Interculture 90号 (2003年11月号) 抜粋

晴天に恵まれた運動会/留学体験報告/APACスポーツレポート・テニス本学園開催総合3位女子2位男子3位・野球2位、バレー女子3位男子4位

★All School Production 

大迫弘和
SIS校長

 今から思うとよくあのようなことが出来たとも思う。本校開校の年度1991年度のAll School Production(以下ASP)はなんと「食事つき」というものだった。シアターをレストランに仕立て、まずちょっとしたコース料理のような食事を取り、食事が終わるといよいよ第一回ASP『Night on Broadway』の幕が開いたのであった。翌年食事の場所はカフェテリアとし、食事後、ミュージカル『The Music Man』の中の有名な"76 Trombones"を声高らかに歌う生徒たちの先導でシアターまで移動した。そしてその次の年からは食事つきという形そのものを止め、現在のような形になった。

 今や恒例のSIS/OIS合同行事として多くの方々から高い評価を頂いているASPであるが、その裏には毎年関係の先生方の人知れぬ苦労がある。まず、演目選びが一苦労である。学校で演じられるのにふさわしい内容、一人でも多くの生徒が参加できる内容、そしてなによりOIS の小さな小学生からSIS/OISの高校生までが一緒に参加できるもの、といった条件を考えると、選ぶことの出来る演目の選択肢は決して多くはない。

 かつ、本校でのすべての事柄がそうであるように、国際学校固有の配慮も必要になる。1996年度の「The King & I(王様と私)」の上演にあたっては本校にお子様を送っていらっしゃるタイの方々から抗議があった。タイの方々にとっては絶対的な存在である国王を扱ったものであり、タイ国内では上演が許されない作品である。話し合いの中、最終的にはタイの方々は、タイの民族舞踊の場面のためきらびやかな民族衣装を貸してくださったり、上演にあたって、最も協力的なグループになってくださった。

 「日本語だったら参加できるのに」と思う生徒もあるかもしれない。しかし逆に「日本語だから参加できない」という生徒もあるのが本校である。SIS/OISのジョイントの際は英語が用いられることで、本校の突出した英語教育環境が生み出されていることを考え、英語にまだ自信のもてない生徒も、思い切って飛び込んでみて欲しいと思う。過去にそのような生徒があったように。

 ASPは学校行事であるのであくまで生徒主体で行われるのは言うまでもない。と同時に生徒だけでは出来ない部分については、91年度の第一回から先生方が裏方としてあれこれ手助けしている。だが、長い間先生方が一手に引き受けていた舞台上のセットの企画・作成を美術の授業「Stage Design」の履修生徒が行うようになったり、Stage Managerという役目を生徒が務め、ステージ上の進行を生徒自体がつかさどれるようにしたりと、生徒に任せることが出来る部分を、出来るだけ多くしていく工夫を続けている。

 生徒を裏から支えているのは、先生たちだけではない。たくさんの保護者の方々が毎年本当に申し訳なく感じてしまうほどにお力を貸してくださっている。

 また、主に、オーケストラの部分で、もう何年も前から、本校生徒では担当者がいない楽器、たとえばオーボエとかファゴットなど、また本校生徒の力が少し足りない楽器について、ASPの趣旨に賛同してくださっている外部の演奏者が、殆ど手弁当のような形で応援にいらしてくださっている。オーケストラは必要なときに必要な楽器の音が聞こえないとなんとも形にならないので本当にありがたく思っている。

 今年はモーツァルトの『The Magic Flute(魔笛)』が行われる。『The Magic Flute(魔笛)』について、その芸術性についてはご存知の方も多いと思う。そのような作品がASPとして上演できるのは誇らしいことと感じている。

 ただ、『The Magic Flute(魔笛)』には「夜の女王」という数あるオペラの登場人物の中でも演じるのが極めて難しい役がある。高音が連続的に続くアリアは専門的な訓練を受けた者でなくては歌いきれない。私がかつてイギリスの学校で見た『The Magic Flute(魔笛)』も、この役は外部の方が演じていた。本校も、この役については、SIS卒業生のお母様でもいらっしゃる著名なソプラノ歌手斉藤言子さん(神戸女学院大学音楽学部教授)にご紹介いただき、斉藤さんの門下生である岡田実里さん(神戸女学院大学音楽学部三回生)にお願いした。(斉藤言子さんは神戸女学院大学所有の『The Magic Flute(魔笛)』のオーケストラ譜もお貸しくださっている。感謝に耐えない。)また、SIS卒業生である水口健二君がタミーノ役で出演してくれる。水口君はジャカルタ日本人学校からSISに帰国生徒として編入し、音楽大学に進み、今もその道を目指し精進している。

 水口君、そして岡田さんの賛助出演を得て、本校生徒たちの『The Magic Flute(魔笛)』体験が始めて可能となった。夜の女王もタミーノも要の役のひとつなので、そのような役を生徒以外が演じることは初めてのことであり、迷いもあったが、その迷いは、進行中の練習風景を見て一瞬にして飛び去った。SIS/OISの生徒たちが水口君から、岡田さんから、いろいろなことを学び、吸収し、どんどん変化していきながら練習が進んでいたのだ。コラボレーションの中でしか実現できない生徒の学び、成長がそこにある。特に水口君はとても穏やかな口調でかわいい後輩たちに暖かい助言を与えてくれていたのであった。

 当日の発表も大事だが、そこに至るまでの過程で生徒たちがさまざまなことを学ぶことは、当日の「成功」よりもっと意味深い。

 今年はお父様方も今までになく多く舞台に上がってくださる。

 保護者の方々、卒業生、外部の方々に支えられながらの『The Magic Flute(魔笛)』体験を通し、生徒たちがどのように成長してくれるだろうか。楽しみにしたい。

 コラボレーション。開かれながら、生徒たちが「閉じられた形」では体験できない世界と出会うこと。そこでの生徒の成長。今年の形が今後のASPにどのような方向性をもたらすか、終えてみて見えることを期待している。

 最後にASPが、裏方の役をかってでてくださるたくさんの方々のご努力によって初めて実現できているという事実を、出演生徒をはじめ、すべての者が、感謝の気持ちを持って認識しなくてはならないことを、当たり前すぎることではあるが、記しておきたい。

★The Magic Flute 魔笛

 2003年度オールスクールプロダクション "The Magic Flute" 『魔笛』の公演スケジュールのお知らせです。この歌劇は、本校シアターにて、英語公演(日本語字幕)で行います。

12月4日(木)4:30 p.m. 開演
12月5日(金)6:00 p.m. 開演
12月6日(土)2:00 p.m. 開演 マチネー
12月6日(土)6:00 p.m. 開演 最終公演

 チケットは、11月13日(木)よりスクールサービスセンター(SSC)にて、お求めください。入場料は、本校生徒および12歳以下の小学生が500円、一般が1500円となります。前売り券完売の際は当日券を発券しますが、前売り券をお持ちの方が全員入場されてからのご入場になります。ご了承ください。公演に関するご質問がありましたら、大迫奈佳江072-727-5050までお問い合わせください。
 キャスト・オーケストラ・プロダクションスタッフのリストが学校のホームページhttp://www.senri.ed.jp/ASPmusical/でご覧になれます。千里国際学園・大阪インターナショナルスクールでしかできない"The Magic Flute"『魔笛』をどうぞお楽しみに!ご家族、お友達、お知り合い等、お誘いあわせの上、お越しくださいますようご案内申し上げます。

大迫奈佳江(プロデューサー・ディレクター)

★晴天に恵まれた運動会

 10月4日(土)晴天に恵まれ、SIS/OIS合同の運動会が開催されました。朝8:45からのOIS幼稚園・小学生の部に続き、10:45から全校生一斉のパレード。お昼休みのパフォーマンス大会をはさんでSIS/OIS中等部・高等部の熱戦が繰り広げられました。優勝は中等部が8年生、高等部が12年生でした。2003運動会プログラム

8:45 - 10:40      OIS幼小部運動会
                    8:45〜  ECP,1,2年生は体育館競技 3,4,5年生はプール競技
                    9:45〜  幼小部全員フィールド競技
10:40 - 10:45    全校生パレード(フィールド)
10:45 - 11:00    OIS幼小部閉会式 SIS/OIS中・高等部開会式
11:00 - 12:45     中等部ドッジボール/インドアホッケー、高等部ドッジボール/アルティメット
12:45 - 13:30    パフォーマンス(中庭)
13:30 - 15:20     トラック競技 1.障害物競走 2.ムカデ競争 3.ボトルリレー 4.綱引き 5.リレー
15:20 - 15:35    表彰式、清掃

★留学体験報告

たくさん貴重なことを学んだ
崎田智子
高等部3年

 私は2002年夏から一年間、アメリカのミズーリ州に留学しました。ホストが決まり、ミズーリ州と言われたとき最初に思ったのは「どこ?それ。」でした。出発前にホストとメール交換をしていて「すごい田舎だから覚悟してね。」と言われてました。どんな所だろうだろうと期待と不安いっぱいに私の留学生活は始まりました。

 成田から日本人留学生20人と出発し、テキサスからそれぞれの目的地まで単独で行くことになっていました。私が乗るはずだった便が悪天候のためキャンセルとなりテキサスで一泊することになりました。次の日も何便もキャンセルとなり予定より一日遅れで目的地に着きました。空港でホストに会ったときは送られてきた写真等とはずいぶん雰囲気が違ったので驚きました。

 疲れと緊張が取れないまま2日後に学校が始まると聞いて更に驚きました。ホストシスターに連れられ学校に行くとアセンブリーのようなものがあり、特に紹介されたりもせず、時間割だけを渡されました。教室がわからず校内を迷い、初日から授業に遅刻しました。あんな小さな学校でよく迷えたなあ、と今では思います。私のいた Chadwick High School は幼稚園から高校3年生までで250人しかいないとても小さな学校でした。もちろん日本人が来たのは初めてでした。授業は先生の言ってる事がまったくわからず隣の席の子に助けてもらったりしながらなんとか受けてました。私が入ったジュニアは16人ほどしかいませんでしたが、なかなか交流を持つ機会がなく、友達を作るのにはとても苦労しました。留学生だから向こうから話しかけて来てくれたりするのかなという甘い考えは通用せず自分から積極的に話しかけたりしないとだめでした。徐々にですが友達ができ学校生活はとても楽しいものになりました。しかし、留学というのはどちらかがうまくいけば片方がうまくいかず、この頃ホストとうまくいかなくなってしまいました。特にホストシスターとの仲が険悪になり、ホストチェンジも何回も考えました。誰にも相談できず精神的にすごく辛かったときに支えてくれたのは日本の家族と友達でした。何回も励ましてもらい本当に感謝でいっぱいです。結局最後までホストチェンジはすることなく、あっという間に一年が過ぎました。

 最初は英語目的の留学だったけれど、たくさん貴重なことを学んだ気がします。ホストとは険悪な時はあったけれど彼らから教わったことはたくさんあるし今ではとても感謝しています。アメリカでの友達とは今でもメールなどで連絡を取ったりしています。日本から支えてくれた家族そして友達にも本当に感謝しています。本当に留学できてよかったと思います。

Englandでの一年間
鳴澤智行
高等部3年

 僕がイングランドに発ったのは去年の8月の一番最後の日だった。 その日から翌年の7月25日に帰国するまでの11ヶ月間を、僕はロンドンから見て東に位置するKent州のChathamという町で過ごしました。Chathamという町は、Englandの他の多くの町にも共通することだけれど、赤橙の屋根と肌色の壁で出来た家が主に立ち並ぶ住宅街がそれほど区画の整理されてない地域に広がっていて、森や林や丘がその中にたまに唐突に広がっている、そしてその中心部にはやや大きめのショッピングモール(バスの活動範囲の中心地点を担う)とそれを取り囲むようにしてダウンタウンのストリート沿いに小規模のお店が立ち並んでいるといった感じ。住宅街の外はというと、唐突にというべきか森が広がっていてパッチワークのような莫大な牧草地がただただ広がっていて、馬・牛・羊がじっと牧草を食べている風景が隣の町まで続く。

 学校はChatham Grammer Schoolというところに行った。一般にいうと、Grammer Schoolと聞くと真面目な学校のイメージがあるが、僕が行った所はそうでもなくて、あくまでも生徒の自由意志を尊重したいという理念はあるようだった。僕が過ごしたEnglandでの生活は全体的にとてもゆったりとしたものだった。言葉ではうまく表せないけど、何か二つやることがあるとすれば、その間に微妙な時間の隙間があって、その間隔が日本よりも長くて、ゆったり感を感じたのだと思う。宿題を終えて、ベッドに向かうまで等、その隙間はいたるところにある。それは、時間だけでなく、建物の並び方にもいえると思う。例えば建物(家等)が一つの通りをはさんで向かい合って立ち並ぶという光景はどこでも見られる光景かもしれないけど、その間隔は日本よりも広い。通りの向かい側の家までの距離、商店街に立ち並ぶ店と店の間隔、全体的にスペースがある。これもゆったり感を感じる原因の一つだったのだろう。

 日本では一日に多くの事をこなすけど、イングランドではほぼ1つか2つぐらいで、朝起きて一日がそれらをするのに費やされて、大体夕方までにはそれを終えて一日が終わっていく、という具合で、確かにこまごまとしたことは色々とあるけど、大きな目標(タスク)は一日に1つか2つに限られている。つまり、それを達成してしまえば、あとの時間は好きに使うものとなる。のんびりするのもいいし、趣味にふけってもいい、テレビを家族で見る人もいれば、ボードゲームで遊ぶ人もいる。肝心の僕はというと、その時間をテニス、宿題、勉強、ギター、TV、バイオリン、メールを書いたり、色々なことを考えたりすることに使った。

 ベッドに入ってから寝るまでの間は色々なことを考えた。そのときに日本の事を思いだすことも多かった。ベッドから足がはみ出るたびに、飼い猫のチーに噛まれそうな気がして足を引っ込めて、その度にペット達はどうしているのか思いをめぐらせた。家族のことも良く考えた。日本にいた頃は家族の愛なんてそんなに意識したことは一度も無かったけど、そうして考える機会を与えられると、自分がどんなに母を、父を、姉を、そしてその他のペット達を愛しているのか分かってびっくりした。こうやって色々考えたものはイングランドで得られた最も大きなものの一つだと思う。

 最後に、これからイングランドへの留学を考えている人のために、率直に言うと、イングランドは留学するのに向いた国ではまったく無い。つまり、英語の上達を一番の目標においている人はイングランドに行くよりはもっと他の、オーストラリア等に行った方がいいだろう。僕がイングランドに行った理由は英語の上達も確かに含まれていたが、それよりもイングランドがどんな国なのかを知りたかったからなのである。建物、人々の考え方、学校教育、国の設備、体制、生活など、その文化そのものに興味を持っていたからイングランドに行ったのだ。なぜ英語の上達だけが目標なら他の国に行った方がいいかというと、イングランドは高校ともなると、アメリカよりも教育が専門課程に進んでいてずっと難しい。AS Level・A Levelの試験のためにHalf term(学期の途中にある2・3週間の休み)を丸々つぶして勉強するなんてざらである。イングランドそのものに大した興味が無ければお勧めはできない。授業でやることが難しいから普段使わないような難しい単語を覚えられるというメリットもあるけれど・・・。9月からだと一年中大体寒いから、寒いのが苦手な人はきついかもしれない。そんなわけでイングランドは留学そのものには向いてない国なのだが、僕はそんなイングランドで寒い日にChipsに塩とビネガーをかけて食べるのが大好きだし、友達とのんびり学校のCommon roomでしゃべるのも好きだし、帰りのバスから町並みを眺めるのも好きである。

 イングランドに行く人であれ、他の国に行く人であれ、英語の事ばっかり考えるんじゃなくて、もっとその国を見たり、自分を振り返ってみたりするいい機会だから、大切に過ごしてほしいと思う。僕にとってイングランドでの一年間はとても大きな経験となった。僕の留学を助けてくれたWYSのスタッフの皆さん、両親、毎日のようにのんびり一緒にテレビを見たホストファミリー、そして一緒に遊んだ友達、みんなのおかげだと思う。ありがとうございました。

テキサスでの一年間
白藤悠貴
高等部2年

 私はテキサスのFort Worth というところに一年間留学してきました。アメリカでテロ事件があった翌年だったので、なかなかhost family が見つからなくて心配しました。8月になりやっと電話が来たのはアメリカへ立つ一週間ほど前でした。

 テキサスといえば、cow boy のいる田舎だと思っていたのですがFort Worth は普通の町でした。テキサスの風景は山が全くなく、真っ平らで、同じような家が規則正しく並んでいる、広々としたところでした。視野を邪魔するビルなどは全くなく地平線の方まで見渡せるのが素敵でした。しかし、電車といえば貨物列車だけでバスもほとんど通っていない、車無しでは暮らしていけないのがとても不便でした。

 私の行った学校は正直に言うととても荒れたところでした。殴り合いの喧嘩が起こったり、ガラスを割る生徒がいたり、そのせいか警察も毎日見張ってました。生徒がドラッグを持ち込んでいないか確かめるために、警察犬も毎日来てチェックしていました。授業も結局、英語とアメリカ歴史以外は簡単なものしか取らせてもらえず、また簡単なクラスになると柄の悪い生徒が多くて苦労しました。一番ひどかったのはart のクラスでした。椅子や机をペンキで真っ黒に塗りつぶしたり、辞書とハサミがあれば切り刻んだりと信じられない光景でした。生徒やクラスによってレベルの違いが大きいのにとても驚きました。例えば、アメリカ史をとっている人達の読解力、読書力のすごさ、スムーズさに比べて、家庭科をとっている人達の力は英語圏の者とは思えない程ひどいものでした。子育てしながら学校に通う子や妊娠している子が多かったのにとても驚きました。こんな学校でもすてきなことはありました。一番嬉しかったのは、二人のかけがえのない親友ができたことです。この一年間ずっと、学校や授業のこと、ホストファミリーのこと、すべてのことで相談に乗ってくれ、落ち込む私を毎度励ましてくれました。一生懸命英語の発音や単語やgrammar をなおしてくれました。それぞれの宗教や人種的違いを乗り越えてできた友達は今までに作った友達とは違う、何か特別なものがありました。

 サッカーのクラスにも入っていました。メキシコ人やドイツ人がいて、いろんな国の言葉が飛び交っていたのが印象的でした。サッカーシーズンになると試合が毎週2回か3回あって、勉強と両立させるのがきつかったけれど、毎日のようにサッカーができて楽しかったです。

 NASSA, Fort Worth Zoo, John F. Kennedy Museum, Washington D.C. など、この留学期間にいろんなところへ、イチロー選手の野球の試合にもhost family や知り合いにつれていってもらいました。一番良かったのはNew Mexico のRed River に二番目のhost family と一緒にスノーボードをしに片道約10時間かけて約一週間行ったことです。スノーボードはもちろん、アメリカンインデアンのいろいろな伝統品が売ってあって素敵でした。そのなかでも馬の毛を混ぜて作った花瓶に引かれました。そしてなんとも言えないほどきれいだったのは、夜空の星でした。日本ではどこにいっても見ることができないようなあたり一面の星空でした。

 学校や環境、考え方などいろんな面で日本との違いを実感しました。中には「これはアメリカの方がいい。」と思うのもあれば「こういうところは日本のほうがいいなあ。」思うこともありました。他の国を知ることは自分の国を知ることに繋がると聞いたことがありますが、まさにその通りだと思いました。1年間という長くて短い期間、甘える親のいない中、初めての土地、family の中の生活には住んでその土地の人と触れあってこそ分かる、得ることのできる知恵や知識がたくさんありました。いいことも悪いことも含めて素晴らしい体験をしたと思います。

私の留学体験
藤田千晶
高等部2年

 私は2002年8月から2003年6月末までの約10ヶ月間、USA、VermontのWaterburyという所に留学していました。私は2001年の3月に初めて1ヶ月ほどUSAのMiddle Schoolに体験入学し、そこでの経験から是非もう一度そこで一年間を過ごしたいと思いを膨らませていました。幸い両親は私の考えに賛成してくれ、2001年の終わり頃にはWaterburyへの留学が決まっていました。

 今回も前回同様家族ぐるみで付き合いがあり、Middle Schoolの教師をしている独身女性の家にstayさせていただく事になり、その上留学するHigh Schoolは、前回行ったMiddle Schoolと同じ校区なので、友達や土地、ホームステイ先などがわかっており、他の留学生よりもはるかに恵まれた環境でした。だから、私は留学に対する不安もなく、同時に軽く考えてしまう面もあったと思います。前回の短期留学では何一つ大変だった事やトラブルなどがなかったので、今回もそのようにスムーズにいくだろうと思っていました。もちろんHost Changeや、友達が出来なくて困るなどという一般の留学生に多い悩みなども私からは程遠い物だと思っていました。

 ところが、現実はそう甘くはありませんでした。前回は1ヶ月という短期滞在であり、ゲストという扱いの中で、みんなが私に対して色々と興味を持ち、気を使ってくれたのですが、今回の滞在期間はほぼ1年、もうゲストではなく、クラスメートでしかなかったのです。このことによって、私は最初ショックを受けましたが、同時に旅行気分が残っていた私の考え方の甘さを痛いほど思い知らされました。

 また、授業内容が完全に理解できず、友達との会話も思うようにならない為、学校に溶け込めないのに加えて、Host Momともだんだん上手くいかなくなってきました。やはり前回の短い滞在とは違い、長い間一人暮らしをしていた彼女にとっては、1年間の共同生活に戸惑っていたのだと思います。私が両親と弟のいる騒がしい家族から静かな二人暮しになかなか慣れなかったのも原因の1つでした。ただ、彼女が好意で私を一年間も受け入れてくれている事もあり、その時点でHost Changeをしようとはまったく思っていませんでした。しかし、その年の終わる頃には必要最低限の会話しかなくなり、一緒に住んでいる他人のような状態に限界を感じ、ついにHost Changeを決意しました。

 幸いな事に、High SchoolのOfficeで働いていた人が新しいHost Familyになってくれることになりました。新しく移ったその家は前回とは正反対で、両親に子供4人、隣にはおばあちゃんが住んでいるという大きな家族で、そこで私は残りの約5ヶ月間を過ごさせてもらいました。また、この頃には学校生活にも十分に慣れて、今でも仲よくしている友人とも知り合い、本当に楽しい毎日を送れるようになりました。また家の子供たちはそれぞれ、18歳のお姉ちゃん、16歳のお兄ちゃん、8歳の妹、6歳の弟と年齢が離れているにもかわらず、毎晩その日にあった事を話しながら食事をしたり、週末にはみんなでご飯を食べに行ったり、キャンプに行ったりと家族で過ごす時間を全員が大切にしていた事は、おしゃべり好きの私にとって楽しかったと同時にとても驚きました。日本では高校生になると、家族で毎晩ごはんを一緒に食べ、週末を過ごすというのは珍しい気がします。むしろ家族で過ごすことに抵抗を感じる人が多いと思います。また、私もそういう一人だったと思います。しかし私がお世話になったCommo家では、家族と言うものは一つでとても大切なものなのだから、年齢がどうであろうと一緒に過ごすことが当たり前だと、一人一人が自覚していました。私はこの様な考え方にとても驚き、同時にこんな当たり前な事に今まで気づかなかった自分に疑問を感じたりもしました。みんなそれぞれ友達などと過ごす時間もあり、その上家族で過ごす時間を大切にしているのです。こんな当たり前だけど、とても大切なことを気づかせてくれたCommo家には感謝するばかりです。

この留学で私は、色々な事を学んだと思います。これもすべて、私を快く受け入れてくれたHost Family達や色々な事に協力してくれたり、助けてくれたたくさんの友達、留学の時の手続きなどを手伝って下さった栗原先生や小野寺さん、そしてもちろん私の気持ちをいつも尊重してくれた両親の力があってこそだと思います。

 この経験をこれからの人生に生かしていく事が、私のできる最大のお礼だと言うことを忘れずにいたいです。ありがとうございました。

★卒業生からの手紙

卒業論文報告
肱岡志保子
第5期卒業生、オハイオ大学大学院

 1998年卒業生の肱岡志保子です。2001年末から2002年1月にかけて、当時のSIS9−11年生の生徒の方達に私の卒業論文の研究に参加していただきました(異文化体験が ethnic identity の発達や適応にどのような影響があるか)。研究結果をInterculture に報告する約束だったのですが、気になりながらも延ばし延ばしになって、研究終了後1年半が経過した今になってしまいました。当時、参加してくださった生徒の方々は殆ど卒業してしまっていると思うので報告しても無駄かとも思いながら、やはり気になるので一応報告することにしました。

 この研究で私が興味があったのは、海外・帰国経験が日本の高校生の ethnic identity(民族/文化アイデンティティー)発達においてどのような影響があるのか、また、 ethnic identity と適応に相互関係があるのかという二点でした。日本にある帰国子女についての書籍には、帰国子女はいわゆるアイデンティティーの葛藤を経験するということがよく書かれています。例えば、アメリカに滞在している間は自分は他の人達とは文化的に違うということを感じながら、日本に帰国してみると周りから箔本人らしくない狽ネどと言われたり、どうも日本の文化に馴染めないと感じるその結果、自分はどこに所属するのか、アイデンティティーに疑問を持つという事なのです。しかし、この現象はシステマティックに研究されていません。そこで、海外・帰国経験が ethnic identity の発達にどのように影響するのか、またethnic identityの発達は適応に影響を与えるのかという事を、帰国生と海外在住経験のない生徒を比べる事によって調査することにしました。調査の結果、 ethnic identity の発達、適応は帰国生と海 外経験のない生徒との間に違いは認められませんでした。また、 ethnic identity の発達と適応の間に相互関係は見つかりませんでした。ただ、海外経験のない生徒は帰国生よりも頻繁に ethnic behaviors(自分の文化に関係した習慣や行事)に参加していることが分かりました。この調査では、帰国生と海外経験のない生徒との間に違いは見つけられませんでしたが、もっと多くのデータを集めれば違いが見つけられるのではないかと思います。

 この研究に参加してくださった生徒の皆さん、アンケート配布・回収に協力してくださったホームルームの先生方、セットアップを手伝ってくださった大迫先生、栗原先生、ありがとうございました。お陰で、卒論の研究を無事に終了することができました。2002年に卒論の口答試験を合格し、New College of Florida を卒業しました。また、この研究は、National Conference for Undergraduate Reserch でも発表させていただきました。

近況報告
 大学卒業後、カリフォルニアにあるNatinal Reserch Center on Asian American Mental Health で一年間、リサーチアシスタントとして働きました。この秋から、オハイオ大学で clinical psychology(臨床心理学?)の博士課程で勉強しています。

レコード会社で働いています
沢瀉美緒(Mio Omodaka)
第4期卒業生、エイベックス株式会社勤務

 卒業してからずいぶん経ちます。会社で、「学生の頃どんな行事があった?」という会話の中から久しぶりに学校の HPにアクセスしてみました。

 私達の代は割と東京と大阪でも、ちょくちょく会ったりしているのですが、7月の私のお誕生日に偶然親友、窪寺真理子から電話があり、「隣に大迫先生もいるから!!」と、久々にお話をしました。なんにもかわらないあったかい声に気分は高校生に戻りました。東京にいる子とは、たまにプチ同窓会を開いたりしています。おもしろいことには仕事の現場で、偶然遭遇したり…。

 私はもう卒業して8年近くになりますが、この頃、花嫁さんになる人も、ママになる子も増えてきました。私はというと、エイベックスと言うレコード会社で働いています。3年目なのですが、お仕事にもなれて、少しずつ楽しさもわかってきました。アーティストのインタビューやカバーを決めてきたり、編集部と企画を考えたり…。知らないところで私が決めてきた内容を読んでくれていることもあるかも…と思うとおもしろいです。たまにライブラリーにも置いてあった雑誌だ!と思っていることもありますよ!

 インターカルチュアのバックナンバーも久々に読んでみました。懐かしいお名前が沢山で、思わず画面を見ながら微笑んでいるに違いない!!と思って自分に自分で突っ込んでしまったり…していました。

 今日はこれから、m.c.A・T のプロモーションビデオを社内で撮ります。機会がある方は出来上がりを見てみて下さい!取り留めもなく書いてしまいました。弟、久雄もこの春から働きはじめました。早いものです。

★バイリンガリズム通信 11月号

難波和彦
英語科

コードスイッチングの文法- コードスイッチングについて-2

 前回コードスイッチング(CS)が、話し相手や、目的などによって、様々な形で起こることについて、書きましたが、今回からは、実際のCSの構造を見て、二つの言葉が、「チャンポン」状態で、むちゃくちゃにひっつけられて、混ぜこぜにされているのか、それともそこに規則性があるのかについて、考えてみたいと思います。

 前回引用したSISの二人のバイリンガル生徒の会話(オールスクールプロダクションを振り返って)の中に、次のようなものがありました。[例1] "K: 大道具だけじゃなくて小道具も!The props and their tiniest details! 客席からは見えにくかったかもしれないけと、すごくこってたもん And the costumes as well 一人一人にあうように作ったりして it was amazing!" ― 日本語と英語が交互に出てきますが、それぞれが文(または、それに近い節)単位で、現れていて、CSの変わり目は、文の変わり目になっています。これをinter-sentential CS (文と文の間のCS)と言います。次の例文を見て下さい。[例2]"R: I'm proud of my でっかい歌声,too"今度は、一つの文(英語)の中に、日本語が2語現れています。このパターンをintra-sentential CS (文の中でのCS)と呼びます。CSの構造にどんなことが起こっているのかを見るときに、この二つのパターンは、区別をする必要があります。なぜなら、例1のような文と文の間のCSでは、それぞれちゃんとした文になった日本語と英語を交互に使っているので、「むちゃくちゃになっている」という印象はうけないですし、そこに複雑な規則が存在することも考えられません。しかし、例2のような文の中でのCSでは、ひとつの文を二つの言語で作っているわけですから、なにやら複雑なことが起こっている可能性があります。この二人の会話のなかでは、両方のパターンが見られましたが、人によってこのどちらかのパターンをよく使うという傾向があるのでしょうか?

 バッカスという研究者が、オランダに移住したトルコ人のコミュニティーで、人々がどのように2つの言葉を使い分けているのか、24人のトルコ人に自然な普通の会話をしてもらい、そのパターンを調べました。興味深いのは、世代によってCSのパターンにある傾向がみられたということです。最近オランダに移民してきたばかりのトルコ人(つまり、第1言語としてトルコを話し、第2言語としてオランダ語を習得している途中の人)は、トルコ語の文の中に、オランダ語の名詞を1語などの単位で、挿入するパターンのCSをよく使いました。一方2世(つまり、生まれたときから、オランダに住んでいるので、家庭ではトルコ語、学校・社会ではオランダ語というように、二つの言語を同時に習得してきた生まれついてのバイリンガル)のトルコ人たちは、トルコ語とオランダ語を頻繁にスイッチすることが、見受けられ、特に文と文との変わり目で二つの言語が入れ替わることがわかりました。興味深いのは、上記のふたつの間をいくグループ、トルコ語に対して、オランダ語が対等とまではいかなくても、ある程度上達してきたひとたちは、intra-sentential CS (文中でのCS)をよく使い、トルコ語の文の中に、単語もしくは、ある程度まとまったオランダ語を挿入するパターンを使っていたということです。

 これをまとめてみると、二つの言語を話す人の間でも、第2言語が第1言語に比べて弱い間は、名詞などの挿入しやすい1語を自分の第1言語に入れるCSのパターンをよく使い、第2言語の力が伸びてくるに伴って、第1言語の中に、挿入する第2言語の量が多くなってきて、バランスのとれたバイリンガルにちかづくと、文と文の間のCSをよく使うようになる、ということになります。

 確かに名詞を1語だけ入れるのは、モノリンガルの人でもできることです。次のような例は、SIS/OISの中で、誰もが口にする「一語挿入」パターンのCSです。― [例3]桃。週はassemblyあるのかな・ [例4] "昨日休んだので、make-upしないとだめなんです煤Bこの二つの例は、SISの中でよく見られるパターンですが、外来語(loan words)というのは、最初はCSとして、誰かが日本語にはない言葉を英語等から取り入れ、それが何回も使われているうちに、日本語としてのステータスを獲得していき、それが日本語の中に定着したものだとも言えます。―[例5] "この本コピーしようか" [例6] 当セ日のフライトはキャンセルになったのよ・/P>

  一方文と文との間でスイッチをするということは、それぞれの文をきちんと言っている、つまり、どちらの言語もすぐに文を作れるレベルまでの力があるということです。このパターンを使う人が、バランスのとれたバイリンガルであるということも、(バッカスの例でいくと、オランダに住む2世のトルコ人の人々)ごく当然のことです。

 上記のふたつの間をいく嶋鼬黶E一文でなくまとまった何語かを挿入するCS パターン狽見てみるのが、一番興味深そうです。1980年代にPoplackとSankoffという学者が提唱し、その後大きな影響力を与えたCSの基本原則のひとつに、東齒の原則・Equivalent Constraint)とうものがあります。それは、鼎Sは二つの言語の語順を乱さないかたちで、行われる狽ニいう原則です。たとえば、[例7] "I was studying 教室で"というCSパターンは、「語順の原則」に逆らうので起こらないということになります。ここでは、本来 " I was studying in the classroom."というべきところの最後の部分 "in the classroom" が日本語に置き換わっているのですが、(場所を表す語+名詞句)と言う順番になるべきところを鍍he classroom=教室煤{妬n=で狽ツまり、[名詞句+場所を表す語]という順番になり、英語の語順が乱されることになります。こういうCSパターンは起こらないというのが、原則です。果たしてこのようなパターンは、起こらないのでしょうか?日本語と英語は、かけはなれた言語なので、語順がちがう部分は数多くあります。次のようCSはどうでしょう? [例8] I 歌ったthis song. これは、英語の語順に従っていますが、涛ョ詞が最後に来る狽ニいう日本語の語順には、反しています。このようなパターンはおこらないのでしょうか? 次の例は、私の子供のデータからのものです。[例9] No, I want to do this 自分で

梼ゥ分で狽ニいう部分は、英語の澱y myself=前置詞+名詞"の順番に反しているので、東齒原則"でいくと、だめということになります。しかし、実はこのパターンはよく見られるのです。この東齒原則"が最初に提唱されたときに、もとになったデータは、スペイン語と英語の間のCSだけだったので、日本語のようなかけ離れた言語のことは考慮に入れられていませんでした。

この原則でいくと、日本語と英語の間ではCSは、あまり起こらないということになりますが、実際はそうではありません。この語順原則だけでは、CSのパターンを説明しきれないということです。

 今度は、語順原則があてはまる日本語と英語のCSパターンを紹介しましょう。再び、SIS の二人の会話からです。[例10] "This was possible because Mrs. Osako先生がいたからこそ"

この例は、前回にも紹介したSIS10年生と12年生が、オールスクールプロダクションのことを振り返って、会話しているときのCSのパターンです。典his was possible because Mrs. Osako狽ニいうところまでは、英文としておかしいところがありません。この "Osako"という固有名詞を中間地点として、日本語の文が続きます。日本語の文もちゃんとした文です。結果として、"possible because" と"からこそ"という同じ意味を表す英語と日本語の表現が、繰り返されていることになります。"Osako"という英語とも日本語ともいえない固有名詞(もちろんもともと日本語ですが、英語の文のなかでこの名前を何かに訳すというようなことはしません)を境として、鏡のように、言葉が並んでいるのです。[@This was possible[Abecause [BMrs. [Osako] B先生]Aがいたから]@こそ](@、A、Bがそれぞれ対称的にならんでいます。)次の例文は、私の子供がテレビを見ていて、発した言葉です。[例11] [@It was like [ウルトラマン] @みたい]

この文も例10と同様に"ウルトラマン"という固有名詞を起点にして、同じ意味を表す英語と日本語が鏡のイメージのように、対称になっています。3つ目の例文は、イギリスで生まれ育った日本人家庭のバイリンガルの女の子(小学校1年生)の発した文です。ももたろうの話をよんで、それをあとから思い出してしゃべっているところです。[例12] "They gave a [こづち]を あげました" ここでは、唐アづち狽ニいう名詞(おそらく彼女は英語ではなんというか知らない)を起点にして、堵ave・と唐?げました狽ェ対称におかれています。そして、最後にもうひとつ、

[例13] [@We bought [Aabout [two pounds]Aぐらい]@かってきたよ]。 これは、カナダに住む日系2世の人同士が会話をしている例で、鮭を買ってきた話をしてるところです。ここでも、日本語と英語が対称になっているのが見て取れます。最後の例文を紹介した研究者西村美和さんは、このパターンを分析して、英語のS(主語) V(動詞)O(目的語) のパターンと日本語のS(主語)  O(目的語) V(動詞)のパターンの両方の語順を乱さないために、SVOVというパターンができあがったのだと、説明しています。日本語のS(主語)の部分が抜けていますが、英語では、S+V (主語+動詞)というところが、文の構成要素として、欠かせない部分であるのにくらべ、日本語では、S(主語)はあまり重要ではなく、文末のV(動詞)の部分が、最も重要です。だから、

この英語のSVではじまり、日本語のVで終わるパターンが、どちらの語順原則をも満たしているわけです。西村 美和さんは、このパターンを菟ortmanteau sentences煤Aつまり、痘シ開きのかばん狽フような文と呼んでいます。

 このように、日本語と英語のCSには、かなり興味深いパターンがあることがわかります。とてもユニークなパターンのようにみえるのですが、よく見てみると、きちんとしたルールにのっとっています。今回紹介したのは、CSについての、比較的初期のころの、しかしその後の研究には重要な話だったので、次回は、最近ではどのようにCSが研究されているのかについて書いてみたい思います。

 JALT(全国語学教育学会)のBilingualism部会の学術誌 "Japan Journal of Multilingualism and Multiculturalism" (多言語多文化研究)の今年の号に、"Use of Formulaic Language by a Japanese-English Bilingual Child: A Practical Approach to Data Analysis"(日本語・英語バイリンガルの子供の発話に見られる定式表現−データ分析への実践的アプローチ) が掲載されます。執筆者は、英国カーディフ大学のAlison Wray 教授と私の共著ということになっています。ここでは、詳しいことは書きませんが、興味のある方は、難波のほうまでお問い合わせください。

★学年だより

●中等部1年生
学年ホームページ
平井太佳子
保健体育科

 中学1年生のためのホームページをご存知ですか?最近更新を怠りがちですが、あのページを管理している平井です。中学1年生に関係するお知らせや近況を簡単に掲載しています。

 広く一般の方にも見ていただく為の学校のホームページとは性格が異なりますので、学校のホームページからはリンクしていません。直接アドレスを入力しなくてはなりません。今を去ること8ヶ月も前になりますが入学式の時にお渡ししたプリントにアドレスが書いてあったのですが、お手元にない場合はお子様経由でお尋ねください。できるだけ更新するよう頑張りますので、パソコンとお暇のある方は覗いてみてください。

●中等部2年生
難民問題を考えています
田中憲三
1組担任、数学科

 大変盛り上がった運動会では、我が8年生が中等部の優勝をみんなの力で勝ち取りました。おめでとう。今年の運動会はその準備段階から、パフォーマンス担当、ポンポン係、タオル係、Tシャツ係、うちわ係、旗係そして応援団の各グループに分かれて、仲良く楽しく活動できたようです。先日この行事の締めくくりとして、グループ別に運動会を振り返ってもらいました。以下その報告の抜粋です。来年度の参考にしてください。パフォーマンス担当:みんなで協力できた。朝練等で練習できて楽しかった。もう少し早くから練習に入ればよかった。ポンポン係:OISの人とも協力でき、仲良くなれたことがよかった。ちゃんと計画を立てて作業をすればよかった。タオル係:タオルをきれいな緑色に染めることができた。作業をする中で一致団結できた。染料を余分に買ってしまった。先に計算してから買うべきだった。Tシャツ係:染める作業が楽しかった。色落ちしたり、微妙に色が違ったりしたが、みんなが着てくれた。Tシャツに名前を書いてくれない人がいて返却に困った。うちわ係:放課後残って、うちわに緑色のペンキを塗るのが楽しかった。きれいなうちわができて、みんなが応援に使ってくれたのがうれしかった。うちわを人数分集めるのに苦労した。旗係:旗作りをしながらの友達との会話が楽しかった。本番の運動会で、作った旗をもっと活用すべきだった。応援団:いい感じの替え歌ができた。それをみんなで仲良く歌えた。協力して練習出来れば、なおよかった。

 次に、春の学園祭で上がった収益金の使い道ですが、夏休み前に、難民救済のために寄付をするところまでみんなで決めました。そして現在、学年をいくつかのグループに分け、各グループが難民救済のために活動している団体やNGOについて調査した後、お互い報告し合ってから寄付先を決める作業をLHRの時間を使って行っています。11月中には、寄付先の団体を決める予定ですが、同時にこのプロジェクトを通して、難民問題、国際協力のあり方、そしてこの問題に対して私達が出来ること等について、私も君達と一緒に考えてみたいと思います。

●中等部3年生 
学年旅行
Shammi Datta
4組担任、社会科

As I write this, it is still October 20th, and we are in the final stages of our grade trip preparation. The students on the Grade Trip Committee have demonstrated commendable leadership, organization, planning, and efficiency in running meetings. Coupled with good cooperation from the most of the other students, the preparation has been completed ahead of schedule. The shiori was ready two and a half weeks before the trip; small groups researched and presented to the whole grade on October 8th; and we will have the final presentation for the parents on the October 22nd.By the time this interculture gets published, the grade 9 will hopefully have had a memorable (and educational) trip to Hida Takayama, Shirakawa-go and Kanazawa (Oct.31-Nov.1).

●高等部1年生
委員会が花盛り
田中 守
1組担任、理科

 スポーツディの1日、10年生は盛り上がりました。次々といい結果を出していきました。昼休みのパフォーマンスも素晴らしいものでした。応援団も放課後暗くなるまで準備を続けていました。彼らのパワーみなぎる姿は気持ちのいいものでした。その陰にはスポーツディ委員の活躍がありました。お揃いのTシャツを企画したのも彼らです。ずいぶん前から準備を着々と進めてきた成果があらわれたんだと思います。そして今、ロングホームルーム(LHR)委員たちが動き始めています。LHRの企画と運営を担当する委員会なのですが、週末のお楽しみ企画まで手を広げています。芋掘り大会は残念ながらお流れになってしまいましたが、これからもどんどん提案してくれるそうです。せっかくの高校時代です。どん欲に楽しんでください。

 これまでにもいろんな委員会がありました。ちょうど1年前は、学年旅行委員会と卒業式委員会と新入生歓迎委員会が動いていた頃です。考えてみるとこの1年間、委員会がいっぱいです。うれしいのは、がんばっている委員の顔ぶれが毎回ずいぶん違うこと。最初は慣れないせいで、時には見ていられないぐらいハラハラドキドキさせられることもありますが、みんな見る見るうちに立派になっていくことです。その吸収力と適応力にはいつも驚かされます。感動します。それぞれの中にほんとにいろんな可能性が眠っているんだと思い知らされます。役割(=責任)が人を目覚めさせているんですね。

 自分たちの学校生活を自分たちの力でもっと楽しくて充実したものにする活動を、みんなで分担するのが、学年の委員会です。まだまだやれることはあるはず。もっともっと増えて、委員会が満開になってもいいかなと思います。そして次は、あなたの番?。まだ挑戦したことのないあなたも、飛び込んでみてもいいんじゃないかなぁ。

 来年の学園祭はどうするんだろう?。ぼちぼち高等部の学年旅行も考えとかないと…。みなさん。次はどんな委員会を作りますか?

●高等部2年生
失敗に学ぶ
土佐礼子
4組担任、理科

 高校生活の中盤を迎えた秋学期の始めに、4組ではそれぞれの将来展望を再度考えてもらいました。その上で、勉学面と活動・行動面について、学期の目標を書いてもらいました。学習面では、それぞれ自分の弱い科目についての予習・復習という基本習慣をしっかり身に付けるというのが多く、また時期柄、受験に向けての基礎知識を集めることや教科の基礎固めという点に意識が強いことが覗えました。それぞれが真摯に堅実に考えているようです。一方、活動・行動面では、受験に縛られることなく今だからこそできる活動に積極的に取り組んでいこうとする人も多く、これから残り少ない (高3の自由登校期間を除くと、ナントあと1年!)高校生活の中で両面のバランスをとりながら充実した時間を積み重ねていって欲しいと思います。この原稿が皆さんに届くときはもう冬学期。更に受験の実感も差し迫っているのではないでしょうか。今まで計画どうりいかなかったことも多いかもしれません。(何を隠そう、私自身は殆どいつもそうです。) 誰に言い訳するでなく、自分自身でなぜうまく行かなかったを考え、次に工夫を加えてみる。うまくいけば成功。またうまくいかなければ、また考えてみる。この繰り返し。???? ・ネ・You never fail until you stop trying.

 それにしても、この学校の生徒皆さんを見ていると、家庭でも学校でも皆さん個々の考えを最大限尊重してもらえるという本当に恵まれた環境にあるなあと思います。(勿論それぞれが固有の悩みを抱えていることは人間としてあたりまえのこと。)しかし、与えられた自由を当然のことと捉えたり、自由を与えられることを期待するのでなく、社会(コミュニティー)のルールやモラルの枠も視野に入れて、時には理不尽な境遇の中にあっても、自らの精神の自由をこそ目指してほしいと思います。これは私自身への呟きでもあります。

 最近読んだ本の中で平山郁夫画伯が云われたこととして「才能は悪い条件に抗して伸びるのではなく、悪い条件を常に利用して伸びるもの」、また「一寸何かがあって潰されるような才能は、何をしてもつぶされる」ということ。大変厳しいことですがまさにそのとおりでしょう。このような才能をもたない、自身を練磨できない教師の言葉は説得力を欠くことはとりあえず棚上げにして、やはりこれから成長していく皆さんには、失敗を重ねつつも失敗で終わらない道を切り拓いていって欲しいと思うのです。

 とはいっても、無論「努力は必ず報われる」というわけではありません。そこがままならないところです。ある意味で学校というのは努力は報われるという理想(あるいは幻想)を無意識に前提としているところがあるようです。(足りない努力を要求するのは当然、学校の義務でしょうが。)「自分の頑張りが報われたらいいなあ」くらいで、結果をあせらず、やはり努力・工夫を続けるのが良いバランスかな。無邪気で軽率な私などは、皆さんの数倍も年数を経てきて、失敗に失敗を重ねてやっとこのごろそう実感するようになりました(相当鈍い!)。よく小さな成功を重ねてその達成感を経験していくことの大切さが言われますが、下手をすると自己満足に陥りかねないとも思います。達成感は落とし穴になる場合があります。しかし失敗だけではつらいので失敗から学ぶ楽しみを見出すことが重要な鍵なのではないでしょうか。余談ですが、白川英樹さん(「導電性高分子の発見と開発」で2000年度ノーベル化学賞受賞)の研究の成功の裏には、学生の、文字どうり桁違いの失敗があったことは有名です。その失敗を失敗として捨ててしまわなかったことが大きな成功につながったわけです。そのころ大学の先生の間では、「とんでもない失敗をしそうな学生に来て欲しい」という話もあったとか。田中耕一さんも同じような経緯で成功したことは記憶に新しいことです。

 失敗は確かに悔しくつらいけれど、失敗から学ぶことのほうが多く、深いのではないでしょうか。特に学生の間は失敗も許されるのが大きな特権。でも私の授業を受けている人、「頑張ったんですからですから努力は認めてください」など催促しないでね(一応「ハイ、ハイ」と云ってはあげますが)。頑張ろうが頑張るまいがそれは自分の勝手。それがどう評価されるかは、他人や世間に委ねるしかない。これが現実。

 世の中は確実に変わり、自分自身も気づかぬ間に変化する。その変化にどれだけ柔軟に対応できる力をつけていくか。これからがその基礎体力をつけていく時期でしょう。

●高等部3年生
忝(かたじけな)いと思う気持ち
福島浩介
4組担任、国語科 

 また、インターカルチュアの記事を書く順番が回ってきました。

 先達て、LHRの時間に、本校の卒業生であり、また、本校で教職員として働いていらっしゃる三人の先輩たちの「高校三年生の冬の過ごし方」のお話を聞く会を持ちました。お話いただいたのは、日本語科の谷川先生、社会科の南先生、土曜学校・JFKの事務の岩見さんです。全員が帰国生徒なのですが、受験の方法として、国立一般、私立推薦、私立一般という違いがあったので、ほとんどの高三生徒諸君の立場をカバーしていただけたように思います。お三人ともに、よいアドバイスを下さり、また、生徒の質問にも的確に答えていただいて、大変有意義な時間が持てたと担任一同感謝しています。生徒諸君にも、本校の先輩たちの話、二十代の先生方の話、ということで、担任がする話よりリアルに伝わったのではないかと思います。

 高校三年生は、推薦入試も本格的に始まり、けっこうばたばたとしてきています。18年前の私の時には、一月の「共通一時」にならないと受験は始まらなかったものですが、近年では、夏休み明けすぐから3月くらいまでながーく続きます。早くから結果が出るモノ、最後にならなければ試験すら始まらないモノ、いろいろです。みなが少しずつ優しい気持ち、他人の心を想像する力を持って、助け合い、支えあう仲間として最後の冬を過ごして欲しいものだと思います。場合によっては、受験・進学のことで頭が一杯になり、他のことまで気が回らなくなってきている生徒も出てきます。卒業するまでは、本校の高校生ですので、学校の勉強・行事にプライオリティーがあります。また、自分の力だけで受験・進学ができるわけではなく、保護者の方々の援助、学校・担任・教科の先生の力添えがなければ、出願もままなりません。その点を肝に銘じて、なおかつ最大限に、自分の目標に向かって努力して欲しいものです。いろいろな人に、助けてもらうときには忝いと思う気持ちを忘れてはならないと思います。「やってもらってあたりまえ」と思われているのでは、やっている人は浮かばれません。

 そういえば、最近、とある人物が「尊敬していない人に対して、敬語を使う必要を感じない」などとのたまっているのを聞きました。この発言はちょっと聞いたところ「格好よく」響くようですが、単にその人物のそこの浅さを露呈している言辞に他なりませんねぇ。敬語というのは、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つがあるのですが、あくまで待遇表現の一つとして、人間関係を円滑にするため、人の気分を害さないように、相手の言動を「よいしょ」したり、自分が「へこへこ」したり、丁寧な言葉遣いをしたりという言語行動をとるわけです。たとえば、「する」というサ行変格活用の動詞は、敬意の度合いは、+−0の状態です。これを、「なさる」「させていただく」「します」「しやがる」「してやる」etc.と変化させることで、自分の相手に対する態度を表明するわけですねぇ。そういう訳で、待遇表現の変化は、あくまでその個人個人の価値判断、品格に発する度合いの高いものなのです。先の人物は、「敬語」の意味を取り違えている(尊敬しているから敬語を使うわけではない)上に、自分に品がないことを露呈している、もしくは品がない人物であると判断されても仕方がない、という二重の愚を犯しているわけで、可哀想ですね。

 では、寒くなってきましたので風邪などひかないように。体調管理も受験生の大きな仕事の一つです。お後が宜しいようで。

★JTUちびっこ・ジュニアトライアスロン教室(千里国際学園会場) 参加者募集

 水泳・自転車・ランニングの3 種目がバランス良く組み合わされたスポーツ=トライアスロン。このすばらしいスポーツを、日本代表ナショナルチームコーチ・選手が楽しくわかりやすく紹介してまいります。日本のトップ選手、コーチに直接指導を受けられるチャンスです。この機会にぜひともトライアスロン競技を体験してみてください。

◆開催日 2004年2月15日(日)
◆開催場所 千里国際学園
◆主催  社団法人 日本トライアスロン連合(JTU)
◆特別協賛 キョーリン製薬株式会社
◆主管 大阪府トライアスロン協会
◆後援 千里国際学園、千里国際学園トライアスロンクラブ
◆スケジュール
8:30-9:00 受付
9:00-9:20 開校式・オリエンテーション
9:30-10:15 ランニングレッスン(トライアスロントレ−ニング等)
10:15-10:30 着替え
10:30-11:45 スイムレッスン(アクアスロン等)
11:45-12:00 閉校式
◆参加対象 小学1年生〜中学3年生の健康な男女 ◆定員 30名
◆参加費用  無料 (主催者負担にて規定の傷害保険に加入いたします。)
◆申込方法 参加ご希望の方は申込書及び誓約書を下記サイトよりダウンロードし、必要事項をご記入の上、郵送またはFAX にて下記事務局までお申し込みください(FAXでお申し込みされた場合は、誓約書及び申込書を当日受付にお持ちください)。
◆締め切り 2月8日(日)必 着
◆申込先 大阪府トライアスロン協会内 ちびっこ・ジュニアトライアスロン教室 〒565-0862 大阪府吹田市津雲台3-2-A-6-109 川坂方 TEL/FAX06-6833-6820 公式ホームページ http://www.osaka-triathlon.com/juniorschool_senri.html
◆問合せ 社団法人日本トライアスロン連合 ちびっこ・ジュニアトライスロン教室事務局 TEL03-5469-5401 FAX03-5469-5403

★APACテニス本学園開催総合3位女子2位男子3位

中尾直子
テニスコーチ、保健体育科

APACテニス
 秋晴れの大阪でAPACテニスが行われました。ホームステイを引き受けてくださった方、食事のご用意をして下さった方、審判をして下さった方、その他多くのボランティアの方々に助けられて、ホスト校として無事開催できましたことを心より感謝いたします。大会結果は以下の通りです。
 総合 3位、女子2位、男子3位
 個人 女子シングルス2位 上田瑠香(SIS9)、女子ダブルス優勝 溝口絢子、錦美文香(SIS11)、混合ダブルス2位 伏見康介(SIS9)、藤本彩(SIS12)

箕面市秋季種目別市民大会テニスジュニアの部
 11月8日(土)に箕面市第二総合運動場で、秋季種目別市民大会テニスジュニア(小6〜中学生)の部が開催されました。種目はシングルスのみで、男子は118名、女子は84名と多数参加しての激戦でした。本学園からこの大会に初めて5名が出場し健闘しましたが、その中で上田瑠香さん(SIS9)がベスト8に入りました。<他の参加者>伏見孝介、福田浩平、田中亮祐、溝口智顕(以上SIS9)

★APAC野球は2位

相良宗孝
野球コーチ、保健体育科

 今年から新しくAPACスポーツになった野球は、本校、CA、北京、上海の4校で、上海アメリカンスクールで開催されました。会場の野球場はいつも狭いグランドでしか練習できないわれわれにとっては、眼を疑うかのような、外野はもちろんのこと、内野まで天然芝をきれいに敷き詰めた最高のグランド、まさにスタジアムでした。

 大会初日の第1ゲームは大会ホスト校の上海対本校。生徒数2000人以上のマンモス校の学校代表チームとあって打者は皆大きくてとてもパワフル!しかし、われわれのチームは、自分を犠牲にしたチームプレー、緻密なサインプレーで圧倒し、13対3で勝利!その後の北京戦も延長の末なんとか勝利を収めました。

 そして、決勝まで進んだわれわれの相手は、予選で唯一敗退しているCAでした。

 決勝は最初からお互い一歩もゆずらぬ、とてもレベルの高い好ゲームとなりました。逆転に次ぐ逆転、まさに決勝にふさわしいゲームになりました。結局延長2イニングス目に力尽き2位に終わりました。

 優勝は出来ませんでしたが、最高の舞台で最高のパフォーマンスを見せることが出来、本当に満足なAPAC野球トーナメントでした。

★APACバレーボール女子3位男子4位

女子バレー部バンザイ!
斎藤美葉子
高等部3年

 私達は6月から厳しくも優しい指導の下、一生懸命に練習を重ねてきた。初心者から、もう5年も続けているベテランまでいるチームは最初から最後までとても仲がよくて、まとまりのあるチームだった。そして10月21日、3ヶ月の練習を経て選ばれた12人の選手達は大阪に残るチームメイトの声援を受け、北京で開催されるAPACへ、「2年連続優勝」という目標を掲げて旅立った。揺れまくる飛行機からなんとか無事降りて、少し冷える北京に到着した。最初の夜は、ちょっと高級そうな中華料理店で、激安の豪華料理を食べたり、偽者のブランド品を死に物狂いで値下げしたりして楽しんだ。次の日も万里の長城の長い階段を皆で上り、よりチームワークを強めて翌日からのAPACに気合十分となった。

 そしてついに始まったAPACトーナメント。第一試合はホームチームの北京。1セット目は取ったのに2セット目からはボロボロ…。こんなことが起こってしまったのはシーズン始まって以来だと思う。何かがおかしかった。みんな自分の普段のプレーができなかった。2試合目のブレント戦も同じだった。私は「ブレント、北京に負けたんじゃなくて、自分たちで自分たちをつぶしてしまった」と思う。悔しくてしょうがなかった。そして試合後に先生達から厳しい渇を入れていただき、チームワークや自分達のプレーを再確認して3試合目の上海戦。やっと自分達のプレーができて一勝。多くの課題が残った初日だった。みんなそれぞれのホームステイに帰ってシーズンが始まったときからつけているノートをじっくり見直して、次の日に備えた。気合を入れなおして2日目はソウルとCA戦。ソウルは粘り強くボールを返してきたが、私達も絶対にひろい負けしなかった。CAにも勝ち、準決勝へ進んだ。そして迎えた最終日。準決勝は初日に敗れたブレントと。みんなが一生懸命プレーした。1セット目をとって、2セット目は取られたが、3セット目は取り返し、4セット目はまた取られた。そして最後のセット。最後まで僅差の戦いをしたが惜しくも敗れて、私達のファイナルへの道は閉ざされた。みんなで泣いた。悔しくてしょうがなかった。そして気を取り直して挑んだ3・4位決定戦はきっちりソウルに勝って、3位という成績を残すことができた。試合の後、ミーティングをして、先生達から一人一人に言葉をかけてもらった。みんな涙が止まらなかった。練習が厳しかったり、きつく怒られたり、負けて悔しかったりしてシーズン中はそれまでにも何度もみんな涙を流してきた。だけどこのときは、最高のチームでプレーできた喜びと、その終わりが悲しすぎて出てきた涙だった。

 今年女子バレー部からは12年生が7人も卒業していく。でも来年は必ず悲願の優勝を遂げてくれることをみんなが信じている。最後になってしまったが、2人のコーチ、平井先生と森先生への感謝は忘れてはならない。手がかかる大量の子供達をときに厳しく、ときにとてもやさしく、そして温かくまとめてくれたお母さんのような平井先生。すごく厳しくて、大きな声で怒られたり、変なあだ名をつけられたりしたけど、落ち込んでいるときには笑わせてくれたり、いつも私達のことを考えてくださったお父さんのような森先生。先生達の存在は私達の中でとても大きいものです。本当にお二人には感謝の気持ちでいっぱいです。最高のコーチのもとでバレーボールをできたことを私達は絶対に忘れません。女子バレー部全員から「ありがとうございました!」を送ります。バレー部バンザイ!!!

APAC BOYS VOLLEYBALL 2003
Simon Paker
Volley Ball Coach, P.E.

The Volleyball tournament this year took us to Beijing and the beautiful campus at ISB. Following a disappointing year last year the boys team had made a lot of progress during the season and shown a lot of promise against some of the local schools.We travelled to China knowing that the competition would be tough but in good spirits. On day one of the round robin phase we started well with a resounding victory over Shanghai American School and then in the second game looked like causing an early upset by taking the first set from Seoul Foreign School. Unfortunately however we lost our way a little in the second and third sets and lost the game narrowly by 2 sets to 1. The final game on day one put us up against Brent School from Manila, the perennial favourites to win the tournament and this year playing with a couple of boys standing 2m in height. We found ourselves a little overawed by their hitting power and despite playing some excellent defence lost the game 2-0. Day two of the competition saw us defeat CA easily before losing narrowly to the hosts ISB. These results left us in fourth place in the standings and in a play off with fifth place for a spot in the semi-finals and another chance to play Brent on Saturday morning. We easily ran out 3-0 winners of the play off with Shanghai and went home with a feeling of a job well done and eagerly awaiting a semi final game on Saturday. We saved some of our best Volleyball of the week for the game with Brent and pushed them all the way narrowly losing 25-23, 25-22 and 25-20. We managed to get both hitting and defence working well in tandem with Hiroshi Kibata and Ian Sawyer providing the power and Kenji Tomita, Tomohiro Hata and Yoshiyasu Ogawa working some miracle defensive plays. The defeat left us in the 3rd/4th place play off game with Seoul Foreign School and unfortunately after more great work from our guys we just lost leaving us in 4th place overall. Despite being a little disappointed to lose this one the team were definitely happy with the significant improvement from last year. Myself and Mr Driskill were very proud of the way the students conducted themselves, both on and off the court. They were a shining example of all the good things at our school in terms of both their effort and committment to the games as well as their sportsmanship and good manners. Finally to congratulate Ian Sawyer and Hirosh Kibata who were voted on to the tournament all star team - a great achievement.

We would like to thank all the boys for their hard work throughout the season, in particular to the captain Ian Sawyer who has been a first class leader throughout in every aspect. We would like to acknowledge all the seniors too who have given up so much time over the last few years and take this chance to wish them all the very best in their chosen futures.

★3000m、1500mでまた学園新記録

馬場博史
トライアスロンクラブ顧問、数学科

■大阪中学総体陸上競技の部
 10月11日(土)万博記念競技場で開催され、SIS中等部3年の永田悠太君が3000mで9分52秒という素晴らしいタイムで自らの学園記録を16秒も更新しました。
■吹田市長杯陸上競技大会
 10月19日(日)吹田市総合運動場で開催され、SIS中等部3年永田悠太君が中学男子1500mで4分40秒の学園新記録で2位に入賞しました。<他の参加者> 100m Kento Saito-Baba (OIS5), 100m&200m 清水航 (SIS8), 1500m 小澤悠&半田将一 (SIS7), 1500m&3000m 花光照宗 (SIS8), 3000m 永田悠太
■阪神クロスカントリー大会
 10月26日(日)西宮市甲山森林公園で開催され、本学園からの参加者すべてが6位以内に入賞しました。中学女子1.8km2位岩本麻里3位吉積彩(SIS8)、中学男子3.6km2位花光照宗4位清水航5位井藤航太(SIS8)6位小澤悠(SIS7)、高校女子3.6km1位加賀奈穂子2位細谷花(SIS11)、高校男子5.4km2位 Ryota Taya 3位 Keita Ito (OIS11)、壮年男子7km5位馬場博史(教員)

★新ボランティアクラブ紹介

「It's a Small World」
仲谷 環
高等部2年

 こんにちは! ボランティアクラブ「It's a Small World」は活動を始めて2ヶ月がたちました。 現在、「紙を無駄なくつかおう!」紙のリサイクルに取り組んでいます。私達は途上国に学校を建てるのを最終的な目標にし、学校へ行くことの出来ない貧しい子供たちの奨学金を集めたり、老人ホームを訪ねたり、町をきれいにするためのごみ拾いや募金活動を企画しています。服や文房具も集めて必要としている人々に送る予定です。 

 メンバーは、SIS11年の仲谷環と小山亜里沙をはじめ、細谷花、藤田千晶、李智陽、池永真央、村井仁美、河合律子、吉田明弘、7年生の栗岡亮平、パーマー・レイモン、石神宥真、宮本麻央、森英里子、阿部真夕。OIS11年のジェームス・ビューリー、神澤悠太です。Ms.Pfeifferが顧問の先生をしてくださっています。笑いとやる気が耐えない私達はこれからも色々な活動を行います。ボランティアに興味のある方は気軽にメンバーに声を掛けてください! 

 もうすぐお正月です!去年出さずに余った年賀状や宛名や文面を間違えて、出せなくなったはがきはありませんか? 250枚集めるとタイ/ラオスの子供が1人、1年間学校に行くことができます。お正月明けに回収しますので、年賀状やはがきは取っておいてください!!

 さあみなさん!一日一善。クリック募金からはじめましょう!!http://www.dff.jp/index.php

「Paso a Paso(パソ・ア・パソ)」
大竹美紗子
高等部2年

 ツキノワグマをご存じですか?アジア地域に生息する黒くて大きな、胸に白い三日月の様な模様のある熊です。日本などでも生息が確認されているツキノワグマですが、今中国でこの熊達がある危機にさらされています。

 中国の奥地、地方の農家などで冷蔵庫ほどの狭い檻の中に閉じ込められた熊が7000頭以上います。このような農家を俗にクマファームと言います。ファームの人に捕まった熊はその腹部から出る胆のうに繋がるチューブから、漢方薬になる貴重な胆汁を一日2回採取されます。お腹の痛みも去ることながら檻の中は狭く自由がありません。入れられたら最後熊は一生檻から出られません。同じような事象がアジア全体で起こっています。熊達がこの状況から脱出する術はないのでしょうか。

 ファームの人たちにも生活があります。保護団体の人がお願いしてもなかなか熊を解放してくれません。解放出来たとしても熊を保護し自然に帰していくための活動にもお金がかかり、何よりもこの実態を知っている人は実に少ないのが現状です。

 「Paso a Paso(パソ・ア・パソ)」は主に水曜日活動していますが、部員の都合によって調整しています。主に動物保護とそのアピールを活動の目的としています。前回の学園祭では中華ドーナツ「開口笑」を調理販売し好評でした。売り上げは香港にある Animals Asia Foundtion アジア動物基金に送られます。Animals Asia Foundation はクマファームの熊解放の為に活動する動物団体です。今後もこの団体を支援しつつインターナショナルフェアへの出店と募金活動、レッドデータアニマルズに関するリサーチ報告、などを考えています。顧問は Jane Shepherd 先生、現在メンバーは大竹美紗子(G11)榎皆実(G11)立川奈央(G11)大川知子(G11)松岡悠子(G7)佐々木愛(G7)橋本光起、(G7)リー・シャオアイ(G7)津高鞠絵(G7)の9名です。新入部員も歓迎します。興味がある人は11年4組大竹美紗子にお願いします。

★SISプレゼンテーション大会のご案内

大迫弘和
SIS校長 

 スクールカレンダーの2003年12月12日(金)に「SISプレゼンテーション大会」というものが予定されていることにお気づきでしょうか? 音楽・美術などの教科では生徒の学習成果の発表の場があります。しかし他の教科では、生徒が素晴しい内容の発表をしていても多くの人にそれを見ていただく機会がないことを考え、今年度、初めての試みとして行うことにしたものです。
 授業の中で行われたプレゼンテーションのいくつかが、シアターを会場として、生徒・保護者・教員の前で発表されます。皆様のご来場をお待ちしております。

 日時:12月12日(金) 午後4時―6時 場所:本校シアター

★インフルエンザに注意!

弥永千穂
保健室

 冬になると寒さと乾燥に強いウィルスが悪さをします。そのためかぜやインフルエンザが流行します。かぜをひいたなと思ったら自分の体に休養と栄養を与えましょう。どんな薬を飲んでいてもこれなしではよくなりません。またこれができていればかぜやインフルエンザにかかりにくいのも事実です。そしてインフルエンザを知ってもらうことも予防の第一歩になるでしょう!

Q1インフルエンザの流行は? 12月から2月くらいまで。

Q2インフルエンザの予防方法は? @予防接種(近くの内科、小児科で12月始めまで。)A十分な睡眠、休養B栄養(バランスのとれた食事)C外出後の手洗い、うがいD室内を乾燥させない(加湿器を使用するなど)E人ごみをさける 

Q3インフルエンザの症状は? 突然の高熱(38度以上)、頭痛、悪寒、全身の痛み(鼻水、のどの痛み、微熱で始まるものはかぜです。)

Q4 インフルエンザにかかったかも・・どうしたらいいの? 上に書いた症状がでたらすぐに内科、小児科を受診。抗インフルエンザ薬によって高熱などの症状から早く回復できます。

★<理科> SPP報告

斉藤 数
理科

 10月31日(金)に今期第2回目のSPP(Science Partnership Program)を大阪大学理学部で実施しました。 「太陽電池はどこまで進化したか?」のテ−マで、小林光先生(大阪大学大学院理学研究科(兼任)/産業科学研究所・セラミック機能材料研究分野・教授)による半導体と太陽電池の原理についての授業の後、大学院生の実験助手の方たちの指導のもと、湿式太陽電池の実験および、LEDと太陽電池を使っての光通信の実験をしました。

 参加生徒は44名、保護者1名、付き添い教員4名で賑やかで楽しく実験を行いました。現在阪大理学部3年生の本校卒業生、井上愛子さんも飛び入りで手伝ってくれました。

 なお冬学期の予定は次のとおりです。

 12月8日(月)13:30〜15:30。テーマ:「燃える氷!?メタンハイドレート」。講師:大垣一成先生(大阪大学大学院基礎工学研究科・化学工学分野・教授)。概要:化石燃料に代わる次世代のもっとも有力なエネルギー源と考えられるメタンハイドレートの分解および燃焼実験を行い、基礎と応用について考える。

 1月27日(火)13:30〜15:30。テーマ:「原子力・核融合と放射性同位元素」。講師:篠原厚先生(大阪大学大学院理学研究科・化学専攻・教授)。概要:二酸化炭素の放出抑制には非化石エネルギー源の開発が必要であるが原子力発電はそのひとつである。その発電原理を学び、放射性同位元素の基礎理解を深めるためガイガー検出器等を用いた実験を行う。そこから自然界における放射性同位体の諸現象と化学の関連性を理解し、その安全な応用についても考える。

★<生活科学> 2003年春学期「環境にやさしいプロジェクト」

溝口智顕 伊丹夏子 木村奈々子
中等部3年

 今回のHFLの「環境にやさしいプロジェクト」では、何をするかという話し合いがとても長かったです。最初のころは、植林という意見が出たので植林について話し合いました。しかし、自分達の手で植林をするのは難しいから、募金活動をして募金しようという事になりました。いろいろな募金活動のやり方を話し合っている間に、募金活動だけでは物足りないという事になってしまい、植林ではなくほかのテーマについてやろうという事になりました。

 テーマを決めるところから再スタートです。その結果、ごみ問題というテーマに決まりました。ごみ問題についてHFLの授業で何ができるかについてはいろいろな意見がいっぱい出て何にするか決めるのにさらに時間がかかりました。その中でいらない紙の回収とごみ掃除をやりたい人が結構いたので今回はごみ掃除といらない紙の回収をすることになりました。そこで今回はごみ掃除班と紙回収班の二班を作りました。それぞれの活動を班単位でするよりも、それぞれの班をメインとして2つの活動をクラス全員でするほうが充実感がある!というある人の発言にクラスが動かされ、決定しました。そこで、班の中で1人ずつリーダーを決め、リーダーを軸として活動が始まりました。リーダーの役目は、スケジュールを決め、業者や役所と連絡を取って許可をもらう事などです。

「ごみ問題」グループでは、最近箕面市はカラスが大量発生しているという話になり、北公園のゴミ箱にカラス対策を加えよう、という方向向かって走って行きました。でも、北公園の管理人さんと連絡を取り、私たちの目的を説明すると、「それはちょっと無理だなぁ」と断られてしまい、カラス対策案はあっけなく取り消しになってしまいました。でもその管理人さんは北公園の掃除ならなんとか許可を与えることができる、と話してくれ、結局目的は「カラス退治」から「ゴミ拾い」へと変わりました。そして私たちは金曜日なら生活科学の時間が2時間続けである、ということで春にしては少し暑い天候のなか北公園でゴミ拾いを開始しました。みんな3−4人のグループに別れ、ゴミ袋を手にして散らばってゴミを回収しました。 私ともう一人のフリースタッフ(リーダーグループ4人をそう呼んでいた)でみんなが集めてきたゴミを分別する係だったので、軍手をはめて必死にボトルやらコンビニ弁当の入れ物やらを掴んで分別しました。

 その最中カラスに襲われかけたり、ゴキブリが飛び足してきたり、いつのまにか得体の知れない虫のような物体が手にくっついていたなり大変どきどきする仕事でした。

 ゴミ探し?拾い?を開始してから約一時間後、みんなで集まって私たちの拾ったゴミの量を眺めてびっくりしました。 今はそれほど覚えていないが、多分ゴミ袋6−8袋分くらいのゴミは溜まっていたと思います。まぁそれなりに?感動したあと、北公園のゴミ箱付近に積み重ね、学校へ戻りました。結局、掃除は合計2回ほど実行するつもりでしたが、雨のため予定変更になり、もうひとつ計画していた「校内掃除」を3回ほど行うことになりました。

 この校内掃除は、最初の一回は自分たちで掃除の必要がありそうな箇所を見つけ、箒やちりとりを持って掃除しましたが、2回目からは誰かが「出張クリーニングなんてどうよ?」と提案してくれたのでそれを行うことになりました。その「出張クリーニング」というのは、先生方に掃除をしてほしいところがあれば伝えてください、と朝のミーティングで宣伝し、そのリクエストが私たちの行動範囲内に入っていれば掃除を行う、というなんとも便利な案でした。リクエストを集めて一週間後、できるところと無理なところを分別し、できる場合はその場所の担当の先生にもう一度確認し、掃除を実行しました。 私たちフリースタッフはずっと再生紙班のために集めた必要の無い教科書などを分別するのに手がいっぱいで、掃除には参加できませんでした。みんなの話を聞いてみると、一番大変だったのが体育館とグラウンドへと続く階段周辺だったみたいです。

 体育館は埃が大量に溜まっていて、泥というか埃まみれになって担当者たちが帰ってきました。体育館を担当していたクラスメイトに集めたゴミを見せてもらうと、ほとんどが埃の塊だったので驚きました。階段周辺はグラウンドから上がってくる人たちが運んでくる砂が散らばっていて大変だったようです。そこは用務員さんからのリクエストで、毎日その砂のおかげで苦労しているそうだ。みんな掃除から帰ってきたらものすごく疲れていて、汚かったー、もういややー、とか愚痴っていたけど、やっぱり綺麗になったのが自分たちのおかげだ、と考えてみると嬉しいみたいで、私からみたら極数人の人たちを除いてみんな凄くいい表情をしていました。でもみんなもう掃除はうんざりでした。

 私たちは北公園と学校の掃除をすることで、「ゴミ問題」の深刻さを悟りました。そして、そのゴミ問題も世界の環境破壊へと導く因縁だということが分かりました。一人世界を救えることをしよう、と考えていても、それは恐らく無理でしょう。だが、私たちのように一緒に問題に取り組んで、その問題の深刻さを理解する時ににチームワークが生じるからこそ環境破壊を防ぐための何かができると思います。だから!みんなポイ捨てをやめて、無関心捨てを始めよう。私はこの「環境にやさしいプロジェクト」を通して、環境について学べたことはもちろんですが、それ以上に、このクラスのみんなで協力して何かを最後までやり遂げられたということ、そして、この学校にいるたくさんの人達にも協力してもらえたということだと思います。

このプロジェクトを進めるうえで、私たちが苦労した点はたくさんありました。プロジェクトのテーマ決め、その中から私たちに出来ることを探すこと、そして本当にそれが実行できるのかを考えること。また、実際に活動を始めてからわかったいくつかの問題。その他にもいろいろと苦労をしたところがありました。

 しかし、私が一番苦労したと思うのは、いろんな先生方から回収した教科書の表紙についているビニールを取る作業のことです。ビニールはリサイクルできないので、資源として使える紙とは分別しておかなければならなかったのですが、そのことを知ったのは、業者さんのところへ持っていく二日前のことでした。教科書を回収してすぐに全部のビニールを取ってしまっていればそれほど大変でもなかったはずでしたが、ほとんどの教科書をひもで結び、業者さんの所に持っていく準備をしてしまってからでは、大変な作業でした。クラスみんなで教科書をくくったひもをほどき、ビニールの部分を取り、またひもでくくりなおしました。

 私は、この時に私たちのクラスでの一番のチームワークを見ることができた気がします。みんなで協力し、一生懸命がんばったおかげで1時間と少しで全ての作業が終了しました。とても慌しい最後でしたが、無事に業者さんのところに持って行くことができました。そして、この2ヶ月間に学校の皆さんから協力してもらって集めた紙の量は350kgにもなりました。お金にできなかったのは残念でしたが、みんなで最後までやり遂げることができたのはとても嬉しいことでした。

 最後になりましたが、次の方々には特にお礼を言いたいと思います。紙を業者に持って行く時に車を出してくださった中村亮介先生。その車を運転してくださった大迫亜朗さん。掃除をする場所を与えてくださったcleaning staffとカフェテリアの皆さん。掃除道具などをいつも貸してくださった用務員の方。この紙を集めるために協力をしてくださった各HRの先生方と生徒の皆さん。皆さん、本当にご協力ありがとうございました!!

★<社会科> 日本史校外学習SIS Japanese History Field Trip

ダッタ シャンミ
社会科

 SIS高等部1・2・3年生の日本史クラスは、10月15日 (水) に京都へ校外学習に行きました。京都駅ビルの屋上で京都の町の全景を眺めながら、京都の歴史を簡単に復習した後、「幕末と京都」と言うテーマで、二条城を見学しました。自然と建築の調和、平安時代から近現代の京都の建築や庭園ついて見学すると共に、参加者にとって高校生活の楽しい思い出の一つになったようです。

★編集後記

 APACテニスで5試合の審判をしました。久しぶりだったので少し緊張しましたが、選手が気持ちよく試合できるように「フォルト」「アウト」の判定やスコアを正確に言うことを第一に心がけました。大過なく終わってほっとしています。でもやはり審判よりは自分でプレーをする方が楽しいですよね。実は以前の勤務先で軟式テニス(現「ソフトテニス」)の顧問をし、生徒と一緒にプレーしていたのです。今はときどきつき合いで硬式テニスをしていますが、グリップは軟式テニスの時のままです。硬式も楽しいですが、思いっきりボールをひっぱたける軟式もまたやってみたいです。(馬場博史)

 同じ広報委員でも、馬場先生とは違って慢性運動不足の私でしたが週一回の太極拳のクラスをはじめました(まだ数回行っただけですが)。続けられるようにがんばりたいです。スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋…。皆さんの秋はどれ?(井藤眞由美)