Interculture 68号(2000年3月号)抜粋

★モモ

大迫弘和
SIS校長

-----------小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でもそれは間違いです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。

--------,what Momo was better at than anyone else was listening.Anyone can listen, you may say − what's so special about that? − but you'd be wrong. Very few people know how to listen properly, and Momo's way of listening was quite unique.

 (『モモ』ミヒャエル・エンデ作 日本語訳 大島かおり 英訳 J.M.Brownjohn)

 人が苦しみや悲しみの中にあるとき、私たちは一体どんなことをなしえるのでしょうか。シモーヌ・ヴェイユという私にとって意味深いフランスの哲学者の言葉に、これも私にとって限りなく大きな存在の大江健三郎氏に導かれながら、出会うのです。

 「あなたはどのようにお苦しいのですか」"Quel est ton tourment?"

 そのように問うことが人間にとってもっとも美しい、そしてもっとも人間らしいことであるし、そこから行動も始まる、とシモーヌ・ヴェイユは言います。

 一年前の今頃、校名の変更に合わせ作られる学園の新しいパンフレットのための原稿を書いていました。最初のページに載る『校長の言葉(学園の願い)』の中で私は「世界の痛みを自己の痛みと感じ」と書きました。本校のパンフレットは日英両語ですから、この表現も翻訳にかかるわけですが、翻訳の担当者であるアメリカ人の方より「この表現はたいへん英語にしにくく、かつ私の感覚だと学園のパンフレットの最初のページには、もっと『明るい』表現がふさわしいように思うのだが」という指摘をいただきました。彼としては、私がこの部分を別の表現に直すことを期待していたようにも思えたのですが、私は「ここはこのままにしていただけますか」と答えました。変えたくはない、大切な部分だったので。

 校長として初めて迎えた入試の季節が終わりました。中学入試の一般選考は過去最大の受験者数でした。それは昨年秋の学校説明会に来校して下さった方の数から、シアターに次々補助椅子が足され、しかし結局ずっとお立ちいただいたままの方もあった、そんな様子から、ある程度予想されたことではありました。私学の校長として、それは大いに喜ぶべきことなのでしょう、特に昨今の私学を取り囲む諸状況から鑑みて。

 が、私の中には、12歳の小さな子供たちにとって、なんと過酷な現実を突きつけているのだろう、という思いが、どうしても消えないのです。不合格の通知を受けたその夜の、12歳の小さな心の中の現実との必死の闘い、またがっかりしながらも我が子を一生懸命励まされている家族の方のお気持ち、それはなんと辛く苦しい時間であることでしょう。

 SISに是非入学したいと、皆等しく同じくらいの強さで希望して下さったたくさんの方々。

 受験生の多さに浮かれる校長ではなく、12歳の心を思い、遠く励ます校長でありたい。

 本インターカルチュアには本校生徒の様々な活躍が報告されています。語学で、芸術で、スポーツで、その他様々な領域での生徒の皆さんの、輝くばかりの活躍、あふれんばかりの笑顔。それはとてもすばらしいことで、大いに評価されるのがよいでしょう。しかし、勿論、SISには色々な生徒がいて、その一人一人が、その持ち味、個性を大切にされていなければなりません。もしそうでなければ、このインターカルチュアの記事は、強いプレッシャーになってしまう危険性があります。友人の活躍を心より祝福できるのは、自分もまた違う形で、しかし本質的には同じ深さで、先生方から大切にされていると心から感じることができるときだけでしょう。

 あなたが、このインターカルチュアを読み、落ち込むようなことがあるとしたなら、それはあなたのせいではないですよ。

 あなたは愛されている。
 先生方は、本当に親身になって、あなたのことを心配しているよ。
 どうか、そのことが伝わりますように。
 私のことを、心配してくれている人がある。
 あなたが、そう気づいてくれるまで、私たちはあなたのことばに、ひたすら耳を傾けます。
 モモのように。

★第7期卒業生へ贈ることば特集

■藤澤 皖
 元SIS校長

 この学園生活を通じて、世の中にはいろいろな考え方や慣習を持った人達がおられることをよく理解されたと思います。あなた自身も、自分の考え方をしっかり持って、将来の生き方を構想し、さらに逞しく成長されますように期待しています。

■大迫弘和
 SIS校長

 みみをすます/きょうへとながれこむ/あしたの/まだきこえない/おがわのせせらぎに/みみをすます(谷川俊太郎)
 皆さんの人生に、時代に、世界に、幸多きことを祈っています。

■井嶋 悠
 SIS教頭

 卒業おめでとうございます。

 世界では約12億以上の人が貧困の中にあり、毎日30,500人の子どもが、飢えや戦争で死んでいる、とユニセフは伝えています。また、一方では約15億の人が肥満で苦しんでいるとのことです。どいうことなのでしょうか。

 ほとんどの人が例外なく認める、素晴らしい学校環境<千里国際学園>での生活を経験した、あなた方だからこそこの不思議な問題に眼を向け、何かを発信して下さることを願っています。

 卒業は入学であり、人生、卒業は死を迎える時です。昔、或る人は言いました。「生きる事は死について考える事である」と。私は今年55歳を迎えます。しかし、卒業はもちろんの事、今もって入学すらしていないのではないか、とも思っています。くれぐれも、<18歳人生決定論>に陥らないように、創造的時間を。

■平尾公美洋
 SIS教頭

 卒業おめでとうございます。娘が在籍していたこともあり、心理的には一番近く、関係上は一番遠い学年だった気がします。何人かの生徒のことはよく知っていますが、意識的に疎遠な環境を作ってしまった学年でした。ああ、やっと卒業だというのが、個人的な感慨です。

 これから皆さんの行く手には山あり谷ありだと思います。皆さんが現実にそう感じているかどうかはわかりませんが、この学校ほど一人一人を大切に見てくれる環境は社会生活ではそう多くはありません。そのため、ちょっと苦しいことに出会うと学校が懐かしくなったり、カウンセラーが恋しくなったりすることがあるかもしれません。しかし、いつでも戻ってきてくださいとは敢えて言いません。そんな時こそ、たとえ一人ででも立ち向かってください。

 私の願いは、皆さんが自分の頭で考え、自分の足でしっかり歩むことです。皆さんの内には少々の困難にはめげない芯が、たとえそれが小さい芽であっても学校生活全般を通して育っているはずです。厳しい環境こそ、その芯の限界を試し、自分を鍛えるチャンスだと思います。いつか皆さんの逞しくなった姿に会える日を心から楽しみにしています。

■真砂和典
 高3-1担任、理科

 2月19日に宝塚大劇場のバウホールで宝塚音楽学校・第86期生の卒業公演といえる、文化祭が行われました。2年前の4月に、1日だけ担任をした清水美奈子さん(高校2年生の登校日初日に、宝塚音楽学校への入学を報告に来てくれたからです。)の素晴らしく華やかな姿がありました。舞台の中央で大活躍する、あまりの眩しさに、私は、隅のほうで目立たない役をする人を見てしまったり、舞台裏で働いている人々のことを思ったりしてしまいました。しかし、彼女でも、ここに至るまでの道は平坦ではなかったろう、大変な努力の積み重ねがあったのだろうと考えているうちに、まだ彼女が千里国際学園にいた頃のことをふと思い出しました。それは学校を辞める数ヶ月前に、清水さんが生徒会 執行部に立候補した時のことなのです。普段は控えめで、いつも笑顔の心優しい人が決断したのです。その演説の中で、彼女はこの学校のことをとても愛してくれていること、だからこそ、もっといい学校にしていきたいということを真剣に訴えていました。ところが、選挙の結果、1年上級の男子生徒が当選しました。そして私たちの学年からは最後まで生徒会長を出すことはありませんでした。ここから先は私の勝手な想像ですが、もしあの時、清水さんが生徒会長になっていたならば、責任感の強い彼女は宝塚音楽学校に移らなかったのではないか、あの経験を乗り越えなければ、この目の前の輝かしい姿はなかったのではないかと思い至ったのです。そう考えた私は、彼女を真正面から見つめることができました。心の底からその素晴らしさを理解できたように感じたのです。あの時に、何も声をかけれなかった自分の不甲斐なさから、やっと解放されたような気がしたのです。

 さて、卒業を目前にした12年生の皆さんも、ひとりひとり様々な思いを抱いてこの学校を出ていきます。4月からの生活に大きな夢を膨らませている人も、まだまだ手探りで道を求めている人もいるでしょう。やはり私はたいした言葉はかけられそうにもありません。しかし、これだけは言えると思うのは、困難があるからこそ人は成長できるということです。苦しみが大きければ大きい程、何も言えなくなりそうです。記憶力の乏しい私は何年か経つと顔や名前までも忘れてしまうかも知れません。それでも本当に辛いときこそ、心の中で応援しています。雨の日が永遠に続くことはありません。いつか晴れ渡る空が広がります。その時が、もうひとつの卒業です。

■田中憲三
 高3-2担任、数学科

 卒業おめでとう。SISを巣立っていくみなさんへのメッセージといえばやはり、「5つのリスペクトを大切に!」でしょう。私はこの示唆に富んだ言葉がとっても好きです。

 それから「 Living is sharing. (生きていくことは分かち合うこと)」。この言葉は神戸に事務所を構えるNGO団体「PHD協会」とかかわったときに出会った言葉です。私は現在、日本ライトハウス盲人情報文化センター内のボランティア団体「ボイスネット」(http://home.inet-osaka.or.jp/~jyobun/index.html)に所属しています。ここで私は視覚障害のかたのパソコン利用をお手伝いしています。具体的には、視覚障害の方のお宅に訪問して、インターネット接続の設定や周辺機器の接続などを行っているのですが、作業の合間にお聞きするお話から、生きていくことのすばらしさや、人の優しさなどをいただいて帰ってきます。

 最後に、これからみなさんは各方面で活躍されるでしょうが、そこでの出会い、発見、感動などを知らせて欲しいと思います。是非このインターカルチュア誌上で発表してください。君たちの後輩、先生方をはじめとする多くの方とその体験を共有したいと思いますのでよろしくお願いしますね。それでは体に気をつけて。いってらっしゃい。

■難波和彦
 高3-3担任、英語科

 高等部3年のみんな、卒業おめでとう。担任としてだけではなく、授業や生徒会なんかでもこの学年の生徒とは、関わることが多かったです。この学年のみんなは、うちの学校と、普通の学校の生徒のいいところを両方併せ持っていました。それは、それぞれが個性を発揮する面がある一方、みんなでまとまるべき時は、まとまっていたということです。この2年間担任をしていて楽しく過ごせたと思います。

 これから、様々な進路に向けて進んでいくわけですが、どこへ行っても「ひととの出会い」を大切にしてください。例えば、いい大学に入ってよかったというのは、設備がいいとか、名前がいいとかいうことではなくて、いい人たちと出会えたということだと思います。人との出会いは人生を変えることになります。僕自身学生の時も、教師になってからも、「この人と出会えたから、今の自分がある」という人がいっぱいいます。

 みんな、千里国際学園でいろんな出会いがあったでしょうが、これからもいい出会いをして、自分をより高めていってください。

■木村典子
 国語科

 卒業おめでとうございます。それぞれに自分の道を見つけて進んでいかれるわけですが、時には辛い時もあるかも知れません。その時に役に立つものが今まで学んできたこと全てだと思います。助けてくれるものは、人であったり学んだ内容であったりします。どんな時でも下を向かず、前を向いて進んで下さい。あなたの前に道は必ず続いています。

■松島 勇
 国語科

 7期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんが、卒業を迎える時に僕は、また9年生の担任になっています。皆さんが9年生だった時は、ホームステイ、学年旅行など色々ありましたし、時任君、井本君、ロペス君、稲本さん、山崎さん、武田さん、平田さんが入ってきた年でもありました。この学校で過ごした六年間が、これからの皆さんの人生の支えとなってくれることを期待します。

■見島直子
 国語科

 あなた達が中学1年生としてこの学校に入学してきた年に、私も縁があってひょっこりこの学校にやってきたのでした。もう6年も経つのですね。これから先、いろいろな人との出会い、いろいろな経験があなた達を待ち受けていることでしょう。どうぞたくましく、そしてしなやかに生きていってください。御卒業おめでとうございます。

■福島浩介
 国語科

 常識破りと成るも
 常識外れと成る勿れ
 胸を張って上品に生きよ

■中村鏡子
 国語科

 卒業おめでとう。学校で交わされた言葉の数々…嬉しい言葉、優しい言葉、厳しい言葉。そのさりげない言葉の中にひそんでいた大切なことを忘れないでいてください。

■北尾友美
 国語科 

 ご卒業、おめでとうございます。ふりかえればあっという間の高校生活だったのではないでしょうか。いい意味でも悪い意味でも、これからは一人の人間としての責任や自覚が、社会において問われる時となります。そんな中で、胸をはって、自信をもって、歩き続けてください。自分の信じる道を。

■中村亮介
 社会科

 卒業おめでとうございます。皆さんが中1でこの学校に入ってこられた時の事を昨日の事のように感じています。新しい道に進んで行っても、初心を忘れずに。常に向上心と好奇心を持って物事に当たって行って下さい。

■池田大介(愚童禅師)
 社会科

 「卒業生諸君!」

 諸君とともに入盗轣i里国際学園)狽オて以来、6年もの日々…

 君達の成長は、そのまま私の在盗逕の歴史…

 「寂しくなるから、来年も(千里国際学園に)いろよ!」の、冗談にならない冗談に笑って受け答える(流す?)諸君に、盗ャ長狽フ二文字を体感…

 かつて、野拙が中学生(小学生?)だった頃、同じ体積の「水銀」とあるモノを手にして比較…「水銀」の、そのズッシリとくる重さに大いに驚愕…(!)

 …「若き精鋭達よ!願わくは棟dさ狽目指せ!」

■野島大輔
 社会科

 君たちらしく、たくましく、たくましく、生き抜いて下さい。

■馬場博史
 数学科

 君たちが中学1年、2年の時に担任をしました。あの頃のことが昨日のように思い出されます。当時は、LHRの他に「国際理解」という各ホームルームで行う時間が週に1回あって、国際問題や人権問題などについてリサーチしたりレポートしたりあるいは議論したりしました。様々な問題をみんなが学んでいくきっかけづくりに知恵を絞りながら、実は自分も一緒に学んでいったと思います。

 あれから時は過ぎ、卒業を前にしてみんなが仲良くやっている姿を見て大変うれしく思います。この学校で過ごした何年かの間に、人を思いやれる優しい人に育ってくれたと確信しています。千里国際学園での学校生活がいつまでも良い思い出となりますように。

■高橋寿弥
 数学科

 この度は御卒業おめでとうございます。これから益々「大人への階段」を登ることになりますが、いつまでも若さを保ちながら生きていって下さい。また、たまに顔を出してください。健闘・成功を祈ります!!!

■石田純子
 数学科

 卒業生の皆さん
 ご卒業おめでとうございます。
 これからも、自分を大切に。
 周りの人々も大切に。

■Mark Avery
 English

Unfortunately, I didn't really have the opportunity to meet that many of you. However, with the students I was lucky enough to have in my classes, I had a wonderful time. Those of you who I had when you in Grade 11 were all very kind to the new and very nervous teacher. Cheers!! I wish each and every one of the graduates success in all of their endeavours and a long and happy future.

■水口 香
 英語科

 おとなになった皆へ、「自分の人生を生きなさい。」

■奥本陽子
 英語科

 12年生の皆さん卒業おめでとうございます。冬学期に入って12年生の姿が見えなくなりなんだかさみしいなと思っていたら、もう卒業の時期ということで時間がたつのは早いなと実感しています。9月1日から千里国際学園にお世話になりはじめてはや半年が過ぎ、みんなの卒業とともに私のここでの生活も終わることになります。始めて教壇に立つということで、初めはずいぶん緊張しましたが、この学校と出会えてよかったと心から思っています。物怖じせず言いたいことは言い、見るところはきちんと見ている生徒の皆を前に、「先生」としての真価を問われているような気がして不安になったこともありますが、一方でそれを吹き飛ばすぐらいのみんなの明るさや優しさにずいぶん助けられ、力をわけてもらいました。

 千里国際学園という恵まれた環境から巣立つ、12年生の皆さんには新しい場所で大変なこともたくさんあるでしょう。そんな時、ここで得た経験や思い出はきっとみんなのささえになると思います。様々な出会いを大切にして視野を広げてください。新しいものの見方を学ぶことは、素敵な秘密をまた一つ持つようなものだと思います。自分なりに暖めて、やがては人にわけてあげることができるようになってください。皆さんと同じように私にとってもこの春からまた新しい挑戦が始まります。この学校でみんなにもらったものを大事にして、「先生」として精進したいと思います。またどこかで会うことを願って、もう一度おめでとうの言葉を送ります。

■John Searle
 P.E.

To the Graduates of 2000, You have contributed so much to school life. I have enjoyed working with you in sports and in classes. Good luck to you all.

■加納重美
 保健体育科

 とうとうか、という気持ちでいっぱいです。皆が中3のときに担任をさせてもらって楽しかったです。ありがとう。学年旅行の帰り、淡路島の五色浜でハンカチ落しをして遊んだこと、まだ明石大橋がなくその造られている橋を船からダルマさんが転んだをしながら見ていたことが懐かしく思います。私がこの学校に来て、初めて面接をした小学生だったのが皆さんです。今でも覚えています。その中に、清水美奈子ちゃんと青野允哉くんがいたことも。もう皆さんをちゃんとかくんとかで呼べなくなってしまうのかなーあ。ちょっと寂しくなります。卒業しても「先生ーえ、何してんの?暇ーあ?」って体育科のぞいてください。「まあーお茶でも飲んでいき。」そのあと「一緒に体育でもしょっか。」と言われて運動することになるかもしれませんが、いつでも時間つぶしに来てください。そんな暇な時間なんかなくなるっか。本当は私が皆さんの顔みたいからなんだけど・・・遊びに来てね。待っています。最後にもう一度皆さん「卒業おめでとう!そして本当にありがとう。」

■岡田憲志
 保健体育科

 みなさん、いい男、いい女になってください。

■中川真理子
 生活科学科

 12年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。これから先は、自分自身で切り開いていく人生が始まります。世の中に無駄な物は一つもなくて、いいことも悪いことも、全て今後の自分を成長させるもとになると私は思います。ですから、一つの目標に向かって突っ走るもよし、目標を探してぐねぐねの道を行くもよし、いつの日にか自分で自分を誇りに思えるような、そんな人になれるように頑張って下さい。

■小野寺文江
 事務局同窓会担当

 7期生の皆様、ご卒業おめでとうございます!4月からの生活に幸多かれとお祈りいたします。インフォメーションセンターの窓口や、進路情報室・カウンセリングセンターエリアで親しんでいた皆さんのお顔を拝見できなくなるのは寂しいです…。気が向いたら、ぶらっと立ち寄ってくださいね。同窓会の活動への参加もお願い致します。同窓会へのご意見ご提案お待ちしてます!

■山本美千代
 旧国語科職員・ドイツ在住

 7期生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。なにか晴れ晴れとしたお祝いの言葉を、とは思うものの、なかなか浮かんできません。やはり、率直さだけが取り柄なので、正直なはなむけの言葉をおくります。

 この先も、嫌な目にあうことなく、思うとおりに生きていけたら幸せですが、思いがけないときに深い奈落に落っこちてしまうのが現実です。負けて負けて負け続けて、もう何にも失うものがなくなったと思ったところで、また負けることもあります。世界は自分を一顧だにしないと、思い知らされることも一度や二度ではありません。どんなに頑張っても、報われないこともよくあります。こんなことは学校では教えてくれなかったと泣いても、喚いても、どうにもならないことは山ほどあります。生きていくのがつらくて、みっともなくて、嫌になることも稀ではありません。それにもかかわらず、そうです、数え切れないほどの「にもかかわらず」を繰り返して、もう少しだけここに踏みとどまってみようと思うのは、それが、誰のものでもない自分の「生」だからかもしれません。

 卒業生のみなさんが誰のものでもない自分の「生」をしっかりつかんで手放さないように、ただそれだけを願っています。

★異動のお知らせ <退任>

広瀬三矢子
社会科

 この学校にやってきたのは、ローマでの留学生活を終えてまもなく、今から6年前のこと。子供の頃から公立学校で過ごしてきた私には、「不思議な学校」というのが第一印象でした。今から思うと、ローマでの学生生活を経験して、大阪の人混みに違和感をおぼえていた私には快適な癒しの場だったのかもしれませんが…。初めて学校を訪れた時の印象も「不思議」でした。住宅街を抜けると、ヌーとモダンな建物があらわれ、中に入ってみれば教室がどこか迷ってしまいそうなちょっとしたラビリンス。

 北公園を歩いてくれば春にはタケノコとお花見、夏にはカエルの鳴き声、秋にはクリ、冬には渡り鳥もいる。四季折々の美に囲まれて、外国語と日本語をミックスした笑い声が響いて、ここはステキな楽園なのかもしれません。

 6年間をふりかえって最初に心に浮かんでくるのは、生徒たちの顔です。元気で、明るく、生き生きして毎日が楽しそうで…。私も授業をしながら、元気のお裾分けしてもらっていました。ありがとう(^-^)(←この顔に似ているらしいので、これを見かけたら思い出してね)。

 どんなにステキな楽園でも、いつかはお別れしなければなりません。ちょうど今年の卒業生の人たちとはこの学校で過ごした年数も同じになるのですが、一緒に卒業することになりました。千里国際学園がいつまでもステキな楽園であり続けますように。そして、卒業していく人も、生徒たちも、スクスクと大きな人間に成長して下さい。

桂木 忍
ドイツ語

 1994年の9月に千里国際学園にやってきて、早や5年半になりました。第二外国語という、システムとして十分確立されていなかった科目を母語話者ではない私が手探りで、手作りでやってこれたのも、素直で熱心な生徒の笑顔と理解ある保護者の皆さん、そしてさまざまなアドバイスを与えてくださった同僚の皆さんのおかげだと感謝しております。ようやくドイツ語という科目のシステムが私なりにできあがってきたと思っていた矢先の退職は大変残念です。

 私は、3年前から大学で日本語教育を専攻しています。ドイツではドイツ語教育を勉強しましたから、その逆をしているわけです。そして、ひょんなことから、ドイツのある州立言語研究所付属の日本語コースで1年間働くお話をいただきました。ドイツ人の一般成人を相手に日本語を教えることになりました。私にとっては大きなチャンスです。色々なことを犠牲にしてでも、是非やってみようと思いました。

 「縁」ということばは、変化の多い私の今までの人生にぴったりのことばだと、最近つくづく感じています。「縁」があれば、また、皆さんに会えると思っています。お別れのことばではなく、「ありがとう」。これが、私の挨拶のことばです。

■以上のお二人の他に、次の方々がこの3月で退任されます。

奥本陽子(英語)
倉持優子(コンピューター)
箕輪裕之(音楽)
竹本智和(音楽)
野中ますみ(保健室)
前原久夫(用務員)

★<旧職員寄稿> 卒業おめでとうございます

田浦秀幸
福井医科大学教授、SIS英語科旧職員

 センター試験の監督を今年初めて体験しましたが、受験生の真剣さや緊張がこちらにすごく伝わってきました。監督中SISの12年生の事を思い出していましたが、今の時期既にこの4月からどのような生活を送るのか決まっていることでしょう。希望通りの進路に進める人たちは、大いに自分のしたいことを楽しみながら頑張って下さい。残念ながらそうでなかった人も落胆することはありません。前回この誌上で書いたように、福井医大にはいろんなバックグランドの学生が入学してきますが、ストレートで入学した人たちよりもちょっと遠回りをしてきた人たちの方が、将来他人の痛みのわかる医者になってくれるような気がします(もちろん現役で入って来た人たちも多くは努力家で、人の気持ちの分かる人たちですが)。それぞれSISを卒業して新しい人生が始まります。私はみなさんより少し早く去年の10月から新しい生活を始めました。最初は環境が変わり寂しかったり、自分の選択が本当に良かったのか悩んだりしましたが、結局自分の選択には自分で責任を取っていくしかないし、そこにこそ人生の醍醐味があるんだと思うようになりました。みなさんのことも陰ながら応援をしていますので、常に前向きに頑張って下さい。英語A2/Hクラスだった人たちは、一年半一生懸命勉強に励んでくれたし、授業を通していろんな話もできてとても楽しかったですよ。英語科や学校全体のプロジェクトとして授業中にテストをした時も、快く取り組んでくれたおかげで千里国際での英語教育を分析できるだけのデータ(の一部)を収集できました。直接お礼ができないので、この場を借りて感謝の気持ちを伝えておきます(卒業式には残念ながら、息子の小学校の卒業式と重なり出席できません)。

■連載コラム(第3回)

SIS Research Column <3>

帰国生徒の英語ライティング力の推移 

 1997年度SIS在籍生徒全員対象に実施された英語ライティングテストの結果を今回はお知らせします。このテストではライティングの3側面、つまり(1)CC: 英語を書く上での決まり事で、文の始まりは大文字を用い、必要な箇所にはコンマやピリオドを打つ等ができる力(2)CL: 文法力(3)StC: 筋の通った、読者を意識したものを書ける力を測りました。  

 英語を母国語とする中高校生であれば6〜12点の間に収束し、平均点が10点になるようにこのテストは作られています。SIS帰国生徒について結果からわかることは、第1に、英文を書く決まり事については、入学当初より既に英語母国語話者と遜色のない力があり、学年と共にその力も向上し続けるが12年生で低下が見られる、第2に文法力については、7年生が英語母国語話者に劣るものの8年生で追いつき9、10年生と高原状態になった後、11年生で再向上し12年生で低下する、第3に物語り構成力については、入学後急速な伸びを示し、10年生は英語母国語話者の平均を大きく上まり、その後2年間は低下が見られるものの英語話者の平均以上を保っている、ということです。 

 この結果よりSIS帰国生徒のライティング力を概観してみると、7年生はSIS入学前に平均して1年9ヶ月日本の小学校に通っており、その間英語の学習が極端に少なく(あるいは全くなく)、その為入学後brush-upに約1年かかるが、8年生以降はネイティブの教員による英語指導(特に文法に力を入れた指導でない)の結果、文法力が順調に伸びそれにつれて内容自体にウェイトを置いた英文が書けるようになっている様子がうかがえます。特に10年生については「モノリンガル(1言語しか使えない人たち)に比べてバイリンガルの子供たちの表現力はより創造的である」という通説を実証したものであると言えます。また、11年生から始まるG/Tの授業も帰国生にとっては文法力を再確認する意味で有意義であることが、11年生のCLの向上によりわかりました。残念なことにいずれも3側面全てに於いて12年生に低下が見られ、この原因はおそらく日本の特殊事情、即ち受験対策の為に、帰国生に限っては国語や小論文対策に時間を割かれ、英語との接触時間が11年生以前よりかなり減ったことが一因であると考えられますが、この証明にはSIS卒業後の追跡調査が必要です。また、学年固有の問題が一因であるとすれば、当時10、11年生であった生徒たちが12年生になったときのライティング力と比較することで容易に判断がつくはずです(リサーチ継続中)。 

 このプロジェクトでの一番の収穫は、帰国後僅か1日1時間のSISでの英語の授業であっても(それもライティング力や文法力にターゲットを絞ったものでない)、ライティング力が着実に向上しているという事実が数字で裏打ちされたことです。帰国生に関する研究で帰国後英語力が伸びると報告したものを私は個人的に目にしたことがなく、言語力の中でも最も身につけるのが困難とされるライティングの力に於いて、SISの帰国生の場合(12年生に低下が見られるものの)8年生以降英語母国語話者と同等或いはそれ以上のスコアを残していることは特筆すべきことなのです。英語科の先生方は自信を持って今の指導を続け、生徒の皆さんはそれを信じてしっかり勉強に励んで下さい。保護者の方々は、あまりあれこれ細かな注文をつけずに英語教育を安心して千里国際にお任せしてはどうでしょうか?次回は帰国生徒のスピーキング力の推移を見る予定です。 

Bilingualism Column <3>  

子供の言語発達には父親より母親の役割の方が重要? 

 父親が外で働き母親が主として子育てに関わる状況下では、子供の言語発達に大きな影響を及ぼすという点で「母語」という言葉が使われるのに何ら違和感はありません。他国では母親の母語が地域社会の言葉と異なることはよくあることで、個々の母親がそれぞれの判断で、自分の母語を使い続けたり、地域の言語を子供に使ったりしているようです。それでは母親の影響が子供の言語発達にとって唯一絶対的なものなのでしょうか?もちろんそうではなく、父親の言語貢献の大切さも立証されていて、母親が子供との言語接触で主として家庭生活に関する語彙を多用するのに対して、父親は限られた時間しかないので遊びの中で出来るだけ子供中心の言語接触をすることがわかっています。つまり母親と父親は子供の言語習得に関して少々違った役割を持っているのです。さらに夫婦の母語が異なっている場合、お互いの母語使用を尊重しあう気持ちがあるかないかを子供はすぐに察知し、せっかくのバイリンガルになるチャンスを逃してしまうこともあるのです。家族全員がいる場で何語を使うかは、ちょうど偏った食事が体によくないように、両親が言語計画を立て、バランス良く両言語に子供が接せられるように配慮する必要があります。要するに子供との接触時間の多少に関わらず、片親でなく両親によるインプットが子供の健全な言語発達には不可欠なようです。(原典: Colin Baker, 1995. "A parents' and teachers' guide to bilingualism" pp. 16-18)

 今回より言語やバイリンガリズムに関する本で、比較的入手しやすく読み易い本の紹介もしていきます。

Book Review on Bilingualism <1>

中島和子著「言葉と教育」(1998) 財団法人海外子女教育振興財団刊 定価600円 

 この本は海外子女教育財団が実施している、海外在住の日本人の小学生に対する通信教育のニュースレター「地球新聞」に連載されていたものをまとめたもので、著者は(イマージョン教育で有名な)カナダのトロント大学で日本語教授の傍ら、バイリンガル教育の研究を進めていらっしゃる中島和子先生です。内容は(1)日本の子供が海外に行って現地の言葉で会話力が付くのに2年、読解力が追いつくのに最低4年以上かかる(2)4〜8才は言語の中核を作り上げるときで、この時期には日本語の読み書きをしっかりする(3)bi-literate, bi-culturalを目指すなら理想的には日本語の土台がしっかりとした9、10才頃に海外に行くのが良い等、海外に在住されている方はもちろん、これから渡航される方、帰国直後の方、国内で帰国子女に接しておられる先生方にお薦めの一冊です。

 このコラムに関するご意見・ご質問等は直接e-mailでお寄せ下さい(htaura@fmsrsa.fukui-med.ac.jp)。

★<近況報告集> 旧職員・同窓生

山本美千代
BAVARIAN INTERNATIONAL SCHOOL、旧国語科職員

 私は今年度から、今までのBAVARIAN INTERNATIONAL SCHOOLのほかに、MUNICH INTERNATIONAL SCHOOLでもIB(国際バカロレア)のクラスだけ教え始めました。二つの学校は校風も生徒の雰囲気もずいぶん違うので、おもしろいです。7期生のみなさんの卒業式の様子を春のインターカルチュアで見るのを楽しみにしています。

濱松幹昌
1995年第2期卒業生

 去年の3月に神戸芸術工科大学を卒業。夏には外資系のデザイン会社へ就職が決まり、今は(一応)プロとして実践で頑張っております。マックスファクターとP&Gの専属でディスプレイ、広告物、グラフィック関係のデザインを担当しております。良い環境にも恵まれ、本当に充実した毎日です。取りあえず今の会社では3年間経験を積み、その結果(実績)をもってまた次へ挑戦したいと考えております。

佐々木隼
1998年第5期卒業生、University Of Toronto Erindale Collage

 こんにちは。 先日、インターカルチュア67号で田中憲三先生の「グラフ電卓」を使った授業の コラムを拝見しました。面白そうですね。

 いま2回生の身で3回生のコースを取っています。(やっぱり難しい...)今のところComputer Science一点張りで、C, C++ の他にUNIX、ソフトのデザイン関係や、他に理論的なコースも取ってます。(Computability and Complexity) 今のところNP-completenessという題で、(全く日本語に直せないです...) どのような(コンピュータで解ける)問題が効率的に解けてどういう問題が効率的に解けないかを調べる理論だそうです。北米の大学はやっぱりサボれない... とこちらの方に来る希望の生徒の皆さんにお伝えください。特にコンピュータ系は課題が山のようにあります。

石塚美紀
1999年第6期卒業生

 もう早いもので卒業してから1年。アルバイトを通して社会勉強をしていました。(もちろん大学にも行ってましたが)

 夏休みには約1ヶ月間、大阪市の臨時職員として保育所で保母さんをやっていました。保母さんになりたかったので、とてもいい経験になった思います。去年の2月からずっと続けている、歯科医院の受付・助手でもたくさんのことを学んでいます。今はアルバイトの責任者として(今年に入ってから)自分だけではなく他のアルバイトの子のことも考えなくてはいけなくなったりと少し大変です。新人教育などもやっています。短大を卒業したら、歯科衛生士になるために専門学校に行こうと思っています。

★<ただいま留学中>将来の決め方

呂 秀慧
高等部2年、Allen CO. Scottsville High School

 もうアメリカに来て7ヶ月。あともう少しで留学生活が終わってしまうけど、この長そうで短い7ヶ月の間に日本と韓国(私が今まで住んでいた国)の学生とKentucky の学生のある一つの小さな違いに気づきました。アメリカは日本よりもそして韓国よりもはるかに学生の妊娠率が高い国です。(Kentuckyは特に多いと知合いに聞きました。)

 わたしが今通っている学校には沢山の妊娠した生徒や母親、父親達がいます。私のUS.Historyのclassだけでも3人の母親がいます。日本や韓国では有り得ない事です。日本や韓国の学生だったら、今ごろ将来の進路とか受験などを考え塾に行ったり一生懸命です。日本人や韓国人がKentuckyの学生を見たら、「将来のことを何も考えていない」とか「若いのにもったいない」、「あの子の将来は終わりだ」と思うと思います。もちろんアメリカ人にもそう思う人がたくさんいると思います。でもそういう風にネガティブに考えずにポジティブに考えて見て下さい。

 大半の日本や韓国の学生のように将来を早く決めあるいは将来のために、相応しくない道は徹底的に避け、計画的に将来へ引かれた一本の道を安全に進むのではなく、今目の前で起こっている事(自分にとっていいことでも悪いことでも)をその場その場で飲み込んで解決しながらその時の自分に合った将来を選ぼうとしているとも言えると思うんです。それも一つの立派な将来の決め方だと思います。どっちも悪いとは言えません。

(注:Kentuckyにも日本や韓国の学生みたいな子がいますし、日本や韓国にもKentuckyの学生のような子がいると思います。)

 でも私は今から将来を決めようとは思いませんし、またその時に合う将来を選ぼうとも思いません。

 私なら今は色んな事に一生懸命頑張って色んな事をこなせるような女性へと自分を磨き上げ、そして沢山の将来への選択権を未来の私に…プレゼントをし、将来の選択はその未来の私に任せたいと思います。今は何事にも最善を尽くすことがすばらしい将来への近道だと思うんです。

 皆さんなら将来をどう決めますか??

★中等部一般入試実質倍率は4.4倍

2000年度中等部・高等部 海外・国内入試結果報告

入学センター

 2000年度の本校入試結果を報告します。中等部一般選考は、受験者数118名、合格者数27名で、実質倍率は4.4倍となり、昨年より若干高くなりました。また、高等部一般選考は今回から大阪府内公立中学校出身者も受験資格ができましたが、志願者数は10名にとどまり、昨年と同数でした。帰国生入試のA選考は海外現地校出身者、B選考は海外日本人学校出身者、S選考は本校が指定した海外日本人学校出身者の中で推薦を受けた生徒を、また一般生入試は国内の小学校・中学校出身者をそれぞれ対象としています。

★「新」新さざんがきゅーから・・・ 留学体験のお話

池田大介
進路情報室、社会科

 今回の「お話」は、かつてインフォメーション・センターの顔として、今はカウンセリング・センターの秘書さんとして、緻密な仕事振りを以てセンターの梼蜚化している、社会科・野島先生の御令室(でもある)「小野寺文江(おのでら ふみえ)」さんの登場です。

 小野寺さんは、ご存知の通り言語能力に秀で、それもそのはず、今回お話のあるアメリカの大学(アラスカ・サンフランシスコで計4年半!専門は「異文化間コミュニケーション」!)を卒業、その後も本校で働きながら、英語能力の更なる次元を求めて学校に通っておられた、現代の涛宮金「子」狽ウんです!

 学生の皆さんには具体的にイメージしにくいことかもしれませんが、仕事が終わった後、自分が学ぶため学校に籍を置くということは、よほどの決意と勤勉さがなければ、継続でき得ません(!)し、それを最後まで遣り通すことはできません。しかも、彼女は、その「大変性」を顔に決して出すことなく、また、言い訳とせずやり通した、柔和な風貌からは想像できない涛Sの蝿モ志を持つ女性です!

 ところで、ある文献によると、しかも、池田の記憶が確かならば、あのフランス革命の関係者の平均年齢は(なんと!)「25歳」程度とのこと…皆さんいかがでしょうか?自分の年齢を東セい訳狽ニしたことはありませんか?「自分はこの年齢で、この年齢に付随した立場(学生等)なので、ソレはできません(だから、できなくてもユルシてね…)…」等々…果たして、そのセリフを発した人物は「その」ことをやってみたのでしょうか?疑問です…もちろん、現代社会において、国家なる存在が揺るぎないものとなり、制度が確立した中では、年齢を基本としたそれぞれの社会構成員の搭盾驍ラき場所狽ェ見えざる束縛として存在してはいるでしょう。しかし、今「個性」が叫ばれる中で、成すべき事の(小さな?)一つは、「年齢や立場を言い訳としない、そこからの脱却」かもしれません。「個性」をファッションだけで示すには、人間という存在はあまりにも可能性を秘めすぎ、それ以前に複雑だからです!

 …うう〜んん…「あの(!)」野島先生が、彼女にホレテしまったのも無理ないか!さあさあ、小野寺さんのお話のはじまり、はじまり!;

こんなこと、あんなことありました…小野寺の留学
小野寺文江
カウンセリングセンター

 私のアメリカ留学は、親のお膳立てが発端です(池田先生に誉めちぎっていただきましたが?ちょっと情けない始まりです)。高校卒業後の計画がなかったので実現したというのが正直な理由です。合計4年と8ヶ月、場所はアラスカ州アンカレッジと後にカリフォルニア州ソノマ。異文化間コミュニケーションを専攻し、B.A.(Bachelor of Art=文学士)を取得しました。

 高校3年生の冬、受験勉強に身を入れず受ける大学の選択も(その理由も)いいかげんであった私には、当然行き先がないことが判明。梼d方ない。浪人させてもらおう狽ニいう甘えた考えで親に頼みにいくと、思いがけない答えが。なんと密かにアメリカの知り合い達にあたり、私が留学できるように調べていてくれたのです。私の不勉強ぶりを目の当たりにしていて、結果を予測していたようです。

 実は高2の時交換留学に応募しようとしたことがあったのですがしっかりした目的意識もなく日本のこともちゃんと知らない、英語の成績も悪い私に親は「あかん!」。なるほど、あの時の私では、外国できっと迷惑ばかりかけていたことでしょう。

 …その時から留学のチャンスを与えることを考えていてくれたのです。両親とも昔留学を希望しながら叶わなかったという背景もありました。恥ずかしいことですが、皆さんには私がいかに「駄目な」学生であったか、目的意識を持たずにアメリカ留学を始めたかがお分かりになると思います。言わば、私は日本の受験勉強に失敗し、親に救いの手を差しのべてもらったのでした。

 高校を卒業した年の5月、私はアンカレッジ空港に降り立ちました。とりあえず2年間、Alaska Pacific UniversityのESLで英語を学ぶ予定でした。アンカレッジはちょうど雪解けが終わった頃で緑もまだなく、殺風景でだだっ広い所でした。?「何でアラスカ??」とよく驚かれますが、たまたま両親の旧い知り合いがいたからでした。女の子が独りでアメリカへ行くのだから、やはりよく知った人がいた方がいい・・・と考えた両親の勧めでした。

 Alaska Pacific University(APU)は、学生数当時700人程の小さな私立大学で、キャンパスでは誰もが顔見知り。「田舎」だということでは私の故郷も同じですが、圧倒的に自然のスケールが違いました。人間はちょっとお邪魔している、という印象。カルチャーショックは数あれど、まずアラスカの自然環境に圧倒されました。夏と冬の日照時間の差、そびえる山々、時に出会う野生動物。大自然の片隅で、寮に住みながらの学生生活が始まりました。

 ESLで夏休み中勉強し、8月に力試しとしてTOEFLを受験しました。高い点数ではなかったのでまだESLでの勉強を続けるつもりだったのですが、アドバイザーの教授から「APUの基準点に達しているので、レギュラーのクラスに入って下さい」と言われてビックリ!?恐る恐る扉を開けて、アメリカ人の学生ばかりがぐるりと座っている教室へ入っていきました。ところがやはり力不足で、講義の半分も分からず座っているだけ。発言できずに、クラスメイト達の活発なやりとりを隅でぼーっと聞きながら「私は何故ここに」と、もう逃げ出したい気持ちでした。

 この頃私はよくShyでQuietだと言われました。日本で私を知る人はさぞ驚いた事でしょう。英語に自信がなく、聞き取れても意見を言うタイミングが計れず、そして間違ったら恥ずかしいという意識があって、私の口を重くしていました。少しくらい間違いをしても構わず、日本のように盗V顔が困っていたら助けの手が延べられる筈・・・狽ネどと待たずに、解らないことがあればどんどん尋ねればよかったのです。こちらからアプローチすれば、きっと周りも助けてくれたことでしょう。でも萎縮し引っ込み思案になってしまい、これで私の英語の上達はずいぶん妨げられました。同じ年頃の学生が、スラング交じりにぽんぽん交わす会話には全然ついていけませんでした。留学したら友達がたくさんできて、パーティやイベント続きで楽しい毎日の筈だったのに(マンガや映画からのステレオタイプ)コンプレックスを持たずに親しく付き合えたのは、日本人の他にはNative American(俗に言うエスキモーやインディアン)のクラスメイトや、同じ立場の(特にアジア圏からの)留学生でした。この人々の「友達のなり方・接し方」が何だか私になじめる気がしたのです。後に異文化間コミュニケーションの勉強をして、なぜ自分がそう感じたのか理由の幾つかが解りました。

 専攻を決めたのは1年目の終わりでした。Speech Communicationに続き、Interpersonal Communicationsというクラスをとり、興味を抱きました。私にとっては初めて接する内容で、とても新鮮でした。前者は1対1や1対複数間の、言葉によるコミュニケーション(意思疎通)についてで、後者はさらに発展して、ジェスチャーや環境なども含めたコミュニケーションについて。APUではIntercultural Communications(日本では嶋ル文化間コミュニケーション狽ニいう名前が主流だと思います)のコースの中に組まれているクラスでした。「アメリカにいるからこそできる勉強をしたい」と、だんだん勉強が楽しくなってきた私は思ったのです。

 自分にとって「おもしろい」と思える勉強ができたのは幸せでした。就職を考えて専攻を選びながら、興味を持てずに勉強を苦痛に思っている学生が多くいました。私は(またまた)能天気に「いざとなれば自営の両親を手伝えばよい」いう考えでいました。どんな職に就けるか、という観点で考えると、異文化間コミュニケーションは非常に不便な分野です。その道の研究者や指導者、カウンセラーやビジネスコンサルタント等、極めて専門性の高い職しか思い付きません。一方で、誰が勉強していても損はない、それどころかとても必要な知識です。どの大学でも必修としてその基礎クラスがあるべきだと思います。一口で言うと、異文化(国や民族だけでなく、年齢、性、社会の役割、職業、居住地、その他もろもろ)を持つ者同士が出会った時、いかにして理解しあうか・また誤解が生じるのか、ということを勉強するのです。アメリカが研究の先頭にたっていますが、彼国でも確立されてまだ40年程度、専攻コースが設立されている大学も少ないようです。いろんな本や理論が生まれつつあり、さらに細かい分野に分かれて、まだまだこれから発展していく筈です。学生でなくても国内外でのワークショップやシンポジウムでの勉強の機会がありますので、お勧めします。

 留学3年目、北カリフォルニアの州立大、Sonoma State University(SSU)へ転校したのは、もう少し賑やかで、太陽の光に恵まれた所に行きたかったからです。今度は自分で下調べし、必要な手続きをこなしました(当たり前)。Sonomaはカリフォルニアワインの産地として有名な土地で、海も山も都会(サンフランシスコ)へも手が届く、便利な場所でした。運転免許も取得したので行動の範囲が広がり、活発化しました。アラスカにいる間に、少しずつアメリカでの大学生活に慣れてきたのでしょう。大学の掲示板で下宿先を探し、幸いにその後もよい関係が続く人達と出会いました。離婚したてのおばさんと私と同じ年頃の娘2人。後に娘が1人引っ越した後に入ってきたイラン人の女の子。

 SSUは環境や費用を重視して選びました。残念ながらIntercultural CommunicationsのMajorはなかったのですが、大学が設定している以外の専攻をしたい学生は、既設のいろんなクラスを組み合わせ、独自の専攻を作るというシステムがありました。私は主に歴史科、地理科、人類学科、ドイツ語・ドイツ文学科からそれぞれ数クラスを選んで(他に必修課目を加え)リストを作り、エッセイを添えて申請しました。口頭試問の後に許可が下りた時はやる気がむくむく。高校の頃とはえらい違いでした。

 下宿のおばさんとは毎日夜のニュースを見ながらあれこれおしゃべりし、彼女が辛抱強く私の相手をしてくれたことで英語に対するコンプレックスも消えていきました。クラスは上の学年になるにつれて難しくなり、課題や予習・テスト準備の時間も増えて前よりしんどいくらいでしたが、クラスやクラブで友達ができ、社交生活も充実してきて生活に張りがでました。私がのびのびと活動できるようになるまで、実に2年ほどかかったのです?少し時間がもったいなかった気もしますが、あれこれと考える材料になったので必ずしも無駄ではなかったようです。

 その後の勉強についての反省は残りますが、何とか私なりに充実した大学生活を送ることができ、卒業へこぎつけました(言われるがままで始まってどうなることかと思いましたが)。2年の滞在計画が結果的に4年以上になり、留学生活は私にとっていろんな面で影響を与えています。機会を与えてくれた親には大感謝!

 さて、私は留学(あるいは海外で生活)したほうがいいかどうか、という質問に「しないよりした方がいい」と答えます。これは動機がはっきりしておらず、語学の能力に自信がなく、自主的な行動力に欠けていた私のような者でさえ、視野を広め独立心を養うことができ、新しい知識を得ることができたからです。得るもののなかでも人との出会いは貴重です。考えさせられることが多々ありました。Native Americanの友達が、Columbus Dayに「アメリカ発見ってどういうことよ。白人達が来る前に私たちはもうここに住んでいたのに」と苦々しく言ったことがありました(普段は温和な女性なのですが)。イラン人のルームメイトは、イスラムではなかったため(バハイ教)、ホメイニ時代に差別を受け、亡命しなければならなかったことを涙乍らに打ち明けてくれました。

 始まりはどうあれ、その後の流れで自分なりの充実感があると思います。ただ一歩間違えばカルチャーショックに押しつぶされ、かといって帰ることもできずにただうろうろする事にもなりかねません(かつての私のように大学受験に失敗し、行き場をなくして留学したものの、ESLの授業にもついていけずに同国人同士で群れ、遊び回っている何人もの学生に出会いました)。帰国後のカルチャーショックのことも意識しておいた方がいいと思います(このためにも異文化間コミュニケーションは役に立つはずです)。?あと、自身に言い聞かせたのは、自分が触れるのはその国のごく一部にすぎないということ。

 高校時代の留学も、もちろん貴重な体験になりますが大学生や社会人として行くのもいいと思います。私の場合はかえってその方がよかったのです。アメリカの大学にはいろんな年齢層の学生がいるので人間関係に幅がでますし、より成長した目で異文化を観察したり母国を省みると、若い頃には見えていなかったことが見えると思います。高校生にはない自由もあります。

 おまけですが、自分が今得意としているものを大事にすると、思いがけない所で役立ったりします(日本で習っていたマリンバを生かして打楽器のクラスをとったおかげで、アラスカの犬橇レース祭りにパレードで参加という体験をしたり、料理を作って喜ばれたり、生徒会のポスターのイラストをアルバイトで描いたり)。行ってから見つかる物も大事ですが、何を持っていくかも大事だと思います。結局、全く新しい自分になれるわけではなく、今ある自分の延長なのではないでしょうか。

 文を書くうちに、どんどん思い出されてとりとめのない内容になりましたが、要は自分もやったけど、いろんな面で恵まれていい経験ができたなーというまとめです。この経験があったからこそ千里国際学園に雇っていただいたのでしょうし(ひいては結婚相手にも出会いましたし…これは余談ですが)。カウンセリングセンターには高校・大学の留学関連資料もありますので、興味のある人は来て下さいね。

★ローザンヌ国際バレエコンクールで入賞

高等部1年木田真理子さん

 「プロをめざす若い才能の育成と助成」を趣旨とする、第28回ローザンヌ国際バレエコンクールが、1月23〜30日にスイスローザンヌで開催され、高等部1年生の木田真理子さんが決戦まで残り、「プリ・ドゥ・ローザンヌ・スカラーシップ」を受賞しました。木田さんは、ソウダバレエスクール所属。幼い頃からからバレエを始め、国内の大会でも多くの入賞を果たしています。木田さんはこの受賞により、奨学金を受けてヨーロッパに1年間バレエ留学ができます。また、このコンクールの模様は、NHK教育テレビで4月30日に放映される予定です。

★アイスホッケーで国体出場少年の部7位

高等部1年福田隆法君とOIS12年Masahiko Fox君

 SIS高等部1年生の福田隆法君とOIS12年のMasahiko Fox君が、第55回国民体育大会冬季大会アイスホッケー競技会少年の部に大阪府代表として出場しました。ポジションは福田君FWで、Fox君がDFでした。

 今年の冬季国体は、「北のまほろば冬季国体」をテーマに、1月29日から2月2日までの5日間、青森県八戸市・三沢市・福地村を会場としてスケート競技会・アイスホッケー競技会が開催されました。八戸市は、昭和22年に第1回大会が開かれた「スケート国体発祥の地」です。 今回の国体開催は、平成5年の第48回大会以来7年ぶり9回目の開催となりました。スローガンは、「新世紀創る若人ひかる汗」。八戸市に全国の氷の精鋭が集い、熱戦が繰り広げられました。

 福田君とFox君が活躍した大阪チームは少年の部7位と健闘しました。

★絵で語る読書感想---1999年度青少年読書感想画コンクール入選

栗原真弓
千里イラストレーションクラブ顧問、カウンセラー

 10年生の橋本晶子さんと9年生の柴田昌洋君が、大阪府学校図書館協議会主催の1999年度青少年読書感想画コンクールにおいて、それぞれ高校の部と中学の部で「佳作」に選ばれました。読書感想を文章ではなく、一枚の絵で表現するというのが、このコンクールの課題でした。絵を描く技術もある程度必要でしょうが、まず本の内容をよく理解し、深い感動を味わった後でないと、なかなか一枚の絵で本について語ることはできないでしょう。その分、できあがった作品にはとても感動いたしました。

 橋本さんの作品は、乙武洋匡著『五体不満足』について描いたもので、絵には「かわいい」という題がつけられています。橋本さんは、身体の不自由な著者が何を成し遂げたのかということよりも、「何故この人は笑っていられるのか?」という点に疑問を抱きながら本を読み進み、読み終えて改めてその疑問の答えを考えてみたそうです。そして、乙武さんの母親の一言が彼の一生を支えているのだといういう結論に達したそうです。それは、生まれた時すでに両手両足がなかった我が子、乙武洋匡さんに向かって発せられた母親の「かわいい」という一言です。このたった一言に、五体満足な子どもをもつ母親と何ら変わらない燈齔eの深い愛情狽ェあったからだと感じ、それを絵にしてみたそうです。絵の中の母親の眼差しは優しいタッチで描かれ、全体を包む色彩はまさにその愛情の質を無言の中に語ってくれています。

 柴田君の作品は、ベストセラー『ソフィーの世界』の著者、ヨースタイン・ゴルデンによる『失われた魔法の島』について描いたものです。物語は、息子だけが手にした「魔法の本」と父だけが語ることのできる哲学と智恵を頼りに、父と子が美しい母を求めてギリシャに旅するという設定です。柴田君は、「著者が哲学者であるからだろうか、物語には智恵と謎がちりばめられており、奇想天外な話の広がり方が、読者を引き込ませる。私は、特にトランプの面白さに見事にはまってしまった」と書き添えています。その絵は、カラフルで、且つさまざまなオブジェが一枚の絵に調和をもって収まっていて、ワクワクするような面白さを見事に描いています。

 橋本さんと柴田君は、千里イラストレーションクラブの部員でもあります。このクラブは、好きなイラストを描きながら人の和をとても大事にしているクラブです。いつの頃からか学年を超えて助け励まし合う雰囲気が部員の中にできていて、誰かが転校して行く時は送別会を開き、誰かが傷ついている時はそっと癒してあげる場としても機能しているようです。私は名ばかりの何もしない顧問で、旧部長で11年生の鷲尾美陽子さんのリーダーシップと行動力に負うところが多く、このようなクラブに育ててくれたことを誇りに思います。新部長は、8年生の田中めぐみさんに決まり、きっとこれからも今の優しいクラブの雰囲気が保たれること思います。毎月のインターカルチュアの挿し絵も部員の作品です。どうぞお楽しみ下さい。

★Chie Ebara has letter published in The Daily Yomiuri

Peter Heimer
English

SIS 11th grader Chie Ebara has had a letter published in the national English-language newspaper The Daily Yomiuri.

As a member of the IB English A2 class, Chie wrote a letter to The Daily Yomiuri's "Readers' Forum," which asks readers to respond to a different question each month. The January question was, "What desires, dreams and ambitions do you have for the new millennium?" Readers are asked to express their opinions in fewer than 300 words.

Chie wrote to the newspaper that she plans to work for the United Nations and use her language skills to help make the world a better place. Her letter was published on page 6 of the Saturday, January 29 issue of The Daily Yomiuri. The full text of her letter is below.

Congratulations, Chie! And good luck at the United Nations!

Mission for peace
Chie Ebara
Suita, Osaka Prefecture

My dream for the millenium is to become a public official of the United Nations.

So many people in the world do not have the same range of oppurtunities or chances I have as a citizen of Japan. This is just not fair. The world we live in is full of inequality.

Almost every day on the news, I see little children being killed or separated from their families. This must stop at once.

As human beings, we must think about people living in Third World or developing countries. We all deserve the same amount of happiness.

I have lived in the United States and I want to make use of my English proficiency to contribute to world peace. I feel very privileged for having been raised in a bilingual environment and I feel it is my turn to help others by sharing my knowledge with them. I feel a little obliged and nervous, but I believe I can do this since this really is something I have been longing to do.

In the new millennium, I hope the world becomes a better place for everyone.

★仏語検定6名合格

トラスコット徳子
語学学習センター

英検について

 本年度第1回英語検定の一次試験は6月18日(日)に実施されます。願書受付は当センターにて4月に開始します。過去の問題と解答もこちらにありますので、受験を目指して春休みに準備をしようと思っている人は、コピーを取って試してみてはいかがでしょう。

 尚、よく聞かれるのですが、当学園は一次試験の受験会場にはなっていません。それぞれの会場は、願書記入の際に選択した受験地の中で協会が指定し、そこで一般の受験者と一緒に受験します。 二次面接試験は当学園も会場になってはいますが、これも協会が指定するので学園でうけられるとは限りません。ただ、こちらで申し込むと、受験料が各自の積立金から引き落とされるので手続きが簡単・便利です。詳しいことはトラスコットまで気軽にお問い合わせ下さい。

教材・図書の貸し出しについて

 このインターカルチュアの中でも度々お知らせしていますが、当センターには600冊以上の図書があり誰でも借りることが出来ます。カセットテープ・ビデオ教材等の貸し出しについても、各自のレベルに合ったもので相談に応じます。春休みの間に英語力を付けたいと思う人は、何冊でも貸し出ししますので是非申し出て下さい。その他、質問 ・ご要望などもトラスコットまで。

フランス語検定

 昨年11月に実施された、仏検(実用フランス語技能検定試験)1999年度秋季検定について、グッド先生よりご報告頂いたのでお知らせします。

 細谷公三香(11−4) 4級
 原 瑠美(11−3) 4級
 小林 遼(11−3) 4級
 中川勝之(11−1) 4級/5級
 中山裕美子(10−4) 5級
 平林詩織(10−4 ) 5級

 以上の皆さんが合格されました。おめでとう!

★健闘!女子サッカー3位男子バスケット4位

APAC(Asia Pacific Activities Conference)トーナメント 1/27〜29

The Girls' Soccer team finished third
John Searle
Soccer Coach, P.E.

The Girls' Soccer team returned safely from Manila. They finished third after a very tense penalty shoot out with Seoul Foreign School. Their final record was: played 6 - won 3, tied 1, lost - 2. Goals for - 2, goals against - 2. Because of this great defensive performance Yooah Chung in defence and Emily Shelton in goal received the All-Star award for the outstanding players in the tournament. However special note must also go to Mayuko Ono, Chisako Kawabata and Azusa Yamada in midfield for their invaluable contribution to the team.

The team received many compliments from other teachers, coaches, students and players in the Phillipines about their play, behaviour and politeness. I am always reminded when in these situations, just what a wonderful student body we have and what a credit they are to their families and to their teachers and our school.

Sabers Basketball Take 4th Place in Shanghai
Peter Heimer
Basketball Coach, English

On Tuesday, January 25th, the Sabers boys basketball team traversed the East China Sea on its way to Shanghai to take part in the six-school international APAC tournament. Teams from Kobe, Seoul, Beijing, Manila, and Shanghai were also present. With crowds of nearly 800 screaming fans at some games, competition at this year's tourney was the highest and most exciting this sports reporter has witnessed. Though the Saber squad fought valiantly in all games, they struggled to put together four straight quarters of solid play and often fell just short. Still, the mighty Sabers handily beat an outclassed and outcoached Canadian Academy to advance to the consolation round, where Osaka lost to a scrappy, hustling Seoul Foreign School team, ending up in 4th place.

Senior Christopher Tse was named to the tournament all-star team for his consistently strong play. Juniors Hiroyuki Ota and Syunsuke Moriwaki were also nominated to the all-star team by the Saber coaches. Other APAC players were seniors Taku Harada, Kiyotaka Ito, and Daisuke Inoue, junior Noah Reis, and sophomores Christopher Koyama and Harsha DeCosta. Minoru Ochi had been expected to make the trip, but broke his hand the week before the tournament and, unfortunately, could not go. Jennifer Ogawa was an outstanding team manager, and Steve Bonnette and Peter Heimer were the coaches.

The five-day trip to Shanghai began with a bus tour of the city-including a Hangpu river cruise, a walk along the famous Bund, and a visit to Sun Yet-Sen's former residence- and some omiyage shopping. The players stayed in the homes of Shanghai American School families and made many new friends. The team later ventured out for a team meal, where Christopher Tse showed off his Chinese food ordering skills and Kiyotaka Ito once again demonstrated his position as team trencherman. All members of the traveling party showed great sportsmanship and received many compliments from opposing coaches and the homestay families, though sometimes Coach Bonnette failed to shower and comb his hair. The team returned to Osaka- tired, but proud- on Sunday, January 30. Otsukare sama deshita, Sabers!

The Osaka Sabers boys basketball team would like to thank many people for their support this past season. Thanks, first of all, to Mr. Pekin for his help throughout the season scheduling games, refereeing, and organizing the 2000 APAC trip to Shanghai. Thanks also to the Saber cheerleader squads, who attended most games home and away and who seemed to put in more practice time than the players! Thank you referees- Mr. Combes and Mr. Elmer- scorers and timekeepers- Mr. Zulauf and Mr. Rust and CAS students- for giving up so much of your time, especially on Saturdays, for a sometimes thankless job. Finally, the team would like to thank school administrators and teachers for their frequent attendance at games and verbal support this season. Arigatou gozaimasu!

 千里国際学園のチームスポーツは千里国際学園中等部・高等部 (SIS) と大阪インターナショナルスクール(OIS)の2校で1チームを編成しており、この形態での参加を認めるAPAC(Asia Pacific Activities Conference)の公式試合や、近隣のインターナショナルスクール、日本の中学・高校との交流試合等に参加しています。

<APAC参加校>
 北京インターナショナルスクール(中国)、上海アメリカンスクール(中国)、ブレントインターナショナルスクール(フィリピン)、ソウルフォーリンスクール(韓国)、カナディアンアカデミー(神戸)、千里国際学園(大阪)

(注)「セイバース(The Sabers)」は千里国際学園スポーツチームの愛称です。

★タッチ 雨の中の関西大会

岡田憲志
タッチクラブコーチ、保健体育科

 2月6日の日曜日、寝屋川市の大間公園で第9回関西タッチ大会がおこなわれました。当日は、雨、アメ、あめ、RAIN! ひさしぶりの大雨で、河川敷のグランドはグチャグチャ、冷たい雨と風にさらされ最悪の状態でした。こんな中で12分間試合をし、30分あけて次の試合、という繰り返しは、ほんとうにつらいものでした。

 今回わがセイバーズは、AとBの2チームをエントリーしました。現在の部員が30名を超えるからです。いやぁ、タッチもポピュラーになったもんやね。キャプテンに率いられたAチームは、ご存知、大阪最強を誇るスーパーモンキーズ(えっ知らん?)と初戦でぶつかりました。この社会人チームとは昨年の関西大会の決勝戦で対戦し、負けています。しかし、いつまでも同じ相手に負け続けるわれわれではありません。この2週間ですばらしくよくなったディフェンスと、なめらかな機械のような一連のオフェンスで、あっさりとこの強豪を打ち破ってしまったのです。いやぁ、ホンマ強なった! 驚きです。2試合目では愛知県の強豪ベアーズも破り、もうこの予選リーグでの1位は確定、という状況でした。

 これに対してBチームは、このチームを率いるためにAチームから移った生徒をリーダーとし、信州帰りの前キャプテンが加わって、Aチームにも匹敵する強さを発揮しました。その証拠として、初戦の日本福祉大学、2戦目の愛知ベアーズを楽勝で打ち破ったのでした。

 しかし、悪天候のため、われわれが参加しているエンジョイ・クラスはここで中止となってしまいました。各チームで試合数に差があるため、順位は決められませんでしたが、正直言って、予選リーグ内で1番強い2チームを破っているセイバーズAチームの優勝は、確実だったと言えます(いや、これはホンマやって。優勝賞品のボール1個ソンした)。でも、このまま雨の中でプレーをし、選手みんながカゼを引くという結果は避けたかったのと、選手自身もこれまでの結果に満足していたので、われわれは素直に帰ることにしました。

 セイバーズがこれだけの強さを発揮できたのは、男子の活躍もさることながら、実は女子プレーヤーの貢献が大きかったのです。今回のようなミックスド(男女混合)のゲームでは、当然女性が狙われます。その女性がどれだけがんばれるか、また、男性がどれだけカバーできるかが、勝敗の分かれ目になります。わがAチームには、9年生の大路明子、高尾知佳、石田佳奈子が入り、他の男子に劣らぬ活躍を見せました。彼女たちの活躍抜きにしては、スーパーモンキーズを打ち破ることはできなかったことでしょう。また、Bチームにも多くの女子がおり、彼女たちの活躍も光っていました。

 現在、タッチ・クラブは休部中ですが、5月のジャパン・カップに向けて、春学期から練習を再開する予定です。来年1月にはニュージーランドでユースのワールド・カップ(18歳以下)がおこなわれるため、そのメンバーに選ばれるようにと、一段と気合の入るわれわれでした。日本で18歳以下でタッチをやっている人口はとても少なく、セイバーズ・タッチ部員にとってはメッチャ大きなチャンスです。とくに女子の人口は少ないので、ニュージーランドに行きたいという人、タッチを始めませんか!?ちなみに、ワールド・カップへは自費で参加ですが。

 最後に、今回スクールバスを使用し、試合の間中シェルターとして使用させてくれたドライバーさんに心からの感謝を述べたいと思います。バスなしでは、われわれ全員がカゼを引いていたことでしょう。ありがとうございました。また、泥を持ちこんでしまってすみませんでした。

★箕面市の大会で相次ぎ優勝!

馬場博史
ランニングクラブ・トライアスロンクラブ顧問、数学科

箕面市民マラソン大会で5名部別優勝

 2月11日に箕面市第2総合運動場とその周辺で行われた恒例の「箕面市民マラソン大会」に、今年も本学園ランニングクラブ・トライアスロンクラブを中心にSIS/OIS合わせて23名が参加しました。坂の多い難コースで苦戦しましたが、みんなよく健闘しほぼ全員が完走。そのうち5名が部別優勝しました。寒い中応援にきて下さったご家族の方々、ありがとうございました。本校の各部優勝者は次の通りです。

 中学男子5kmの部 長尾貴博(中1)
 中学男子10kmの部 藤本卓(中2)
 高校以上10代女子5kmの部 鷲尾美陽子(高2)
 40代男子5kmの部  John Searle(教員)
 40代男子10kmの部 馬場博史(教員)

箕面市民オリエンテーリング大会で団体・個人とも優勝

 2月27日には箕面市教学の森青少年野外活動センターで「箕面市民オリエンテーリング大会」が開催されました。オリエンテーリングとは、方位磁石と地図を頼りにチェックポイントをできるだけ短時間で回るというスウェーデン生まれの競技ですが、この大会にSISからランニングクラブ・トライアスロンクラブを中心に15名が参加し、山の中を元気に駆けめぐりました。その結果、団体の部・個人の部ともに優勝しました。各部3位までの本校の入賞者は次の通りです。

 団体の部4km
 1位 横山聡司(中3)・黒田純一郎(中2)
 2位 藤本卓・岡本竜平(以上中2)
 個人の部4km
 1位 馬場博史(教員)

★エッセイコンテスト入選

 中等部2年の楊セン領君が、国際協力事業団(JICA)大阪国際センター主催の中学生エッセイコンテスト'99に、「インターナショナル」という作品で応募し、全国から15400通もの応募の中から選ばれ、見事入選しました。おめでとうございます。・

★<授業より> 中学生川柳・狂歌に挑戦

広瀬三矢子
社会科

 江戸時代の化政文化を勉強したので、柄井川柳・大田南畝のように頭をひねって、日本語もひねって川柳・狂歌に挑戦してみました。とはいうものの、「どうしよう どうやって書こうか 川柳は(小川佳泰)」そんな宿題忘れてたという気持ちを正直に書いたのか?川柳なんて難しすぎるということなのか?ちょっと心配でしたが。クラスごとに、川柳・狂歌の会を開いて(1組が1月末、2組が10月中ば、3組が2月初め)、代表作を選んでみました。どうぞお楽しみ下さい。

[川柳]

1組
代表作
「平成は 江戸と変わらず 金がない」(今中由花子)
次点
「人間は 今も昔も 金かせぎ」(三ツ橋敏史)

評:江戸幕府の財政難や改革を「おいぬさま だいじにしても つらいだけ(古沢恵理奈)」や「忠邦は 国のためにと 失敗する(太田朱里)」と川柳にできるくらいに勉強しました。江戸時代の話を聞けば聞くほど、あれぇ今と似ているじゃないと感じてしまったという川柳が選ばれたのも歴史の勉強の成果でしょうか。ほかにも「ノックさん ノックじゃなくて ノータッチ?(松野はる香)」のように、政治への批判が一番人気の話題でした。社会全体に目を向けると「殺人が 多い世の中 九九の年(福田紀子)」や「リサイクル 再利用といっても ゴミは増え(藤本卓)」なんて句も。「両親の やること子供は すぐ覚え(松村直子)」だから、大人たちがしっかりしてよねという声が聞こえてきます。日常生活を題材とした「寒い朝 あと10分が 命とり(金碩燦)」にはうなずく人も多いはず。

2組
代表作
「チーマーの あんちゃん邪魔だよ ドアの前」(植村麻美子)
次点
「違う風 季節が変わる かぜの時期」(森本奈津子)

評:「チーマーって何?」なんて聞いてはばかにされるかな? 冷たい風が吹き始めた頃で、「風邪をひき マスクをすれば あたたかい(砂田諭史)」という人をみて(?)の一句が次点になりました。風の変わったのに気づくなんてとってもロマンチック。でも御用心ってことかな。「髪切った 短すぎるぞ はずかしい(根来牧人)」になると寒さよりおしゃれという中学生らしい? 「異常気象 来年ずっと アイスおいし(奥村舞)」には、暑かった夏から秋をかわいらしく句にしました。中学生活から好対照の二人「コンサート まちがえなくて 超ラッキー(岡本竜平)」「コンサート 失敗連発 どうしよう(ソーヤー・イアン)」

3組
代表作
「国会で 何がしたいの おぶっちゃん」(山口早織)
次点
「バレンタイン 近づいてるのに 相手なし」(前成実)

評:政治家のなかでもダントツ人気(?)の小渕首相。しっかりしてくれないと中学生も困るんだよなぁという気持ちは「お年玉 不況のためか 安上がり(山田藤吉)」。昨年大ブレイクした(?)ノストラダムスさんには「ノストラダムス おまえの予言は 大地震?(仲村宙)」という声も。「女子高生 カリスマつけば みなあこがれ(乗岡彩)」とは、女子中学生も流行チェックに余念がない! 微笑ましくっていいと思うけど「数学は 僕の大敵 おそるべし(賀茂良穂)」の一句は、当たっているだけにクラスメイトをドキドキさせた? 一方2月といえばバレンタイン。こちらは楽しいドキドキで次点に!!

[狂歌]

1組
代表作
「先生は いつもエドを からかって 内心それは 少女の心」(洪 絵梨)
次点
「小渕さん ブッチホンとか 言ってると そのうちホントに 首になるぞ」(木畑洋)

評:先生の心は少女のように純真だって? 隠していてもわかってしまうのね! 意味が違って? うーん、**くん、○○くん、それから?くんも、あの子もこの子も好きだから。狂歌でも、「政治家の 舌は二枚と 思う我 一枚きりだな 裏表だが(堺谷詩織)」「問題は 山ほどあれど 能天気 我らが日本の 政治家たち(有田梓)」などの政治批判がいっぱいでした。「最高です 天声だのだの 言うけれど 結局あいつは 金狙いだけ(田中芙生子)」なんていやな世の中、中学生は「友達が 涙うかべて 相談を 私も目から 涙あふれる(フィーノ・ジュリア)」こんなに優しいのにねぇ。

2組
代表作
「ノックさん やったのならば きっちりと 人気じゃなくて 頭を下げて!」(徳嶺友香)
次点
「徳川の 家康低く 三井高い クラスの評価 政治家ぎらい」(芦田佳子)

評:去年の10月にはホットな話題でしたが。今となってはノックさんも忘れさられた? 次点は、歴史上の人物を採点した時に、家康が最低で日本一金持ちだった三井高利がトップになってしまったことを歌った秀作です。最近政治家の評判が悪いものねぇ。それとも皆が「金持ち」という言葉に弱かった結果なのか不明です。「福岡の 人は川へ 飛び込んで 大阪の人は 涙の海へ(大津留聡美)」、「真っ黒に 日焼けしまくり 女子高生 お正月には 何しているの?(田中めぐみ)」の2首を読むと昨年の10月の話題を思い出します。自分の体験から「雨あがり 歩いていると 虹を見て 石につまずき よごれてしまう(竹上貴之)」、身を捨ててオチをつけて笑いをとるが大阪流?

3組
代表作
「会議会議 会議のあとに また会議 会議をへらす ための会議」(黒田純一郎)
次点
「ギャルたちの 肌の黒さと 政治家の 腹の黒さは 濃くなる一方」(徳嶺絢子)
次点
「世の中は バレンタインで 節分の 鬼も出づらく なっただろうに」(山口早織)

評:どこかのサラリーマンのような狂歌が一番人気なのは、「中学生の 顔のしたには おやじ心?(広瀬)」だからかなぁ。政治家批判もありましたが、顔グロに厚底靴という流行を取り入れたものが多いのが3組の特徴。その両方をうまくまとめたのが次点の作品です。「新しい 大阪府知事 決まったよ 太田房江 48歳(松田杏子)」年齢まで入れて字数合わせの苦労がみえます。2組の川柳・狂歌会からまだ4ヶ月のはずなのに、府知事だけみればもう4ヶ月って気分になるなぁ、やれやれというのが府民の声かも。 今の社会にも「現代は なんでもできる いい社会 環境破壊を きにもせず(阿部友香)」。両親について「新聞を 片手に持って トイレ行く 居場所なくなる おとうさん(河野真梨菜)」「Eメール 自分で打つと いいながら5分おきに 私を呼ぶ母(山田真悠子)」の二首。「がんばってね!」という声がおとうさん、おかあさんに届きますように!自分たちを反省することだって忘れていません「世の中を ふと考える 子供たち 明日になれば 忘れているのに(鷲尾崇)」 忘れちゃいけないこともたくさんあります。

★<授業より> 中2数学恒例巨大「相似」似顔絵競作

馬場博史
数学科

 6年前に私の授業クラスで「相似」を学習した時に初めて挑戦した巨大似顔絵が、数年前から毎年学年全クラス恒例の取り組みとなりました。今年もそれぞれ約2m四方ぐらいの大作です。2階の廊下で実物をご覧下さい。

★<授業より> 論文「同性愛者について」---保健論文抄録第6弾!

岡田憲志
保健体育科

 昨年12月に現12年生(高3)が取り組んだ保健論文を毎号紹介しています。これが、現12年生のものとしては最後になる予定です。というのも、現在、11年生が「『性』に関する論文」に生活科学の授業の中で取り組んでいるからです。次回からは、その最新のものからお届けしたいと思います。

 今回の抄録は、趙秀燃さんの「同性愛について」です。

 同性愛については、日本でもテレビなどでよく知られています。同性愛者だと公言しているタレントもいます。しかしながら、同性愛は一般的に受け入れられたものなのでしょうか。日本はまだまだ同性愛者が生きにくい社会のようです。秀燃さんは、この学校でのアンケートを通して、同性愛についての現状と正しい知識を報告してくれています。ぜひ、ご一読ください。

同性愛者について
趙 秀燃
高等部3年

 今でも社会には同性愛に対して偏ったイメージと様々な差別があふれている。私は本学の高等部1年生、2年生、教職員を対象として、同性愛についてアンケートをおこない、その結果からみられるものを述べることにした。

 アンケートの中で、最初は同性愛に対する基礎知識を調べた。「『性的指向』という言葉の意味を知っている」に「YES」と答えた人は33%しかいなかった。「性的指向」とは、自分の性的意識が向く方向であって、男性、女性、両性の三つに分かれ、自分の意志で変更・選択するのはほとんど不可能である。男性で、「性的指向」が男性に向いている人をゲイ(同性愛者)、女性に向いている人をストレート(異性愛者)というのである。しかし、「YES」と答えた人の60%が、「『性的指向』は自分の意志で決められる」と思っている。つまり、「性的指向」の正しい意味を知っている人は、わずか20%たらずであった。

 また、「性自認」というのがある。「性自認」とは、生物学的「性」とは関係がなく、自分を「男」であると認識するか、「女」であると認識するかをあらわす言葉である。これも自分の意志で決めることは不可能である。これは、「性的指向」とは異なる概念で、女性で、自分は本当は男性だと考えている人を、トランス・ジェンダーと呼ぶ。アンケートでは、「性自認」という言葉の意味を29%の人しか知らなかったが、その中の86%が「『性自認』と生物学的『性』の異なる人は同性愛者である」に、「NO」と正しく答えた。

 同性愛に対して偏ったイメージが強く見られるのはマスコミである。マスコミ、特にテレビでは「ミスター・レディ」や「ニューハーフ」などが登場し、笑いを取ることが多い。しかも、彼らをゲイであるように紹介している。「ミスター・レディ」や「ニューハーフ」の人たちの多くは、トランス・ジェンダーで、かならずしもゲイであるとはいえない。また、マスコミは同性愛者を性的存在としている場合が多い。しかしながら、このアンケートでは「ゲイは不特定多数とセックスをする」という質問に、ほとんどの人が「NO」と答えた。

 今までの話とは違って、同性愛者の存在が無視される場合も多い。「日常生活の中、同性愛者に出会う機会はあまりなさそう」という質問に、57%が「YES」と答えた。でも、実際はこの国でも人口の3〜10%が同性愛者であると推定されているのだ。同性愛者の存在が無視されているのは、自分には一生関係がないと思うことが多いからであろうか。

 同性愛という言葉を聞くと、エイズを連想するという質問に、4名も「YES」と答える結果が出た。しかし、何年か前には、エイズを「同性愛者免疫不全症候群」と呼ばれたことなどと比べてはましといえるであろう。また、「セックスでHIVに感染した人は自業自得だと思う」というアンケートには、94%が「YES」と答えた。日本ではまだこのような考え方が強いが、同性愛者たちは社会的に抑圧されているからこそ、HIVに感染する危険性も含まれているのだ。しかし、これについての研究はあまり行なわれていないのである。

 最後のアンケートとなる「誰の人権でも侵害されてはいけない」には、91%が「YES」と答えた。同性愛者の人権も1995年に法律的に「性的指向において人間は平等である」と認められた。

 今回のアンケート結果は比較的いい結果となった。その理由は、同性愛者に対して偏ったイメージを持つマスコミだけを通じて知識を持ったのではなく、性教育を通じて正しい同性愛を学んで理解したからであろう。同性愛者が異性愛者と同じような生活ができるように、社会からの正しい理解と教育が必要である。

★理科部活動紹介

広瀬 雅人
高等部2年

中1理科の授業でプラネタリウムを上映

 理科部を知っていますか? まだあったの!? と驚く人もいれば、そんなクラブあったのかぁ... という人も多いと思います。でも、学校にプラネタリウムがあるということは、きっとご存知でしょう。

 私たち理科部は、毎年学園祭など様々な行事で、そのプラネタリウムを上映しています。(もちろん、理科部の活動内容はそれだけではありませんが...)一人でも多くの人に星空、そして科学に関心を持ってもらえればと思っています。

 理科部では去年の秋学期から、中等部1年生のBasic Science の授業でプラネタリウムを上映することになりました。そして、今学期も無事に上映することができました。最初は、はじめて見る学校のプラネタリウムにざわめきがなかなかやみませんでしたが、上映をはじめてしばらくするとそれもおさまり、聞こえてくるのはBGMとナレーターの声、そして機械の動く音だけ...。 先学期の上映後には新たな部員も増えて、インターナショナルフェアでのプラネタリウム初上映を見事大成功におさめました。これからも、少しでも多くの人に星空や理科への興味を持ってもらえるよう、Basic Science という場をかりて、中等部1年生のためにプラネタリウムを上映していくつもりです。

 あなたも一度、千里国際学園プラネタリウムで星空を探検してみてはいかがでしょうか。科学館のように...とまではいきませんが、それはそれで楽しいものです。そして、1日1分でも星空を眺める時間をつくってみてはいかがでしょうか。
 「最近は街の明かりがまぶしいから...」と言ってあきらめずに、一度夜空に目を向けてみてください。
 この季節、晴れていればきっとオリオン座がきれいに見えることでしょう。

獅子座流星群観測会の報告

 昨年秋に行った獅子座流星群の観測会は、あいにくの曇り空で、決して満足のいく結果は得られませんでしたが、それでも貴重な観測結果を得ることができました。見ることのできた数少ない流星の中には、「火球」とよばれる長く尾をひいた流星もあり、貴重な体験をすることができました。

 「獅子座流星群高校生国際観測会」の最終的な参加グループ数は、国内205グループ、海外(23カ国)102グループに及び、今月、私たちを含む計186グループの観測データがフロッピーディスクの形で送られてきました。

 今回、このプロジェクトに参加したことは、今後の私たちの活動、そして参加した全員に何等かの形で大きな影響を与えてくれたと思っています。

理科部「冬の合宿」

 理科部(今回の参加者: SIS 9年 諸正 義彦 ・ SIS11年 藤崎 潤 ・ 末延 健太郎 ・ 広瀬 雅人)では、昨年の12月18日から20日にかけて、鳥取県の「さじアストロパーク・佐治天文台」に合宿に行きました。口径103cmカセグレン式反射望遠鏡を備えた佐治天文台のほかに、4台の天文台が設置されており、そのうちの一つ「セレス観測所(口径40cmの反射望遠鏡)」 をまるごと借りて、天体観望を行いました。

★初のSIS/OIS合同高等部生徒会執行部選挙

鄭 有雅
HS生徒会執行部書記、高等部2年

 2月16日(水)「2000-2001年度SISF高等部生徒会執行部選挙」を行いました。今までOISとSISは異なった方法で生徒会執行部員を選出していましたが、今年から同じ方法で行う事になりました。OIS、SIS両校の立候補者の皆さんにMMTV(校内テレビ放送)でスピーチをしてもらい、教室でそれを見た生徒の皆さんが投票をするという形で決定しました。

 以下が、2000-2001年度 生徒会執行部員となりました。立候補者の皆さんお疲れ様でした。そして、当選なさった皆さんおめでとうございます。

SIS OIS
会長 山口 智史 マトゥール・ニーラブ
President Satoshi Yamaguchi Neerav Mathur
副会長 岡村 茉侑 佐藤 直樹
Vice president Mayu Okamura Naoki Sato
書記 實藤 可奈 キム・ヒュン・ギュン
Secretary Kana Sanefuji Hyun Gyung Kim
会計 今田 順子
Treasurer Naoko Imada
通訳 今中 由希子
Translator Yukiko Imanaka

 選挙の少し前の2月10日(木)、生徒会執行部主催のバレンタインダンスパーティを本校シアターで開きました。2月9日(水)が大雪のため休校になってしまい、生徒の皆さんに情報がちゃんと行き届かなかったのか参加人数は少なかったものの、皆さんに楽しんでいただけたと思います。そして今回はベストダンサー賞を男女各一人、ベストカップル賞を一組もうけました。賞を受け取った方々おめでとうございました。ダンスパーティー終了後、生徒会執行部員以外の方々もシアター等の後片付け、掃除の手伝いをしてくださった為片づけも早く終わる事が出来ました。お手伝いをしてくださった皆さん、ありがとうございました。そして今回、ダンスパーティのスーパーバイザーになってくださった新見先生、廣田先生、コウムズ先生、本当にありがとうございました。

 これからの生徒会執行部は、3月15日(水)に掃除の日を企画しています。詳しい事はまだ決定していませんが、決定次第、随時みなさんにお伝えしようと思います。そして、千里国際学園生徒会執行部始って以来、初めて「生徒会執行部ハンドブック」を作ろうとしています。これは「生徒会執行部とは?」や「生徒会執行部の年間活動」等について、今まであやふやであった部分をすべて定義付けした一冊の本にし、作り上げようとしています。現在ほぼ完成状態であります。このハンドブックについての詳しい事は次号でお知らせしたいと思います。

★中等部生徒会イベント報告

山田蘭子
MS生徒会執行部書記、中等部2年

 私達、中等部生徒会執行部は、会長安藤ゆかり、副会長新見眞史、議長藤本卓、会計乗岡彩、書記山田蘭子と各クラスのクラレプ(クラス代表)で活動しています。

 昨年12月17日に中等部だけのパーティーをカフェテリアで行いました。パーティーの中では生徒によるライブや、ミスター・ミス千里国際学園中等部コンテストなどの企画も行いました。結局、ミスター千里国際学園中等部は中等部1年の長尾貴博君、ミス千里国際学園中等部は中等部2年のフィーノ・ジュリアさんに決定しました。パーティーはそれなりに盛り上がり、成功したと言えると思います。

 今年の2月には、バレンタインにちなんだイベントといいうことで、ムービーナイトを、シアターで行いました。映画は「シティ・オブ・エンジェル」を上映し、入場者数は46人でした。映画を見てくれた人には1つずつチョコを配り、ムービーナイトをするのに手伝ってくれた人のも配りました。

 今、中等部生徒会では4月に行う新入生のための「新入生歓迎会」をがんばって計画しています。

★図書館春休みの閉館のお知らせ

3月17日 12:45pmで閉館
3月18日〜4月4日閉館
4月5日より平常どおり開館(8:00am-4:45pm)

(図書館・青山比呂乃)

★編集後記

 インターカルチュアの記事を学園ホームページに掲載するようになってから、発行するたびに、Eメールアドレスのわかっている同窓生や旧教職員など学園関係者にお知らせしており、「世界中どこにいってもSISのことがよくわかる」と好評をいただいています。第7期卒業生の方も定期的なEメールでの連絡を希望する人はその旨お知らせ下さい。

 今年度途中からは、学園ホームページの作成・更新も正式に私の担当となっています。授業と週4回のクラブ活動に加え、インターカルチュアの編集だけでも週末をつぶしてようやく仕上げているのに、さらに忙しくなってしまいましたが、楽しみにしている方が多いので頑張ります。これから学園ホームページもさらに充実させていきたいと思っています。こちらの方のご意見・ご感想もよろしくお願いします。

(馬場博史)