Interculture 77号(2001年10月号)抜粋

★God Bless America
大迫弘和
SIS校長

 2001年9月11日、日本時間午後。
 誰もが目を疑った同時多発テロ。崩れ落ちる世界貿易センタービル(WTC)。

 狂信的な指導者による無辜な人々の大量虐殺。祝砲を打つ兵士。
 一方、行方の分からぬ家族を、友を、必死に探し求める人々。全米から駆けつける救援支援の人々。
 世界のそのような現実。

 「わたしなんか、アメリカとかいったこともないけど、涙が出てきました、あのビルが崩れるのを見て、悲しくなってしまって。」
 よく利用する近所の中華料理店のおばちゃんのことば。そのことばの素朴さの中に、人間としての真実がある、と思う。

 私たちの職場にはアメリカを母国とする沢山の人がいる。OISの生徒でアメリカの政府関係機関の家庭の生徒は自宅待機となり登校できない。
 国際学校として、今回の悲劇は極めて近い距離にある。

 娘に電話をかける。娘はこの6月にOISを卒業し、ノースキャロライナ州で学生生活を送っている。ワシントンDCから飛行機で1時間のところだ。
 「キャンパスの雰囲気が全然違うの。」
 娘の第一声はそれだった。
 「イギリスにいたとき、湾岸戦争になっちゃったけど、大丈夫だったしね。」と、何か少しでも安心させようと、言葉をかける。
 「うん、でもその時のことは、ちいちゃかったから、おぼえてないし。」
 多くの大きな悲しみがあり、無事である娘について、あれこれいうのは、慎むべきだろう。しかし、「空港がぜんぶ shut down (閉鎖)されちゃってるから。」という娘のことばに、父として胸が張り裂けそうになったことは、書いておきたい。
 そして、SIS/OIS という職場には、娘の安否と、娘をアメリカに送りだしている母親の、父親の心情を思いやって下さる沢山の人達がいた、ということも。

 個人的なことを更に書かしていただくことをお許しいただきたい。
息子の9月11日のホームページ。
 「信じられん……WTCがなくなってもうた………」
 彼は4年間のNYでの学生生活をこの5月に終え、東京丸の内での社会人生活をスタートさせたばかり。4年間過ごしたマンハッタン。ずっとテレビのニュースを見ていた彼は「WTCが倒壊した時点で久しぶりに泣く。」
 そして、犠牲になった方々のご冥福を祈りつつ、宗教といったものに決して近くはない息子も、その日のホームページはこう結んでいた。
 「God Save America.」

 反理性に対しては最大限の理性で対抗する。そうあってほしい。
 この原稿を書いている時点では始まっていない「報復」が、いつか始まるかもしれない。
 それはどのようなものになるのだろう。
 「先生、戦争になるんですか?」
 SISの生徒が心配そうに先生に尋ねる。

 BUSH大統領はアメリカ国民に向けた最初の演説を次の言葉で結んだ。
 「God Bless America.」
 今は、その言葉を、深い祈りとともに、ここに記そうと思う。

★中庭で福田学園長の離任式
 福田國彌学園長(現副理事長)の離任式が6/13に中庭で行われました。今後は小林公平理事長が学園長を兼任します。

★なぜSISホームステイ・プログラム?
水口 香
オーストラリア・ホームステイ担当・英語科

 SISのホームステイ・プログラムは10年の節目を迎えています。当初は、海外生活の経験がない一般生に英語圏での生活を経験させることを目的として開始されましたが、このところは現地での実生活をとおして、その文化の総合理解を得るとともに、自己の文化についても新たな視点をもつことに重点をおいてプログラムを実施しています。従って、昨年からは一般生だけでなく帰国生にも参加を呼びかけ、ホームステイで得られる特別な異文化体験の機会を与えるようにしました。SISのホームステイ・プログラムは、特別な扱いなしに現地の生徒と同じ生活をし、その社会の一員として、また家族の一員としての役割を自主的にはたすことをメインとしている点で有意義なプログラムといえます。英語力を伸ばすことだけがこのプログラムのゴールではありません。それ以上に、多くの人と出会い、共に時間を過ごす中で感じるかけがえのない思い、さまざまな戸惑いや解決を通して生まれる決断力、文化の違いを受け止めながらその文化になじんでいこうとする柔軟性、日本にいる家族への感謝の念、このような自分の中での変化を認識できることがSISホームステイ・プログラムのゴールなのです。

 本校のホームステイ・プログラムでは、皆が現地で充実した生活が送れるよう9年生の4月から週一回の割合で事前指導を行っています。参加者は「オーストラリアの歴史と社会」、「オーストラリアの自然」、「オーストラリアの高校生の生活」、「オーストラリアと日本の関係」などについて、また日本の文化である「けんだま」や「茶道」の勉強をします。また、過去の参加者がゲストスピーカーとして自分の体験を話したり、参加者のさまざまな相談にのっています。

 現在オーストラリアでは日本語の学習が盛んで、小学校から日本語の教育が始まります。高校になると卒業後は通訳、貿易、観光業などで日本語を使う仕事につきたいと考えている生徒も多くいます。本年は姉妹校のサンド・ゲイト高校のほか、新しくネラングバ・バレー高校とダカビン高校にお世話になりました。ネラングバ・バレー高校に滞在した19人のSIS生徒は日本語のクラスで、着物の着付け、こま、大阪弁などのレクチャーやバイリンガル演劇「鶴の恩返し」を披露しました。実績ある日本語教育と農業科を備えたユダカビン高校では、SIS7名の生徒が約90名の日本語の履修者に天ぷら、おにぎり、お好み焼きの実演をしました。現地の生徒は、実演を見入ったり、積極的にお手伝いをしたりと熱心に授業に参加してくれました。

 本年度プログラム参加者は次のような感想を述べています。
「人としてオーストラリア人と日本人はやること、感じることに大差はないが、日本人は全てをまるく収めようとする人種だと思った。」
「オーストラリアの人は私という一人の主張がはっきりとある。」
「日本人は周りのことを気にしすぎる。」
「日本は恥で自分の感情をとがめてしまっている。ある意味で大人っぽいが、子供っぽいところもある。」
「自由を感じた。」
「故郷を離れて始めて自分の国のことがわかった。」
「違うものを受け入れながら自分なりの考えを得たい。」
「違うものを受け入れることは自分にプラスになるのだとわかった。」
 参加者がSISホームステイ・プログラムでこのように貴重な経験をつむことができ担当者としてうれしく思っています。

 長年にわたりこのプログラムにご理解と多大なご支援をくださった保護者のみなさま、またこのプログラムの発展に大いに貢献してくださったこれまでの参加者のみなさん、どうもありがとうございました。SISホームステイ・プログラムがさらなる進歩をとげられるよう引き続きご協力をお願いいたします。


2001年度オーストラリア・ホームステイ・プログラム
期間:
 事前研修4月12日から7月3日まで
現地研修:
 7月5日から7月28日まで
まとめ:  
 7月30日
参加者:
 9年生35名
研修先:
 サンドゲイト高校(姉妹校)、ネラングババレー高校、ダカビン高校

★韓国を知ろう
井嶋 悠
国語科

【T】訪問前
 参加生徒の中に、朝鮮民主主義人民共和国国籍の生徒が二人いたので、大阪にある、「大韓民国領事館」へ手続きに行く。知人の紹介もあったとはいえ、対応下さった領事の尽力で、本人とも直接に会って下さり、短期間で渡航許可証が交付される。*事前学習というか、それぞれの動機づけ学習の意図で、古代から現代までの歴史・文化に関する資料と韓国での日本語学習状況資料を、幾つかの書物、新聞等から作成し、生徒達に配布する。*訪問校での交流のための、質問集を作成する。尚、上記の「資料「「質問集」は予め韓国の先生方に郵送する。

【U】訪問
 7月2日 関西国際空港より、私にとっても初めての、仁川(インチョン)国際空港へ。リムジンバスでソウル市内、ソウル駅まで行き、そこから地下鉄を乗り継いでホテルへ。暑さと荷物のため、皆さん、早々にバテ、ホテルの各室で休憩後、近辺をうろうろと夕食場所探しへ。そして発見。裏通りの焼肉屋さん。安くて、美味。そして落ち着いた部屋。そこへ高校の韓国人日本語教師が来て下さり、共に食事。その後、その先生の案内で、若者のファッションの街、「東大門市場」へ。先程の疲労もどこへやら。ただただ元気、元気。

 7月3日 景徳宮(かって、日本の総督腑が置かれた、韓国の第1の宮殿)見学。その後、一旦ホテルに戻り、昼食後、交流高校である「光新高校」へ。光新高校「日本研究部」の生徒達約30人と2人の日本語教師の歓迎を受ける。私達からのおみやげは、生徒希望の「風鈴」と昔ながらの「駄菓子とおもちゃ」そして、私の希望で、歴史への視点だけでなく、日本語の学習にも役立つので、かの「歴史教科書」。素晴らしい交流会。言葉は、韓国語・日本語・英語を日韓の高校生がそれぞれのレベルで駆使しての、バイリンガル・トライリンガルの世界!韓国・朝鮮語の通訳可能な本校生徒二人。半分可能な生徒二人。そして先生からの生徒達が準備した「質問集」に関しての講義。これが第1部。第2部は、日本研究部の生徒の一人で実家、焼肉屋さんでの夕食会。豪快で超愉快な盛り上がり。将来の相互交流・相互理解は万全、確実。因みに、韓国の普通高校では、3年生は夜12時まで学習するのが必修というか、義務。日本研究部の生徒達は、学校の配慮でその日の学習の一部が免除。しかし、夕食会解散後、3年生は学校へ戻り、学習を再開。もちろん、居眠りに対しては、厳しいお灸がすえられる。それでも、自分の希望する大学に合格するのは、なかなか難しい。

 7月4日 バスをチャーターして「独立記念館」へ。古代から現代の歴史が、視聴覚を駆使して、広大な敷地内に展示されているが、やはり近代・現代の日本による36年間の植民地化に関る展示は、凄惨。ある生徒が一言、「今夜、眠れないと思う。」郊外の山間の場所に作られた広大な空間。訪れる人も少なく、蝉の声と各展示室の外周に付けられたスピーカーからの静かな音楽が聞こえ、木陰は、内部の展示とは正反対の別世界。私は何度か訪れたが、とても不思議な場所だと思う。敷地内の一画で、かの歴史教科書関係の資料と韓国KBSテレビで放映された映像が特集として、早速に展示、公開されていた。親切なバスのガイドさんのおかげで、ソウル市内の中心的繁華街「明洞」散策がわずかな時間ながら実現。 その後、韓国の伝統的食事を味わい、古典芸能の鑑賞。生徒達、元気、元気で、旺盛な好奇心。しかし、逸脱的になることもなく、なかなかのもの。韓国の先生方からもその行動、マナーを賞賛される。
 7月5日 在韓日本大使館の機関、日本語・日本文化発信の中心「公報文化院」に寄った後、文化院近くの古美術と民族美術の街、「インサ洞」を散策。日本からの独立運動の契機となった[3・1独立運動]発祥の地、「パゴタ公園」へ行くも、工事中のため入れず。公園で一生懸命説明をしてくれる老人に会う事ができず残念。また最近は、仕事を失った中高年の人々の憩いの場にもなっている。
 その後、《ザ・韓国》とでも言っていいかもしれない、商魂エネルギーの集結地、南大門市場を散策。しかし、現代の若者、生徒達にとっては、東大門市場の方が良い様子。そしてそれは韓国の若者にとっても同じ、との事。南大門にしても、東大門にしても、また明洞にしても、とにかく買い物日本人が多い。それもあるが、日本語のできる人は多い。若者にとって日本は、カッコイイ、憧れすらある国とか。しかし、だからといって調子に乗っていると…・。海外で、日本語を学ぶ若者の最も多い国は、韓国。ただし、年配の人に「貴方は日本語が上手ですね」という時は、要注意。夕刻の一時間程を使って、韓国人日本語教師8人の方々との交流会。ざっくばらんに話し合いのひととき。その後、それぞれで最後の夕食へ。

 7月6日 帰国の朝。昨夜は最後の夜にもかかわらず、私より早く、全員ホテルロビーに集合。そして優しく微笑みながら一言。「先生が一番遅い」。(言い訳・私の遅刻は3分ほど)凄いです。誰から言われることなく、自然体で発揮するセルフコントロール。おみやげをいっぱい、鞄と心に詰めて、仁川空港へ。今度は、ホテル前からのリムジンバスで。激しい上下の揺れを経験しつつ、無事!大阪へ。午後4時過ぎ、全員にこやかに解散。

【V】訪問後
 以下の文章は、参加者の帰宅後、1ヶ月経っての感想です。「韓国の高校生は、自分の将来を真剣に考えている事が伝わって来た。言葉の壁を越えて、お互いすぐに仲良くなれた。」(11年生・横川 梓)「濃いメンバーで過ごした濃い国での濃い1週間!!」(11年生・友井 智香)「最高に楽しかった。ほとんど知らなかった韓国に興味が持て、友達もできた。」(12年生・堂腰 恵亮)「韓国の時間は、自分を見つめ直す大きなきっかけとなり、とっても貴重な経験でした。」(12年生・文和年)「今でも韓国で交流した友人とメール交換をしています。韓国語にとても興味を持ちました。」(12年生・松田憲)「いろんな楽しい事をしたし、へまもした。高校生との交流で得たものは大きい。良経験と思い出。」(12年生・郭山植)「生まれて初めての母国訪問。忘れかけていた母国語が、スタートボタンが押されたように蘇って来た。5日間ではあったが、充実した時間だった。」(12年生・金季実)

★自然体験キャンプ
田中 守
理科

 今年も自然体験キャンプは、3泊4日の日程で、鳥取県日南町の呼子キャンプ場に行ってきました。いつもと同じように、準備から運営まで全てを高校生のフォレスト・レンジャーが担当し、中1、中2がキャンパーとして参加しました。参加したのは、中1が17名、中2が28名、高1が11名、高2が17名、高3が7名の合計80名でした。

 キャンプ中は天気に恵まれ、楽しいキャンプをおくることができました。ただ、あまりに暑く、熱中症で体調を崩した人が多く出してしまったことは、大きな反省点です。来年以降のキャンプに苦い経験として活かしていきたいと思います。

 レンジャーの末吉さんと平松さんが「森の掲示板」としてキャンプ中に壁新聞を作ってくれていました。キャンプの内容の紹介に代えて、その記事を引用させてもらおうと思います。「森の掲示板」はキャンプの写真と共に学校のコンピュータ上でご覧いただけます。
Vol.14より「森林作業プログラム」

 森林作業では他のプログラムよりちょいと遠征して、木を切ってきました。切ってきた木の量を見てちょっとびっくり!いっぱいきれいに切れていました。しかもはやくにおわってしまったという。上手いんだ!山男になれるぞ!?
Vol.15より「このプログラムはクラフト」

 皆で森の中に入って好きな枝を選んで、好きなものを作ったよ。写真のは木馬を作ってる途中!!あとは足を作るだけ。ガンバレ。のこぎり、小刀、彫刻刀を使って、森林作業顔負けのはたらきっぷりだった。「生水飲むな」の看板を作ってくれたのもクラフトの子だったよ。ありがとネ!
Vol.20より「フリスタ(フリースタッフ)竹のフシぬき」

 フリースタッフのレンジャーは、明日の流しそうめんにむけて、竹のフシをぬいています。この竹にそうめんを流すのだけど、フシをきれいに取って、スベスベにしておかないとそうめんが流れない!!明日の昼食を成功させるために、絶対必要な重大作業。暑い中細かい作業がんばってます!!!谷川先生も途中参加でやってもらってます。

Vol.22より「料理コンテスト」
 みんな楽しかったかな?1位とか関係ないよ。みんなが楽しめたらいいんだから…
 1位:焼きそば(4班)2位:ぎょうざ(8班)3位:ぎょうざ(7班)
 3時が調理の始まり。キャンパーとレンジャーが一体となり、美味しい中華メニューを作ってくれました。みんなたくさん食べて、笑い、はしゃいでいたね。

Vol.24より「熱湯消毒中」
 がんばってます!!み・ん・な・のためいつもおつかれ様です。
CampLife(レンジャーの係り)のみんなで熱湯消毒中です。みんないつもご飯を食べるためのお皿とかを消毒してくれるから安心してご飯食べれるので〜す。感謝しましょう。ひまがあれば声をかけて手伝いましょう。

Vol.29より「CAMPファイヤー」
 長かったようで短かったこのCAMP。最後の夜はキャンプファイヤー、いろいろなパフォーマンス、歌、ダンスなど盛りだくさん!どれも楽しかったし、思い出に残るすごく良いキャンプファイヤーでした。3日間、いろいろなイベントがあった。その中でもキャンプファイヤーは、キャンプ参加者全員そろって一緒に、同じ時間を楽しめたすばらしいもの。本当にみんなと楽しめて良かった。問題もいろいろあったけど、ここまでこれて、みんなでまとまって、キャンプファイヤー楽しめた!!ここでやっぱり言いたいのは、いろんな意味で、本当にありがとう!です。

★ネイチャーゲームキャンプ
馬場博史
数学科

 青少年教学の森野外活動センターには多数の「カウンセラー」がいる。ここでいう「カウンセラー」とは大学生キャンプリーダーといったほうがわかり易い。関西のあちこちの大学から、キャンプが好きで、自然が好きで、子どもが好きな大学生たちが集まり、キャンプリーダーとしての研修に励んでいる。

 今年夏のキャンプシーズンのトップを飾ったのは7/2-4の「千里国際学園ネイチャーゲームキャンプ」だ。キャンプ参加者は20名、付添い教員が2名という小規模の団体だが、少ない人数ながらも中学生と高校生が混在している。このキャンプに対する要望は「すべてのプログラムを自然をテーマにしたゲームにして下さい。」という過去にない難しいものだった。

 ダウンは女子大の4年生。これまでいろいろな研修やキャンプ指導経験を通してたくましく成長してきた。そんな彼女が、「教学の森」の職員でこのキャンプのCD(Camp Director)であるマーガーから、PD(Program Director)に指名された。MD(Managing Director)はヨッシー、他のスタッフはテンテン、ムーン、ミルミル、ピースと、みんな大学3・4年生の頼もしい布陣だ。

 1日目の7月2日午前10時。集合場所の箕面駅では、一人の遅刻者もなくキャンプ参加者全員がスタッフを待ちかまえていた。「おはようございます。これから3日間よろしくお願いします。」まずはここから現地までハイキング。その途中で班分けをして、早速「アイスブレイクゲーム」だ。初対面の生徒同士もすぐに打ち解けてきた。昼食は「ハート広場」でスタッフが作った(うなぎ・アサリ・トマトソース味の)パスタがふるまわれる。評判は上々。第3キャンプ場に着くと、マーガーの指導で「テント作製コンテスト」だ。ビニールシートと杭とロープを使って約3時間の悪戦苦闘の末、ユニークなテントがあちこちに完成した。ある生徒の感想「テントを自分で作るのも楽しかったし、またそこで一夜を過ごすというアイデアも良かったです。あまり寝心地は良くありませんでしたが、とても印象に残りました。」その日の夕食はこれまたスタッフが作った(親子・牛・豚キムチ)丼に舌鼓。食後はビンゴ大会「夏といえば…」。キャンパーにとっては楽しく初日の夜がふけていくが、「カウンセラー」たちは遅くまで次の日のプログラムの打ち合わせだ。

 2日目の朝は「リスのクイズ・リス探しゲーム」で始まった。朝食のあと「ネイチャーハイキング」で森をさまよう。昼食は自炊カレーコンテスト。火起しから始め、隠し味にチーズ、りんご、チョコレートを使ってできた「作品」はどれも美味で甲乙つけ難く審査がむずかしい。午後は「手作りクラフト大会」で、自然の木や葉を素材にしたオブジェを創作する。さすがに高校生の作品には注目が集まった。夕食はまた自炊でヤキソバを作る。火を起すのも野菜を切るのもみんなだいぶ慣れてきたようだ。最後の夜はキャンプファイヤー。テンテンが火付け役。MDのヨッシーが雰囲気を盛り上げる。ゲームや歌に、楽しいひとときがあっという間に過ぎてしまう。ある生徒の感想「2日目は朝からリスを探しに行きました。残念ながらリスをみる事はできませんでしたが、大阪にもリスがいるんだなあと感動しました。その日の夜におこなわれたキャンプファイヤーはとても楽しくて忘れられない思い出になりました。」マーガーが苦心して炊いてくれた「ドラム缶風呂」に入った生徒は少なかったが、そのうちのひとりは「初めの日シャワーでしたが、次の日はドラム缶風呂に入りました。気持ちよかったです。お湯加減も調度よかったです。初めて入ったのでいい体験になりました。」とうれしそうに語った。この夜キャンパーは既設のロッジに宿泊。友との語らいに時間を忘れる。しかし生徒の一人が怪我をして、治療を受けて帰ってきた時はもう夜中。この夜もスタッフは遅くまで最終日の打ち合わせだ。

 3日目は「朝の集い」で始まった。まずは歌で目を覚まそうというわけだ。さすがに眠そうだった生徒たちも朝食の「カートンドッグ」は大張り切り。そして地図と磁石を片手にポイントを探してまわる「オリエンテーリング大会」。しかしなんと迷子が続出。中には車で迎えに来てもらうグループもあったが、全員無事にゴール。最後の昼食は残った食材を工夫していろいろなメニューで「さよならパーティ」。みんなが食べ終わり、後片付けがすんだら退所式・表彰式だ。みんなスタッフ手作りの賞品をもらって大満足。箕面駅まで楽しい会話をしながら歩き、再会を約束して解散した。

 「個性的な子が多いけれど、とても素直ないい子ばかりでやりやすかった。」「みんなで歌った歌を覚えていてくれたらいいな。」笑顔で帰っていくキャンパーたちを見送りながら、ダウンたち「カウンセラー」は一つの仕事をやり終えた充実感でいっぱいだった。
 ♪僕たちは 僕たちは 友達だから
 ♪それだけで それだけで 幸せなのさ
 ♪うれしい時も 悲しい時も
 ♪さびしい時も 分かり合える

★マリーンスポーツを満喫 ―海洋キャンプ
井藤真由美
英語科

 今年この海洋キャンプをはじめて開講しました。理由は主に二つありました。ひとつは、中等部の担任として、中学生のみんなにもキャンプの行き先の選択肢を増やしてあげたいと思ったこと。そして、私自身が(最近はなかなか時間が作れないですが)、以前は川や海でのスポーツや遊びが大好きであったので、自分も楽しみたいし生徒のみんなにも海のスポーツの楽しさと厳しさを味わってほしい、と思ったことです。

 7年生から12年生まで全学年を対象として希望者を募り、抽選で48人の参加者を決定しました。48人を8人ずつの6つのグループに分けましたが、縦割りで男女も混合のグループとしました。この時点で私の中にあったイメージは、年齢もばらばらな男女混合のグループの人たちが、協力し合って海の生活をともにすることでチームワークを育て、まるで兄弟姉妹のように語らい、笑いあう姿でした。そんなさわやかな笑顔や年齢をこえた友情が育つのをたくさん見ることができたら第一回のこのキャンプは成功といえるのではないか、、、と思いながら準備をすすめました。結論から言えば、この点においては大成功だったと言ってもいいのではないかと思っています。兄弟姉妹というよりも、まるで父と子のようなほほえましい何組ものペアの姿が特に印象的です。

 現地でのプログラムには、専門の指導員の方がついてくださるので、中学生も高校生も同じように指導を受けて行動するわけですが、グループリーダーとして、あるいは全体のプログラムを企画してくれるリーダーとして、高校生の力を事前に多いに借りる必要があると判断し、高校生諸君を“マリナーズ”と呼び、出発前に合計5回のミーティングをもって事前準備に励んでもらいました。今回の第一回の海洋キャンプが成功に終わったのはもちろん参加者全員のがんばりと協力によるものですが、とくに高校生のみんなは、キャンプそのものの企画から中学生へのケアまで、よくがんばってくれました。あらためて、“ありがとう”。

【活動内容】
一日目――昼食作り、カッター訓練、大型クルーザー体験、ロープの結び方講習
 かげのない炎天下の昼食作りはちょっと悲惨でした。くたびれ果ててのカッター訓練では恨みを込めての掛け声が、“やき〜そば!!”Yちゃん、カッターのオールを折るとはすごい力。
二日目――いかだ作り、ディンギ―体験、カヌー体験、夕食作り、キャンプファイヤー、花火
 カヌーで沈(チン)したTくん、おめでとう。ファイヤーの時の各グループの出し物はどこもチームワークよくってすばらしかった。Tくん、Sくんのコントに大笑い。斉藤先生の怖い話もとっても怖いのになぜか大笑いでしたね。(誰や、涙流して笑ってたのは) 翔太、ファイヤーリーダー、ご苦労様。
三日目――(希望者のみ)早朝磯釣り、砂浜オリンピック〔だてめがね杯〕
 秦くんの企画は大成功。砂浜オリンピックは暑かったけれどとても盛り上がりました。利奈のスイカ割は見事でした。慶が、ビーチフラッグ優勝者でした。

【参加生徒の感想文より抜粋】
■高三がいなかったため私たち高二がリーダーとなり、ミーティングなどに取り組んできました。今回のこのキャンプに参加しようと思ったのは、もちろん海洋キャンプという名にひきつけられたというのもありますが、中等部、高等部が一緒に楽しむことができるというところに一番興味をもったからです。食事の準備や片付けなど、なかなか思うように行かなかったこともありましたが、まずいご飯でも、みんなと食べると少しおいしくなったような気がしました。暑い中、協力しイカダを作ったり、ビーチでオリンピックをしたりたくさん思い出ができました。年上、年下関係なく楽しくすごせたと思います。(G11)★わからないことがあったりしたら年上の人が助けてくれた。特にロープの結び方など。(G7)★よかったところは、いろいろなことが初体験だったことです。カッターボートなんかもしんどかったけど初めてだし、イカダ作りもちゃんと浮いてこげた時はすごくうれしかったです。(G8)★準備から、中一からのみんなでやったのがよかったと思いました。そのおかげで出発する時にはもうすごく仲良くなれたからです。あと僕はリーダーだったのですが、上下関係なくみんなと友達のように過ごせてよかったです。(G11)■カヌーをやってスゴクむずかしくて大変だったけどやり終えてとても達成感がありました。(G8)★キャンプファイヤーは、班ごとにだしものをしてキャンプって感じがして楽しかった。(G8)
■最後になりましたが、斉藤先生が写真係を担当してくださり、すばらしい写真集が出来上がりました。図書館にも一部置かせていただいています。

★白馬岳登山2001夏 ―チャレンジ・キャンプ
新見眞人
理科

 今年も白馬岳(2932.2m)にテント装備、寝袋、炊事道具、食料等を担いで登ってきました。登山隊メンバーは中等部3年生の田中英実君、池永真央さん、新見眞史君、高等部1年生の川喜田顕君、野村岬さん、木村亮介君、高等部2年生の諸正義彦君、引率の平井太佳子先生と新見、そしてOBSのインストラクターの寺尾綾香(あやか)さん、板舛隆(いたさん)さん、山口恵美(ぱく)さんの総勢12名でした。(私はこのキャンプのメインであった登山についてのみ書きます。また、参加生徒達の感想を要約し、4日間のチャレンジ・キャンプ全体の報告としたいと思います)。 猿倉を朝8時30分に歩き出し、白馬尻小屋からはアイゼンを靴に装着し大雪渓を登り始めました。途中の岩室跡で昼食をとり、さらに小雪渓をトラバースして最後の急登に挑みました。午後4時に全員が無事に村営頂上宿舎裏のテントサイトに到着しました。非常に風の強い一夜で、テント全体がその強風に押しつぶされ、ぺしゃんこになり夜露に濡れたテントの天井や壁の部分が寝ているわれわれの顔や体にぴたっとくっつくような状況でした。翌朝、朝食後、テントを撤収し、8時に出発。相変わらずの強風。快晴。しばらく登って白馬岳山頂にて登頂記念写真撮影。さらに、三国境から小蓮華山そして雷鳥坂へと快適な雲上の尾根歩きを満喫し、白馬大池で昼食と休憩をとりました。ここを午後1時30分に出発し、ダケカンバの中を天狗ノ庭目指して下り、そして樹林帯を通り抜け、蓮華温泉に3時40分に到着しました。一泊二日の登山成功を記念して写真撮影。全員が白馬岳蓮華温泉ロッジ内の温泉にゆったりと浸かり、2日間の汗を流し、疲れを癒しました。私にとってはこれが4回目の白馬岳登山でした。山を登っている途中はとても辛く感じ、いつも来たことを後悔しながら歩いています。ただ、その苦労をすぐに忘れてしまう性格なので、またまた山に登るはめとなってしまいます。今回は、本学園でおそらくもっとも豊富な登山経験を持っていらっしゃる平井先生がご自分のフル登山装備を担いで参加してくれました。上記3名のベテランOBSインストラクターと平井先生に生徒達の指導はお願いし、私は全行程中まさに大船に乗った気持ちでいられました。(いや、実際のところは自分のことで精一杯でした。なんとか生徒達について遅れずに登っていこうと・・・)。

 田中英実(マイケル)君:チャレンジ・キャンプで自分自身について気付いたこと。日焼けに弱い。1日目のプログラムであった Rock climbing が好き。すごくがんばって登った山の頂上は忘れられない。キャンプは楽しい。がんばったら、なんでもできるんだ。

 池永真央(まお)さん:この4日間、とにかく疲れた。けれどもその分すごい達成感があり気持ちよかった。登山したときもすごく疲れたけれど頂上について下を眺めたとき、辛かったことも忘れてしまう感じだった。最終日のランニングは10kmも走ったのは、これが初めてだったので辛かった。ゴールの浜辺は見えてきたとき、「あー。もうちょっと!」って思いがんばれた。そこで海に飛び込んだのが最高だった。キャンプの最後が海っていうのには感動したし、やり遂げて自分自身少し強くなれた気がした。

 新見眞史(しん)君:チャレンジして一番に思ったことは、「やればできる」ということかな。ロッククライミング、登山と下山、10km走なんてはじめはとてもできないと思っていた。でも、実際には一応全部こなし、キャンプが終わった今は、自分でも本当によくやったなと感じています。
川喜田顕(エド)君:自分について、どのチャレンジでも感じたのは、自分は思っていたより意志が強いらしいということ。どんなきついときでも、がんばろうと思えば、思ったよりがんばれたのがすごくうれしかった。ただ、その反面、自分のことばかりに注意が集中してしまい、周りの人たちのことが見えなくなってしまうこともあった。そのへんをこれから治していこうと思う。このキャンプで学んだ教訓「チャレンジは自分自身との闘いだ!」。

 野村岬(さき)さん:初日のロッククライミングは、私が行ったことのある他のキャンプでのものよりきつかった。でも、今回はあきらめずに上まで登れたし、自分で「登ろう」って強く思った。2日目からの登山は初めて3000m級の山であまりにも辛かったので、何度も「帰りたい!」と感じた。しかし、登ってきた道とこれから登る道とを見比べて「やっぱり登る」って思った。それは、みんながいてくれたから、そう思えたのだと思う。ロッククライミングも登山も、自分一人だったら途中でやめた自信がある。最終日午前中の10kmランニングが自分の目標「最後まで給水所以外には休まないし、また決して歩かない」が達成できて本当にうれしかった。3位にもなれたし。(1位エド、おめでとう!2位平井先生、さすが!)。キャンプで自分の中途半端なところがだいぶ治ったような気がする。最後までやりきることの気持ちよさみたいなものがわかった。

 木村亮介(りょうさん)君:ロッククライミングが意外と楽しかった。もっといろいろなコースにチャレンジしたい。登山はやっぱりきつい、でも最後まで登りきれたので自信がついた。また、登りたい。10kmは思っていたより長く感じた。もう、いやだ。今は、この4日間の出来事が頭の中を回っている。そして、下半身はもうガタガタです。本当に疲れた。自分にとって忘れられない思い出となることでしょう。

 諸正義彦(モロ閣下)君:この4日間のチャレンジを通して、いつもの生活での自分の反省すべき点がはっきり自覚することができたと思う。これまで、なにか辛くなるとつい弱音を吐いたり、楽しもうとしたりして、何事にも中途半端なままに終わってしまっていることが多かった。しかし、今回の各プログラムでは全く逃げ道がなかったため、自分でも驚くほど力を出し切り、一つ一つのゴールに到達することができました。高校2年生の半ばにさしかかり、これからの自分自身の進路についても真剣に考えなくてはならないときです。このキャンプが日常生活の面で良い方向への分岐点となれるように、これからも努力を続けていきたいと思います。

 最後に、あやかさん、ぱくさん、いたさんのインストラクターの方々、そして裏方として車、装備、食料、調理等を担当してくださったOBSスタッフの皆さんには、われわれからの心からの感謝の気持ちを伝えたいと思います。今年度も、おかげさまで生徒達に生涯忘れられないような貴重な体験をさせることができました。本当にありがとうございました。

★100キロウォーク

 生徒たちの強い要望に答えて、今年度ついに“復活”した100キロウォーク!琵琶湖のほとり沿いに日本海までのおよそ100キロの道のりを、わずか3日間で歩き通す、SISサマーキャンプの中でも屈指の過酷なプログラムです。ところが過去の歴史を見ると、リピーターの参加者がたくさん居たプログラムなのです。歩いた者にしかわからない魅力を備えた行事でもあります。

 今年の参加者は、10年生11名、11年生3名、12年生4名。「自分の限界に挑みたかった」「大学受験の景気付けにしたい」「体力をつけたい」「痩せたい」「家族や姉妹の絆を深めたい」(?)というツワモノ達が集まりました。

 上記“歩いた者にしかわからない”と書いたので、ここは恐縮ながらとことんウチワウケで、重大事件名を列挙してみます。事件内容など詳しくは参加生徒の皆さんにきいてみて下さい。

 ○ゼリー食い過ぎ救急車事件 ○ウナギ食い過ぎグッタリ事件 ○バス呼び寄せスーパーキセル事件 ○脱輪事件 ○日焼けで死にそう事件 ○炎天下大遠回り事件 ○連続肉刺事件 ○連続海中投入事件 ○地響きイビキ事件

 全国的な酷暑の中、総行程を少々短縮しての実施となりましたが、参加者18名のうち6名が完歩したのはまったく立派です。どうです、通年スポーツ活動が無くても、SIS生徒の体力は捨てたものじゃないでしょう。
(引率:木村姐、田中憲兄、高橋老師、パシリー野島。文責:匿名)

★カエルニモマケズ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナ志ヲモチ―国際交流農業キャンプ
真砂和典
理科

 去年のこのキャンプは希望者が少なくてキャンセルになってしまった。それまでの3年間、細々と私が担当してきたが、このキャンプは本当にきついことに加えて、少人数では団体割引がきかないので、往復の交通費にかなりの費用がかかってしまうという難点があった。貴重な体験のできるキャンプではあるが、あまり強引に誘わないのはそこらあたりにも理由があった。

 ところが、今年は20名が集まってきた。生徒達の働く姿を見ると、やはり来ることができてよかったな、と思う。汗と土まみれのつらそうな表情の中にさえ、参加者の高い『志』を感じることができる。生徒達の書いてくれた感想は実体験をくぐり抜けてきたものなので説得力がある。上島さんが書いてくれた次の文章も私にとって貴重な宝物だ。これを読んでもらう前に、ひとつだけ彼女のエピソードを紹介しよう。

 農業キャンプ3日目はほとんどの時間を田んぼの雑草取りに費やした。みんなが裸足で泥沼のような水田に入ってキャーキャー騒いでいるのをよそに、上島さんだけが長靴をはいたまま青ざめて立っていた。彼女はカエルを大の苦手としているのだ。無農薬の田んぼでは一歩踏み出すごとに数ひきの小さなカエルが足元から飛び出してくる。それでも彼女は逃げることなく、ゆっくりではあるが進んでいった。近づいて来ない様にカエルに声をかけながら草を引き抜く姿は、おかしく、涙ぐましく、そして美しかった。今頃、あの田んぼには穂を重くして頭をたれた稲の豊かな風景が広がっているだろう。

上島由美子
高等部3年

 はいどうも!由美子とDЁVの小さいほうです。まあ、もう夏休みも明けてしまいましたね。みなさん、夏休み何してました?私は、高3なんで、一応受験勉強とかやってましたね。でも、それだけやったら、『高校最後の夏休み、どんだけ楽しくないねん!』ってなことで、行ってきましたよ!どこにって?そりゃあもう決まってるじゃないですか…栃木県にあるアジア学院での農業キャンプにですよ!

 まあこのキャンプ、やること名前のまんまなんですけどね。でも実はやること農業だけじゃないんですよ。なんと…アジア学院に来ている研究科生さんや学生さんたちと国際交流もできちゃうおいしいキャンプなんです!鶏や豚の世話、ワークショップの掃除、野菜畑での農作業など、その他もろもろ学院の仕事の手伝いをしながらアジア学院の人たちと同じ太陽の下、汗なんかもダーッと流しながら交流できちゃうんですよ。キャンプ初夜には学生さんたちがお話をしてくれたり、最終日には、晩御飯を一緒に食べて、その後花火したり、マシュマロ焼いたりしましたね、はい。いやあ、それにしても花火は盛り上がった!そうそう、アジア学院の人たちは花火を手にすると、昼間とは違う笑顔をみせてくれました。

 いや、真剣な話、一緒に作業とかしたんですけどね、その時々に、学院の人たちが、ふと笑顔をこぼす瞬間があって、そのとき思ったんです。『あっ、この人たち農業が好きなんだな…何かのために農業してるんだな』って。学院の人たちみんなそれぞれが、『母国の農業技術を高めて、国の人たちの生活を豊かなものにしたい』とかって、心底強く大きな志を持ちながら日々働いてるんですよね。こういう思いを胸に抱きながら、ちらっとみせる笑顔っていうのは…格別ですよ。…私はその笑顔で、己のちっささをつくづく痛感しました。『自分は一体毎日何してるんやろ…』と自問し、自分を見つめ直しましたね。

 でも、花火してるときは、『志』とか、『母国のみんなの為に農業を…』なんていう気持ちは一切みせず、ただ純粋に『花火おもしれーよ!』って笑顔をみせてくれました。ちょっと安心しましたね、その笑顔をみて、『なんや、私たちと一緒やん!』って。

 あと、作業をしてる学院の人たちの瞳。あったかい瞳をしてましたよ。何であったかく見えたかって考えると…その瞳の奥には、それぞれの家族や国、農業をする理由が潜んでるからかなって、ちょっと思いました。え?由美子らしくないこと言うなって?まあまあたまにはいいじゃないですか。もうちょっとだけ聞いて下さい。

 とにかくね、この農業キャンプ、私は行って良かったと思ってます。普通に吹田に住んでたら出来ないこといっぱいやって、それに、やっぱり『農業』を通じて、人の『真』の笑顔をほんの一瞬の内に垣間みることが出来たのが一番思い出深いですね。『マジでっ!?由美子、そんなん、じゃあうちらと一緒に農業したことは、なんとも思ってへんの?!』なんてYちゃんあたりが今頃言ってそうやけど(笑)『そんなんYちゃん、もちろん・・・全く何とも思ってへんよ!』ってなんでやねんっ(笑)!はいっ、ありがとうございました!

★非日常の生活 ―心の旅
山本靖子
英語科

 今年の心の旅も高野山恵光院にて行われました。12年生17人+11年生1人という去年よりにぎやかな人数ながらも落ち着いた雰囲気で、日頃のあわただしい生活から離れて、お寺での修行に規則正しいながらも静かなゆったりとした生活は、例年にない暑さを差し引いても自分の心を見つめ直す心の旅に最高のセッティングを与えてくれました。

 このキャンプのメインのお寺での活動は朝の勤行に、作務(掃除)、阿字観で、最初は座禅を組む阿字観にみんななかなかじっと座っているのに苦労しましたが、最後の方にはだんだん慣れてきて、あまりに気持ちよくて意識が消える人もいたようです。ほとんどの人間がはじめて取り組んだ写経はなかなか集中力を要し、最後にはみんなくたびれたようですが、いい体験になりました。これらの活動に加え、お坊さんの協力を得ての奥の院散策や周辺寺院の見学、そして肝試しに花火とエンターテイメント性も加えたキャンプとなりました。恵光院の方々に美味しい食事から全ての活動の準備に何から何までお世話になりました。まだ若い方々だったので、色々な話も出来てそういう意味でも楽しい時を過ごせたように思います。2泊3日の旅はあっという間で、帰りたくないという声も聞く中、後ろ髪を惹かれる思いで高野山を後にし、最初の集合の地、難波につくとすっかり気分は下界に下りてきた天使(?!)のようでした。参加者の多くが当初の目的にしていた“自分について考えてみる“ということはなかなか達成できなかったようですが、“自己発見“とはそんなに簡単にできるものではないこと、何にもしない時間の大切さそういうものを友達との語らいや様々な活動、美味しい精進料理などの思い出とともに得た、ゆったりと時間を使いながらも中身の濃い旅となりました。以下にとても印象に残った言葉、食事のときの合掌の言葉(協力:Kさん)とそれに続き、参加者の感想を記載します。(編集上多少変更を加えていますので予めご了承を。)

 「一滴の水にも天地の恵がこもっております。一粒の米にも万人の力が加わっております。ありがたくいただきましょう。」

 「ぼーっとするということは実は最高の贅沢であり、時間がこのお寺の中だけひいきされてるみたいでした。世話をしてくれたお坊さんが皆いい人だったのでとても嬉しかったです。」「来る前はいろいろ不安もあったけれど、実際参加すると、お坊さんたちはとても優しかったし、普段体験できない勤行などをすることが出来たし、高校最後のみんなで行く旅でいっぱいよい思い出が出来て、とてもよい旅だったと思う。」「この旅で学んだことは真言宗でした。仏教に新たな親しみを感じました。」「最初の目標の自己分析は正直言ってあまり出来ませんでしたがみんなで過ごした時間は高校生活においての大切な思い出となったと思います。」「いつもはお寺とか全然興味がなくて、家族で見に行っても楽しくなかったけど、お坊さんとかに説明してもらうと納得して少し興味が持てました。」「この3日間この涼しくてとても居心地のいい高野山で過ごし、色々なことをし、完全にとはいわないけれどかなり癒されたと思います。(ストレス+悩み)×(高野山)3=癒し」「暑かったけれどとても面白い旅でいい思い出になりました。」「座禅とか本当に何も知らなかったけれど実際してみると大変でしたが、毎朝早くからお経を聞いていると何かいつもと違う感じがして新鮮味があったし、料理も非常に美味しかった。」「始めは阿字観とか笑ってたけど、最後らへんは一応集中できました。瞑想がこれからの自分に役立ったらいいと思います。」「始めの目標は少しでも悟りに近づき、落ち着いた心をもち、強い精神力を手に入れることでしたがはっきりいって目標は達成することは出来ませんでした。やはりそういうものはすぐにできるものではなく、色々なことを経験し、人生にはつらいこともたくさんあるんだということを受け入れ、乗り越え超えてゆく力がある程度できた上でちょっとづつわかってくるものだということがわかりました。しかしそれがわかっただけでもこの旅はためになったといえるかもしれません。」「このキャンプは自由時間が多くてのんびりしてて、そこがよいと思います。」「目的の規則正しい生活と電気製品からしばし離れるということが達成できたので満足です。」「あまりにも何もしなくてよい時間が長く与えられていた。そして自覚した。私は好きにしていい時間に久しかった。しかしその悟りこそこの旅の目的であったのではないかと思う。」「お寺での活動はきつくてのほほんじゃなかったけど、ゆっくり話せる時間が多くてよかったです。」「自分の生活のリズムがきちんと整ったし、座禅などをするにあたって集中することの難しさが身にしみました。」

★高校生ワールド・リーダーズ・サミット
星野佑子
高等部2年

 今年の夏、私は「高校生ワールド・リーダーズ・サミット(Presidential Classroom)」というプログラムへ参加する機会に恵まれました。これは35ヶ国400人もの高校生が一週間をワシントンDCで過ごし、世界が抱えている問題を議論したり、世界を舞台にして仕事をしている人たちのセミナーを聞いたりするプログラムです。私がこのプログラムに応募した理由は3つありました。一つ目は世界の歴史や文化、政治に興味があったこと。二つ目は自分の英語がどれだけ世界に通用するか知りたかったから。三つ目、そして最大の理由は世界の高校生たちと世界問題について話し合い国際交流をしたいと思ったからです。

 参加した高校生の大半はアメリカ人でした。とはいっても、その人たちのバックグラウンドを考えると十人十色、いや一人十色といっても良いほど豊かな個性で満ち溢れていました。本当に様々な人がいて、一人ひとりの個性の強さに感動しました。そんな中で一週間色々な人と出会い、多くの事を話しました。自分の国や自分自身の話から、時には現在問題となっている日本の「歴史教科書問題」について台湾の人と話したりもしました。一週間という短い時間の中でこんなにたくさんの人と真剣に話し合ったのはおそらく今回が初めてだったと思います。

 サミットでは人権、テロリズム,ナショナリズムなどそれぞれのトピックに分かれて話し合う「Working Group Meeting」が毎日夜遅くまでありました。このグループでは、最終的に共同声明コミュニケを作り上げ、各部会で読み上げ全ての国に賛成して認められることが必要とされます。また、他の日本からの参加者と共に日本代表としての立場を皆で話し合う「Delegation Meeting」では、各国から出された意見と討論の進行状態を報告し合い「Working Group Meeting」へ新たな日本の意見を持っていく事も繰り返しました。各国からの賛成権をもらうのは非常に難しく、できるだけ世界にとって平等な意見を生み出さなければなりませんでした。全ての「Working Group」に賛成意見がでるとは限らず、反対意見がでる場合もありました。私のグループが発表したコミュニケは残念ながら全ての国から賛成権をもらう事はできませんでした。けれどもほとんどの国にとって良いコミュニケができたので、私は満足ではなかったけれど嬉しく思いました。

 私がワシントンDCで過ごした一週間はすごく充実感があり、ここには書ききれない程、他にもたくさんの事がありました。そして一番嬉しかったのは、私がこのプログラムに応募した最大の理由でもある国際交流ができたことです。400人全員と話すことはできませんでしたが100人ぐらいの人と話すことができました。帰国して一番強く思った事は、みんながどれだけ自分の国のことを一生懸命考えているか、そして自分がどれだけ日本という温室で平和ボケしていたかということです。

 サミット以外にも市内観光、セミナー、副大統領からの講演など様々なアクティビティーが計画されており毎日のスケジュールは過密でした。帰国してほっとする反面何か物足りなさを感じてしまうのはきっとこの一週間の内容の濃さを実感していたからだと思います。

 最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えて下さった馬場財団の皆様、学校の先生方、いつも支えてくれた家族と友達、そして最高の思い出をくれた日本の仲間に心からお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。みなさんも機会があれば是非参加してみて下さい。

★TIPでの3週間
大津留聡美
高等部1年

 私は7月7日から28日までの3週間、North Carolina の Duke University West Campus で Talent Identification Program(TIP)に参加しました。TIPは中・高生を対象として自分が興味を持っている授業に参加するもので、コンピュータから歴史や政治までさまざまな授業がありました。

 私は Advanced Lab Science に参加し、主に化学と生物の実験をしました。いちごからDNAをとり出したり、アスピリンをつくって市販のものと比べたりしました。一番大変で印象に残ったのは豚の胎児の解剖でした。臓器の並び方は人とほとんど同じで、生物で習ったのと同じだったので、「本当にこんなふうになっていたのか」、と思いました。

 また、実験の前(や後)に、これらの実験は何をしているのか、ということを授業で学びましたが、難しくてついて行くのがやっとでした。でも他のメンバーは、よくわかっていて、質問にどんどん答えていて「すごいなぁ」と思いました。夜には Evening session があって、Teaching Assistant の Seanがガンの話や神経の話などをしてくれました。最後の日には NC Museum of Natural Science に行き、帰りにみんなでピザを食べて、楽しい Field trip をしました。

 3週間のあいだはDuke大学の寮で暮らしました。二人部屋のルームメイトは Amy という子で、Forensic Science の授業をとっていました。トランプをして遊んで、新しいゲームも教えてもらいました。また、同じ階の12人くらいの子で1つのグループ(RAG)になっていて、大学生のリーダーが1人いました。その人はRCと呼ばれていて、私のRCは Shanaでした。Shana は毎晩同じ曲をかけていたので、その曲がRAGのみんなの耳から離れなくってしまいました。そのRAGで夕飯を食べたり、行事に参加したりしました。

 夜はいろんなゲームがありました。他のグループの人も一緒になってボードゲームをしたりビデオを見たり街へ行ったりしました。また、ダンスがある日は全員が庭に集まって遅くまで踊っていました。2週間目には Lip Sincといって、歌にあわせて口パクをしながら踊ってだれが一番おもしろいかを決めるイベントや、他の日にも運動会などいろいろなイベントがありました。最後の日はみんな遅くまで起きていて、Yearbook にサインをしたり、しゃべったりしていました。Amy は寝ませんでしたが、私は3時くらいで眠くて寝てしまいました。次の朝、みんなと別れるときはさみしくて、泣いている人もいました。3週間だけでしたが、今までしたことのない事を経験でき、TIPに参加してよかったと思います。

★TIPとは、米国のノースカロライナ州にあるデューク大学主催のTalent Identification Programのことです。主に米国の中高生を対象とした「才能開発プログラム」の一つで、学問への興味と感心を高め、参加者同士の交流を深めることを目的とした夏期講座です。大学の施設内に宿泊し、大学レベルの専門的な科目の中から一つを選択して3週間集中的に学びます。本学園からは開校以来、夏休みを利用して毎年数名のSIS/OIS生徒が参加しています。来年度のTIP説明会は、11月中旬に開催を予定していますので、次号のインターカルチャー及び11月の月間予定表で日時をご確認ください。
(栗原真弓:カウンセラー)

★TIPで遊び学んだ
山田啓志
高等部1年

 ポップコーンを掃除機で吸いながら“This sucks!!”ってちょっとおもろいかなって思って言ってみたら、笑ってくれた。大学の寮の狭い廊下、みんなで投げ合ってたポップコーンの袋を蹴り飛ばしたら、雪のようにポップコーンが降ってきて、あたり一面の銀世界に「これはヤバイっ!」と気づき何とかしなければと思ったときには時すでに遅し、怒られて、しぶしぶと掃除機を取りに階段を降りて行った。「でもいいんだよ、たのしいから、掃除すりゃ廊下はもとどおりになるから、でも今、この瞬間アホやって、怒られて掃除させられるのは今しかできない」、そう自分に言い聞かせてた。けして言い訳じゃない。そう思って、また掃除しなからアホなことやってたら再び怒られた。「でもやっぱりいいんだよ。」こいつらと遊べんのあと4日しかないんだからって何回も思ってた。最初はほんとにアメリカ人の異常なまでに高いテンションに付いて行けないと思い、怒られるのもイヤやしあんま深入りせんとこっておもってた。でも時が流れるに連れてものたりなくて、なんとなくもっと一緒に遊びたいって思いはじめた。その日からおれはアホになった。ペットボトルのフタを走行中の車に投げつけたり、スプリンクラー使って暴れたり、廊下でアメフトやったり、寮の窓の外を通る違うキャンプできてるやつらに水風船で夜間攻撃仕掛けたり、ほかにも忘れちまうくらいいろいろやった。一緒にいれば常にアホだった。毎日怒られて消灯なんて存在しなければ終わりのこない毎日だった。

 でもただ単にアホだけじゃないってのがこいつらのかっこいいところだ。みんなとことんふざけるけど、とことん究極まで求めることができるヤツラ。中途半端には終わらせなくて、知識をちゃんともち合せている。歯みがいてるときでも昼メシを食べてる時でもその場に関係なく、核兵器について議論していたりキリスト教のことを語り出したりメシに全然手をつけないくらいに熱戦になってたりもした。そんな彼らがかっこよかった。アホなくせに、アホじゃない。アホだと勝手に思いこんでたやつがいきなり“160デシベル以上(多分そんなんやったと思うけど)の音だと心臓って停止するねん”って教えてもらって、おれは、まじかい?って尊敬しなおした。しかも、めっちゃジョークを交えて話してる。アホの中にも知識を知識の中にもアホを入れて話せる、そして遊べる、なんか両方中途半端に終わっちまってたおれにはとてつもなくカッコよくて、日本のやつらよりずっと大人に見えた。

 ちなみにおれはTIPで遊んでばかりいたわけじゃない。ここにきてるやつ全員できる奴らだから、まじめにやらなきゃ落ちこぼれる。心理学も、かなりがんばった。ほかの奴らに負けたくなかった、日本からきてるからって違う目で見られたくなかった。最初は本当に心配で3週間がとてつもなく長い時間のようだった。でも、行ってよかった。行こうと考えてるひとらにはぜったい勧めたい。人生を動かす刺激があるかもしれない、そうでなくても普段の生活を変えたくなるような刺激は絶対に見つかるから。

★カナダで過ごした夏
松村直子
高等部1年

 私は、今年の夏、7月3日から7月20日まで、カナダのオンタリオ州で行われた Conestoga Bible Camp というデー・キャンプのカウンセラーに採用され、参加しました。そのキャンプは、私が小学生の頃から毎年日本からキャンパーとして参加しているものなので全てが初めてというものではありません。しかし、世話をしてもらう方からする方になり、全く逆の立場になってしまいました。

 Conestoga Bible Campには、7歳から14歳の子供達がキャンパーとして朝の10時から夕方の4時30分までの間、2週間土日以外全ての日にやって来ます(しかし、カウンセラー達は、キャンプの施設に泊まって仕事をする)。キャンプでは年齢ごとにグループ分けをします。そこで、私を含めて3人のカウンセラーが、8人いる7歳児の担当となりました。元気いっぱい、はしゃぎまわり、とてもかわいい子供達でした。膝にのってきたり、くっちょぐっちょに自分が知っていることや、うれしかったことなど、自分の飼っている犬の話をしてくれたりします。しかし、時にはいたずらをしたり、行ってはいけない湖の近くの崖に行ったり、木の枝を持って振り回したり、石を投げたりもします。そんな時、私達カウンセラーは決して怒ったり、その子供のやっていることを否定したりしてはいけません。これは前もって教わっていたことで、私達はその子供達に常に行動を見られている、いわばお手本のようなものだからです。子供達に、万が一のことがあった場合を考えて、どうしても注意しなければならない時、例えば、石を投げる子供に対しては、“Rocks loves to stay at the ground with their friends”というように注意をします。この注意で、ほとんどの子供が石を投げるのをやめるのですが、こりない子供はもちろんいて、そういう子供に対しては、“If you got separated with your good friends, won't you get sad? I think those rocks are sad too.”と言うと“Yeah, I think so too.”と答えてやめてくれました。「こんな子供だましのようなことで石投げをやめるかなあ」と思うかもしれませんが、怒って石投げを無理にやめさせ、両方気分を悪くして、楽しい時間を過ごせなくなるより、ずっといいのです。自分がその子供の立場だった時、どうしてもらいたいか、それが一番子供と接する上で大切なことだということを私は学びました。別に、カウンセラーについての特別なマニュアルはありません。ただ私の経験上、子供と一番仲良くなれる方法は、自分を子供より上の立場だということを子供に意識させないために、すること全てにプライドを捨てて、一緒に幼稚なこともしたりすることです。なかなか、複雑な立場ですが、私は子供が好きだったのでストレスもなく、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

 また、一緒に寝泊まりした同じ年頃のカウンセラーたちとも友情が深まりました。キャンプを出る最後の日の夕食の時、キャンプディレクターが日本人である私のためにナイフやフォークを使わずにお箸を使って食べることを企画してくれました。しかし、このことは、どのカウンセラーにも前もって知らされていなかったので悪戦苦闘してジャガイモやグリーンピース、ポークを食べることになりましたが、私を変に外人扱いせず、みんなが友達として接してくれて、とてもうれしく思いました。
 このように今年の夏は、子供達の純粋な心と同世代の友達のあたたかい心に触れ、感動と思い出が残る日々を過ごすことができました。

★3週間の New Zealand life
曽我部友紀
中等部2年

<New Zealand>
 私は、この夏 New Zealand の Hamilton で3週間を過ごしました。南半球なので日本と季節が逆です。日本から11時間、飛行機に乗って着いたのが Auckland という大きな都市です。そして2時間程バスに乗り Hamilton まで行きます。外の風景を見ていると気づくのが、ほとんど家が一階建てであるという事です。(まぁ二階建ても、ありますが一階建てに比べ、かなり高価なそうです。)Hamilton は Aucklandに比べ自然が豊かで少し田舎です。

<ホームステイ>
 今回 New Zealand へ行くのは4回目で毎回、同じ所でホームステイをさせてもらっています。そこには Colleen と Brian という仲の良い老夫婦が住んでいます。その人達は留学生を受け入れるのも10年目という大ベテランで、毎年、私を孫のように可愛がってくれます。家では Colleen と片言で言い合いをするほど親しく、とてもリラックスできました。2人はとても日本が好きで日本の置物が所々に置いてあったり、お寿司を食べる時は、ご飯が真っ黒になるほど、しょうゆとワサビをつけて食べたり、マヨネーズも愛用しています。又ほとんどの家庭では靴を履いたまま家に入りますが、この家では日本と同じように靴を脱ぎます。そして2人とも、それぞれ Colleen は編物とガーデニング、Brian はゴルフというように趣味をもっていて毎日楽しんでいます。2人は教会のボランティアにも参加していて、とても優しい心の持ち主です。Brian も Colleen も私に分かりやすいよう、ゆっくり喋ってくれたり簡単な単語を使って話してくれたりしたのであまりホームステイで苦労はありませんでした。

<ドキドキの初登校>
 今回は、中学二年生になったし英語の勉強もしたいと思い現地の英語学校へ通いました。その為、期待と不安でいっぱいでした。初日クラスへ行くと、2人の女の子がいました。その子達は韓国人で長い期間 New Zealand に滞在しているそうです。彼女たちはなにも分からない私にいろいろ授業の事などについて、とても親切に教えてくれました。クラスメイトが、教室に戻ってきて私がとても緊張していると、皆 Hello! と声をかけてくれて、まるで前から居たかのように接してくれた為、明日からの学校生活の不安が無くなり楽しみになりました。

<コミュニケーション>
 クラスは10人というかなり小さいもので、ほとんどが韓国人で日本人は私1人でした。だから、私は日本語を教えてあげて、友達が韓国語や中国語などを教えてくれました。英語だけでなくいろいろな国の言語や文化の違いを学びました。お互い英語はあまり上手ではないけど、絵やジェスチャーなんかで通じる事はたくさんありました。伝えたい事があれば必ず伝わるのだという事を実感させられました。しかし、これと反対に国が違う事で苦労したり嫌な思いをしたりした事もあります。例えばランチタイムの時、私はいつも仲の良い韓国人の子に誘われて韓国人ばかりの中で一緒にランチを食べます。私は別にそんな中で食べる事を意識していませんが、皆思うように英語で喋れない為、どうしても母国語(韓国語)で喋るのです。私には、もちろん韓国語は分からないので少し孤独な感じがしました。しかし、このような体験をしたからからこそ難しさ、そして素晴らしさをそれぞれ身にしみて実感できたので本当に良かったです。  

<English>
 最初、授業はハードで全然分かりませんでした。しかし不思議なもので何日かしたら、だんだんと慣れてきて先生のいう事も分かるようになり、授業が楽しくなりました。知らないうちに身についているのだなと嬉しく思いました。そして今回、知り合った人達とメールなどで、これからも交流があれば良いと思います。  

<今の私>
 帰国すると New Zealand は冬だったし日本が夏真っ盛りだったので気分が悪くなりました。それと同時に New Zealand から帰ってきて寂しい気持ちと、ホットした気持ちを感じました。そして家に帰って数日後、祖母に「前より、ありがとうってよく言うようになったね!」と言われました。確かにそうです。New Zealand では家庭の中(夕食の時、塩をとってあげただけ)でも、しょっちゅう「Thank you!」という言葉を使います。実際、それは当たり前なのだけど、私達がつい忘れてしまう事です。3週間しかいなかったから英語は、あんまり上達しなかったけど「Thank you」だけは言えるようになったし、まぁいいか。

★Australiaでの2週間
三嶋惇平
中等部2年

 僕はオーストラリアに2週間いきました。まず、始めの2日はファームステイをしました。チェラバーというところで馬に乗ったり牛の乳搾りや、ブーメラン、羊の毛刈りショーをみたりしました。そこで2日間過ごした後、ホストファミリーの人達にあいました。そして、家までいって、家族を紹介されました。家族は、高校2年生と中学3年生のお姉ちゃんと、小学校5年生と4年生の男の子と、お母さんとお父さんの6人家族です。そして、ペットが、2匹の犬と、3羽のアヒル、15匹のにわとりです。とても庭が広く、いつでも犬が走り回っていました。

 いよいよホームステイが始まり、英語で話せるかとても不安でした。でも、大丈夫でした。むこうの人も聞き取りやすいよういにゆっくりしゃべってくれたり、僕が話すときは静かに聞いてくれたりして、とても優しくしてくれました。午前中に英語のレッスンがありました。レッスンといっても、日本のものとはちがって、会話が多かったです。文法はあまりやりませんでした。レッスンで、子供達の運動会をみにいったり、学校で折り紙を教えたり、展望台にいったりしました。むこうの学校などで、英語の環境に少しなれることができました。午後は町にいって、ショッピングをしたり、遊園地みたいなところにいったり、コアラやカンガルーを見にいったりしました。カンガルーに餌をあげるとき、すこし恐かったです。遊園地などで、ショーがありました。英語で、しかも早口だったので、あまり聞き取れなかったけどとてもおもしろかったです。

 日本と大きく違うのは、やっぱり食べ物でした。朝ご飯は、大体の人はシリアルを食べます。シリアルも日本のコーンフレークとはちがって、砂糖のこなのようなものがたくさんかいっていて、とても甘いです。トーストもありますが、付けて食べる、バターやジャムなど、日本と味が違うのであまり僕はたべられませんでした。昼ご飯は少ないです。なぜなら、アフタヌーンティーっといって、日本のおやつみたいなのが必ずあるからです。それと、ランチで一つの昼ご飯みたいなかんじでした。夜ご飯は、ふつうですが、少し少なめでした。この家族だけかもしれませんが、あとに必ずデザートがあるからです。それでちょうどいいようにだされていました。ご飯を食べた後はテレビをみたりしていました。英語だからわからないけど、きいていると少しは英語の勉強になります。あとはもう、すぐ寝ていました。シャワーは、これも日本とちがって、ご飯の前に必ずはいっておきます。理由は僕も知りません。

 毎日こんな感じで、あっというまに2週間がすぎました。ホストファミリーの人達と別れるのはとてもさびしかったです。色々おせわになったし、本当に感謝しています。日本にかえって、この2週間はとてもいい経験になったとおもいました。英語も少し分かるようになったし、むこうの人ともなかよくなれたし、とてもいい2週間でした。

★ユニセフ子供&若者セミナーin KAWASAKI
奥村 舞
高等部1年

はじめに
 さて、つい最近も日本の警察官が買春にかかわったという衝撃的なニュースがながされた。日本が買春・売春両方の大市場となっている事は私も言われるまで自覚が全く無かった。確かに、深く目をやってみると日本は性産業であふれかえっている。町にある風俗店の看板、コンビニで売られるポルノ雑誌…。世界中のポルノのうち、80%を日本が占めているのだ。私たちは性について軽い考えを持っていないだろうか。こんな現状の裏では、世界に、特にアジア、アフリカで未成年に対する商業的性的搾取が行われている。

 私は8月27日〜29日の3日間、神奈川県川崎市で行われたユニセフの合宿式セミナーに参加した。これは子供の商業的性的搾取(CSECという)や性的暴力、子供の権利などについて学び、話し合い、理解を深める参加型のワークショップである。このセミナーの特徴は、「若者による、若者の参加」である。実際に世界でこれらの問題に巻き込まれている子供たちと同世代の若者、あるいは子供達が話し合うことによって、私達の視点から見た解決法をさぐっていくものだ。 まず私がこのセミナーを知ったのは、季節ごとに送られてくるユニセフのニュースレターに第1回セミナーの様子、そして今回の参加者募集の記事が載っていた事からはじまる。結果的に、このUNISEFのセミナーは私に大きな影響を与えた。具体的に言うと、「若者にもできる」ということを若者達によって実感させられた。そこで出会った人達はみんな子供の商業的性的搾取に対し、あるいはどんな問題に対しても熱心だった。私はこれから、そのセミナーのうち、私が参加したいくつかのワークショップを紹介したいと思う。

買春とは
 ところで、みなさんは「買春(かいしゅん)」という言葉を知っているだろうか。多分、多くの人は「売春(ばいしゅん)」というものは知っているだろう。私達は、CSECについて学ぶ時、あえて「買春」を使っている。なぜかと言うと、この問題の多くの場合に子供が大人から性的虐待を受けていて、これは買っている大人側に責任があると考えるからである。日本も海を越えてこの問題に深く関わっている。旅行会社から「買春ツアー」で、アジアの売春宿をまわって未成年相手であっても性的行為をしている実態がある。そして深刻なのはもちろん、「子どもだから何をしてもいい」という考えのほかに「貧しいからお金を恵んであげているんだ」と言わんばかりの態度で臨む人もいること。貧しいけれど、他にも働く道はあるんだよと教えることができるのが先進国に住む日本人の立場ではないのだろうか。

一日目・オリエンテーション
 私達のプログラムはオリエンテーションから始まった。まず、スタッフの紹介を受けたときに私が驚いたのは、5つのNGOの人達が私達にワークショップを開いてくださるのだが、全員が私とほとんど年の違わない若者であったということだ。予想していたのは年配のベテランさんだった。けれど、若者である彼らはすごく行動力があって、私たちをリードする力があったので私はつい見とれてしまった。特にある一人の人に私は感激して「なんでそんなに自分の考えを持っていて人前でもうまく話せるんですか?」とつい、尋ねてしまった。すると、「昔から色んな人とかかわってしゃべってきたからじゃないかなあ」と何気ない答えを返された。でもなんだか納得できる。人と触れ合うのは大事なことだと思う。でも、彼女がしっかりしているのはそれだけが理由ではない。自分からCSECに興味を持ち、実態調査をしたり、いろんな活動に積極的に参加してきたその努力の過程で身についた賜物なのだろうと私は思う。

学習会−マニラ会議の報告−
 初日の学習会は2つあった。1つはセクシュアルライツワークショップ・ルンドゥヤン劇団(フィリピンの路上、広場、施設で演劇を元に子供の権利を訴えているグループ)によるワークショップ。もう一方が、私がうけたNGO“エクパットジャパン”の人達による、去年の5月に開かれた「子供の商業的性的搾取に反対する若者の世界会議(通称マニラ会議)」の報告である。そこで私は、会議の様子を聞く事ができた。そこでは世界の29カ国から若者代表が集まり、まずアジア、ヨーロッパなどの地域会議が開かれ、各国の報告をしあったそうだ。その後、全体会議ではアジア地域の報告として、一つにまとめあげたパフォーマンスができあがった。これは後の感想で聞くと、団結によって、他の国々と問題に取り組む意識の確認ができたそうだ。その内容はスクリーンで見せてもらったが、歌や踊り、寸劇など、言葉の壁を越えて若者が国を代表し、一番伝えたいことを体ごと表現したものであるように私には写った。そのほかにも国ごとに状況を報告しあったらしいが、私の印象に残ったやりとりがある。会場で、あるケニア人の女性が「何故、欧米の人達はアジア、アフリカから子供を買っていくのか。それは欧米に子供がいないからか。」という質問をした。それに対し、とまどいながらも米国の男性答える。「未だに根強い人種差別が残っているからだろう」と。会場の雰囲気が重いなか、スウェーデンの男性が「今は互いを責め合うための時間ではなく、それをなくすために話し合っているのではないか」と指摘する。そして会場は拍手に変わった。その男性も幼い頃に、自分の体を売った経験があるらしい。私は、はっきり言って自分の国が責められるのは恐い。なんと答えたらよいのか迷うだろう。謝るべきなのか反論すべきなのか。例えば戦争の面でも日本はアジア諸国にとっては大きな加害者である。話は戻るが、私は、世界会議で多くの地域から多くの人が集まる事には、大変意義を感じる。互いの国同士の欠点や責任を問いただす事も必要だが、私たち若者にはそれを乗り越えて団結できる力があるのではないだろうか。 アジア各国から、「日本はアジアの良い手本となってほしい」と要望があったそうだ。日本は技術などの面でアジアをリードする存在にある。だから人権を守る面でもアジアがよい真似をできるようになってほしいという事だ。例として、日本のマスメディアがあげられた。ケータイなど私たちの生活を便利にするものによって起こされるCSEC。テレビやテレビゲームによる子供への悪影響。私は、日本がいろんな世界のトップを目指しているように感じられる。おそらく私と同感の人は世界中にも多くいるだろう。私が日本を好きで暮らしやすい良い国だと思うのと同時に、アジアの人達からも日本を認めて欲しいと強く願う。彼らから大きな信用を得るためにも、日本は人を第一とおく体制を築き上げなければいけないと思う。 その他、初めて知った各国の状況がある。例えばアフリカに関して。みんなは、アフリカと言われて連想するものはなんだろう。飢餓、人種差別…。アフリカでもCSECの問題は大きい。しかし世界からスポットライトを浴びているのは他者のほうだ。感じた事だが、世界は子供の売春、買春に背を向けていないだろうか。子供はまだまだ弱い立場、大人のコントロール下にあり、又、世界は性という問題に対しあまり重要視していないように感じる。こういう状況を変えるためにも、マニラ会議によって世界中から若者が集まる事は意味のあるものになったにちがいない。

ルンドゥヤン劇団によるワークショップ
 その晩、昼に行われたワークショップの続きとして、フィリピンから来たルンドゥヤン劇団の代表の方が性について話してくださった。実は私は昼、別の学習会にでたので、なんだかいまいち分からなかったのだが参加させてもらった。彼女が私にとても大切な事を教えてくれた。それは、彼女が性(男女)をダイレクトに話してくれた事だった。私たちは性について偏見をもっていないか。性について話す事をいやらしがったり、恥ずかしがったりしていないだろうか。けれど、私たちは自分の体のことを知る必要がある。それは、私たちが性について知らないと、自分や他人の体を大事にしない、つまり買春や性的虐待が起こりうるのである。私たち一人一人に権利があるのと同時に、私たちの体には自分しか触れる権利の無いものだってある。これはとても大事なことである。

二日目・インプットの時間
 毎朝、私たちは6時に起床して劇団の人達が毎日やっているというすさまじい体操をした。ルンドゥヤンの団員だけが余裕の表情で、私たちは四苦八苦だった。おかげで目がぱっちりとあき、またすぐ始まるプログラムに向けて気合が入った。この日は、インプットの時間といって、5つのNGOがそれぞれひらくワークショップを全てまわるというものであった。 はじめにいった部屋では2枚の絵を描いた。自分が小さい頃の絵、そしてもう一枚は私の考えるunhappyな子供の絵だ。私の小さい時の絵についてはあえてコメントを控えるが、unhappyな子供の絵には戻る家と家族のない孤独なストリートチルドレンを描いた。私は今まで飢餓にいる子ども達ばかりに注目してきた。しかし、なぜこの時飢餓の子ども達ではなくストリートの子どもを描いたのかというと、飢餓の子どもでも家族がいれば彼らにはまだ大事なものがある。ストリートの子どもはそんな家族からも見放され、自力だけで生きている。通常日本で子どもは必ず誰かに守られるべき存在なのに、こういう子供たちは考える能力が十分備わってない頃から誰にも頼らず生きている。そういう子供達に誰か安心できる大人がそばにいてほしいと願いながら絵を描いた。 次の会場では児童買春についての知識を確認するためにグループになったが、別に何について話しても全く良さそうな雰囲気だったので私を含めた4人でいろいろな話をした。みんなどうやってこのような機会を見つけたのかとか、学校での問題に対する取組みはどうかなど。大学生のお兄さんが、私たちをうらやましがっていた。「もっと若いうちに君らみたいに色んなことやっとけばよかった〜」。又私が気づいたことで、性的虐待をうけた後も苦しみを乗り越えてきた人のことをSURVIVERともいうのだが、それがかえって差別的な表現に聞こえないだろうかと思った。生き残っているという言い方に、なにか差別の音が聞こえるのは私だけではないだろうと思う。ただ、これは虐待を受けた人が一番良く分かる事なのだろう。このほかVICTIMや、WARRIORという呼び方もある。私はこうやって他の地域に住む人、あるいは異なった年齢で異なった環境にいる人と話す機会をもち、とても視野が広げられた気がする。 私のようにSISで日本ですすんだ教育を受けているとなかなか感じられない日本の教育の現状も、このセミナーに参加して初めて実感させられたものだった。もっともこの合宿には強い意志を持った人達ばかりが集まってきたのだが。 例えばむこうでしょっちゅう耳にしたのが、「性教育が少なすぎる」という声だった。それは先生が教えるのを拒んでいるからだとみんなは言う。日本は今まで性についてまったく教えてこなかった。タブー視してきた。保健の先生が男の人が多いようで、教えるのを大変恥ずかしがっているようだ。もちろん、私の学校では若い男の先生がちゃんと全て教えて下さっている。 次の部屋ではビンゴゲームを通して、子供の権利条約について学んだ。「世界で子供の権利条約に調印してない国は?」答えはなんとあのアメリカ(とソマリア)である。私はアフガニスタンやアフリカが怪しいなと感じたのだが、大きく的が外れた。アメリカの考えによれば、条約を結ぶ必要はないだろうという。確かに客観的に見ればアメリカは子供の人権を守っているように見えるが、私としては、世界をリードする国として条約締結に参加しなければ信用できない。

二日目・ワークショップ
 午後はまたちがったワークショップがあった。7つあるうちから2つ好きなものに参加できる。私がいった2つのうち、一つを紹介したい。元参議院議員清水澄子政務秘書の宇佐美氏による「『子供の商業的性的搾取』問題に対する日本と世界の取り組み」についての講義だ。私はこの講義を受けたことによって、子供が調べて感じる範囲以外のものの見方ができた。それは日本政府が問題についてどの程度の意識を持っているか知ることができた。96年にストルックホルム会議が開かれ、日本からも外務省などから代表がでた。ここで日本は自国の性産業の現状を知りショックを受ける。もちろん海外から日本へ苦情が出た。日本は国内でも海外でも被害者を出している、なんとかせよ、と。日本は世界のポルノ産業のうち80%をも占めている、性産業の根拠地だったのだ。現在、未成年に対する性犯罪の法律の適応範囲には曖昧な点が多く、これによって未成年の被害者は傷つけられることも多い。現在の法律では被害者の感情よりも、社会的な風紀を考えられた法律となっている。「悔しい。我々がこれから考え直さなければならない課題だ」と、宇津美さんはおっしゃっていた。法律と現状を比較しながら専門家の話をもとに考えることができ、大変勉強になった。

ルンドゥヤン劇団・ユニセフ子どもネット
 この晩、先のルンドゥヤン劇団の人達が劇(踊り)を見せたくれた。彼らの演技の中で音声はほとんどないが、売られる子供、性的虐待を受ける子供、大人や周りに助けを求めるが受け入れてもらえない子供がいた。それはほんとにリアルさを感じさせるもので苦しそうで今にも泣きそうな顔で大人のされるままである子供の弱さを感じた。見ながら、今も傷つけられている子供たちのことを想像して心がきりきりと痛んだ。子供の権利を守るというのは、子供に辛い顔をさせないということだと思った。また同時に、私たち若者にできることのヒントとして、このように劇を通しても買春の現状を広められるのではないかと気づかされた。この後、友達に誘われて「ユニセフ子供ネット」の話し合いに参加してみた。「子供ネット」は17才までの子供達がネット上で論議し、意見交換することをメインに実際にも会合をもつこともあるらしい。はじめ、はっきり言ってあまり期待してなかった。どうせみんなで集まっても関係ない話ばかりで時間がたつのだろうと。けれどいってみてほんとに驚いた。高校2年生の数人がメンバー全員をまとめ、うまく話をすすめている。彼らは、9月に開かれる「国連子ども特別総会」へ、子どもの権利を守るための意見書を提出する。その意見書の内容を話し合っていた。私は「子供の労働」についての論議に参加したのだが、みんながそれぞれ意見を持っていた。各自が問題に対して深い意識を持っていて、日常の中でも問題を実感していたり、世界の情報を集めるためにCNNやBBCはほとんどの人が見ていた。ここの話で初めて聞いたのが、「学校で勉強することよりも仕事をすることのほうを望んでいる子供も多い」ということだった。私たちが話し合っていた内容は、子どもには教育を、という考えが多かった。しかし、現実に貧しい子どもが生きていくために必要なのはお金であり、彼らの求めているものは仕事場の環境が良くなる事だったのだ。私たちが話し合って提案しても、決して途上国の人の望みに一致するとは限らないと、初めて気づかされたのだった。私たちは、できるだけ客観的になり過ぎないようにと努力した。いろんなことを考えながらの話し合いはとても意味のあるものだった。みんな自分の考えを言うことになにも抵抗はないし、無論あの空気だと意見を言わないほうが恥ずかしいぐらいだった。私もいろいろ知っているつもりだったのだがみんなはそれ以上であるような気もし、必死だった。これほど有意義な時間を過ごしたことはあまり思い当たらない。お互いに考えを交換し合いながら知識を深め合えた。自分の意見に対しみんなが「そうだよね」と共鳴してくれたときはとてもうれしいし、逆に私の意見に反対の人がいて、その人の意見に納得させられたこともうれしかった。自分だけで考えるよりも、色んな人の意見に影響を受けた方がほんとに正しい答えを見つけられると思う。夜遅くまで白熱した討論が続けられていた。私は12時になると自動的におやすみモードにはいるので途中でぬけさせてもらったが、何人かの人達は夜中の3時までがんばっていたと後から聞いた。

横浜会議にむけて代表者選抜
 言い遅れたが、このセミナーの目的の一つとして、今年の12月13日から20日にかけて横浜で開かれる『第二回子供の商業的性的搾取に反対する世界会議』の日本代表33名をこのセミナー参加者から選抜することになっていた。選抜方法は、セミナー実行委員会によって話し合われた結果「年齢に偏りができないように」選ばれることになった。高校生は大勢いたが予定を1時間も越える話し合いの結果、いくつかのグループに分かれて、その中で各自自分の主張をした。そこで私は投票によってそのうちの一人に選ばれ、今度の会議に参加させてもらえることになった。とても楽しみにしていたのでこれほどうれしいことはない。私が行けるようになったのも、SISで先進的な教育を受けていることが、大きなウェイトを占めていると思う。みんなは私が世界会議で性教育の大切さを世界に伝えることを期待していると思う。12月までの間、私自身もCSECについてもっと学び、意見を持たなくてはならない。

 私がこのセミナーをとおして今最も必要だと思ったことは、子どもが虐げられる現状が、表でも裏でもなくなること。それには被害国だけではなく、たくさんの力が世界中に必要ということ。もはや、一つの国だけで解決できる問題ではない。そして、もし苦痛にあったら、後に社会復帰できる体制がまだまだ整えられていないということが、私が一番気にかかったことだ。いろんな人にもどうしたら良いのかと尋ねてみたが、多くの場合問題は貧困によって生じるものであり、完璧な社会復帰はあまりないらしい。一度は売春宿から逃げ出して一時的に施設で過ごし、そこで編物などの職業訓練は受けるものの、それで復帰が保証されたわけではない。経済状況の悪い中、職を失ってしまい再び売春宿に戻ったり重労働に就かざるえないことがよくある。一度開放された悪夢に再び戻る子ども達の辛さはどんなに大きなものだろう。私はもっと施設の規模をひろげて、組織として子どもたちに仕事を供給できればと思うのだが、今の段階ではごく少数のNGOの力によるもので、彼らの費用にも限りがある。子ども達は家族のためにお金が必要なので、とにかく仕事が必要だろうし。こんな現状を一刻も早く改善したい。

おわりに
 長くなったが、最後にこのセミナーに参加して私が体験したものはすごく新鮮だった。最近の日本の若者は…などとよく大人に言われているが、私はそんなことをいう人達にこのワークショップをみせてあげたい。現に、私が同世代の彼ら一人一人から受けた感動は大きい。CSECはなかなか重たいトピックであり、これについて議論を交わすことは日常、そうないだろう。だから、私は一緒に話し合える仲間が大勢いたことを知り、そんな人達に合えたことを本当に嬉しく思っている。若者である私達には何も大したことはできないと思ってきた。けれど彼らに出会い、私たちがどんどんネットワークを広げていくことによって人々を変える事は可能だと思った。できるだけ、CSECの被害に遭ったり、重労働させられて傷つく子どもがもうでないでほしい。これはマニラ会議に、フィリピンの smoky mountain で働いている子ども達によって歌われた曲のサビ部分だ。そんな子ども達のことをいつも考えながら、自分にできる事を探していきたいと思う。

 ♪ We stand together. We know our rights. Hold fast the hope that we can change our lives. It's not impossible. And we know why we have the faith of a child / I am your precious child ♪

★国立環境研究所サイエンスキャンプ
末吉なつ香
高等部2年

 私はこの夏サイエンスキャンプに参加しました。サイエンスキャンプというのは、高校生が国の様々な研究機関へ行き、そこで科学技術を学んだり、体験したりできるプログラムです。私はその中の一つの研究機関である、国立環境研究所地球環境モニタリングステーションというところに行ってきました。場所は北海道根室市の落石岬で、まだ8月だというのに長袖のウィンドブレーカーを着ていても寒いところでした。そこでは主に、地球温暖化の原因である温室効果ガスの観測を行っており、そこで得たデータと世界の同じような研究所からのデータをまとめて、地球全体の温暖化状況を知る事ができるのです。私は環境問題に興味があったので、この研究所はそんな私にとってうってつけのプログラムでした。

 8月20日〜22日までのたった2泊3日間だったけど、内容はとても濃かったです。参加者の定員は6名で、全国から集められ、一番遠い人は佐賀県からの参加でした。知らない者同士だったけれど、環境問題に興味があるという共通点もあって、すぐ仲良くなれました。今回私たちに指導、引率してくださった研究者の方々も6人。私には研究者というと、なんとなくとっつきにくいイメージもあったのだけど、全然そんなことはなく、笑いの絶えない面白い方々でした。根室に着いて私たちがまず向かった先は霧多布(キリタップ)湿原でした。湿原は普通の草原に比べて水分が多い原っぱです。湿原は温暖化の原因である二酸化炭素と深く関わっていると言われていますが、まだ謎が多いそうです。この日は宿に行って、自己紹介と明日の説明で終わりでした。次の日はいよいよ研究所です。

 広い広い湿原の端、絶壁といえる海のすぐそばに建つこの研究所。とても小さかったけれど、中には観測機械がいっぱい。機械の仕組みははっきり言って難しすぎて・・・。落石岬は宿があった港町から車で30分以上かかる場所で、見わたすかぎりの湿原、人の姿はまったく見当たりません。なぜ、東京や大阪のように排気ガスの多い土地ではなく、落石岬のような人気のない場所で観測するのかというと、都会では人の動き(交通ラッシュとか)によって二酸化炭素量が変わってしまうので、地球規模の温暖化状況が把握できないからだそうです。私たちはそこで湿原植物の光合成量を調べる実験を行いました。その他にこの日は灯台へ行ったり、海岸へ行ったり、夜は天の川を見に行ったり盛りだくさんでした。堅苦しい勉強といった感じは全くなく、自然とふれあい、楽しく学べ、思いつきやリクエストで予定外の場所へ行ったりもして、ラフな肩のこらないキャンプでした。温暖化や研究所に関する資料もたくさん頂き、これからの勉強やレポートにもおおいに役立てられそうです。最後の日は、前日の実験の結果をまとめた後、早くも帰る時間に。空港へ向かう車は釧路湿原(国定公園)や丹頂鶴を見に行ったりと、寄り道をしたりして、またまた貴重な体験ができました。

 3日はあっという間に過ぎてしまい、まだ居たい気持ちでいっぱいでした。北海道に行って、関西とは全く違う景色、北国の雄大な自然に出会う事ができ、それはとてもすばらしかったです。また、北海道の海の幸もいやというほどたんのうできました。キャンプ自体も、専門家の先生の話を色々聞くことにより、最先端の知識を得る事ができて本当によかったです。私が参加したこの研究所は明るい人たちばかりで、とても楽しく学べました。来年も参加したいところですが、より多くの高校生に参加してもらうために一度しか参加できない仕組みになっているので、残念です。ですが、まだ参加したことのない皆さん、参加してみる価値は大いにあります。この国立環境研究所以外にも様々な研究機関があります。ちょっとでも興味のある人は一度パンフレットのぞいて見ては。

★<卒業生近況> ドイツの現地新聞に掲載されました
松浦由華
FRIEDENSDORF INTERNATIONAL ドイツ国際平和村広報担当・SIS第3期卒業生

 この記事の取材を受けたのは私が「ドイツ国際平和村」の日本人スタッフとなって2ヶ月も経たない頃でした。平和村が去年のクリスマスイブに日本のTV番組「世界ウルルン滞在記」で紹介していただいてから初代日本人スタッフとして始めたばかりで、何もかも手探りの状態でした。それが5月頃です。ドイツで知り合った方の知り合いに記者の方がいて、その繋がりで紹介していただいたのです。幸運でした。人と人の縁は不思議なものですね。大切にしたいと思っています。

 私は1年間「ドイツ国際平和村」でボランティアとしてお仕事をしました。平和村には今140人もの子どもたちが10カ国から来て母国へ帰国できるように、辛く長い治療を受けているのです。地雷で両腕を失った子供、顔を火傷して脳まで障害を負っている子供、生まれつきおしっこが出来ない子供、状況は様々です。よく聞かれるのは「ひどいけがを負った子どもたちを見てショックを受けなかった?」と言う質問です。それは全くありませんでした。ただ一つだけ思ったのが、顔にけがを負った子供と話す時、正直言ってどこを見て話して良いか分かりませんでした。しかしいざ現場に入った時、自分が戸惑ったり迷ったりしている暇ははっきり言ってありませんでした。それよりどんどん次から次へと仕事が待っているのです。間違いをしても後悔している暇もありませんでした。子どもたちは動き回り、泣き、飲み物をこぼし、けんかし、時間は止まってくれません。それがかえってよかったのかもしれません。前に進むことだけを考えることが出来たからです。

 私は2歳から5,6歳の小さい子どもたち、約30、40人程の担当をしていました。朝ベットから起こして服を着替えされることから夜ベットに入り寝かしつけるところまでがボランティアのお仕事です。朝は服を選ぶのに大変。子供一人一人に好みがあり、特に女の子はファッションにこだわりがあるようです。男の子達には、特にアンゴラの子にはナイキとアディダスが大人気です。どこの国でも同じですね。  顔に火傷を負ったアンゴラの女の子は夜、泣きながら起きることがしばしばありました。悪い夢でも見ているのでしょうか。けがのことを思い出しているのでしょうか。はっきりとは分かりません。子どもたちはけがの理由をほとんど話しません。そのような時はただただ背中をさすって泣き止むのを待つだけでした。抱っこしたいけど、でも私は母親ではありません。彼女の親はアンゴラにいるのです。平和村では子供と自分との間に、ある程度の距離をおくようにとアドバイスされます。子供のためにも良くない、そして結局は自分が辛いのです。毎日がエゴとの戦いでした。

 平和村には心理学専門のカウンセラーはいません。語学の壁もあり、話し合うと言うことがまず難しいのです。そして正直な話、そこまで手が回らないと言うのが現実です。しかし私が仕事をして結果的に思った事は、子どもたちは遊ぶことによって笑い、それ自体がカウンセリングとなっていると言うことです。ドイツへ着いたばかりの子どもたちはどこか遠くを見ていて、心そこにあらずの無表情です。ボロボロの服を着て、肌はかさかさ。母国の雰囲気をまったくそのままドイツヘ持ってきます。しかし平和村へ来て、治療をしていき、少しづつ元気になって、笑顔が戻ってくる段階を見ていると、これ以上ない喜びを感じることができるのです。

 先日アメリカのニューヨークにあるワールド・トレード・センターに飛行機が追突しました。それはアフガニスタンにいるテロリストオサマ・ビン・ラディン氏によるものではないかと騒がれています。これは平和村で働いている私にとって他人事ではなくなってしまいました。平和村に今いる子どもたち約100人以上がアフガニスタンから来ている子どもたちなのです。もしアフガニスタンに今何かあった場合、平和村の子どもたちは帰国できなくなってしまいます。傷ついた子どもたちもドイツヘ治療のため連れて来ることが出来なくなってしまうのです。援助活動は停止してしまうのです。一方では戦争、一方では平和活動、何か矛盾を感じてしまうのは私だけでしょうか。

 今私は平和村の日本人スタッフとして広報のお仕事をしています。「世界ウルルン滞在記」の放送があって以来嬉しい事に、日本の皆様から多くの暖かい支援をしていただいています。これがブームだけで終わらないように、現実は厳しいですが、頑張っていきたいと思います。

<現地新聞「ドイツニュースダイジェスト」 2001年8月18日付より>
オーバーハウゼン 平和村で働く日本人たち 戦争犠牲の子供たちを援助
藤原三千男

●アフガニスタンの戦地から
 今年の3月4日午後7時、アフガニスタンのカブールからデュッセルドルフ空港にチャーター機が到着した。乗っていたのは118人の子供たち。みな現地の戦争で重傷を負った子供たちである。そのうち20余人は、緊急処置を受けるべく軍のヘリコプターでベルリン・テーゲル空港に運ばれることになっていたが、天候悪化のため欠航。急きょ国内線への乗り換え計画が浮上したが、病原菌が他の乗客へ伝染する危険が大きいとして却下された。

 彼らはとりあえずルール地方オーバーハウゼンの「国際平和村」に移され、翌日チャーターバスでベルリンへ向かった。3日後、同じ飛行機は、傷が完治し平和村に数ヶ月滞在していた別の子供たちを、7トンの薬品、援助物資、食料品と共に家族の待つ故郷へ送り返した。

 アフガニスタンの小村で負傷した10歳の少年の例を、ある医師のレポートで読んだ。彼は野原で遊んでいたとき地雷に触れ、脚に太股の骨が見えるほどの重傷を負った。運よく村人に発見され村の診療所に運ばれたが、消毒不十分な布で止血処置され、有り合わせの鉄棒で支えをされたため、間もなく骨髄炎を起こした。脚が腫れ上がり、膿が出て、高熱が続いた。それでもなんとか峠を越し、熱が引いて傷が小さくなったと診断された時、家族のもとへ返された。診療所のベッドの数は限られているのだ。

 しかし化膿菌がなくなったわけではなく、その後傷は悪化。悪臭の膿が出つづけ、脚が変形してきた。「平和村」の職員の目に留まり、現地の療養所では治療不可能と判断されたこの少年は、ヨーロッパの病院で治療を受けるためドイツへ連れてこられたのである。

●「平和と繁栄」の対極に身を投じて
 ドイツ国際平和村は1967年、市民の手によって設立された、国際的な中立・非営利の団体である。戦争犠牲者の子供たちを無償で治療する病院が、ドイツ、オーストリア、オランダで名乗りを上げた。治療・リハビリ・旅費等すべての費用は寄付や会員からの援助でまかなわれている。平和村が受け入れる子供たちは、母国で適切な治療が不可能であること、ヨーロッパでの治療で回復が可能であること、子供の家庭が貧困であること、治療後の帰国が家族や政府によって保証されていること、の4点が条件だ。

 オーバーハウゼンにある平和村は、治療が終わった子供たちがしばらく滞在するリハビリセンターの性格を持つ施設である。ここに浜田亜紀、松浦由華、中岡麻記の日本人女性3人がボランティアとして働いていることを知り、訪ねた。3人ともに20代半ばの若い女性だ。大学を出て平凡なOLになるより、何か人のためにボランティア活動をしたいという希望を常々抱いていた。

 8年前にNHKスペシャルで見た紛争地区で犠牲になった子供たちのルポが強く印象に残っていたという。「ドイツ国際平和村」のことを知ったのはジャパンタイムズが出している「国際ボランティアガイドブック」だった。平和と繁栄の溢れる日本に住む者として、その対極にある状況に身を投じなければと応募したところ即採用となった。今では2003年まで欠員はない状態なので幸運だったと言うべきだろう。1年あるいは半年の契約でオーバーハウゼンに着任したのは昨年(4月・9月)だった。

 彼女たちを待ち受けていたのは10カ国二百数十人の子供たち(5月末現在。アフガニスタン118人、アンゴラ94人、グルジア25人など)。想像以上の重労働だった。子供たちと同じ宿舎に寝起きし、同じ食事をする。伝達手段の言語はすべてドイツ語。彼女たちは比較的簡単な言葉で用の足せる1歳から6歳までの年少組に組み入れられた。30人ほどの子供の世話が担当だ。

 朝7時から午後2時半までの早番と、午後2時から夜9時半までの遅番のシフトが交互に回ってくる。その間休憩は30分だけ。その日に着る洋服を選んで着せ、食事と入浴をさせる。おむつの必要な乳幼児もいる。その後には掃除洗濯が待っている。言語に絶する忙しさだ。様々な文化的・宗教的背景を持つ子供たちに最少限のドイツ語でどう説明し、どう対応すればよいのか。いらだちや疲労がたまり、子供たちに悪い影響を与えるのではないか。挫折感、絶望感、落ち込みもしばしば経験した。しかし幼い子たちの受けた心身の苦痛に比べれば…。

●日本部の初代職員に  
 思い返せば悪戦苦闘の日々だったが、3人とも落伍せず契約期間を全うした。そして今年、新任の日本人ボランティア3人が着任した。浜田、松浦、中岡の三人は現在、ディンスラーケンにある平和村事務所の日本部職員として勤務している。日本部は新設の部であり、彼女たちは初代の職員だ。ボランティア希望者からの問い合わせや、チャリティーイベントの申し出等が日本から毎日のように寄せられ、ドイツ職員では対応できなくなったのだ。

 このところ、筆者の住むデュッセルドルフ市内でも、彼女たちが作った手書きのポスターが目に付く。「国際平和村のことを知ってください」―ポスターはそう訴えている。我々の身近に起こっている戦争を、そして罪のない子供たちにどんなことが起こっているかを知ること。それが「参加し行動すること」の出発点となるだろう。彼女たちのケースのように。

 オーバーハウゼンはデュッセルドルフから車でわずか半時間。読者の皆さんも「ドイツ国際平和村」を訪ねてみてはいかがか。訪問者は大歓迎と、3人の若い職員が待ち受けている。(文中敬称略)

「ドイツ国際平和村」の所在地と連絡先:Lanterstr.21, 46539, Dinslaken, Tel.02064-4974-126(日本部) E-mail: japangoesgermany@friedensdorf.de, Internet: http://www.friedensdorf.de (日本語ヴァージョンもあり)
 行き方:アウトバーン3号線OberhausenからオランダArnhem方向へ入って1つ目の出口Dinslaken-Sudで下りる。

<追伸>
 先日山本美千代先生(旧SIS国語科教員・現ドイツ在住)にお会いしました。9月8日に平和村でお祭りが開催されたのですが、それにわざわざフライジングから7時間程かけて来てくれたのです。感動しました!一つの記事を通して山本先生とも再会でき、千里国際学園と連絡を取ることが出来て心から嬉しく思っています。ありがとうございました!
(松浦由華)

★<旧職員寄稿> オーストラリアの医療施設見学
田浦秀幸
福井医科大教授・旧SIS英語科教員

 インターカルチュアのこの号にはきっと中学3年生のブリスベーンでのホームステイの様子が掲載されていることでしょうが、私はこの夏同じオーストラリアのメルボルンに看護研修の視察に行ってきました。日本の大学生は欧米の学生にくらべて学習に対する姿勢や費やす時間について劣るケースが多いのは残念ながら事実で、これは医学部でも例外ではありません。英語の研修を兼ねて現地の医学生や看護学生と交流を持つことでいい刺激を受けるのではないかと考え、いろんなプログラムを探しましたが、内容的に絞るとメルボルンのが一番良く、福井医大でも将来的にオーストラリアに研修に行くことになりそうです。午前中は看護英語の研修でしたが、午後はオーストラリアのヘルスケアシステムの講義や、実際に医療現場を見学に行きました。日本でも集中治療室などには足を踏み入れたことがありませんでしたが、いくつかの病院では見学を許可され、さらにその場で看護婦さんたちに質問ができました。このプログラムに参加していた日本の現役の看護婦さんたちも病院文化の違いに驚いていました。ターミナルケア(末期ケア)を子供対象にしている施設や、老人ホームに入る前のまだ自活できる老人だけが入居できる施設を見学に行った時には、胸を締め付けられる思いをしたり、自分の老後に対する不安を感じたりしました。普段全く触れない世界だけに強烈な印象を受けました。今回のプログラムには日本中のいろんなところで看護学を勉強している学生30人程と看護婦が2人参加していましたが、病院での実習前の学生も現場での経験の豊富な人たちもそれぞれに多くのことを考えさせられたようでした。今回見学した病院や施設の中には、日本からボランティアで長期に渡って働いている人がいました。もちろん知識と経験がないと働かせてはもらえませんが、どの人も看護婦や医師の資格を得てしばらく日本で研修を積んでから来た若い人たちで、こういう日本人に外国で会うと本当に嬉いですね。後期の講義では医大生に是非この話をしてみようと思っています。

SIS Research Column <12> 
一般生徒の英語力のまとめ

 約一年間にわたりSIS一般生徒を対象としたリサーチ結果を報告してきました。次回からはSISの生徒の英語力を直接対象にしないリサーチに移る予定なので、その前に一般生徒のSIS在籍6年間の英語力の推移を、ライティング・リーディング・リスニングの順にまとめておくことにします。

 1998年の12月にSISの全在校生対象に英語ライティングテストが行われました。このテストは Hammill & Larsen (1986)が考案したTOWL-3と呼ばれるテストで、 (1) 句読法 (文は大文字で始めピリオドや疑問符でおえたり、コロンやセミコロン、パラグラフの使い方等)、(2) 語彙・文法、(3) 話の展開の3項目について細かく客観的に採点ができるようになっています。3項目ともに20点満点で、8点から12点が北米の子供達の平均点です。

 グラフ1の7年生句読法の得点より、僅か8ヶ月でネイティブの平均まであと一息の所まで到達していることがわかります。但し、帰国生が帰国直後のブラッシュアップを終えると、徐々に得点が学年と共に上がっていくのに対して、一般生は10年生でネイティブの平均に届いた以外、平均を超えることがあと少しの所でどうしてもできません。これは英語の句読法が比較的習得しやすく一定レベルまでは容易に到達できても、洗練されたスタイルになるには帰国生やネイティブのようにかなりの量の英語に接する必要があるからかもしれません。

 次に文法力については、特徴として11年生で大きく得点が伸びています。これは、当時一般生は10 年生から日本人教員による文法・訳読を履修しはじめていたことと大いに関係があり、その成果がはっきりと出たと考えられます。英語科としては、中学1・2年で旧文部省の検定教科書3年分を終え、中学3年次にはその基礎力を実際にコミュニケーションの場でどんどん使えるようネイティブの先生にトレーニングを受け、高校1年からはG/Tとregularの同時履修でバランスの取れた英語力を付けてもらおうと考えていました。文法力が12年生まで伸び続けている結果を見ると、少なくとも文法力に関しては英語科の思惑通りの力をつけさせることができていたようです。

 グラフ1・2(略)より英文での文章構成力とライティング総合力は、文法力と非常に似通った推移を示していることがわかります。つまり、学年を追うにつれて得点が緩やかに上昇し、4年間基礎を学んだ後11年生で一気に北アメリカの子供達と同じレベルにまで達しているのがわかります(ネイティブの総合点平均は80-120点 )。この結果は、文法力と語彙力がある一定のレベルに達して初めて、日本語での作文のように内容にウェイトを置いた英文が書けるようになることを示唆していると考えられます。また、少なくとも学期完結制導入以前のSIS一般生徒は4年間真面目に英語学習に取り組んでいれば、11年生位からネイティブレベルのライティング力に近づいていたと言えるでしょう。現在では学期完結制を取り、このリサーチが行われた3年前とは履修形態が大きく変わっています。この学期完結制を9年生から受けた学年が、SIS卒業時にどれくらいのライティング力を付けているのか計測して結果を比較することで、英語ライティング力に限って、学期完結制の真価が問えます。つまり、週に数回であっても3年間継続して英文法を履修する方法と、集中的にある文法項目を履修してしまう方法のどちらがライティング力向上に良いのかわかると思います。

 SIS一般生のライティング力を関西圏の某外国語大学の2回生と比べてみてわかったことは、9年生で既に大学生レベルのライティング総合力を付けているということです。その一方で、12年生といえども一般の高等学校で地道に文法と訳読中心の英語の学習をしてきた人たちの文法力には若干及ばないこともわかりました。リサーチをすればするほど、SISの生徒の英語力の高さを示す結果ばかりが出てくる中で、地道な努力があれば日本の学校に在籍していても大学生になる頃にはネイティブ並の文法力を付けることが可能なこともわかりました。

 次にリーディング・リスニング力に関して、外大生との比較ができるように英語コミュニケーションテスト(ベネッセコーポレーションとアメリカのACT社の協同作成)を実施しました。その結果、様々なスタイルで書かれた英文を読み取る力がSISでは入学後順調に付き、9年生では外大生に追いつき10年生では更に伸びるものの、その後1年間は頭打ちになることも分かりました。またリスニング力に関して、7、8年生間に差はなくこの2学年に比べて9年生が大いに力を付けています。10、11年生、外大生間には全く差が見られませんでした。つまり、大学の講義・難解なニュースレポート・演説の理解は別にしても、日常生活で必要な程度の英語リスニング力は、驚くべきスピードで習得し、外大生レベルには既に9年生で到達していると言えるようです。ひとたびこのレベルに到達した後10、11年生でこれ以上向上が見られませんでしたが、ここからの伸びには帰国生のように膨大な量のインプットが必要なのかもしれません。

 以上、(英語科の教員をはじめ各ホームルーム担任の先生方の協力のおかげで実施・採点できた)2回のテスト結果の分析より、SIS一般生の英語ライティング・リーディング・リスニング力について、他の学校から移ってきた英語教員として日頃感じていたことが数字的に裏打ちされました。つまり、9年生でリーディングやリスニング力では外大生に匹敵するレベルに達し、ライティング総合力では11年生でほぼネイティブ並にまで到達するという驚くべきスピードで英語習得がSISでは行われているのです。但しこの結果はあくまで学期完結制導入前のものであり、現行制度の検証の為には同じようなテストをしてみることが必要でしょう。

Bilingualism Column <12>
バイリンガルは子供の知能に影響を及ぼすのか?

 1920年代から60年代にかけてのバイリンガル研究では、IQテストの点数ではモノリンガルにバイリンガルが劣るという報告がなされていました。これは2言語も処理するために脳に負担がかかり過ぎて混乱がおこるためであると解釈されていました。ところが、当時の研究対象となったバイリンガルは2つのうちでも弱い方の言語でIQテストを受けたり、モノリンガルが中流階級であるのに対してバイリンガルは労働者階級からの抽出であったりと、本来揃えておかないといけない基本的な部分に大きな欠陥のある研究だったのです。その反省に立った最新の研究によると、IQテストではすべての条件が等しければ、若干バイリンガルの点数の方が高いという結果がでています。ただし、IQテストの結果がその人の知能を全て反映するのではなく、知能のごく一部分に過ぎないということを忘れてはいけません。

 最近の趨勢としては、2言語とも比較的バランスよく発達しているバイリンガルはモノリンガルよりも思考に柔軟性があるとの見解が優勢です。これは一つの事物について2言語で連想ができたりするのが原因かもしれません。また言葉とは恣意的なものであることに幼い頃から気付いているために、コミュニケーション力を含む認知力が若干モノリンガルよりも早く発達すると言われています。これは小学校低学年までのことであると考える学者もいれば、一生涯続くと考える学者もいます。逆に2言語がうまく発達しないケースでは、いずれの言語でも複雑な思考を行うことができずにモノリンガルよりも遥かに劣る思考力をバイリンガルは持つことになります。一般論として、2言語ともにモノリンガルに劣れば認知力の発達にとって悪影響があり、少なくとも1言語がモノリンガル並みであれば認知力の発達になんら影響はなく、2言語ともモノリンガル並みであれば認知力の発達に非常によい影響があり、結果的にモノリンガルよりも認知力が高くなると考えられています。このように、思考という観点からするとバイリンガルに子供を育てるのに利点があるようですが、2言語ともバランスよくモノリンガルレベル並みに高めることでこの利点が初めて享受できるのです。
(原典: Colin Baker, 2000 "A parents' and teachers' guide to bilingualism" pp.39-43)

 今回はSIS Research Columnが一般生徒の英語力のまとめで長くなったので、Book Review on Bilingualism はお休みにします。また、馬場先生のご厚意で私のコラムは連載としていただいていましたが、入稿が遅れることが度々あり馬場先生と井藤先生にはご迷惑をおかけしてきましたので、今後は季刊をめどにします。

(このコラムに関するコメントや御質問等は直接PDF02662@nifty.ne.jpまでお寄せ下さい)

★異動のお知らせ

<退任>

William Woodrow Kramm
マルチメディア ・OIS小学部
Senri International School's mission of encouraging students to become "informed, caring, creative individuals contributing to a global community" is one of the main reasons we decided to come to Japan eight years ago. However now, as you read this, my wife and I are in Jakarta, Indonesia teaching at the Jakarta International School.
Leaving Senri International School and Japan proved to be very difficult. I love this school and what it represents. I was especially fortunate to have several different teaching positions while at SISF. I taught elementary, middle school, OIS high school and SIS high school courses. Working with students from every part of the school during the All School Productions was one of the pinnacles of my teaching career.
I was especially proud to have our daughter, Rosemary, graduate from Osaka International School. Thanks to her teachers she received an exceptional education while here from grade 7, and is enjoying success at her university in the America.
Thank you everyone at Senri International School Foundation for allowing me to grow professionally and share such fantastic experiences with so many of you during my time here. I will forever look back at my life and career in Osaka with fond memories.

<新任>

相良宗孝
保健体育科
 皆さん、はじめましてこんにちは! 今回、機会ありまして岡田先生の代わりに教鞭をとらせていただくことになりました、相良宗孝です。 岡田先生と私は同じ大阪の高校の先輩、後輩であり、私がまだ初々しい高校3年生のころ、彼が教育実習で母校にこられ、特に同じラグビー部ということで深く知り合いました。
 その後大学を卒業後、一昔前に新聞をにぎわした、そごう百貨店に入社しました。 倒産を目前に控えたころ無事?退社し、今度は日本人が経営するニュージーランドの大学にスチューデントサポートオフィサーというポジションで働くことになりました。名前は偉そうなんですが、やっていることは日本人の特に1年生を24時間体制で生活をサポートしてあげることです。
 学内の学生寮に住み、夜中に起こされ病院に連れていかなければならなかったり、部屋のかぎを無くしたと言う学生の部屋をマスターキーで開けてあげたり校則を守らせるために夜回りをしたり、本当に精神的に大変な仕事でした。
 そんなある日、岡田さんからいきなりニュージーランドに連絡があり、学校を辞めることを聞かされ、体育教師なりたい意思がまだあるなら受けてみないか?という誘いを受け、今回お世話になることになリました。
 はじめの1週間が毎日パニックになりながらもなんとか加納先生を始めとするPEの心やさしい先生方の助けを受け終了し、先生って思ったよりすごく大変やけど最高にやりがいがあり、面白いな〜と感じています。 これからも一生懸命全力でがんばっていこうと思います。皆さんどうかよろしくお願いします。

Mary Pfeiffer
English
My first home was a Wisconsin hamlet among rolling hills dotted by dairy farms just east of the Mississippi River in the United States. I spent childhood outside snow-sledding down pristine hills, wading in creeks and making fortresses in corn, alfalfa, and rye fields, and inside reading voraciously about the larger world.
I went to a pretty good public high school for a rural area, but--unlike SIS/OIS--it had no upper-level courses like the IB, and the school's focus was not international or even national, as I remember. Reflecting its community, the school was not diverse; students were white and middle class. Looking back, one thing I value is that my high school encouraged young women to excel in every area, which they invariably did.
Out of my high school class, I went the furthest away to college, a mere six-hour drive to the University of Chicago. Because I breezed through an easy high school, Chicago was a challenge until I learned how to think, learn, and study. I found the College's intensity invigorating, as if I had to make up for lost intellectual time. I chose to study literature because it has always been my passion, and spent most of my fourth year trying to grasp William Faulkner.
A natural next step seemed to be teaching literature, which I did for two years at a tiny independent school in New Jersey before I got the graduate-school-itch. Stanford and its inclusive canon of literature were heavenly, and my teaching and learning have been enormously influenced by my studies there. I fell in love, too, with the Bay Area and decided to stay for several years, finding a job at a superb independent high school in San Francisco. One summer while a fellow at Columbia University Teachers College in New York, I met Josh Berg, whom some of you may know as an OIS English teacher. Together we watched movies, read books, and talked about joining our love of teaching and traveling by moving to Japan in 1994. I taught English at OIA for three years, and fell in love with Japan. But after three years, Mr. Berg and I felt the urge to move to a developing country, leading us to the International School of Kenya. For three terrific years, we experienced Kenyan generosity, taught at one of the best schools in Africa, went on memorable safaris (including one rare sight of a cheetah tracking down, killing, and eating a Thomson's gazelle), and marveled at Nairobi'snearly-perfect weather. When we decided to moved back to Japan, which we did last year, we left behind lots of people we love. But we brought part of Kenya with us: our two rottweilers, Sally and Otis.
But move back to this country we love, we did. Since last year, I have relearned the Japanese I lost somewhere on the savannah, and made progress on a novel I am writing. Since September 3, I have remembered why I like teaching so much: being around students. It surprises me how fast four years have gone; the eighth graders I taught the year before I left for Kenya are now in 12th grade. On the outside, we all haven't changed too much, but I know that my experience in East Africa has enriched my life, and I suspect that the last four years have enriched yours too. I am pleased to return to SIS, and I look forward to the year ahead, learning from and with you.・

天海初美
英語科
 千里国際学園とは縁(もしかして腐れ縁?)あってほぼ創立以来の長すぎるお付き合いですが、たとえ短い期間とは言え、SISで教職に就くとはついこの間まで思いもしなかったことです。長年親しくさせて頂いたブラウン先生が学園を去られ、淋しい思いはあるものの、皮肉なことにそのお陰でみなさんとの出会いがあるのですね。楽しい学園生活の少しでも助けになれば嬉しいですね。その代わり私は、みなさんからたくさんエネルギーを頂いて、もっともっと若返っちゃいたいと思います。

正野京子
書道
 秋学期より、この千里国際学園で、書道を担当することになりました。「書」は人のそれぞれの体験や感動を通過しないで、生まれてくるものではありません。字を上手く書くのではなく、自分自身を表現する「書」としてとらえてみてください。
 例えば、涙という字がありますね。涙には、嬉しい涙・悲しい涙・悔しい涙・辛い涙・寂しい涙・・・等、色々な涙があります。涙は、人が感情を覚える時、自然と体よりあふれ出るものです。千差万別の涙を人はながします。その感情を素直に思い浮かべる事、それをストレートに表現できる事が「書」にとっての根本だと思います。気持ちを豊かに、そしてそれを表現する方法を共に試行錯誤していきたいものです。
 このごろ無性に時間の大切さが実感されてなりません。「今」を自覚し、「今」の瞬が再びめぐり来る事がないことを肝にめいじて一日一日、本学園での生活の中で共に成長してゆければいいですね。

■他に異動された方々

<退任>
福田國彌 学園長
岡田憲志 保健体育
Catharine Brown 英語
谷川依津江 英語
Leanne Stephen 美術
志浦直子 書道
Julie Wagner OIS校長 
Gary Rust OIS事務長
Cynthia Ruptic OIS小学部
ラスト鈴代 OIS日本語

<新任>
Greggory Navitsky 美術
Bill Pearson OIS校長
Jim Schell OIS事務長
Richard Elya OIS小学部
Nico Krohn OIS小学部
谷川依津江 OIS日本語

★作文『17歳からのメッセージ』でグランプリを受賞
高等部3年水堂大輔君
井嶋 悠
国語科

 去る6月に、大阪経済大学が創立70周年を記念して、全国の高校生に対して、高校生フォーラム『17歳からのメッセージ』の作文(エッセー)募集があり、SISの12年生水堂大輔君が下記の3部門の内、「提言―21世紀の社会について」に応募しました。 *部門 「今までの自分、これからの自分」 「人とのふれあいのの中で」 「提言―21世紀の社会について」

 7月24日の授賞式で配られた《受賞作品集》では、各部門での【グランプリ】各2名と、金賞、銀賞を受賞した、北は関東圏から南は沖縄の高校生約100人の作品が収められています。水堂君の作品をここに紹介し、彼の名誉を讃えたいと思います。



 僕の父はアメリカ人、母は日本人。僕は幼稚園から小学校三年までニューヨークにいた。その時友達が日本は忍者や侍がいる国だろうと言った。僕はびっくりした。この国際交流がさかんな時に、未だにそんな誤解、偏見があるなんて。しかし言われれば映画に出て来る日本人は、いつもカメラをぶらさげ、メガネをかけていると言うステレオタイプだ。いったいどうしてこんな事になるのだろう。

 もしお金と時間がたっぷりあれば、僕はアメリカはもちろん世界のいろんな国へ行ってそこの子ども達や大人達に日本の正しい姿を伝えたいと思う。例えば、日本人はとても勤勉だから世界に誇る技術も作ったし、経済大国にもなったが、今僕も含め若い人達は何か生きる事での物足りなさを感じ始めている。21世紀はもっと情報技術が発達し、世界はさらに狭くなるだろう。そこで僕はまず世界のいくつかの国から教科書を集め、日本を書いたところをピックアップする。その次、誤解や偏見があればそれを直したい。最後に、日本の素晴らしい事、日本が反省すべき事を素直に伝えたい。インターネットをフルに活用して。

 そんな僕と同じ考えを持っている人達と手を結び、世界から誤解や偏見を無くしたいと思う。それでこそ人間らしい本当のIT革命だと思う。



 皆さんはどんな印象を持ったでしょうか。一言私の感想を書き添えますと、受賞作品の多くは、知識としての頭の中だけの言葉ではなく、それぞれの経験から紡ぎだした、頭と心と体が一体となっているようなそんな言葉で表現されているように思いました。だから審査する人々(大学の先生達)の心を打ったのでしょう。

★書境社展公募一般の部日本書芸院賞受賞
高等部2年津高絵美さん

 8月上旬に大阪で行われた第二十回書境社展公募一般の部で、高等部2年の津高絵美さんが日本書芸院賞という大賞を受賞されました。おめでとうございます。ご本人の喜びの言葉です。

 今から振り返ってみると、幼稚園の時に始めた習字が、こんな大きな作品が書けるまでになったことは大変な驚きです。今回のような大きな作品を書き始めたのは昨年のこの展覧会からで、その時から、“習字”が“書道”という、芸術の域に入ったのだと感じました。書道というものは“文字”を書くというより、一つの作品を仕上げていくという、芸術的なことだと感じたことを覚えています。大きな紙に一文字一文字、その字の雰囲気を感じて書き、作品を作ることが私は好きです。その時々に、限界までがんばった作品が書けたとき・・・そんな達成感であふれる瞬間が、続けていて良かったと思う瞬間です。これからも、更なる努力を積み、精進!(書道での決り文句ですが)を続けていこうと思います。(雅号 津高白萩)

★熊楠の里音楽コンクールでチェロ部門最優秀
中等部2年林はるかさん

 中等部2年の林はるかさんが、7月22日に行われた「熊楠の里音楽コンクール」でチェロ部門の最優秀者に選ばれ、8月26日には白浜市のホテルで行われた「スタインウェイコンサート」に、他の部門の最優秀者の人たちとともに出演しました。豪華な雰囲気のホテルのロビーで、約300人の来場者の前での演奏でした。

★学年だより

●中等部1年生
He shoots. . . He scores!
Rodney Ray
3組担任・英語科

For our first long home room period this Fall, SIS 7th graders were asked to choose a goal for this trimester. We spent some time on this, but it might be good for students to think about it even more. To make goals without thinking seriously about them is worse than having no goals at all, because you set yourself up for failure. Therefore, I've made a short list of what I think are the most important parts of successful goal-making.

Make goals that are measurable. Meeting a goal is like hitting a target: the clearer you can see it, the easier it is to hit. "Study Harder" is not a bad goal, but the problem is that you can't see clearly whether you've reached the goal or not! A much better kind of goal would be something like "Get an 80% average on my English vocabulary tests this trimester". Then, at the end of the trimester, you can see if you were successful.

Think carefully about why the goal is important. Good goals are not easy to achieve: if it was so easy, you would already be doing it! Because important goals usually require hard work, it's necessary to keep your motivation strong. Ask yourself: "what problems do I have in my life because I haven't reached this goal yet? What things will be better when I reach this goal?" If your goal is "I will have perfect attendance this trimester", it's easy to see why that is an important goal: if you miss class, you miss important explanations, you miss assignments, you miss fun activities that your friends are doing, etc. When you come to class every day, your grades will be better, your relationships with your friends and teachers will be better, you will feel more connected to school life, and so on. Another way to say this is, "Keep your eyes on the prize!"

Imagine success. It's very important to approach goals with a positive frame of mind. You need to believe in yourself, because if you don't really think the goal can be reached, you probably won't really do your best to reach the goal. Don't say "I will try to do my homework on time"; say "I will do my homework on time!" Success requires confidence and commitment.
List specifically what things you can do to reach your goal. There is an old proverb that says, "A journey of a thousand miles begins with one step." Sometimes the hardest thing about reaching a goal is deciding how to start! Focus on the small steps, and before you know it, you will have travelled the whole distance. For example, if your goal is to turn in all your assignments on time, one great thing you can do is set a rule that you won't even look at the television set until your homework is done, or maybe you will go to the library every day after school until 4:30. When you have smaller, very specific steps, you can see what you need to be doing at any time, and you can easily see if you are getting closer to your goal.

Get help. One of the best things you can do to help yourself is to let other people help you. Your friends, parents and teachers want you to be successful in your life. These people would be happy to support you to reach your goal. In the end, you have to reach your goal through your efforts, but there are many ways that your friends, parents and teachers can help you: teachers can meet with you after class; parents can help with your homework; friends can encourage you when you are feeling blue, and so on. Even the best athletes would be much less successful without the support of their coaches, teammates, and fans.

Take the shot! Sadly, doing all these things won't guarantee that you'll reach your goal. Sometimes we aim too high. Sometimes the problem is something outside of our control. Nobody scores every time he or she shoots. However, if you don't shoot, you don't score!

●中等部2年生
よろしくお願いします
難波和彦
3組担任・英語科

 中学2年生には、この9月から5名の新しい仲間が入りました。1組野村悠さん、2組朝倉理恵さん、3組獅子倉玲奈さん、高倉麻衣さんです。一方、2組の塩水流幹洋くんは、ボリビアへ行くことになりました。先生の方も、入学以来ずっと担任の一員であった斉藤先生が担任をはずれ、イギリスから帰ってきたばかりの僕が、新たに担任となりました。

 まだ帰国して間がないので、時差ボケというか、イギリスのゆったりとした時間の流れになれていた身体が、日本の忙しい時間の流れに適応していない状態です。この一年間の経験は、今までにない貴重なものでした。ひとつは違った立場からものごとをみることができたということです。僕は、国際結婚をして、イギリスに行く機会も今までによくあったのですが、これほどの長期間に渡って、海外に住んだ経験はなかったので、日本の文化を外側からじっくり見ることができました。今まで自然だと思っていたけれど、離れて見てみると、日本はおかしいなと感じることがいろいろありました。また教師から生徒へと立場が変わり、教室で授業を受けている時、課題に取り組んでいるとき、成績が出るのを待っている時に、生徒がどんな気持ちになるのかを体験することができました。

●中等部3年生
離島の環境はグローバル
野島大輔
1組担任・社会科

 別記事にあります通り、大変充実したホームステイのプログラムを経験し、大勢の生徒が一回り大きくなって新学期を迎えています。また、参加しなかった生徒たちも、忘れられない夏休みの思い出を作文に綴ってくれています。またこの夏は、田中英実くんが海外へ転出し、大勢の生徒が涙の見送りに出かけました。 秋学期からは、新しい編成のクラスになり、ピアノが大好きな佐々木真子さん(1組)と、水泳の達人・富田健二くん(2組)が編入になりました。バディの生徒を中心に、なるべく学年全員で暖かく迎えようと心掛けています。また、小山亜里沙さんが留学から帰って来ています。 9年生も後半になりますと、重要な行事が続きます。秋学期のスポーツ・デイでは昨年度に続いての優秀な成績が期待されています。また、秋学期後半には内部進学の希望調査と内部進学者の推薦の決定が実施される予定です。ついに義務教育とサヨナラする冬学期の卒業式も、もうすぐです。初めての学年旅行(1泊2日、参加費1万円程度、希望参加制)も待っていますので、普段から少しずつ準備を重ねていく予定です。慌しいシーズンになりますが、中等部での“学び”の集大成に際しまして、ご家庭のご協力を何卒よろしくお願い致します。

 TVドラマ『ちゅらさん』のオープニング画面に現れる、沖縄県の渡名喜(となき)島を今夏訪れました。看板の無い民宿が3軒あるだけで、スーパーもコンビニもビデオショップも銀行も無い、人口約500名ほどの静かな離島です。ドラマでは、日本の現代の都市生活が失ってしまったような暖かい家族の繋がりや、地域社会のぬくもりが爽やかに描かれていますが、民宿でお世話になったご家庭の雰囲気を見てまさにそれを実感して参りました。何もしていなくても、いとこ達と居るだけで楽しくてしょうがないという表情の幼子たち、元気で働き者のお爺さんお婆さん、大柄で優しい旦那さん、親切で面倒見の良い奥さん。いわゆる“大家族”の空気の円さの中に居ると、そこの居間の画面に映し出される本土発の家族崩壊・社会崩壊のニュースが、まるでよその国の出来事のようです。 道をきくと自転車でそこまでわざわざ案内してくれるおじぃ。独特のリズムに合わせて夜通し踊り明かすおばぁ達。島中が東西に分かれての大綱引き。祭のステージに酔って踊り入って来る村長さん。島人全員が後ろについて歩くのであまり見物人の居ないパレード(こういう行事の中では、中・高生達の役割もちゃんと与えられているのです)。きれいな空気、波の音、鳥達の声、涼しいふく木の並木、気の良い島の人々、およそ警報機や監視カメラ等は場違いな“安全” …、これらがそれぞれ島内唯一の幼稚園や小中学校のぜいたくな“設備”です。 渡名喜村の年間平均所得は約140万円で、東京都の半分にも満ちません。現代日本ではもはや珍しい半農半漁の村落ですが、こちらの方が地球大で見れば平均的な普通の社会だという事実を再想起することが、「小さな国際社会」を創っている私達には必要だと思えてなりません。                             

●高等部1年生
一日単位の大きな成長
水口 香
3組担任・英語科 

 夏休みが明け久しぶりに生徒の顔をみるといつも、実に若者の成長が速いことを思い知らされます。学期中のように毎日様子をうかがっていると気付かないないような変化、とくに顔つきの変化に驚かされるのです。充実した夏を過ごして生き生きとした顔、何かを得た後の自信のある顔、落ち着きをもつようになった顔、何かを考え始めた深刻な顔など、皆さんの顔は以前とは違っています。中に自分はそれほど変わっていないと思う人もいるかもしれません。個人で気が付かなくとも、人は日々成長するものです。自分では何も得るものがなかったように感じていても、知らないうちにいろいろなことを吸収しているのです。皆さんはお友達同士で、何か以前と違うところを発見しましたか。私はそれぞれの顔を見ながら、皆さんの確かな変化を感じています。

 一日という時間は、人それぞれ感じ方が違います。そして人生のどの時点に立っているかによっても、一日の持つ意味は異なります。特に皆さんのように若い間は、身体的な変化だけでなく、大きな心の成長が一日単位で起こります。皆さんはたゆまなく流れる時間の中で、自分をしっかりとつかみ、渡っているのです。エネルギッシュな人生の経過の中にいることを忘れないでください。新学期が始まり、また忙しい生活に戻りましたが、日々を大切に過ごしてください。

●高等部2年生
学年目標にむけて
新見眞人
1組担任・理科

 秋学期から編入生として1組に福井英子さんと中村なおみさん、2組に松尾真由子さんと文 麻人さん、3組に西山耕平くん、4組に金太浩くんの6名が新たに加わり、さらに1年間の留学より帰国した林沙妃さん(1組)、井上五月さん(3組)そして加藤千尋さん(4組)を合わせて高等部2年生の在籍者は79名となりました。ただし、一階翔太くん(1組)と石田佳奈子さん(3組)が秋より留学のため休学になっています。また、留学をしていた池山奈甫さん(春学期まで1組在籍)は米国カリフォルニア州のご両親のもとで、さらに学習を続けることに決め、先学期末にSISを退学しました。

 学年担任団の変更としてはアイリーン・ストーリー先生の代わりに見島直子先生が3組に入ったことです。非常に残念なことですが、ストーリー先生はこの年度(2001年9月より2002年6月まで)終了をもって米国に帰国される予定でいらっしゃいます。これまで学年に関する仕事を一緒に楽しく担当できたことに大変感謝しています。どうもありがとう、そしてご苦労様でした。ストーリー先生は皆さんの担任から離れたことをとても悲しくお思いになっています。これからも先生のところにたくさんお話に行ってください。

 見島先生は今春高等部を卒業した生徒たちの担任をずっとなさっていました。したがって、これから池田先生と共に皆さんの進路に関する相談や情報提供などにも大いに力になってくれることでしょう。

 さて、今学期の第一の学年目標は“10月6日一致団結運動会でがんばろう”でしょうね。(もう何年も同じ目標を掲げてきたようにも思えますが)。今年こそは「黒組」ガンバレ!

 第二は“ベトナムへの学年研修旅行”計画の推進です。10月初めに旅行日数、場所、概算費用等の旅行の大枠を決定した後、研修内容(テーマ)の厳選を行い、その準備学習に学年全員の皆さんが十分な時間をかけられるようにしたいと、旅行委員会では話し合っています。さらに、保護者の方々への旅行説明会も年内には開けるようにと考えています。

 皆さんたちから夏休み中の出来事で楽しく面白かったことや反対に辛く悲しかったこと、めずらしい経験、たいへん勉強になった体験などのお話をたくさん聞かせてもらいました。

 そこで、私もテキサス州の大学での客員研究員として過ごしたこの夏のことを書こうかなと思っていましたが、米国連続テロ事件のニュースが飛び込んできて、本当に気が滅入ってしまいました。テロの犠牲になられた方々に心からの哀悼の意を表したいと思います。

●高等部3年生
マラソン
平井太佳子
3組担任・保健体育科

 体育の教師だからといって走るのが好きなわけではない。走るのが好きな人もいれば、嫌い人もいて、速い人もいれば、遅い人もいる。私は…、「大嫌い」だった。まず、足が遅かった。それに、きついし、苦しいし。ジョギングが好きな人を見ると「何が面白いんだろう」と横目で眺めていた。それなのに、まさか、自分が走るようになるとは思っていなかった。

 きっかけは、膝の怪我。手術で靭帯をつないで、車椅子、松葉杖の生活を経て、どうにか二本の足で歩けるようになり、地面の感触が新鮮だった。手術から4ヶ月経ってゆっくりのジョギングならしても良い、と言われた時、嬉しくて早起きしてそっと走ってみた。げっそりと筋肉が落ちて棒のように(決して細い棒ではないが)なった脚で走れるスピードなどたかが知れている。本人は走っているつもりだったが、きっと歩いている人よりも遅かっただろう。

 そして発見した。超スローペースで走ると、息がはずまないから苦しくない。膝に負担がかからない程度の距離しか走らないから疲れない。苦手だと思っていたことがちょっとできるようになる、これは楽しい。リハビリジョギングが始まった。

 こうなるとすぐに欲が出てくる。勢いで吹田市の市民マラソン大会に申し込んでしまった。10キロの完走を目指す。といっても、ポツリポツリと2キロ、3キロ走るぐらい。一番長く走ったのが5キロだっただろうか。

 当日は天気にも恵まれ、一番ビリからスタートして、終始ビリをキープして制限時間ギリギリでどうにか完走。順位もタイムも関係なかった。走れるだけ回復した自分の足がいとおしかった。

 手術から8ヶ月、すべての運動制限もなくなってもジョギングブームは去らなかった。熱心ではないものの1年以上細々と続いた。週に3回走る週もあれば何週間か休んだりしながらも。そしてこの春、なぜかふと、本当に魔が差したとしか思えないのだが、ふと「フルマラソンを走ろう!」と思いたってしまった。

 7月15日快晴の北海道オホーツクの地。大それた目標に挑戦すべくスタートラインに立った。時間内にゴールできるかはわからない。今回のレースの制限時間は5時間。1キロを7分以内に走りつづければゴールできる計算になる。これまでの練習からではゴールできそうな気もするし、無理そうな気もする。不安いっぱいのスタート。

 2月に来た時は真っ白な原野だったジャガイモやとうもろこしの畑、がかぐわしい香りの牧場の緑がまぶしい。その中に伸びるこれぞ北海道!というまっすぐの道をトコトコ走る。5キロ、10キロ、時間をチェックしながら走る。15キロ、20キロ計算通り。25キロまだまだ行ける。30キロ、ガクッとタイムが落ちる。同じように走っているつもりだったのに。35キロの関門で7分のタイムオーバー。夏の挑戦は終わった。

 フルマラソンを走ろうとするからにはそれなりの勉強もしたし、トレーニングもした。どこにでも靴とシャツを持っていって、わずかな時間にも走った。週末は遊びに行かずに走った。しかし、努力は必ずしも報われるとは限らない。何事も思い通りに物事が運ぶとは限らない。結果は出せなかったけれど、目標に向かって色々考え計画し実施することはワクワクすることだった。充実した3ヶ月だった。

 と、長々とした前振りになりましたが、4月、ホームルームでダッタ先生と共に12-3の皆さんに「目標をもって1年を過ごしてください」と挨拶をしました。その時すでに胸に秘めていた目標が「フルマラソン完走」でした。皆さんが卒業するまでに目標を達成したいと思っています。残りわずかな高校生活、目標を持って過ごしてください。

★英検1級に3名合格
高校3年上羽研人君・吉川龍拓君・植田健太君
トラスコット徳子
語学学習センター

 平成13年度第1回英語検定の結果発表 各級の受験者数及び合格者数は次の通りです。
合格者数 受験者数

  合格者数 受験者数
1級 3 12
準1級 7 42
2級 21 45
準2級 6 10
3級 4 7
4級 7 5

 今回の1級合格者は、高等部3年1組の上羽研人君と吉川龍拓君、同じく2組の植田健太君です。3人をはじめ合格した皆さん、おめでとう!

 10月21日に実施される第2回英検の願書は先日締め切りましたが、受験予定の人は当センターに過去の問題と解答があるので受験準備に利用して下さい。また、本年度から第3回検定も1級から5級まで実施されることになり、一次試験が1月27日(日)に、二次試験が2月24日(日)に実施されます。今後受験しようと思っている人も、自分のレベルを確認するために過去問をやってみてはいかがでしょう。

 英検他TOEFL・TOEIC・国連英検などの英語資格試験を受けた人は、成績報告書或いは合格証書のコピーをトラスコットまで提出して下さい。特に、英検2級合格者とTOEFL173点(コンピュータ式テストの場合。以前の筆記試験では500点)取得者は単位が貰え、調査書作成の際に活かされることになるので、必ず報告して下さい。但し、英検を学校で団体申し込みした人の結果はこちらで把握出来るので報告の必要はありません。 その他ご質問・ご相談はトラスコットまで。

★お知らせ

【学級編成替え4月へ】
 学期完結制の完全実施に伴いまして、1999年9月よりこれまで9月学級編成替えを実施してまいりましたが、2001年4月より高等部一般生受け入れ枠が実質広がったこともあり、4月に7年生と同時に10年生の学級編成も行う状況となりました。それと連関して、9月に学級編制が行えない学年が7、9、10、12年生の4学年とならざるを得なくなり、また、学級単位で授業を行う部分の多い7、8年生に9月編成替えによる無理が生じているということもあり、学内で検討しました結果、9月編成替えを今回で終了し、2002年度より4月編成替えで臨むことといたしました。
 9月編成替えになりました折には保護者会の方で、そのシステムに合わせてのいろいろのご工夫もいただきました。そのこともあり、保護者会役員様の方には、今回の編成時期変更につき、その主旨を説明し、ご理解をいただきました。
 なお、現在の11年生(新見、松島、見島、中村の各先生方)につきましては高等部卒業までの担当になります。よろしくご理解のほど、お願い申し上げます。

【生徒安全対策】
 夏休みの間、学校では、生徒の安全確保のための対策を考えてきました。学園として、以下の具体的な対策を、学外の専門家からの意見を参考に決定しましたのでお知らせいたします。
 @監視カメラの設置(校内に9個所、学内に入る人を監視するカメラを設置。あくまで外来者を監視するもので生徒を監視するものではありません。)
 A教室内の通報装置の設置(普通教室、特別教室 全61教室)
 B教職員・保護者・外来者の名札の着用
 C先生のついていない生徒の4:30下校( 各学校がそれぞれの実状を検討し、適切な対策を取る事を文部科学省から要請され、その結果、本校の実態として、多数の生徒が先生方が全くついていない状態で校内にいる放課後の状態は、万一の場合、極めて危険な状態であると判断しました。生徒だけで学校に残れるのは4:30までとします。先生がついている場合は今まで通り6:00が下校時刻となります。)
 今後も生徒の安全確保のためには、学園として細心の注意を払って参ります。本件に関します皆様方のご理解、ご協力を改めてお願い申し上げます。

(校長 大迫弘和)

★最近の図書の利用状況について
2000年度図書貸出統計より
青山比呂乃
図書館

 前号にも掲載しました2000年4月‐2001年3月の1年間の貸出冊数統計からどんな事を読み取りますか?  SISの中高生の生徒一人あたりの平均年間貸出冊数は、日本語11.7冊、英語2.9冊で、OIS中高の英語11.4冊、日本語2.9冊と、ちょうど対照的です。まさにバイリンガルに利用されている事がわかります。 少し気になるのが、ここ数年、平均貸出冊数が減ってきていることです。例えば、1994年度は、日本語17.8冊、英語3.8冊(OISMS/HSは英語18.0冊、日本語2.9冊)だったのに、毎年平均1.5冊ぐらいづつ減りつづけています。

 原因はよくわからないのですが、英語の本の方は、しばらく事実上担当ライブラリアン不在になったり、英語のコンピューターシステムが動かなかったことなどが考えられます。日本語で私に考えられるのは、「借りなければならない課題が少し減った」「インターネットが普及してきたので、本を借りなくてもすむことが増えた」「よく本を読む人が減った」「本が古くなってきて、魅力が無くなってきた」「欲しい本が入っていない」「本を読む以外にすることがありすぎて、本を借りて読む暇が無くなった」などです。

 図書館に本を納入している本屋さんの話では、本が最近ますます売れなくなってきているのだそうです。頼みの綱のマンガですら、最近は売上が落ちてきているとか。子どもの数が減ってきている事もあるけれど、最近はインターネットや携帯のメールなど、他に時間を使っているからなのだろうか、このままでは良い本の出版が成り立たなくなってしまう、と出版流通業界の話題になっているとの事でした。   しかし、一方、ある大学におけるアンケート調査の結果を見ると、よくインターネットを使いこなしている人は、読書もよくしているらしい。必ずしもインターネットに旧メディアが押されてしまっているというわけでもなさそうです。むしろ、新旧のメディアを縦横に使いこなして今まで以上に知識や情報を蓄えて活動している人と、そうした時間や労力を気軽なおしゃべりやメールという事だけで費やしている人に分かれてきているようなのです。

 「これは新たな階級社会が出来つつある、ということかもしれません」と本屋さんは言います。つまり、古今東西、きちんと情報を把握している者が、常に世の中を牛耳ってきた、昔は立派な書物とか読み書きが出来るという事は、権威、権力の象徴でもあった、という意味で、今、「面倒な読書や、インターネット検索はしたくない」という形で自分の知る権利を(更にはひょっとすると、自分で自分のことを決める権利まで)放棄してしまうという階級が生まれつつあるのではというのです。

 千里国際学園の話から、ちょっとそれてしまいましたが、学園にいきる私たちも社会全体の流れと無関係ではないと思うと、ちょっと考えてしまいます。皆さんはどう思いますか?なお、「欲しい本がない」「本が古い」に関しては、何とか努力していこうと思うので、今まで通り、貸出デスクにリクエストノートがありますので、皆さんからの希望をリクエストという形で伝えて、図書館を良くしていくために協力してください。

★2001年度 オールスクールプロダクション 『オズの魔法使い』

 今年度のオールスクールプロダクションは、ミュージカルファンタジー『オズの魔法使い』をすることになりました。映画でご覧になった方も多いと思いますが、アカデミー賞・主題歌賞に輝いた「虹の彼方に!」Over the Rainbowはあまりにも有名な曲です。
昨年度の『サウンド・オブ・ミュージック』ほどの大規模なプロダクションは考えていませんでしたが、かなり早い時期から多くの方が高い関心を示して下さいました。ですから、幼少から高等部までの多くの生徒が参加できる『オズの魔法使い』ができるようになって喜んでいます。

 そしてSIS英語科のストーリー先生が演出の大役を引き受けて下さいました。美術科のハイマン先生は今年度より、秋学期にステージデザインのクラスを開講されました。またOIS英語/社会科のチーニー先生は演劇部の顧問をされていますが、プロダクションのバックステージの研究を指導されています。生徒主導の活動をサポートする態勢が整いつつあります。

 9月に新学期が始まり、中等部高等部キャストの募集、オーディションが9月中旬に行われました。それぞれの生徒のその情熱と真摯さ、才能ゆえに配役は難航しました。コールバックも行われました。その後、小学部サインアップ、トライアウトが行われ、オーケストラ、プロダクションチームもほぼ整ってきました。 昨年同様、衣裳製作では保護者の方々にお世話になると思います。また、他にもいろいろお願いすることが出てくるかもしれません。よろしくお願いします。公演はカレンダーにもありますが、12月6日(木)より8日(土)の予定です。
(プロデューサー 大迫奈佳江)

★目の話(近視について)
弥永千穂
保健室

  10月10日は目の日です。1が眉毛0が目玉なのですが・・ご存知でしょうか。今年の健康診断の結果中等部で約4割、高等部では約6割の生徒が近視で矯正(メガネ、コンタクトの使用)していることがわかりました。更に今回の検査で近視を指摘された生徒を含めるとそれ以上になります。近視のほとんどは良性近視(学校近視)でうまくピントがあわないために遠いところが見えにくい目といえます。私たちの生活は勉強、読書、コンピューター、テレビなどほとんど近くを見て作業することが必要とされ遠くを見ることが少なくなっています。それゆえ必要に応じて目がそうなった結果で近視が増えているとも言われています。現在全国的に見ても中学生で50%、高校生では60%の生徒の視力は1.0未満。過去10年でどちらも10%増加しています。しかしその近視の明らかな原因は未だ不明で遺伝的なものと環境が複雑に絡み合った結果です。成長期は、目の成長による変化によって近視になっていく可能性もあり、残念ながら20代後半まで近視は進行しうるといわれているのです。そして近視を治すいろいろな試み(レーザー治療、特殊なコンタクトレンズの装用)はありますが今のところ保険も効かず、安全で完全な治療とは言い切れません。それゆえ近視の進行をすこしでも防ぐことが大切になります。第一に適切な環境を整えること。なるべく姿勢をよくして机に向かう。目と本の間は30cm以上離す。部屋の照明は暗すぎず明るすぎず。勉強をする時はスタンドと部屋の照明を使う。そして特に実行してほしいのは目の疲労をさけるために1時間勉強をしたら5分は目を休ませること。第二に目の見えにくさがあれば視力検査を受けてみること。視力が日常生活に支障があれば勉強への集中力の低下や体の不調もおこります。同じ事が度の合っていないメガネやコンタクトの使用でも言えます。保健室ではいつでも視力測定をおこなっています。子供さんが目の見えにくさをいっていたり、勉強するときに顔が近い、遠くをみるとき目を細めるということがあれば近視のサインです。保健室で視力測ってきてごらんと声をかけてあげて下さい。

★Bird Man Club 卒業です
小俣こずえ
高等部3年

 こんにちは、Bird Man Club です。今回が最後のご報告です。そろそろ私たちも卒業。学校に置いてあるクラブ備品を片づけました。その際に、鳥人間コンテスト出場に向けて集めていた資金を、高等部3年のボランティアクラブ「First Step」に寄付することになりました。金額は約5万円。このお金は First Step がフォスターペアレンツをしているネパールのタンカ君に送られ、タンカ君の生活費や教育費、地域振興費となります。
鳥人間コンテスト出場は出来ませんでしたが、大学生や社会人との交流の中で私たちはたくさんのことを学ぶことが出来ました。SISを卒業しても、メンバー一同、このクラブで経験したことを忘れずにがんばりたいと思います。最後に、応援してくださっていた皆さん、ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。

★HS生徒会活動と執行部紹介
井上咲姫
HS生徒会執行部書記・高等部2年 

 こんにちは!生徒会執行部では今月号から毎回、「生徒会のページ」を載せていこうと思います。これは皆さんに生徒会の活動をよりよく知ってもらうためのものです。 まずは生徒会執行部メンバーの紹介をしたいと思います。
SIS
会長   今田順子(11年)
副会長  谷紗妙佳(11年)
書記   井上咲姫(11年)
会計   森阪綾乃(11年)
通訳   藤本 卓(10年)
OIS
President Sayoko Nakamura (Gr.12)
Vice-President Ami Maeda( Gr.12)
Secretary Chiaki Nakata( Gr.10)
Treasurer Matthew Waterhouse( Gr.12)
Translator Aya Mitani (Gr.12)

 以上が新しい生徒会メンバーです。精一杯がんばっていきますのでよろしくお願いします。

<年間スケジュール>
10月  体育祭 
12月  クリマスパーティー
(ダンスパーティー)
2月  生徒会選挙
5月  学園祭
6月  プロム 
 このほかにも新しい行事を増やしていきたいので、生徒の皆さんも何か良いアイデアがあれば、気軽に生徒会BOXに意見を投稿して下さい。(生徒会BOXはインフォメーションセンターの前にあります。)
We would like to increase new events so if you have any good ideas, please submit it to Student Council Box. (The Student Council Box is in front of Information Center.)

<新しい議会>
 この9月から議会が新しいメンバーで行われます!生徒会は、生徒の皆さんの力で成り立つものではないでしょうか?そしてそのためには、より多くの生徒の意見を取り入れる事が必要だと思います。また議会は学校全体をまとめていくためにも、大切なものだと私達は考えています。各クラスから一人ずつ代表を決め、月に2回ほど集まって、副会長を中心に議題を話し合っていく予定です。

 今月の議題はスポーツデイです。今年は10月6日にスポーツデイが行なわれます。そこで各クラスの代表と、種目やルールについて話し合います。一方、生徒会では当日のための準備等に力を入れています。 皆さんで楽しいスポーツデイを迎えましょう!

★MS生徒会執行部選挙結果

 6月にMS生徒会執行部選挙が行われ、以下の人が当選しました。
会長  クック彩香(8年)
副会長  田浦 海(8年)
議長  奥井麻矢(8年)
会計  寺崎真依子(8年)
書記  真砂健土(7年)

★トライアスロン・ランニング各地で活躍
馬場博史
数学科

□箕面6時間リレーマラソンに3チーム計26名が出場
 6月9日(土)、箕面第2総合運動場で「環境を考えよう!第1回箕面6時間リレーマラソン」が開催され、本学園から生徒チーム、教職員チームと、OBや家族等を含むコミュニティチームの3チーム計26名が参加しました。競争ではなく1周1.1kmの周回コースを何人でも何周ずつでも走ってよく、1周ごとに箕面市自然緑地等保全基金へ50円の寄付をするというものです。午前10時に全13チームがスタート。午後4時までの6時間に本学園3チームだけで合計172周、189.2kmを走りました。なお、この大会で集まった寄付は合計38,206円でした。参加者の皆さん、ご協力ありがとうございました。

 生徒チーム参加者=Aya Mitani(OIS11)、藤本卓(SIS10)、松田杏子(SIS10)、廣内茜(SIS7)、新見まゆ子(SIS7)、吉田芙美(SIS8)、細谷花(SIS9)、中尾悠士(SIS9)、Yoshiaki Hagiwara(OIS10)
 教職員チーム参加者=中尾直子、Marvin Zulauf、森新葉、John Searle、Steve Bonnette、Ammanda Pekin、Mark Pekin、Steve Lewis、Peter Heimer  
 コミュニティチーム参加者=Kimiyo Takumyo(OIS転)、Hiromi Takahashi(OIS卒)、佐藤直仁(コーチ)、馬場博史(教員)、他家族知人等

□陸上競技大会で好成績
  7/26箕面市中学校総合体育大会  女子1500m吉田芙美(中2)記録5分28秒(自己新)。共通女子800m新見まゆ子(中1)記録2分45秒(自己新)。共通女子800m廣内茜(中1)記録3分17秒。オープン参加のため順位表彰なし。

 8/24豊能地区陸上競技大会兼大阪大会予選  中2・3年女子1500m3位入賞吉田芙美(中2)記録5分26秒(自己新)。中1女子800m新見まゆ子(中1)記録予選2分47秒決勝2分45秒(自己タイ)4位。いずれも10/13,14開催の大阪大会進出決定。

 9/09豊能地区陸上競技記録会  中2女子800m2位吉田芙美(中2)記録2分36秒(自己新)。中1女子800m2位新見まゆ子(中1)記録2分40秒(自己新)。
 (注)豊能地区は、箕面市・豊中市・池田市・豊能町・能勢町の全体です。

□中体連に登録
 上記のように陸上競技大会の結果をしばしばお送りしますが、これは私(馬場)の要望から、校長と事務長の決定により6月に中体連に登録したため、近隣の中学校との公式大会・試合に参加できるようになったからです。中体連の登録は学校単位で、他のスポーツも出場できます。SIS/OIS合同のチームでも参加可能であることは確認済みです。本校で活動しているもので参加できる種目は次の通りです。
 陸上、水泳、サッカー、剣道、卓球、テニス、野球、バドミントン、バレーボール、バスケットボール、ソフトボール。
 陸上競技以外にも参加するスポーツが出ればいいですが、まだ検討中です。

□吹田市長杯トライアスロン大会6名入賞
  9月2日(日)恒例の吹田市長杯トライアスロン大会が千里北公園で行われました。本学園からは生徒13名、教員2名が参加。うち6名が各部門で入賞しました。

 距離は小学生Swim125mRun1.4km、中学生S500mBike10kmR2.8km、高校生以上S1000mB20kmR5.6kmでした。暑い中、出場するだけでも大変なことのに、全員が立派に完走しました。本当にご苦労様でした。また、応援に来てくださったご家族の皆様ありがとうございました。

<入賞者>
小学3年以下男子の部 3位 Kento Saito-Baba (OIS3)
中学女子の部 2位 中尾紀子(SIS7)
3位 新見まゆ子(SIS7)
中学男子の部 1位 谷畑雄一(SIS9)
3位 中尾悠士(SIS9)
壮年男子の部 1位 馬場博史(教員)

<完走者>
中村陽香(SIS7)、菅野もえか(SIS7)、松田杏子(SIS10)、安藤ゆかり(SIS10)、長みさき(SIS11)、藤本卓(SIS10)、岡本竜平(SIS10)、Yoshiaki Hagiwara (OIS11)、平井太佳子(教員)

★タッチ関西大会優勝
大路明子
高等部2年

 この夏の7月22日に枚方市で行われた関西タッチラグビー大会2001に参加しました。私達セイバーズは、予選リーグをトップで通過し見事決勝トーナメントに進む事ができました。準決勝では大学生チームと対戦し、快勝。決勝の相手スーパーモンキ―ズは全国1位のレベルで手ごわい相手でしたが,想像以上のいい戦いで1点に押さえ私達の大量得点の末見事優勝!!すなわち大阪セイバーズは関西1位になりました。

 メンバーの中にはまだ入って1,2ヶ月の子もおり、なおかつこの大会は夏休み中の開催という事で、メンバー全員集まって練習できない中での試合となりました。気温も30℃を越え炎天下の中での苦しい試合でしたが、岡田先生の最後の大会だったのでみんな一丸となって頑張りました。 そして今年度からPE科に新しく相良先生が入り、セイバーズのタッチラグビー部の監督になってくれる事になりました。タッチも新生タッチラグビー部としてスタートするので新メンバーもどんどん歓迎します。最初はみんな初心者からのスタートなので、そこのタッチをむずかしいとおもっているみなさん、タッチでいい汗かこうゼ!

★Saber Sports Update
Mark Pekin
Athletic Director

Our first big tournament for the year will be the APAC Girls Volleyball Tournament to be held here at school Oct. 24-28th. Teams from Beijing, Shanghai, Seoul and Manila will arrive on Wednesday Oct. 24th and tournament play will begin Thursday, continuing through to the finals on Saturday afternoon.

Saber Fall Sports Schedule:
Middle school:
Oct 12-13: MS Volleyball t'ment at Marist/CA
Oct 19: Baseball t'ment at CA
High school:
Oct 12-13: Saber Invitational V'ball & Tennis Tournament
Oct 19-20: Varsity Volleyball T'ment at Nagoya
Oct 24-28: APAC Tennis at Shanghai
Oct 25-27: CA Baseball Invitational
Oct 24-28: APAC Volleyball at Osaka and CA

★ドラマフェスティバルで大熱演
English Drama Club
井藤真由美
英語科

 6月23日に、第9回 English Drama Festival が、本学園シアターで行われました。今回の出場校は6校(中学1校、高校4校、そして本学園)で、例年と同じようにレベルの高い、中身の濃い演劇の発表・交流の場となりました。

 千里国際学園English Drama Clubの劇は、『The Song of Silence』で、このクラブの創始者である、3月にSISを卒業したシェルトン恵美理さんのオリジナルの台本です。また、演技指導、作曲なども彼女がすべて1人でこなしてくれました。劇の内容は、歌手を目指していた女の子が、のどにできた腫瘍の手術で声帯を失い、恋人も失い、絶望感を味わいますが、手話との出会いやダンスとの出会いで立ち直り、プロのダンサーに成長する、というものです。歌・踊り・手話・回想をうまく盛り込み、笑う場面も泣かせる場面もある見ごたえのある劇が出来上がりました。

 惜しくもグランプリの賞は逃しましたが、主役を演じた堀桃子さん(SIS11年)が、Best Actress の賞をいただきました。尚、グランプリは、『The Last Leaf』を演じた箕面高校が獲得しました。

★Second SIS IB class successfully completes exams
Peter Heimer
English

On May 4, 2001, twelve SIS grade 10 and grade 11 students spent 3 and 1/2 hours in the third floor conference room, taking two final exams for the International Baccalaureate English A2 course of study. This group of students is the second one from our school- and only the second one in Japan- to have completed the challenging English A2 course.

Throughout the year, these students read novels, poems, short stories, textbook passages, and articles. They wrote poems, speeches, letters, song lyrics, novel dialogues, personal opinions, and essays, essays, and more essays. They discussed literature, bilingualism, and their own linguistic identities. They participated in roundtable discussions, acted out literary scenes, led individual language sessions, watched movies, and paid very close attention to every single word their teacher said. In short, they improved their language skills and their understanding of the English language.

The IB English A2 course normally takes two academic years; this group finished it in one. The twelve students worked very hard, earned very high IB final scores, and deserve our praise. Congratulations, IBers!

★夏の数学研修
馬場博史
数学科

大阪大学公開講座に生徒8名参加
 8月6日から10日までの5日間、大阪大学理学部で高校生のための公開講座「現代数学への冒険」が開催され、本校から8名の生徒と4名の教員が参加しました。テーマは@非ユークリッド幾何学の世界Aデジタルの数学−セルオートマトンと計算機Bいろいろな素数C無限級数と指数関数D複素進数とフラクタル。 大学の先生から専門の分野の話を直接聞くことができる機会ということで、参加した生徒たちは熱心に講義に耳を傾けていました。

T^3第5回年会で授業実践発表
 8月18、19日に大阪市内でT^3第5回年会が開催され、本校から田中、高橋、馬場の3名が、日頃のグラフ電卓を利用した授業の紹介を中心に、全国から集まった教員の方々の前で発表しました。当日会場では、本校の先進的な授業実践に対し活発に質問が出されていました。
 (注)T^3とは Teachers Teaching with Technology(テクノロジーによる数学関連の教育)の略称です。

★学校説明会のご案内

11月9日(金)13:30 〜 15:00
本校シアターにて
 選考方法、要項内容等の統括的説明を中心に行います。本校に興味をお持ちのお知り合いの方にお知らせ下さい。

★編集後記
 第3期卒業生松浦由華さんの文章「もしアフガニスタンに今何かあった場合、平和村の子どもたちは帰国できなくなってしまいます。傷ついた子どもたちもドイツヘ治療のため連れて来ることが出来なくなってしまうのです。援助活動は停止してしまうのです。一方では戦争、一方では平和活動、何か矛盾を感じてしまうのは私だけでしょうか。」(P.22)が印象に残りました。テロの犠牲者を悼むとともに、今後どの国においても一般市民がまた犠牲になるということがないよう祈ります。インターカルチュアは過去最多タイ記録の48ページです。休日返上で編集しました。ごゆっくりお読み下さい。(馬場博史)

 "I'm certain that even in this moment where fear is the most logical emotion to feel we must take control and not let it rule our lives or make our decisions.(今この瞬間、恐怖という感情がもっとも身近ではあるけれど、恐怖心が命を支配したり決定を下させたりする事のないように.)" by Gloria Estefan (ミュージシャン 9.11.2001) これ以上、罪のない人の命が奪われることの無いように祈りつつ。 編集後記にかえて。 (井藤真由美)

 インターカルチュアへの記事・ご感想等e-mailでお送り下さい。インターカルチュアはバックナンバーも含めて本学園ホームページ www.senri.ed.jp/interculture でもご覧いただけます。