Interculture 81号(2002年5月号)抜粋

★She is mine.

大迫弘和
SIS校長

 ある日の午後のこと、校長室の前の廊下にちょうど歩き始めたばかりくらいの小さな可愛らしい女の子が、一人でぺたっとお座りをしていた。手に小さなお人形を持って。

 (あれ、おかあさん、どうしたのかな?)

 できるだけ優しい笑顔で声をかけた。

 "Where is your mum?"

 しまった!

 金色の髪の女の子の碧色の目に、さっと不安の表情が走った。一人ぼっちでいるときに、黒い髪の黒い眼の東洋人の男に話しかけられるなんて、彼女にとっては人生最大のピンチだ!

 いけない、なんとかしなくては。

 「お名前、なんていうのかなぁ?」

 優しく優しく、できるだけ優しく。

 しかし、事態は更に悪化。女の子の目に涙がたまり始めた。

 かつて英国で暮らしていたとき、その生活の初めのころ、当時4歳だった娘はイギリス人のお客さんがあると、母親の後ろに隠れ母のスカートのすそを握り締めていたものだった。外国人に話しかけられるということが小さな子供に与える不安。

 大丈夫、心配しないでね、そう話しかけ始めようとしたとき、OISの保護者でいらっしゃる長身のお母様が、小走りにやってこられた。そして軽く微笑まれながらこう言われた。

 "She is mine. Thank you very much、Mr.Osako."

 女の子は、両手をママに向かって差し出しながら"Mummy!"と大きな喜びの声で叫ぶ。そして待っていたママの胸に抱かれた。

◇◇

 僕の中にひとつの表現がいつまでも消えずにある。

 She is mine.

 僕は英語の学習を通学した横浜の公立中学で始めたので、昔はそれしかなかったというような、ごくごく普通の極めて日本的と思われる英語教育(SISで行われている英語教育とは全く異なるもの)を受けてきた。だから、はい、一人称の格の変化は「I,my,me」それに所有代名詞のmineを加えて「I,my,me,mine」ですよ、暗記しましょう、といった具合で、英語を覚えてきた。僕はこれまで心の中で何回「I,my,me,mine」と繰り返したか、その数はもはや数えることはできないだろう。

 そして、これまで数え切れないくらい呟いたmineという単語が、これほどまで、深く、僕の心に刻まれたことはなかった。なんと言えばいいのだろう、はっとした、と言うこともできるし、ずしーんと心に響いた、と言うこともできる。しかし、もっとも単純な言い方をするなら、僕は、感動をしたのだ。

 詩人吉野弘は"I was born"という英語の表現に出会うことにより一編の美しい散文詩「I was born」を書いた。『確か 英語を習い始めて間もないあだ。』で始まる「I was born」という詩は、受身形で与えられた生を、しっかりと自分の生として主体的に引き受けていかなければならい、そのような生の根源的意味を、生誕の神秘を通奏低音にしつつ詩の言葉で私たちに伝える現代詩の傑作のひとつであるが、その詩のきっかけは、"I was born"が「受身形」であるという『文法上の単純な発見』にあった。

 僕は、今、吉野弘のように、詩の言葉で、僕の感動を書き記すことはできない。しかし、とても単純な英語の表現に出会い、生に関するある本質に気づかされた、という意味で、吉野弘の『発見』と、同質のなにかを感じている。

◇◇◇

 "She is mine."

 そうはっきりと言えるのはだれか。

 答えは明らかであろう。

 私たちは母親のおなかの中で羊水にぽちゃぽちゃとつからせてもらっていたわけだが、母親にとっては、詩「I was born」の言葉を使うならば『――――ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――――』というように、自己の存在の全体を埋め尽くしたものとしてわが子は胎内にあるのだろうから。そのような者だけが、所有代名詞「mine」を、使える。

 父親はどうだろう。"She is mine."と言えるとは思うのだが、母親がそう言うのとは、微妙な差があるような気がする。みなさんはどう思われるだろう。

 日々、子供たちと共にある先生という仕事にある者はどうだろう。分かりきったことだが、子供たちは先生の所有物であるはずはない。生徒と教師の関係において一番基本にあるのは、一人の人間と一人の人間としての一対一のtieの関係だ。授ける者―学ぶ者の関係も、その基本的関係の上に成り立っていなければならない。

◇◇◇◇

 『ひとあどうぶつ 行動観察じてん』という日本タヌキ学会会長である動物学者、池田啓氏の絵本を読んだ。人と動物の行動形態の様々な一致を面白おかしく描く。その最後のページは、これも人も動物も同じということで『おかあさん、おとうさん、ここまでそだててくれてありがとう。いもうとよ、おにいちゃんはもういってしまうぞ、さらばじゃ!!』という風になっている。動物の場合は「分散(dispersal)」というそうだ。人の場合は、ひとり立ち、独立、旅立ち、巣立ち、自立、親離れ、etc.

 いろいろな言葉が浮かぶが、いずれにせよ、"mine"であった子が、いつかは、一人で歩み始める。

 親にとって大切なのはmineがいつかはdispersalするということをしっかりと認識しておくこと、mineがいつかはmineでなくなるということをしっかりと認識しておくこと。そして、子は、一人で生き始める日が来ても、かつて自分が大切な人の"mine"であったということを忘れてはならない。

★第9期生(Class of 2002)卒業式

 高等部第9回卒業式が、3月9日(土)に本学園の体育館にて挙行されました。好天に恵まれ、春の訪れが感じられるあたたかい日差しを受けて80名の卒業生の皆さんがSISを巣立っていかれました。

 卒業証書が授与される時には、80名の卒業生の一人一人がそれぞれ選んだ自分だけのBGMが流されました。クラシックあり、ポップスにハードロック、レゲエもあれば、六甲おろしまで流れてくるというユニークなもので、選曲をした人の個性や卒業していくにあたっての気持ちがよく表れていたと思います。

 ご多忙のなか、小林公平理事長あ学園長、福田あ彌副理事長による心温まる祝辞をいただき、それに続き大迫校長、そしてOIS中高等部部長のサール先生が、卒業生たちへの熱いメッセージを送られました。

 大迫校長による、「かけがえのない自分を大切に」いうことばは巣立っていく卒業生の皆さんの胸にあらためてしっかり刻まれたことと思います。

 在校生代表の井上咲姫さんと森坂綾乃さんによる送辞のなかで朗読された詩はとても美しいものででした。答辞は2種類で、ひとつめは林奈緒美さんと金季実さんのふたりによる6年間の思い出をたっぷり含んだ心に染み入るものでした。今年韓国と日本で開催されるサッカーのワールドカップに先駆けて…ということばが示すように振袖とチマチョゴリを着て壇上に立つ二人の姿はとてもはなやかで輝かしかったです。もうひとつの答辞は太田竜太郎君によるもので、彼の正直な熱い思いをかたる答辞は、参列者のみなに笑顔と涙を誘うものでした。

 ボネット先生の指揮によるHSストリングスの演奏Beauty and the Beast (卒業生のリクエスト曲)の流れるなか堂々とした表情で80人の卒業生が退場し、中身の濃い、和やかな卒業式が終了しました。

★2001年度大学等合格状況

2002年4月10日現在
進路情報室
2001年度卒業生徒数80名+過年度生徒数19名(含在大学しながら別の大学/留学試験を受験)=計99名
過年度生徒分で,不明・無回答も若干あり.数字は,全てのべ人数.内( )名は,指定校推薦入試合格生徒数.内[ ]名は,夜間主コース合格生徒数.

学校名

合格者数

現役

卒業

〈国公立大学他〉

大阪外国語大学

2[1]

筑波大学

2

京都市立芸術大学

1

京都大学

1

信州大学

1

神戸市外国語大学

1

防衛大学校

1

鹿児島大学

1

京都工芸繊維大学

1

九州芸術工科大学

1

埼玉大学

1

〈私立大学〉

立命館大学

16(2)

2

上智大学

10

関西大学

8(3)

2

京都外国語大学

9

関西学院大学

5

3

関西外国語大学

7

同志社女子大学

5

1

龍谷大学

4(1)

神戸女学院大学

3(2)

1

慶應義塾大学

2

2

近畿大学

1

3

甲南大学

2

1

甲南女子大学

2

青山学院大学

2

宝塚造形芸術大学

2

明治大学

2

酪農学園大学

2

中央大学

1(1)

1

立命館アジア太平洋大学

1(1)

関西国際大学

1

京都女子大学

1

高知工科大学

1

国際基督教大学

1

神戸学院大学

1

神戸親和女子大学

1

早稲田大学

1

大阪電気通信大学

1

同志社大学

1

武庫川女子大学

1

大手前大学

1

京都精華大学

1

成安造形大学

1

聖和大学

1

追手門学院大学

1

東京農業大学

1

東京理科大学

1

日本大学

1

北里大学

1

〈私立短期大学〉

大阪信愛女学院短期大学

1

白鳳女子短期大学

1

〈専門学校〉

なし

〈海外の大学他〉

Temple Univ.(日本・米)

3

The College of William and Mary(米)

1

Univ. of San Francisco(米)

1

ペルージャ大学(伊)

1

ベローナ・ダッラアバコ音楽院(伊)

1

…他結果待ち…

〈就職-その他〉

なし

★7ヶ国語で宣誓  第十二回入学式

 今年の春は桜の開花が早く、入学式までもつかと心配されましたが、桜がまさに満開であった4月3日(水)、好天に恵まれて第12回目の入学式が挙行されました。華やかなバンド演奏と大きな拍手に包まれて中等部1年生(7年生)の新入生53名、高等部1年生(10年生)の入学生78名(内部進学者58名含む)、そして編入生7名の計138名が、温かく迎えられました。

 恒例の生徒宣誓、今年は7ヶ国語で行われ、福井麻衣さん(7年、日本語)、クーナーリサさん(7年、英語)、梁太紀君(7年、朝鮮語)、中元美里さん(7年、ドイツ語)、村井仁美さん(10年、タイ語)、辻健三君(10年、中国語)、辻明日香さん(10年、インドネシア語)の7人が、堂々とそれぞれの言語で世界人あ宣言の精神に基づいた生徒宣誓を行いました。

★中等部卒業式

 3月12日(火)に中等部の卒業式がシアターで行われました。簡潔ななかにもほのぼのとしたアットホームなあたたかさのあるよい卒業式でした。

 ほとんどの人が高等部への内部進学をするなか、家庭の事情で九州のInternational Schoolへいくことになった椿舞綾さんへ暖かい励ましの拍手が送られました。

 菅野雄太君によるソロピアノ演奏、杉原末里子さんによる独唱「マイフレンド」が、さらに卒業の気分を感動的に盛り上げてくれました。

★ベトナム・ホーチミンでの5日間  2001年度高2学年旅行

委員長より
秦 裕徳
高等部3年

 僕たちは修学旅行で3月14日から18日までベトナムの南部にあるホーチミンに四泊五日でいってきました。参加者は64人で引率の先生が6人と旅行社の方が2人の合計72人です。初日は午前11時くらいの飛行機で四時間くらいかけて向こうの空港に着いたのが夕方の4時くらいで、ホーチミン市内を軽くバスの窓から見学しながらホテルに行きました。ベトナムに着いての第一印象は「暑い」という言葉以外に思いつきませんでした。飛行機から降りた瞬間に30度以上の風が…。そして何よりもビックリしたのがモーターバイクの多さ。これは行ったみんなも思ったことだと思います。バスから外を覗いて見るとバイクバイクバイク…。ビックリのあまり「どこ行くんですか?」と日本語で話しかける(叫んでる?)友人の姿もありました。と、このような感じでベトナム旅行の初日は幕を閉じたのですが、二日目、三日目、四日目に関しては、プログラムごとに行動したので各担当者から説明してもらいます。五日目は四日目の晩に飛行機に乗って翌朝六時過ぎに到着し解散するだけでした。この五日間は参加した人それぞれにそれぞれの思い出ができ、それぞれが色々な事を勉強して、それぞれが色々な人と交流してすごく充実しス旅行になったと思います。

 計画の段階で色々ともめごとがあり、保護者の方からの鋭い指摘なども受けて完成したこの修学旅行に対して参加した皆は行って良かったと感じ、旅行委員も一年かけて計画した甲斐があったと感じていると思います。最後にこの旅行を実現させて下さった保護者の方々、旅行の担当を引き受けて下さった新見先生と他5人の先生方、色々現地と連絡を取ってくれた阪急交通社の方々や他にもいろんな形でこの旅行に携わってくれた方々、ホームページを作ってくれた横山君、どうもありがとうございました。おかげでとても楽しい旅行になりました。com on ahn

副委員長より
角田 瞳
高等部3年

 私とこのベトナムの修学旅行との関わりは1年前の3月にさかのぼります。それがいつのまにか副委員長という、学年の人たちはもちろん、委員会そのものをひっぱっていく立場になり様々な問題に直面することとなりました。どこまでを旅行委員の範囲として旅行をつくればいいのか?旅行委員以外の人たちのアイディアを引き出しどんどん旅行づくりに「参加」してもらうにはどうしたらいいのか?また旅行委員会の進め方や組織づくり、役割分担など委員会の運営にもずいぶん悩みました。やめたいと思ったことは数知れず、一度などやめると宣言したこともありました。自分の能力や素質(?)のなさに嫌気がさし、他の人にあを立て、自分はなんて無力なんだろうとつくづく情けなくなった時期もありました。それでも少しずつ旅行委員会の中から動きがおき始め、そのうちその動きが委員以外の人たちをも巻き込むようになってきたことはとても嬉しいことでした。あれもしたい、これもしたい。私の学年から生まれたこの修学旅行は、つぎはぎだらけだったかもしれないけれど、私たちの思いがいっぱいつまったものになりました。けれどベトナムにいるとき私は心のどこかで違和感を抱えていました。何かが違う…。アれがこれまで1年かけて目指してきたゴールだったのか?これが私の期待していた旅行なのか?そしてそのときふっと気がついたことがあります。確かに旅行という最終目的を果たすためにこれまでにやってきたのだし、当然のことながら旅行そのものは終着点には違いありません。けれど私にとっては、ベトナムでの4日間よりもそこに行き着くまでの委員会のあゆみがもっともっと重要だったのだと。そして旅行当日はこれまでの1年間分の素敵な「おまけ」だと思うようになりました。そう考えるとなんだかこの旅行のどの部分もすべてがとても大切なもののように思えてきて不思議でした。また同時にベトナムは私にとって初めて訪れる(日本以外の)アジアであり、この旅行が、「アジアの一員としての自分」がアジアと関わっていく始めの一歩になれば、と思っています。

書記より
津高絵美
高等部3年

 私達の旅行先がベトナムに決まった時点ではまだ誰もベトナムについて語れやしなかった。何度も調べても、本当にベトナムのイメージがつかめたのかは疑問だった。今から考えてみれば、ベトナムに足を踏み入れて初めてベトナムが解ったように思う。委員会の中で大変な作業だったベトナムが、大好きな存在へと変わった。その経過を紹介したい。

 まず、最初に乗ったバスから見えた風景が衝撃的だった。クラクションとバイクの波が私達のバスを、上手いことすり抜けるのだ。私はその波に圧倒された。バイクには私より若そうな人も乗っている。長い座席に改造したものには5人の親子で乗っていた。「みんな頑張っているんだ!」私は漠然と思った。

 ベトナム戦争プログラムでは、戦争証跡博物館へ行った。私達で企画した「戦争体験者の話を聞く会」には3人もの体験者の方々とドクさんが参加してくださり、歓迎してくれた。私は感激した。なぜなら離れた2つの国の人がお互いをRespectしながらここにいるのだ。内心、話を聞くだけでなにになるのか?と思っていた私は、話を聞き、感じることで、実現が難しい「平和」を実現する鍵を得たと思う。

 学校交流プログラムでも大歓迎を受けた。住所の交換をしたり、文化の事からプライベートな事まで話したりと、楽しい時間を過ごした。このプログラムは、ベトナムの文化を知る良いきっかけとなった。そして、自分の世界が文字通り広がり、見知らぬ環境でもなんとかやっていける自信がついたと思う。

 その後の買い物時間に私はショックを受けた。妹と同じ10歳位の少年がココナッツを買って!と売りに来たのだ。よく聞く話かもしれないが、間近で見てしまうとかわいそうという感情しかなくなる。この感情が貧困撲滅活動へのエネルギーとなるのだと思ったと同時に、貧しい中でも頑張っている少年達から元気をもらったと思う。自分も頑張らねばと。

 メコン川クルーズでは、美しい自然に触れた。その一方で、多くの工場をも目にした。発展の方法として容易なのは分かるが、残念だ。一方で「先進」国として、先進国が他の方法を示す必要性も感じた。

 こうして私は、色々と考えさせてくれ、多くの出会いをくれたベトナムが好きになった。本当に元気をもらったと思う。旅行者だから楽しいと思えたのかもしれないが、その中でも感じた事を忘れずに大切にし、これからもふくらませて行きたい。

ベトナム戦争担当より
伊藤 愛
高等部3年

 ベトナム戦争をより詳しく知る。それがこのプログラムの目的です。ベトナムの将来を大きく変えた、ベトナムを知る上では無視することの出来ない、戦争という名の民族独立運動。ベトナムの地でベトナム戦争を知るために選んだ場所は、クチトンネルと戦争証跡博物館です。

 クチトンネルは、ベトナム戦争当時、南ベトナム解放戦線が拠点を置いていたクチという町にあるトンネルで、地下の要塞として使われていました。今も当時のまま残されており、"戦争"という状況を知るには良い場所です。トンネルは地下三階構造になっていて、全長はとても長く、細く、まっすぐな所がありません。トンネルが細いのはアメリカ兵が入って来られないように、蛇行しているのはトンネルの構造が分かりにくいためなのだそうです。私達もトンネルの中に入りましたが、トンネルはしゃがまなければ頭を打ってしまうほど狭く、また明かりがあるのにとても暗くて、怖くてトンネルに入れなかった人もいた程です。戦争当時は明かりもなく、文字通り真っ暗な中で生活していたのだそうです。地上を歩いていても、あちこちにB-52の爆撃跡があったり、トンネルの秘密の入り口があったりしました。

 戦争証跡博物館では、ベトナム戦争関連の展示物を見るとともに、戦争証跡博物館の館長さん、政治犯として服役した経験のあるフォンさんとルォンさん、枯葉剤の被害を受けたドクさんの4人からお話を伺いました。館長さんは大まかなベトナム戦争の話を、フォンさんとルォンさんは、戦争当時のフランスやアメリカに対する抵抗運動や投獄された経験について、またドクさんは兄のべトさんとの生活や将来のことについて話して下さいました。「自分もみんなも大変だったけど、ベトナム民族は独立できた」と言ったフォンさん。「フランスやアメリカはベトナム人の心からの愛国心に負けた」と言ったルォンさん。ベトナム戦争は、その思いを貫くための戦争であったのかもしれません。

市内観光担当より
末吉なつ香
高等部3年

 市内観光は生徒7人、先生2人、旅行社の国方さん、計10人の最少人数のプログラムとなりました。人数が少ない分、プログラム内容を決める段階から自分達の意見を通しやすく、より一人一人の希望に沿ったものになったのではないかと思います。まず私達が行った所は、南ベトナム政あ時代の旧大統領官邸である『統一会堂』です。現在は一般公開されていて、当時の大統領のゴージャスな生活ぶりがうかがえる豪華な部屋や、美術品が数多く展示されていました。次の歴史博物館に行く前には、『聖母マリア教会』で記念撮影できました。とても大きな教会で、内装のきれいさに驚きました。そして『歴史博物館』。ここではベトナムの古代から現代までの仏像や食器等の骨董品が多く展示され、中には日本や中国その他アジアから伝わった物もあり、アジアのつながりを感じる事ができました。次に向かった先は『ビンタイ市場』です。広い敷地ではあったのですが、店と商品が所狭しとひしめきあい、通路は人一人が通れるスペースしかありませんでした。ベンタイン市場と違い、観光客向けでなく現地の人の市場なので、観光客だからといって店員の愛想が良くなるわけでもなく、値段はベンタイン市場より少し安いようナす。市場を後にした私達は昼食をとり、その後『ドンコイ通り&レロイ通り散策』の開始です。通りには靴屋、雑貨屋、服屋、喫茶店など色々な店が建ち並び、道には多くの物売りの人達がいました。店員の多くが日本語を少し話せて、日本人観光客の多さを感じました。この後はベトナム戦争プログラムのメンバーと合流して戦争証跡博物館の見学をしたので、ここで10人の市内観光は終わりです。市内という限られた場所ではあったけれど、今日一日で色々な所をめぐり、多くのことを学ぶ事ができ、本当に良かったです。

学校交流担当より
横川 梓
高等部3年

 世界の高校生は一体どんなことを考えているのかな?これは私にとってものすごく興味があることでした。異なった環境の中で育ち、異なった教育を受けてきた彼らは、日本の高校生についてどう思っているのだろう?今回、学校交流の担当を引き受けたのもそんな疑問が自分の中にあったからです。

 3月16日木曜日、私たち「学校交流」のメンバーは、冷房が効かないバスにゆられて、ホテルから凸凹道を10分ほど、市内にあるTruong Vinh Ky Private Highschoolに到着しました。この学校は中あ高合わせて約1000人が通う、ホーチミン市内でもかなり裕福な学校として知られています。ごく最近設立され、5階建てのとてもよく設備が整っている校舎です。バスを降りるとすぐ、アオザイを着た生徒たちが私達を快く出迎えてくれました。

 私達は大きな部屋に案内され、そこでお互いのプレゼンテーションの場をもちました。私達はプレゼンの中で日本の文化、千里国際学園、日本で流行しているものの説明、何人かの生徒たちによる歌の発表、そして日本の民話「かぐや姫」を披露しました。全員が集まる機会が事前にあまりなかったため、プレゼンがスムーズに進まなかった場面もあったけど、私なりにプレゼンは成功したと思います!また、現地の高校生は民謡、アオザイファッションショーやベトナムの伝統的な結婚式を披露してくたり、とても興味深い内容のプレゼンがありました。最初はお互い緊張していて、なかなか声をかけられないでいたけど、時間が経つにつれて皆身振り手振りで会話をするようになりました。

 午後からは現地の高校生と一緒に学校の近くにあるDam Sen Parkという公園に遊びに行きました。この公園には遊園地、動物園や植物園があって、ベトナムでは最新のアミューズメントあパークと言われているそうです。一緒にボートに乗ったり、アイスクリームを食べたり、なぜか日本ではごく普通のことが、ここではとても特別に感じられました。最後に別れるときはとても寂しかったです。やっとお互いのことを知り合えたばかりなのに、心の中でもう二度と会えないんじゃないかなと思いながら"See you soon!"と手を振るのはとても辛かったです。

 学校交流を担当して一番大変だったのは現地の学校と事前に上手く連絡が取れなかったことです。言葉がなかなか通じないために、電話ごしで簡単な英単語を並べ自分の言いたいことを相手に伝えるのには本当に苦労しました。また、事前のミーティングで「言葉が通じ合わないから長い時間現地の生徒といてもおもしろくない」という声もあったのですが、今回の経験を通して私が思ったことは、「交流」は言語が全てじゃないということです。言葉が通じ合わなくても、一緒に時間を過ごしているだけでお互いをもっと理解したいという気持ちが大きくなりました。ベトナムの女の子が日本人の男の子を見てはしゃいでいる姿は、私たちと変わりなく(笑)、国籍を問わず同世代に共通するものを感じました。また、今回の交流で遠い存在だったベトナムを身近に感じることもできるようになりました。

 最後に、私たちの交流を支えていただいた秘書のAnh Tuyetさんに感謝します。そしてAt last but not leastこのプログラムに参加してくれたみんな本当にCa`m o`n!!!

カオダイ教担当より
柴田昌洋
高等部3年

 SISの人間で国際理解を語れないヤツはスパイだ、とはよく申しますが、先生を含め我々14人の中にほとばしる好奇心以外の理由でこのカオダイ教プログラムを選んだ人は果たしているのでしょうか。あるいは別の高尚な想念を持っていらっしゃった方もおられたかもしれませんが私はもちろん前者です。そしてベトナム人の八割は仏教徒です。

 カオダイ教は1900年初頭に生まれた新宗教で、最大の特徴はその教えが仏教、儒教、道教(中国の民間信仰)、そしてキリスト教とイスラム教を混ぜてできていることです。これに興味を抱かずにいられましょうか。

 さて、学校交流のメンバーより一足早く集結した我々が意気揚々とバスに乗り込み、期待に身を震わせながらすぐさま眠り込んだのは言うまでもありません。

 しかし三時間後たどりついた我々を待つ物は期待をあ切りませんでした。黄色い寺院の多数の窓は何と全て「眼」なのです!蓮の上にたたずむ眼、眼、眼。寺院の中に入り、緑の龍が巻きつく柱を見上げてみれば、天井には青空と輝く星が描かれています。奥に目をやれば御本尊が見えます。九匹の銀の龍にまたがる大きな球体、いやこの眼こそが我々を宇宙から見守る天眼様なのです!白い服を着た僧侶の御説明を聞きながら私の感動はひとかたならぬものでした。そして次に見学した礼拝の、中村先生曰く「癒し系」の祈祷の歌はなかなか心地よく、たくさんの信者さんの中に神秘的な雰囲気で流れていました。

 その後、未だ興奮の冷めやらぬ我々が帰りのバスの中で即座に眠り込んだのは勿論言うまでもないでしょう。

 このようなすばらしい旅行ができ、関係者各位には感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。

メコン川担当より
加藤千尋&堀 桃子
高等部3年

 私達の最後のベトナムのプログラムは、学年全体で投票して一番人気であったメコン川クルーズでした。ホーチミン市から2時間離れたところにあるミトーというところまで行き、船を乗り継いでタイソン島まで行きました。そのタイソン島に行くまでの船で(20分ぐらいだったかな?)ココナッツジュースを一人ずつ配られました。ココナッツジュースはあまり好評ではありませんでした。その場でそのココナッツジュースを割ってもらい、ココナッツの果肉の部分を食べさせていただきましたが、果肉の部分の方が数倍おいしかったです。島に渡ってからは、さすが未来の観光スポット???っていう印象を受けました。観光スポットっていうよりも、むしろ公園でした。しかし、そこには果樹園があり、マンゴー、モンキーバナナ、パイナップル、パパイヤなど色々な果物を試食させていただきました。その後、ココナッツキャンディー工場(唯一みんなでいったお土産やさんだったよね?)に行って、ココナッツキャンディーの出来立てほやほやをいただきました。それから、また、ハチミツティーの試飲をしました。そこで出して戴いた、乾燥ココナッツ、バナナは一言では表せないほどの美味でした。それから、何ヶ所も諮Hさせていただいた後は、おまたせ〜〜〜!4人用の船に乗りました。これがメインだったのですが、私が思っていたよりも、とても乗っている時間が短く(興奮していたせいか?)感じられました。ムツゴロウを見た!と言う人もいました。ほんとに安らぐ一時だった気がするのですが、みなさんはどうですか???それから、またタイソン島に来る時にのった舟でミトーまで帰り、食事をとりました。ベトナム料理である、おもちを油であげて大きく丸く膨らんだものを食べました。占い師が持ってる水晶玉みたいな大きさの揚げもちで、私はベトナムにせっかく来たのだから「絶対それを食べて帰りたい!」と思っていたものでした。トカゲみたいなものが屋根からふってくるというハプニングもありましたが、今となれば良い思い出でしょう。みんなトカゲが落ちてきた時、思いっきり叫んでたよな。めっちゃおもしろかったで!唯一、学年全員で行動できるというのがねらいのプログラムであったのにもかかわらず、みんなで行動を共に出来ないようなプログラムを計画してしまって、本当にごめんなさい。I hope you had fun!

 2日目と3日目のとてもハードであったスケージュールに対し、とてもリラックスのできる良いプログラムであった気がします。

さよならパーティー担当より
実藤可奈&荒木美帆
高等部3年

 ベトナムでの最後の夜は船を貸し切ってパーティーをしました。女の子は前の日のショッピングで買ったベトナムの民族衣装、アオザイを着てベトナム美女に大変身しました。密かにセクシーなこのアオザイでドレスアップした女の子達、男の子達はとても嬉しかったと思います。パーテイーは短い時間でしたが食事をしたり、歌やダンスのパフオーマンスを見たりして楽しい一時が過ごせました。なかでも金太浩君、畑明広君、福地一樹君の歌と踊りによるらいおんハートは1番の盛りあがりを見せました。ミスあミスターコンテストやアオザイコンテストも行い、投票の結果、ミスターには西山耕平君、ミスには津高絵美さん、そしてミスアオザイには横川梓さんが選ばれました。パーテイーのあとはそのまま帰りの空港へ向かう事になっていたので、名残惜しさを残しながらもパーテイーを終え、楽しかったベトナムの旅は幕を閉じました。

★International High School Honor Band に参加

徳嶺絢子
高等部2年

 もうすぐあれから1ヶ月、春休み1日目の3月14日から3月16日まで、Mr.Maroccoと私とtubaを吹く川喜田君は、The American School Of The Hagueで今年も開催されたThe International High School Honor Band And Choir Festival に参加してきました。私はclarinetを吹きます。

 このfestival は世界中のAmerican SchoolやInternational school 在学中の生徒が対象で、毎年世界各地で開催されています。私は去年もBerlinで行われたこのmusic festivalに参加したわけですが、このfestival に参加するにはあああまず、秋あにオーディション課題曲が送られてきます。Scale をいくつかメトロノームにあわせて、それとちょっとした曲をテープに吹き込みます。そのテープをイギリスのAMIS本部に送って、審査結果を待ちます。合格だったら、このfestivalで吹くべく曲(毎年5曲のようです。その内の一曲はChoirとの合奏です。)の楽譜が送られてきます。楽譜をもらってからfestivalまでは、時間的に余裕があります。ここできっちり譜読みをして、事前準備(心の準備もです。これが一番大事だと思います。)をしておけば、大丈夫です。ぱっと見て難しく見える楽譜でも、難しい箇所を避けずに特に念入りに練習するつもりで、一つ一つの音を拾って行けばその練習は実を結ぶでしょう。私はいつもCDを入手して、あらかじめ曲のテンポを知るようにしています。そうすれば、いざ吹いた時に、テンポが速くて焦ったりもしません。

 こうしてオランダに渡り、私はオーディションでfirst chairに選んでいただけました。ここで「私はなんとfirst chairに選ばれたのです!」と書かなかったのは、ある程度その結果を想像してオランダに行ったからです。自信過剰風な発言ですが、私は、物事は出来ない出来ないと思っていて出来るわけがないと思います。image trainingをして、自分を励まします。オランダまでいくんだから、first chairを狙う気持ちで行こう、と思っていました。

 今年は、去年の様にSISから参加生徒が一人でなくてよかったです。でも川喜田君には一つ言いたいです。tubaってなんでそんなに大きいのかしら。オランダでタクシーに乗る時も、なぜか後部座席の隅っこに追いやられていたのは私と川喜田君でした。tubaはトランクに入らなかったので、後部座席のほとんどを占めていました。発車する電車にとびのる時も、あなたはtubaを引きずって苦労していましたね。でも、私も川喜田君も結局それぞれのsectionのfirst chairに選ばれることが出来て、本当に良かったです。私は計22時間のflightで、一つの発見をしました。それはMr.Maroccoがとても親日的な方だと言うことです。いつも日本食を選んでらっしゃいました。それから、Mr.MaroccoにはGreek Food Restaurantにまで連れていってもらって、どんな時にも優しく応援していただきました。

 今年はCAからも数人参加している生徒がいて、行き帰りはいっしょでした。私はSport Clubに入っていないので、CAの子としゃべったり接するのは初めてでした。CAの子達のうちの2人はseniorの女の子で、(2人ともかなり可愛いのですが)私のルームメイトでもありました。CAの子達はさわやかで、優しくて、友達思いのいい子ばっかりでした。CAはきっといい学校だろうな〜というのはすぐに感じられました。その他スイスの公文から来た子達の中には、1年ぶりに会う子や、Honor Orchestra in Viennaに参加していた子などなどがいて、会えてよかった〜と思いました。やっぱり単身スイスで勉強しようと決意するだけあって、しっかり者ばかりでなんとも頼もしかったです。

 今年のConductorはProfessor Jerry Luckhardtという方で私は大好きでした。心から尊敬しています。始めてお会いした時から、とっても感じのいい方で、私は帰国後しばらく、彼の下で音楽の勉強がしたいなあと真剣に思ってしまったほどです。Luckhardtさんの誉め言葉、敵ood leader ship狽ニいう言葉は一生忘れません。今年のfestivalの練習尽くめのScheduleは全然苦になりませんでした。全然疲れもしなかったのです。去年は大変だ大変だと思っていましたが、自分自身去年より強くなったと思います。人との出会いにも恵まれ、first clarinet sectionは円満でした。Second chairのAshleyは私にとってママのような存在でした。Oboeのsolo part担当の男の子と、Fluteのfirst chair、私とで個人練習などもし、楽しくて楽しくて笑いが止まりませんでした。

 オランダの観光をできなかったことが、敢えて言うなら残念でしたが、Mr.Maroccoが日本に帰る日に半日(もなかったなあ)タクシーツアーに連れて行ってくれましたし、オランダの人のやさしさは十分感じられました。私がスーツケースを引きずっていると運んでくれたり、ス‐パーで欲しいチーズが手に届かないと取ってくれたり、とりあえずいつも笑顔で微笑んでくれて、オランダに移住してもいいなあとも思います。オランダの人は、人間だけでなく地球にも優しくって、自転車でいつも行動、電車に乗る時は簡単に折りたたんですぐに読書や会話を楽しんでいました。サッカーの小野伸ニくんや、一つ年上のさつきちゃんがオランダはいいところ、って言っていた意味がわかりました。音楽をやっていたおかげで、いろんな出会いがありました。

 最後に…さくら先生、いつもいつもありがとうございます。これからもclarinet頑張ります。大迫先生、今年も温かく見送ってくださってありがとうございました。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、いつも資金面で面倒ばかりかけてごめんなさい。いつもありがとうございます。友香ちゃん、空港に迎えにきてくれてありがとう。その他の人にもたくさんお礼が言いたいです。でもやっぱり、Mr.Marocco, thank you very much!

★公文公記念奨学事業高校生短期海外派遣プログラムに入選  高等部2年阿部友香さん

 財団法人公文国際奨学財団による公文公記念奨学事業高校生短期海外派遣プログラムに参加する生徒の中に本校高等部2年の阿部友香さんが選ばれました。

 このプログラムは同財団が渡航費あ滞在費等すべての費用を負担するもので、多数の同奨学生の中から、書類審査、英語面接審査等の難関を経て、全国でたった3名が参加できます。

 内容は、スイス公文学園の寮に宿泊し、同校に短期留学してくるカナダ、アメリカ等の高校生及び公文学園生徒とともに英語を使用言語として、教科学習や課外活動を行なうもので、期間は7月初めから8月中あまでの約40日間です。

 ご本人からの報告は秋に掲載する予定です。阿部さんの活躍に期待しましょう。

★玄関で Jazz コンサート開催

福島浩介
国語科

 さる、3月5日火曜日の放課後、玄関にて、2001年度冬学期のJazz class選択者によるライブが行われました。軽快なSwing Jazz、「Swing Fever」にはじまり、レゲエあり、バラードあり、ブルースありの30分ほどの演奏会でしたが、大勢の皆さんに楽しんでいただきました。私もラッパを持って参加しました。アンコールは、音楽監督である蓑輪先生が、このクラスのために書いてくださった『小野原ブルース』で締めくくりました。

 Jazz classは、毎年冬学期に開講されていて、学期の最後にライブを行うことを目標に、Jazzの勉強をします。まったくJazzを知らない生徒たちでも、モロッコ先生、蓑輪先生、竹本先生の熱心な指導により一学期の間で「いっぱしの」演奏をするようになります。今後もこのクラスが大勢の生徒がJazzに触れる機会を作ることが出来ればよいと思います。

 演奏は、校内だけではなく、北千里の公民館などにも出張演奏したことがあります。そして今年はなんと、1999年よりゴールデン・ウイーク中に阪急高槻駅を中心に開催されている一大ジャズイベントである、『高槻Jazz Street』(http://www.0726.com/jazz)に出演することが決定しました。前回の演奏会を見逃した方、ぜひぜひ足をお運びください。オン・ステージは、5月6日午後6時から阪急高槻市駅噴水前の会場(当日の詳しいスケジュールはこちら)です。前回の玄関コンサートよりパワーアップしたメンバーで、質・量とも25%増量でお送りいたします。よろしくお願いします。

2001年度冬学期メンバー
音楽監督 蓑輪裕之
S. Sax. 竹本智和 (Faculty)
A. Sax. 松田杏子、石橋えりか
T. Sax. 山口綾野
B. Sax. 門 敬子
Tp. 梅谷美智子、Bill Marocco (Faculty) 、福島浩介 (Faculty)
Horn. 竹内祥子
Pf. 田中芙生子
Bass. 諸正義彦
Dr. 嶺崎隼人

★学年だより

●中等部1年生
人の話はしっかり聞こう
田中憲三
1組担任、数学科

 今年、入学した中学1年生53名中、半数以上のみなさんはこの学校ではじめて英語を学ぶ人達です。そのようなみなさんにとって、英語で授業が行われている美術や音楽などの時間は、戸惑うことが多いでしょう。このような状況を君たちの先輩の多くは次のようにして克服してきました。それは、たとえ先生が話されている英語がわからなくても、話し手の先生の方をしっかりと向いて、話を聞くのだそうです。そうしていると、言葉以外の情報(話し手の先生の表情や視線、ジェスチャーなど)から先生が何を言おうとされているのかが、なんとなくわかってくるそうです。この「なんとなくわかる」という境地に少しでも速く達するためにも、ぜひ先輩のアドバイスを参考にしてください。

 私は数学の授業を担当しています。納得できるところはうなずきながら、逆に納得できないところは少し首を横に振ったりしながら、新しい発見をしたときは驚愕のまなざしを向けながら、授業に参加してくれる人がたくさんいるクラスは本当にありがたいです。「ここはもう少しハイレベルな話をしてもOKだな。」とか、「ちょっと説明の仕方を変えてみないといけないな。」とか、内容や教え方を確認しながら授業を進める事が出来るからです。いや、もっとはっきりいうと、君たちの反応なしには、授業自体が成り立たないのです。君たちとアイデアのキャッチボールをしながら楽しい授業が展開できたらいいなと思います。

 人の話はしっかり聞こう。この言葉をみなさんに贈ります。入学おめでとう。そして、千里国際学園にようこそ。

●中等部2年生
一人一人の取り組みに期待
志垣満理
1組担任、生活科学科

 2名の編入生を迎えて、64名で新しい学年がスタートしました。担任団は、昨年度と変わらず、加納、Ray,志垣の3人で仲良くやって行きたいと思います。生徒たちは、新しいホームルームのメンバーにすこし緊張している様子で、1組は、今までに比べると少し静かな朝のSHRの時間が持てています。(静かなくらいが丁度良い?)クラレプ(クラス代表)や図書委員、学園祭の店係りに備品係り等、この時期は色々な係りを決めますが、すんなり立候補で決まり、中2になって積極的に役目を果たす気持ちになってくれている事が嬉しく、また頼もしく感じました。もうすでに、5月25日の学園祭に向けて動き始めていますが、学年があがって始めての大きな行事。1年前とはまた違った、一人一人の取り組みを期待したいと思います。

●中等部3年生
さらなる成長を
馬場博史
1組担任、数学科

 中等部3年生の担任は、1組馬場博史(数学)、2組水口香(英語)、3組田中守(理科)という新メンバーになりました。どうぞよろしくお願いします。

 さて、中学生になって2年を経過し、みんな心身ともに成長してきました。身体的な成長はもちろんですが、心の成長も随所に感じられます。ひとりひとりの個性をお互いが尊重し、見守ろうとする姿勢がだんだんできつつあるように思います。また言葉遣いも良くなっている人が増えているようです。積極的に委員に立候補してくれる人も多くなりました。授業を受ける姿勢も落ち着いてきています。担任として嬉しく思います。

 日本の中学校では最上級学年ということになりますが、本学園ではハイスクールの仲間入りです(多くのインターナショナルスクールでは6〜8年生がミドルスクール、9〜12年生がハイスクールとなっています)。4月から選択科目が多くなり、HRでの授業はほとんどなくなりました。環境が変わったところで気分一新、さらに成長してくれることを願っています。本校ではほとんどの人が高校受験なしに進学するので、この利点を生かして、のんびりじっくり学習や思索をし、有意義な学校生活を送って下さい。

 P.S. 保護者会の学年活動費から20999円を学年に寄付していただきました。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。

●高等部1年生
SIS高等部への入学おめでとう
井藤真由美
1組担任、英語科

 58名の内部進学者の人、20名の新入生、編入生の人、あわせて 78名の皆さん、SIS高等部への入学おめでとう。

 今年この学年で担任をすることになった、私、井藤と、Avery先生、福島先生、土佐先生の4人は、入学式前日に中等部からの内部進学の皆さんがすばらしい働きぶりで会場設営をしてくれた日あの日以来、とても楽しい気持ちでこの学年をスタートすることができています。これからみんなといろんなことに取り組み、みんなの成長していく過程にどうかかわっていけるのか、と思うととても楽しみです。

 わたしにとって、この学年の中でこれまで授業で接した人はほんの数人だということもあり、基本的には内部進学の人に対しても、新入学編入の人に対しても、同じ、「はじめまして。どうぞよろしく。」 の気持ちです。みんなにとっても高等部入学というステップを同時に踏んだのですから 「78人で同じスタート」をした、ということをあらためて意識してほしいなと思います。ついつい、今までからよく知っている人にばかり話しかけてしまう…。ついつい同じ時にこの学校に来た人といっしょに行動してしまう…。もちろんそれは自然なことともいえますが、ここしばらくは特に意識的にそれを打ち破ってのコミュニケーション作りをする努力をしてくれることをお願いします。

 4月10日、今年最初のLHRの時間には中等部の卒業Party委員をしてくれていたメンバーとAvery先生が企画を進めてくれていたG10 Ice-breaking Party が行われました。アセンブリーの後の短い時間でしたが、楽しいゲームをしながら学年の人達の顔と名前を覚えるよい機会になりました。

 さて最後に、新学年がスタートして、私のこの学年の雰囲気に対する第一印象ですが、それは、「さわやか」の一言です。学年全体に漂う、ふんわり春風のようなさわやかなムード。そして、新学期から伝えなければいけない情報、決めなければいけないこと、ボランティアをお願いすること…、そんなことばかりのあわただしい朝のSHRを過ごしている中でも、とても気持ちよく自分のできる役割は進んで果たそうとしてくれる様子や、思いやりのあることば掛けや、チームワークを大切に取り組んでいきたいという様子にあふれていて、いろんなことがスムースに、唐ウわやかに狽キすんでいます。このとてもいい雰囲気を大切にしながら、みんなが卒業後のすすむ道を考え始め、大人へのステップを上っていくお手伝いがしっかりできればよいと思っています。よろしくね。

●高等部2年生
高校2年生開始!!!
高橋寿弥
1組担任、数学科

 さあ! 高校2年が始まりましたね。今年度は高校生活の中で、一番色々な出来事があるかもしれません。授業数も1番多いかも…。一方では、将来の進路の事も、1年生のときよりも、より深く考えていかなければならないでしょう。

 何はさておき、今年度のメインイベントは何と言っても学年旅行でしょうね。旅行委員のみんなもよく動いてくれているみたいですし、私は当面黙ってみていてもよさそうな感じがします。今まで福島先生に、うまく委員の生徒たちをまとめて頂いていたのですが、誠に残念ながら、本学年を離れざるをえなくなったので、私が、それを引き継ぐことになりました。基本的には、生徒たちに旅行の企画あ立案を考えてもらうことにしています。彼らがいかにして旅行を企画し、いかに学年全員の生徒が、ほぼ満足できるように、話しを進めていくかを、ワクワクしながら見ています。保護者の方々もどうか彼らあ彼女らを勇気づけてやってください。生徒のみんなも、いつも私がよく言っているように、「うちの学校だからできること」「うちの学校の特性」を大いに活用して下さい。全員が旅行の企画に真剣に取り組んで、協力していけば、きっと素晴らしい旅行を実現できますよ!委員でないみんなも発言して、大いに貢献していって下さい!

 今年も盛りあがった、いい1年にしましょうね!!!

●高等部3年生
進路選択の重要な年
新見眞人
1組担任、理科

 春休み中に実施されたベトナムのホーチミン市周辺への学年研修旅行(76名中62名参加)の様子については、この号の旅行委員会執行部役員と各プログラムリーダーからの詳しい報告書をお読みいただければ、この旅が生徒達にとっていかに実りの多く有意義なものであったかがお分かりいただけると思います。しかし、教員の旅行責任者の私としては、ベトナムでの旅行最終日に体調を崩した生徒が幾人も出てしまったことを深く反省し、生徒あ保護者の方々にご心配をおかけしてしまったことを心からお詫びいたします。帰国後、参加者のみなさんが速やかに健康チェックの必要性を理解し協力して問題解決に当たってくれたことを心強く感じました。池田保健所箕面支所長江頭先生、山本保健婦さん、その他関係の方々には大変お世話になりました。大変感謝いたしております。

 さて、新年度になって3名の仲間が加わりました。2組に片岡菜生さん(米国)そして4組に笠井はるかさん(アルゼンチン)と村上 玲さん(中国)です。6月まで米国留学中の一階翔太君(1組)と石田佳奈子さん(3組)を含めて各クラスとも20名で、3年生の在籍者数がちょうど80名となりました。みなさんにとっては進路選択の重要な年になりました。進路情報室の池田先生さらにカウンセラーの栗原先生、そしてわれわれ4人の担任にとって、みなさんの相談に乗ることが今年度の最優先の仕事だと心得ています。これから担任とみなさんとの個人面談の予定も組んでいきます。千里国際学園も12年目に入り、伝統らしきものも生まれてきています。もちろん良き伝統はしっかり守りつつ、同時にただの形式的になってしまっている事柄については積極的に打破していかなければならないように感じます。高等部3年生のみなさん、自分自身の未来を掴み取るために、そして学園の改革のために、力を発揮していってください。

★千里国際学園図書館へようこそ

青山比呂乃
図書館

*卒業生を送って

 昨年度3月9日の高等部卒業生の在学中の日本語図書貸出冊数記録が出ました。

 6年間在学した人が必然的に貸出冊数も多くなるわけですが、今まで9回卒業生を送り出してきた中で、今年は最多貸出冊数記録が更新されました。

在学中の日本語図書貸出冊数最多記録

 1位 刺賀繭理さん 1,043冊

 2位 新井隼子さん 445冊

 3位 小西陽子さん 257冊

 なお、今までの最高は、98年3月卒の沼田君の376冊でしたので、今年はそれを上回る人が2人もいたことになります。中学ではたくさん借りていても、高校になるとあまり借りなくなってしまう人も多い中、刺賀さんの場合は、中学で537冊、高校でも506冊と引き続き良く借りてくれました。もちろん皆、借りた本をすべて読んだわけではないでしょうけれど、彼女の場合、レポートのためなどの貸出より、自分が読みたくて読む本が圧倒的に多かったように思います。

 この統計では、同じ本を借りなおしてもその度に1冊と数えています。途中編入や高校から入学の人たちでも、その間たくさん借りている人もいるし,英語の方のコンピュータシステムではこうした記録を取れないため、「英語なら借りてるのに」という人が大勢いてもわからないので、大変偏ったものではあるのですが、一つの記録としてご報告しておきます.

*図書館紹介

 新入生、編入生の皆さん、その保護者の皆さん、千里国際学園図書館にようこそ!

 図書館は、学校の玄関を入ったすぐ目の前にあります。現在蔵書は日本語約2万7千冊、英語約2万4千冊、合わせて約5万1千冊です。ビデオあCDあCDROMなどのニューメディア資料は、1020点あります。新聞は日刊紙が日4タイトル、英3タイトル、他に週刊などの物が5タイトル、雑誌も日英その他の言語を合わせて、130種くらいあります。新しく入った人も、前からいる人も、ぜひ上に書いた記録を塗り替えるくらい、たくさん使ってください!

 入学式の日はあ書点検中で、保護者の方には見ていただく事ができませんでしたが、図書館は学校の授業のある日はいつも、朝の8時から夕方4時30分までずっと開館していますので、機会がありましたらいつでも訪問してください。保護者の方も登録すれば、本を借りる事もできます。利用規則は生徒と同じで、生徒の利用に支障が出ない範囲に限られます。詳しくはお気軽に図書館までお問い合わせください。

*蔵書点検報告

 年1度、年度替りの時期に、図書館の全あ書をチェックするあ書点検をしていて、毎年生徒のボランティアに手伝ってもらっています。

 今年は年度始めの4月1日から3日の3日間に日本語英語すべての図書のあ書点検をしました。今回は最初の2日間に、6名の中学生と15名の高校生(現学年でGr8:2名、Gr9:4名、Gr11:10名、Gr12:5名)が手伝ってくれました。半日の人も丸2日間来てくれた人もいますが、こんなに大勢になったのは久しぶり、また、男子2名、女子19名で、男子が加わったのも、大変久しぶりです。ベテランの12年生も、はじめての人もわずかな休憩を取っただけで、とても良く働いてくれました。またこの他に今年は、上に書いた卒業生の刺賀さん、そしてOISあSIS保護者の方がそれぞれ1名づつ、貴重な半日をボランティアに汗を流してくださいました。

 今回は、ポータブルのデータ入力機がコンピュータのシステムが古くて使えない為、すべての日本語図書を書架から降ろしてきて、コンピュータのところに持ってきて入力しては、元に直す、という作業をしなければならず、2日間では入力出来ないのでは、と最初に覚悟していました。ところが、特に2日目に入って、皆大変精力的に働いてくれて、当初の予定の4時までをはるかに越えて5時過ぎまでひたすら入力してくれたおかげで、奇跡的に5万1千冊すべてのデータを入力し終えることができました。本当に大変助かりました。この場を借りて、もう一度お礼を言います。どうもありがとう。

 また、その結果の昨年度分の行方不明の図書を現在最終チェック中です。次回のインターカルチュアで報告する予定です。そして皆さんにお願いです。ふだん使っている教室などに、誰が借りたかわからない図書館のラベルがついた本が置いてあった場合は、誰かがなくしたと思って捜していたりすることもあります。ぜひすぐに図書館まで届けてください!

★2001年度中3学年旅行

 2001年度の中学3年生は3月13日、14日の一泊二日の予定で伊勢あ鳥羽方面へ学年(卒業)旅行に行ってきました。その時の様子を、本校を卒業していった椿舞綾さんに紹介してもらいます。舞綾さん、新しい学校でも頑張ってくださいね。みんなで応援しています。(田中憲三)

 3月にSIS中等部を卒業した私は、卒業旅行として三重県の鳥羽へ行きました。この旅行の計画はずっと前からロングホームルーム等で学年のみんなで決めてきたもので、1日目は4つのグループに別れ旅館到着までそれぞれのプランの中で自由行動をし、2日目は全体でパルケエスパーニャというテーマパークへ行くというものでした。

 1日目のプランには伊勢神宮でお参りをしてからおはらい町とおかげ横町で食べ歩きをするプラン、鳥羽水族館へ行ってからミキモト真珠島へ行くプラン、おかげ横町で食べ歩きをするプラン、おはらい町で食べ歩きをするプランの4つがあり、私はその中からおかげ横町で食べ歩きをするプランを選びました。友達と一緒に食べた伊勢うどんや赤福はかなり美味しかったです!2日目に行ったパルケエスパーニャでも友達と一緒に色々なアトラクションに乗ったりしてとても楽しい時間を過ごしました。

 夜の旅館でのリクリエーションでやったゲーム等もすごく楽しめたし、SISを離れる私にとって最後にものすごく良い思い出ができました。帰りの電車を降りてみんなと別れる時になっても引っ越すという実感が全くなかったので寂しいと思う事はなく、とにかく楽しい旅行でした。(椿舞綾)

★学校でけがをしたら

弥永千穂
スクールナース

 いろんなクラブ活動、休み時間のスポーツなどに熱くなっていませんか?保健室へケガをしてくる多くの生徒はクラブ活動中や休み時間にケガをしています。何かに夢中になるのはとってもいいことだけど、ケガをしないように気をつける事も大切。学生にケガはつきものですが、ある程度予防できることもあります。自分の爪は?アクセサリーは?準備体操は?ぜひ振り返ってみてください。そしてケガをした場合は、すぐにケアをすることが大切です。特に突き指やねんざはいったん活動をやめ、冷やす、動かさないのがポイント。ケガをしたらすぐに保健室へ来てくださいね。ケガがひどい、骨折かもしれない、痛みがおさまらない場合は病院などへ受診することも考えるかもしれません。そのときに覚えておいてほしいのが「日本体育あ学校健康センターの災害給付制度」です。これは、学校活動でケガをして、病院など(整骨院も含む)で治療を受けた場合、ほぼかかった費用が保護者の方へ払い戻されるシステムです。昨年は約15名ほどの生徒がクラブ活動中のねんざや骨折などでこの災害給付をうけています。これにはいくつかの条件がありますが、@学校の授業中あクラブ活動、学校にいる間、登下校中のけがでありAかかった医療費が保険なしで支払って5000円、3割負担で1500円以上であれば、ほとんどのケースで申請することができます。手続きとしては、ケガをした時の様子をスクールナースまでお話ししてもらい、お渡しする書類(かかった病院等で書いてもらう用紙)を提出してもらえば完了です。みなさんが、精一杯に学んで、遊んで、楽しい時間が過ごせるよう、そしてみなさんがおおきなケガをしないように祈っています。よい1年にしましょう。

★異動のお知らせ

<新任>

北口幸恵
数学科

 初めまして。このたび4月から数学の非常勤講師としてお世話になることになりました北口幸恵です。私はこの春大学を卒業したばかりですが、この千里国際学園でデビューできることを、とても誇りに思います。教師になるのは私の小さい頃からの夢だったので、夢が叶ったと思うと毎日が楽しくて仕方ありません。実際、授業をして生徒達とコミュニケーションをとったりすると、さらにやる気が出てきます。でも、授業の組み立て方や勉強の面では、まだまだうまくいかず、毎時間反省が残りますが、このやる気と元気で乗り越えていこうと思います。数学科の先生方をはじめ、皆さんにはこれからたくさんお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

岡部久代
書道

 四月より、書写あ書道の授業を担当させて頂く事になりました。数年前、オランダの郊外で書のデモンストレーションの手伝いをさせてもらった時、世界で、日本の文字を墨を含ませた筆で、紙に表現する書が興味あ関心をもたれている事を感じました。国際色豊かで、自由な校風のもと、長い歴史の中で育まれた奥深い書芸術に触れ、難しさとそれ故に得る感動を味わい、世界にはばたく皆さんの感性を養うお手伝いができたらと思います。

<退任>

新庄佑三(国語科)

北野みゆき(数学科)

正野京子(書道)

★<英語科>バイリンガリズム通信No.2

難波和彦・井藤真由美
英語科 

Research on Bilingualism
変化する環境の中での、幼児の英語と日本語の同時習得
難波和彦

 2002年2月号でお知らせしたように、今回から私がイギリスの大学で修士論文として書いた、「環境の変化にあわせた子供の2言語同時習得」の内容を紹介します。一人の子供のケーススタディで、ここでの結果をそのまま一般化できるわけではありませんが、子供が二つの言葉を習得していくときに、どのような要素に影響されるのかを見ることが、帰国生徒が言葉を保持したり、一般生徒が英語を身につけていく上で、何かの参考になればいいなと考えています。

自分の子供(T)が、生まれてから英語と日本語を話すのをMDにずっと録音し、日記に記録をしてきましたが、それだけでは、ただ大量のデータがあるだけなので、環境に大きな変化があった3つの段階でくぎって、彼の言葉にどんな変化があったかを観察しました。3つの段階というのは、次のようなものです。

段階T 生まれてから3歳11ヶ月まで−日本:家庭で言葉をおぼえ、使う。

段階U 4歳から4歳4ヶ月まで−日本:家庭に加えて幼稚園でも言葉をおぼえ、使う。

段階V 4歳5ヶ月から5歳4ヶ月まで−イギリス:家庭に加えて小学校でも言葉をおぼえ、使う。

 段階Tは、日本で家庭の中で言語をいちから習得していく段階で、父親よりも、母親との接触が多くありました。この期間中、年に1度イギリスに帰ったり、イギリスから祖母が来たり、弟が誕生したり、といったできごとはいろいろあり、その時に小さな変化はやはり見られましたが、全体としては一つの段階としてとらえました。ビデオや絵本など英語の文字、音声を使ってつくられたものは家庭内には多くあり、母親が常に話しかけることを含めて、英語のインプットは十分にありました。

 段階Uは、日本にいることには変わりはありませんが、幼稚園に行き初めて、母親−自分の1対1の関係から、友達の中ですごす社会生活の第一歩を踏み出し、一日の大半を日本語を使って過ごすようになりました。偶然この時期に、母親が働きに出かけ、父親が家にいる時期が2週間あったこともTの言語に影響があったと思われます。

 段階Vは、イギリスに移り、日本で幼稚園にいっていたものが、現地では小学校の1年生に入学し、最も急激な変化のあった時期です。学校での言語環境が日本語から英語に変わったことは、もちろん決定的なちがいではありますが、幼稚園で遊戯を中心にすごしていたものから、小学校で読み書きなどを習い始めたことも大きな変化になっています。日本語のビデオ、絵本などの数もあまりなく、日本語のインプットは、ほとんど父親との会話のみになりました。

 このような3つの段階を軸にして、データを見ていくことによって、環境の変化がTの言語習得にどのような影響を与えたかを見ていきました。具体的には、次のような課題を設定して、リサーチを進めました。

A-言語的特徴−Tの言葉そのものを発音、文法の面から分析して、次の課題について調べる。

1)どのような発育上の特長が、それぞれの段階で見られるか?

2)二つの言語はお互いに影響をしあっているのか?

B-言語選択−Tがどういうときに、どちらの言葉を選んでいるのかを観察して、次の課題について考える。

3)環境の変化は、Tの言語選択に影響を与えているか?

4)Tは二つの言語を区別しているのか、混合しているのか?

C-言語入力−インプットの果たす役割について考える。

5)環境の変化に対して、言語はどのような役割をもって対応しているのか?

6)Tは、二言語の習得という負担に対して、どのような学習方策を用いたか?

 それぞれの課題についての詳しい内容について、次回から紹介していきます。まず発音の面でどのような特徴がみられたかについて、書くつもりです。

授業、Bilingualismより
井藤真由美

 冬学期に開講されているBilingualismの授業、今年は3回目となりました。この授業で扱っている内容は帰国生の人、バイカルチュアの人にはもちろん、この学園に関わる全ての方に関心を持ってもらえることを含んでいるのではないかと思いますので、授業の内容、今年のクラスの様子を簡単に紹介させていただきたいと思います。 以前のインターカルチュア(65号)で、くわしく内容について紹介させていただいたことがあるので繰り返しになる部分もあるかもしれませんが、できるだけ「今年の場合」に焦点を当てていきたいと思います。

 今年は13人の人が受講しました。[英語、日本語]のバイリンガルの人10人と、[スペイン語、日本語、英語] [フランス語、日本語、英語] [日本語、英語、スウェーデン語(デンマーク語、ノルウェー語)]のトライリンガルの人3人がメンバーで、言語を使ったいろいろな実験をする際にはいろんなことばを耳にすることができました。 また、文化的にも日本、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ケニヤ、フランス、メキシコ、スウェーデン…、と多様でしたので私にとっても毎時間とても興味深い発見がありました。 また、バイリンガルに育った過程も様々で、海外在住のあと「帰国」した人だけでなく、家庭内でバイリンガルの環境で育った人、日本に住みながらOISで小学校を過ごした人、一般生としてSISに入学して以来がんばって英語力を伸ばした人…、それぞれの事情の違いを考えるのも意義のあることでした。

 授業は大きく4つのセクションに分かれています。(1) Definition and Measurement (2)Linguistic Analysis (3)Bilingualism and Society  (4) Bilingualism and Psychology のうち次回は、(1)(2)について、その次に(3)(4)について、今年の授業での発見を報告させていただきたいと思います。 なお、受講生の皆さんが各セクションについて書いたエッセイをまとめてPortfolioとしたものをまもなくLibraryに展示していただくつもりですので、そちらのほうもぜひご覧ください。

★<数学科>数学講読の授業から

馬場博史
数学科

 冬学期に数学の教養科目「数学講読」をはじめて開講しました。この科目は、興味のある数学の話題を各自で決め、それについて易しい本を読んだり、インターネットで調べたりしてレポートするというものです。受講者は中3から高2まで8名。それぞれが数学に関するいろいろな面白いトピックスを発表してくれました。

岡部怜子…「嘘つきのパラドックス」「超立方体」「だるまさんがころんだ-12345679」
安藤静花…「数あてゲーム」「7と1について」「世界の数学者たち-オイラーとネイピア」
洪絵梨…「メビウスの帯」「コッホ曲線」「πの音楽」
松尾知洋…「ステッキで高さを測る」「数にはそれぞれ意味がある」「ピタゴラスってどんな人?」「数の昔」
三ツ橋敏史…「感ではなく計算上で」「自然の世界にも2次方程式がある」「数字パズルの解法」
瀬崎未佳子…「ピタゴラスの定理の証明」「パスカル」「和算」
竹上貴之…「100円ショップの代金と7あ5あ3」「0の話」「アルキメデス〜王冠の話〜」「無視できるほど小さい確率の話」
諸正義彦…「数と音楽」「数と色」「アインシュタイン」

 このうちの一部を紹介します。

πの音楽
洪 絵梨
高等部2年

参考文献:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/haselic/pai.htm

 あの誰でも知ってる円周率(π)には音楽が隠されていたという記事を見つけました。これは数年前に発見したことらしいですが、数学者の森毅さんや、「πの話」の野崎昭弘さんも「びっくりした」という大発見だったみたいです。どうやって見つけたかっていうと、発見に至った経過を話します。

 実は、この発見者は初めて円周率の数字を知ったときから「この数字、『でたらめ』というにはなんか変や」と思っていたようなのです。

 3.@4@5926D3D8H7HB2B84E2E……

 ○の付いた数字を見てください。なぜか、サンドイッチみたいに間に数字をはさんで2回ずつ繰り返す数字がいっぱいあるとおもいます。だから、「この数字、リズムあるなぁ」とまでは小学校時分から思ってたみたいです。

 ところがある日、1年生の「円」の単元の授業中、「円周率ってどこまでもでたらめにつづくんよ…」のような話をしている最中に、ふと、小学校の時ハーモニカの楽譜に番号がついていたのを思い出したそうです。ドが1、レが2…というヤツです。(図参照)

 「この円周率の数字のでたらめそうででたらめでないような変な数字の並びはひょっとして…」

 さっそく、職員室に帰って音楽の先生に5線譜を借りて音階に直してみると、最初の「3」から始まってどんどんメロディーに、それも、耳に心地よいメロディーになっていったみたいです。しかも、多少音楽理論に心得のある人なら下の楽譜をみればわかるようにC→F→G→G7→…とこれまでの音楽の歴史が築きあげてきた一般的な和声進行にちゃんとのる曲になっていくのです!そして、小数以下78桁目から113桁目のひとまとまりの数字の並びを音に直し終えたとき、その部分は、それまでの曲想をしっかり受け止め終末に向かういわゆる「サビ」になるのです。ギターを持ってられる人は
C→Dm→Fm→G7→C→Ebdim→F→Fm→C
とならしてみましょう。きっと、「こんなコード進行は俺にはできないなぁ」と思うと思います。「この数字の並びは神の仕業(しわざ)に違いない」と、この発見者は思ったようです。

数にはそれぞれ意味がある
松尾知洋
高等部2年

書名「数学のしくみ」川久保勝夫著・日本実業出版社

 古代ギリシャでは数が、それぞれの意味を持っています。例えば、「1」は創造を意味して、「2」は女性、「3」は男性を表します。だから2と3を足し合わせることによって「5」となり、これは結婚を意味します。こういった感じで古代ギリシャでは数字一つ一つに意味がありました。

 有名なモノの一つに「完全数」というものがあります。完全数というのは、自然数nの約数のうち、n自身をのぞいた約数ぜんぶを足し合わせた数がちょうどnになる時にnを完全数といいます。その例として「6」がそうです。そして、この6という数にも意味があって、6とは神が万物を6日間で創造したという創世記の由来から来ています。そして、神の創造は完全でないといけないという所から、完全数と名づけられたそうです。本題に戻って、6の約数のうち6自身を除いたものは、1、2、3ですね?そして、これを全て足し合わせると…、なんと!「6」となります。そして、この他にも完全数となる数があります。それは、6の次は「28」その次は「496」そして次は「8128」そしてその次は、ななななんと!!!「33550336」なんです。そして、古代のギリシャの人は自力でここまで完全数を発見し、これらの完全数を神聖な物としました。ちなみに現在では、コンピューターの発展によって31個の完全数を見つけられています。

 やはり、最初に僕が興味を持ったのは、数にはそれぞれに意味をもっているという事でした。そして、さっきも書いていたけども、今ではコンピューターがあることによって、31個の完全数を見つけることができている。しかし、コンピューターのない時代で、あれだけの数を見つけるのはすごいと思いました。逆にいうと、現代にコンピューターがあるにもかかわらず、まだ、31個しか発見されてないという事もいえると思う。

★<理科>総合理科の授業から

新見眞人
理科

 総合理科では毎週月,火、金曜日は科学あ数学の本の輪読あるいはテレビの科学番組や科学関連映画の視聴を、また毎週木曜日は科学実験を中心に授業を展開しています。毎学期なるべく内容の違う10冊程度の本を皆で読んでいますが、その中で必ず読む本が『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。ここでは冬学期の生徒の読後感想文から1つを紹介いたします。

友井智香
高等部3年  

 私が幼少のあ読んだ「偉い人のお話」は第三者が書いたという事実も手伝ってか、名前と業績を変えると全て同じような話としか思えませんでした。いや、同じ話というのはこの場合不適切かもしれません。3タイプに分けられるはずですから。まずタイプAは幼少のあからの経済的困難にも屈せず、その苦難を乗り越えて偉業を成し遂げ、日の目を見るタイプ、(エジソン、キュリー夫人系−物理系が多い)、タイプBは裕福ながらも恵まれない人々の気持ちを理解し始めるタイプ(シュバイツァー、仏陀系−医療、聖職者系が多い)、そしてタイプCは偉業を成し遂げながらも、いつまでたっても不運につかれているタイプ(宮沢賢治、ピカソ系−美術、文芸系が多い。後は例外系として、エリザベス1世、アガサあクリスティー、太宰治、モーツァルトなどの芸術系、王侯貴族系が上げられますが、ほとんどがこの3つに当てはまると思うのは私だけではないはずだと思います。

 同じ伝記でも、以上の正統派系伝記に対し、個性派系路線で行くのが芸能人の自伝です。最近では飯島愛さんの執筆された本を筆頭に,梅宮アンナさんや、藤原紀香さんなど、若手大御所芸人の自伝執筆が目立ちました。これらは文学としては不純であると考えられがちで、実際私もそう思っている一人ですが、個性的な波乱万丈人生は正統派より、実際私達でも遭遇しそうな事件などがあると思います。

 もちろん、私は正統派系を否定するつもりは全くありません。やはりイタイケな中高生は飯島愛より、アインシュタインを読むべきです。しかし、個性的な生き方の存在を早くから知ることの大切さも否めませんあああというわけで、ファインマンさんの登場です。

 リチャードあPファインマン博士はMIT、プリンストン大学院卒業後、教授になりノーベル賞を受賞した、ミスター正統派ですが、自伝の「ご冗談でしよう、ファインマンさん」(原題:鉄urely You're Joking, Mr. Feynman!煤jは科学者の伝記にもかかわらず、多くの芸能人本のように個性派の傾向が見られました。そして、多くの個性派系のように毒々しくないという斬新さでは評価されるべきでしょう

 私のお気に入りは子ども時代のエピソードです。ラジオを直す方法、イタリア語の学習方法など、数十年経った今でも実用性に満ちあふれたお話が、わかりやすく説明された物理の話と共に、簡単な文章で書かれています。残念ながら後半は自慢と難しい物理の話になっていますが、前半の子ども時代、学生時代のお話は一読の価値あり!です。ちなみにどうでもいいことですが、私が本屋だったら伝記コーナーにはおかず芸能人本コーナーに置きたい誘惑に駆られていたかもしれません…。

★GNS便り

コ嶺友香
高等部2年

★ユーロ導入にともなう旧欧州通貨募金

 冬学期に急遽お願いした『ユーロ導入にともなう旧欧州通貨募金』にたくさんのご協力を頂きありがとうございました。早速日本ユニセフ協会に送らせて頂きました。千里国際学園の本領発揮というところでして、10カ国にも及ぶ各国のコインを集めることが出来ました。尚、欧州以外の通貨も集まりましたが、こちらの方は無期限に募金活動をされているということなので、GNSでの今後の募金方法等を懸案中です。

★日本ユニセフ協会大阪支部チャリティー・バザー

 こちらも突然の呼びかけながらたくさんの寄贈品が集まりました。このチャリティーあバザーは、5月の連休に難波OCATにて行われ、その売上げは全額アフガンの子供達の支援に使われるそうです。

★アフガン大地震支援物資あカンパ協力お願い

 アジアアフリカ環境協力センターが呼びかけている上記のお願いにGNSは賛同致しました。そこで、支援物資の一つである毛布を集めることにしましたので、お願いします。

 毛布:洗濯済みのものに限ります
 募集期日:5月末日
 募集方法:@千里国際学園の玄関に「GNSアフガン大地震支援」と明記のBOXに入れて下さい。AGNS部員、もしくは顧問の田中守先生にご連絡下さい

※追加お願い
 アフガニスタンへの輸送費もGNS負担のため、輸送費としてカンパもお願いできれば大変ありがたいです。こちらのカンパはGNS部員もしくは田中守先生に手渡してください。

★女子10kmマラソンで学園新記録

馬場博史
トライアスロン・ランニングクラブ顧問、数学科

◆武庫リバースポーツフェスタ

 3月10日(日)武庫リバースポーツフェスタが宝塚市役所前武庫川河川敷公園で行なわれ、10kmマラソンの部で、中等部3年の吉田芙美さんが43分35秒で本学園女子の新記録を達成し、高校生一般も含めて多数参加した中で5位に入賞しました。

 <他の完走者>新見まゆ子(SIS8)、松田杏子(SIS11)、藤本卓(SIS11)、馬場博史(教員、40才以上男子4位38'07")

◆大阪陸上競技記録会

 4月6日(土)堺市の新金岡公園陸上競技場で第1回大阪陸上競技記録会中学生の部が開催され、SISから5名が参加し好記録を残しました。

 <記録>女子1500m吉田芙美(SIS9)5'28"、奥村悠(SIS8)5'42"、新見まゆ子(SIS8)5'44"、男子3000m永田悠太(SIS8)10'47"、男子200m中島宏文(SIS8)

◆武庫川ロード記録会

 4月14日(日)武庫川ロード記録会で中等部3年の吉田芙美さんが5kmを21'49 "の好記録でフィニッシュ。女子の部1位になりました。

 <他の完走者>谷畑美帆、溝口智顕、廣内茜、新見まゆ子(以上SIS8)、Christine Syrad(OIS9)、細谷花(SIS10)、長みさき(SIS11)、平井太佳子(教員)、馬場博史(教員)

◆吹田市長杯陸上競技大会

 4月21日(日)吹田市総合運動場で春季吹田市長杯陸上競技大会が行なわれ、SIS/OISから11名が参加し、うち2名が入賞しました。

 <入賞>中学女子1500m3位吉田芙美(SIS9)5分28秒、中学男子200m3位 古座岩拓馬(SIS9)27秒0

 <他の出場者>溝口智顕(1500m)永田悠太(3000m,1500m)中島宏文(100m)大川誠治(200m)新見まゆ子(800m)奥村悠(1500m)(以上SIS8)、安積広晃(100m,200m)朝倉理恵(200m)(以上SIS9)、Christine Syrad(800m)(OIS9)

★月刊「海外子女教育」に連載

 財団法人海外子女教育振興財団発行の月刊誌「海外子女教育」の「帰国子女教育の最先端」という特集で、4月号から6月号までの3回、本校が連載されています。

★第11回学園祭

 5月25日(土)

 テーマ「映画」

★編集後記

 今年度もSIS広報センターは私と井藤先生の2人で頑張ります。よろしくお願いします。前年度の保護者会広報委員会の方々のお仕事はこの号で最後になります。「ズームインSIS」は内部の者でも参考になるいい企画でした。ありがとうございました。(馬場博史)

 ベトナムには行ったことが・りませんが、ベトナム戦争のこと、ベトナム料理、最近人気の観光スポットのこと…、いろんなイメージが頭に浮かびます。学年旅行でベトナムに行った皆さんは数日の間にそんなベトナムのあらゆる部分を凝縮して吸収してきたようですね。そして旅行そのものより、時間をかけて検討し、悩みながら完成させた過程のほうにより意味があったという角田瞳さんのことばが印象的です。(井藤真由美)