先に卒業
マラン・ティナさん(高等部3年)
2月9日(水)LHRの時間にカフェテリアで、2月末からニュージーランドの大学へ進学するため、3月14日の卒業式本番に出席できないマラン・ティナさん(写真中央)の卒業を祝う会が催されました。
本物の卒業証書がまだできていなかったので、同級生手作りの卒業証書が担任から授与されました。ティナさんの歌のあと、みんなからの暖かいお別れの言葉が次々に贈られ、そして本人からのお礼の言葉が述べられたあと、記念撮影をして和やかな雰囲気のうちに終了しました。
(馬場)
★中等部73名高等部26名合格
2005年度入試結果報告
アドミッションズオフィス
帰国A選考(中1−高3)外国の学校教育を受けた帰国児童・生徒を対象。
帰国B選考(中1−高3)海外の全日制日本人学校または私立在外教育施設出身の帰国児童・生徒を対象。
帰国S選考(中1−高1)本校とアジア地域6校、ヨーロッパ地域2校の指定校推薦制度のある、全日制日本人学校出身の帰国児童・生徒を対象。
一般(G)選考(中1・高1)日本国内の、日本の学校教育を受けた児童・生徒を対象。
中等部 | 志願者数 | 受験者数 | 合格者数 | ||||||
海外選考 | 国内選考 | 計 | 海外選考 | 国内選考 | 計 | 海外選考 | 国内選考 | 計 | |
A選考 | 3 | 26 | 29 | 3 | 24 | 27 | 3 | 19 | 22 |
B選考 | 2 | 5 | 7 | 2 | 5 | 7 | 1 | 3 | 4 |
S選考 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
帰国 計 | 5 | 31 | 36 | 5 | 29 | 34 | 4 | 22 | 26 |
一般 | 96 | 96 | 92 | 92 | 47 | 47 | |||
合計 | 5 | 127 | 132 | 5 | 121 | 126 | 4 | 69 | 73 |
高等部 | 志願者数 | 受験者数 | 合格者数 | ||||||
海外選考 | 国内選考 | 計 | 海外選考 | 国内選考 | 計 | 海外選考 | 国内選考 | 計 | |
A選考 | 2 | 10 | 12 | 2 | 6 | 8 | 2 | 4 | 6 |
B選考 | 8 | 6 | 14 | 8 | 3 | 11 | 5 | 2 | 7 |
S選考 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 |
帰国 計 | 11 | 16 | 27 | 11 | 9 | 20 | 8 | 6 | 14 |
一般 | 21 | 21 | 21 | 21 | 12 | 12 | |||
合計 | 11 | 37 | 48 | 11 | 30 | 41 | 8 | 18 | 26 |
★京都大学数学公開講座に参加
馬場博史
数学科
数学科では、夏に大阪大学、冬には京都大学の高校生向け数学講座を紹介しています。教科書では学習できないことを大学の先生からお話いただく良い機会ですから、これからも多数参加してほしいと思います。
1月9日(日)10日(祝)は京都大学理学部で京都セミナー「数学の広がりと楽しみ」が開催され、生徒2名と教員5名が参加しました。内容を紹介します。
「三角比から三角関数へ」上野健爾(京都大学教授)、「三角関数で見る世界T―音・波そして熱」高橋陽一郎(京都大学教授)、「三角関数で見る世界U―離散フーリエ変換と画像処理への応用」新井仁之(東京大学助教授)、「三角関数と複素数」斎藤政彦(神戸大学教授)
★ドイツ語検定多数合格
ドイツ語検定とZD
桂木 忍、ラルフ・イバルト
ドイツ語科
昨年11月23日(祝)に行われたドイツ語技能検定試験(後注1)に、SISからドイツ語履修生6名がチャレンジし、全員がそれぞれの級に合格しましたので、今回まとめて報告します。
2級 神澤麻友(SIS10)、深田充宏(SIS11)
3級 保城早耶香(SIS12・前号報告済)
4級 松岡優(SIS11)、森藤祥子(SIS11)、手木マリア(SIS10)
なお、2級に合格した神澤さんは、全国3位(同位他2名)の優秀な成績で合格し、表彰されることになりました。また、同じく2級合格の深田くんは、1月末から2月上旬にかけて行われたZD(Zertifikat
Deutsch、後注2)にも優秀な成績で合格しました。合格したみなさんおめでとう!
注1:ドイツ語技能検定試験(独検)は、英検と同じく、日本国内でドイツ語を勉強している人々を対象に年に2回(1,2級は年1回)行われている語学検定で、4級から1級までのレベルがあります。試験形態は選択形式で、文法知識と読む能力そして聞き取りが主に問われます。また、1,2級のみ口頭試験があります。
注2:ZDはGoethe-Institut(後注3)
が中心になって行っているドイツ語の語学検定試験で、基礎的なドイツ語を文法だけでなく、読む、書く、聞く、話すという4つのすべての技能で試験するものです。また、日本国内のみならず、国際的に認知されているドイツ語検定試験であるという点でも独検とは少し異なった種類の試験です。
注3:Goethe-Institut はドイツ連邦共和国外務省の管轄におかれている非営利団体で、ドイツ語とドイツ文化を世界中に紹介する役割を担っています。ドイツと国交のある世界各国に出先機関があり、日本では東京、大阪、京都で一般成人向けのドイツ語の語学教室が催されています。
フランス語DALF
畑友広君(SIS12)が、フランス文部省認定フランス語資格試験 DALF(Diplome approfondi de langue francaise)
でB2,B3,B4を受験し、B2,B4に合格したという報告がありました。おめでとうございます。B1は既に合格していますので、あとB3を合格すれば全試験制覇となります。またこの次も頑張ってください。(馬場)
★災害にあったら 〜トリアージとは〜
弥永千穂
保健室
スマトラ沖大地震などの災害でけがをした人々や大切な人を亡くし悲しんでいる姿などを見てそれぞれが命の大切さ、災害のおそろしさなどを感じ、自分にできることは何かを考えたことでしょう。この機会に災害の医療現場で使われる「トリアージ」について触れておきたいと思います。大きな災害や事故が起これば多数のけが人がでて、たくさんの薬や包帯、器具などが必要となります。また治療を必要とする多くの負傷者に対して医療スタッフは不足します。そのような場合にはひとりでも多くの命を助けることが優先されます。そのために医師などが負傷者を素早く見て緊急度、重症度を判断していく方法を「トリアージ」と呼びます。トリアージでは骨折、打撲など治療を待てる軽症(緑)・しばらくなら治療を待てる中等症(黄)・緊急治療を必要とする重症(赤)・死亡もしくは命の助かる見込みがない(黒)の4段階4色に分けられ手首にトリアージタッグが付けられます。悲しいことに助かる可能性が低ければ治療が行われないこともあり、軽症であれば治療を受けるまで長い時間待つことになります。しかしこのトリアージによって災害の混乱の中、適した場所(病院、救護施設)で適した治療が行われるようになりひとつでも多くの命が救われることになります。どうしても災害直後は多くの軽症の負傷者が病院に押し寄せて混乱することが予想されるためこのトリアージは必要なのです。災害時の医療はひとりでも多くの命を救うことが優先されているという事実を知っておいてください。また防災のひとつとして応急手当を知っておくことも大切かつとても有効です。学校でも救急法を学ぶ機会があるのでしっかり学習してくださいね。自然災害のないすこしでも平和な一年になることを強く願います。
★Habitat for Humanity Faculty Concert
February 9th, 2005
Josh Berg
English
In support of the OIS senior class fundraising activities, a collection of
faculty and students lent their time and not inconsiderable talents to perform
an eclectic mix of music before an audience some 200 strong. Many thanks to all
those who gave up their time to make it so, particularly Ms. Osako and Mr.
Lewis.
Additional accompaniment was provided by Mr Michael McGill and Mr Paul Murray as
Masters of Ceremony, and Mr Daisuke Nojima on synthesizer.
Tall Tales
Greg Watt, Simon Mills, Rei Izawa / Medley: Highlights of a Harmless Life
(various)
Mr. O
Hirokazu Osako, Nakae Osako, Luka Mori / Nada Sou Sou (Begin)
Mark II (Takuro)
English Department All-Stars
Kazuhiko Namba, Mayumi Ito, Chris Mills, Rodney Ray / It痴 Too Late (King) , Don稚
Know Why (Jones), Bridge over Troubled Water (Simon)
The Faculty Muddlers
Sherry Mannerheim, Miriam Factora, Hwei Li-Driskill, John Secomb, Kaori Hakone,
Karin Caffin, Kosuke Fukushima, Luka Mori, Reiko Tosa, Rod Adam, Tomoko Koshi ,
William Marocco, Rod Adam, Takako Hirai / Bingo (trad.) , When the Saints Go
Marching (trad.)
My Name is Luka
Luka Mori /Clair de Lune (Debussy)
Dr. D's Soul Revival & Medicine Show
Terry Driskill, Rodney Ray, Kosuke Fukushima, Luka Mori, Takashi Kashihara,
Junpei Mishima, Sandra Gathmann, Yoshika Tamura, Jyongri Cho, Reina Shishikura
/Chain of Fools (Covay) , Unchain My Heart (Cocker) , The Thrill is Gone (King)
, Mustang Sally (Rice)
★図書館蔵書点検ボランティア募集
図書館蔵書点検のお知らせ(ボランティア募集中)
毎年恒例の図書館蔵書点検を、年度末の2日間に行います。いつものようにボランティアを募集しています。仕事の内容は、図書と雑誌の移動・整頓とコンピュータへの入力です。細かい注意も必要で、埃も多くかなりの肉体労働になります。おやつとわずかなお礼がでます。
昨年は、21名のボランティアが汗を流してくれました。このところ蔵書も増え、皆さんの図書や雑誌の利用が多い上、気に入った本を隠すなどいたずらする人もいて、かなり書架の本の場所が乱れているため、作業が大変になりそうです。1日だけ、または半日でもやってくれる人がいたら助かります。3月14日までに貸出デスクに名前を書きに来てください。
3月16日(水)〜17日(木) 9:00am-4:00pm
春の閉館と長期貸出の予定
なお蔵書点検に伴い、3月16日−4月4日は閉館します。3月15日までと4月5日から、平常通り開館です。
また、3月2日からは、返却期限が4月6日までの春休みの長期貸出を行っています。いつもよりたくさん借りたい場合は、スタッフに申し出てください。
(青山比呂乃)
★APACバスケット女子2位男子スポーツマンシップ賞
VARSITY GIRLS BASKETBALL
Donald Gagner
Coach, Science
This was another successful year of basketball with a delightful group of
players. We were very successful in our record, and we were very successful in
our enjoyment of the games and each other. Our overall record was 21-3, which is
outstanding. The J.V. team, coached by Mr. Jonson, did very well in the annual
Yokohama J.V. Tournament, finishing second. Members of the team were Miho
Tanihata, Nana Sakata, Yoko Nishiono, Kayoko Hirota, Mayu Kanzawa, Mayuko Fukui,
Aya Tomikawa, Saori Shiokawa, Emmy Reis, and Arisa Nishimura. Congratulations to
them for another fine season.
The APAC members of the team were Mari Kim, Marina Fujimori, Shi hua Wu, Emily
Koyama, Saori Nishida, Aya Waterhouse, Samira Momtazi, Ayaka Tanimoto, Ayaka
Cooke, Alisa Koyama, May Okui, and Miki Waterhouse. Mari, Aya, and Alisa were
captains of the team, and they were outstanding leaders and role models.
At the APAC Tournament in Manila, we won our first five games, and went into the
finals undefeated. We were the only team to defeat Brent of Manila, and we
played them again for the championship. This time, however, in front of a huge,
noisy home crowd, they shot very well, and we did not shoot as well as we had
previously. We lost a very close game, but played well. We were certainly the
most popular team there.
At the closing ceremonies we were awarded the second place trophy. Also, we were
awarded three places on the All-APAC team. They were Alisa Koyama, Aya
Waterhouse, and Mari Kim. Most importantly, were were voted to receive the
Sportsmanship Award, which is very unusual for a second-place team. I am so very
proud of them for all that they accomplished and all that they are.
I would like to thank Mr. Heimer and the boys` team for all their support; Mr.
Parker for all the hard work, schedule, and support; Mrs. Leanne Entwhistle for
her help, friendship, and so many intangibles for the players and myself; and my
three managers, Haruka Miyamoto, Mayumi Nagatsuka, and especially Jumi Wada.
Sincerely and gratefully, Donald Gagner
Saber cagers bring home 2005 APAC sportsmanship award
Peter Heimer
Coach, English
On January 26, the Osaka Saber men痴 varsity basketball team traveled to Manila,
Philippines, for the three-day 2005 APAC basketball tournament at Brent
International School. This was the tenth year the tournament has been played and
the third time Brent has hosted the event. Though the team did not win any
games, the Sabers never gave up. They impressed all the opposing teams・players
and coaches and fans with their 渡ever say die・spirit and deservedly won the
Sportsmanship Award.
The Sabers showed their most competitive play at this tournament in the past
three years. On the first day of the tournament, Osaka lost two heartbreakers,
missing a last-second shot in each game that would have forced overtime. So, the
Sabers were nearly 2 - 0 on the first day rather than 0 - 2. Leg injuries to
three players over the next two days hampered the team痴 efforts. Had a couple
shots gone in on day one and had there been no injuries, the tournament outcome
would have been very different.
Junior Istvan Viczian was named to the all-tournament team. Viczian played
nearly every minute of the tournament - six games in three days. His effort
never decreased; in fact, he was taken to the medical office after the final
game and given oxygen・nd not a whimper of complaint from him. Another standout
player was junior Evan Shore, who played at point guard and yet was one of the
team痴 leading rebounders. Takahiro Nagao, the lone senior on the tournament
team, played in his final game as a Saber. Taka is a rare player, one who learns
quickly, makes few mistakes, plays any position asked of him, and hustles until
the final second of every game. He is also, more importantly, a wonderful human
being.
Coach Heimer and Coach Spurgeon congratulate the players for their extraordinary
effort during the season. We look forward to more wins at next year痴 APAC
tournament, which will be held in the Senri gym for the first time.
Special mention should be made of Senjun Tsuda, another senior who was selected
as a member of the APAC team but couldn稚 attend. His great play was missed.
Special thanks goes to the two team managers, OIS tenth graders Sakurako Sakaiya
and Mai Yanagisawa, who volunteered over 100 hours of service to the team. Mika
Tokuyama and Tasha Martin helped the team throughout the year as scorers and
timers. And Jumi Wada assisted the boys・team at the APAC tournament. Thank you,
managers.
Coach Heimer would like to thank Mr. Scott Spurgeon for his patient assistance
this year. Special thanks also goes to Activities Director Simon Parker for his
tireless help. Finally, thank you parents, faculty, administration, and business
office for your support and recognition during the season.
Members of the 2005 Saber APAC basketball team were Senjun Tsuda, Takahiro
Nagao, Taeman Song, Takuma Kozaiwa, Yusuke Mitobe, Evan Shore, Hero Dohma,
Istvan Viczian, Kay Aoki, Sean Neill, Ryo Nishikimi, and Seiji Okawa.
★舞洲クロスカントリー駅伝優勝
馬場博史
トライアスロンクラブ・ランニングクラブ顧問、数学科
■吹田市駅伝競走大会
1月10日(祝)万博記念公園で開催され、高校男子が2位に入賞、中学男子は9位でした。
<参加者>高校男子(4km×5名)小原一平
(SIS11)永田悠太(SIS10)小原大地(SIS10)真砂健土(SIS10)長田大毅(SIS10)、中学男子(4km×5名)花光照宗(SIS9)小澤悠(SIS8)亀井潤(SIS8)春名暢(SIS8)クック聖也(SIS9)、タイムキーパー松原由佳(SIS9)。
■茨木市民マラソン
1月16日(日)に万博競技場で開催され、学園から11名が参加、うち5名が入賞しました。
<入賞者>中学男子5km8位花光照宗(SIS9)、高校男子5km2位小原一平(SIS11)、3位永田悠太(SIS10)、30代女子5km5位廣田文野(カウンセラー)、40代男子10km2位馬場博史(教員)
<他の参加者>小澤悠(SIS8) 、春名暢(SIS8)、真砂健土(SIS10)、粘書王韋(SIS10)、小原大地(SIS10)、Christine
Syrad(OIS12)
■舞洲クロスカントリー駅伝優勝!!
舞洲クロスカントリー駅伝(各チーム5km×4名)が1月23日(日)大阪市の舞洲スポーツアイランドで開催され、45チームが出場、本学園選抜チームが見事優勝を成し遂げました。1区佐藤コーチが3位でタスキを渡すと、2区小原一平(SIS11)で2位に上がり、3区永田悠太(SIS10)で3位になりましたが、4区花光照宗(SIS9)が2人を抜き1位でフィニッシュしました!
■摂津市民マラソン
2月6日(日)に摂津市で開催され、本学園から14名が参加、うち3名が優勝しました。
<優勝者> 5km中学男子花光照宗(SIS9)、5km高校男子永田悠太(SIS10)、5km 10km一般男子佐藤直仁(コーチ)
<他の参加者> 3km高橋直人(SIS7)、5km小澤悠、春名暢、半田将一(SIS8)、Raymond
Terhune(OIS9)、小原大地、真砂健土、長田大毅、木村菜々子、田中雅子(SIS10)、10km馬場博史(教員)
■箕面市民マラソン
2月11日(祝)に第2総合運動場で開催され、本学園から19名が参加、うち11名が入賞しました。
<入賞者>3km小6女子1位Smantha Syrad、2位Shiori Ito
(以上OIS6)、一般女子1位斉藤真由美(OIS保護者)、5km中学女子2位松原由佳(SIS9)、男子1位小澤悠、3位春名暢(以上SIS8)、一般女子1位平井太佳子(教員)、3位中村麻理子(OIS保護者)、一般男子1位佐藤直仁(コーチ)、3位小原大地(SIS10)、10km一般男子1位佐藤直仁(コーチ)
<他の完走者>3km Yoshiki Nakamura(OIS3), Kento Saito-Baba
(OIS6)、井藤眞由美(教員)、5km亀井潤(SIS8)
、真砂健土、溝口智顕(以上SIS10)、南川朱生、高橋智彦(以上SIS12)、10km馬場博史(教員)
■吹田市長杯陸上競技大会参加者募集
吹田市長杯陸上競技大会が4月17日(日)に吹田市総合運動場で開催されます。小学4年生から大人まで参加可。参加費無料。種目等詳しくは馬場まで。
★高等部生徒会執行部選挙結果
2月16日に高等部生徒会執行部選挙が行われました。
SIS:会長 田中亮祐、副会長 真砂健土、会計 長田大毅、通訳 木村菜々子、書記 清水航。
OIS:会長 Hiro Dohma、副会長 Marie Asano、会計 Alisa Sweet、通訳 Takeyoshi Mizusawa、書記 Erica
Kitano。
(HS生徒会)
★編集後記
卒業生の担任として高等部卒業式を迎えるのは通算6回目、SISに来て2回目になります。自分の高校生のときのことを思い出して「贈る言葉」(P.4)を考えたのですが、今年の卒業生と過ごしたことで印象に残っているのは、運動会の優勝以外では沖縄への学年旅行でした。付添いの立場からすると、怪我・病気や事件などが最も大きな心配事でしたが、(T先生がころんで足を痛められた以外は)特にこれといって大きなことはなく、みんなと一緒に旅行を楽しむことができました。おかげさまで訪れたすべての島で、美しい空気・景色の中でジョギングすることもできました。特に竹富島を走っていたときに見た夕日は格別でした。旅行から帰った後、竹富島を舞台にした映画「星砂の島、私の島〜ISLAND
DREAMIN〜」も公開後すぐに見に行きました。見た人がいたらぜひ感想を聞かせてください。これからも卒業生の皆さんからの近況報告や記事の投稿をお待ちしています。(馬場博史)
インターカルチュアの担当になって早1年。記事を通して、本当にこの学園では、様々な活動が行われているのだと、再認識させてもらいました。それぞれの活動の中で見られる、生徒達の姿。その中で、最も感動するのが、高等部の卒業式で、胸を張って巣立ってゆく姿。卒業される皆さん、SISで自ら学び、身につけた力を活かし、それぞれの進路を切りひらいて行ってください。卒業、おめでとう!(志垣満理)
Senri International School Foundation, All Rights Reserved. Modified 2005/03/04