Interculture 63号(99年5月号)抜粋
大阪国際文化中学校・高等学校 Osaka Intercultural Academy (OIA) は、1999年4月より、千里国際学園中等部・高等部 Senri International School (SIS) に校名変更しました。
★特別な春
大迫弘和
SIS校長
「私が**からの帰国生徒だと分かると、その国について色々尋ねてくれる。それはそれで嬉しいのだけれど、ふと気がつくんです、質問はその国のことばかりで、私のことはなにも聞いてくれていないなって。」
この学園で出会うこのようなことば。今までも私なりに大切に大切にしてきたつもりですが、そのような姿勢だけは、これからも、何があっても失うまい。
千里国際学園中等部・高等部(SIS)という新校名のもと、学園は9年目の歴史を歩みだしました。この春は学園にとりまして、学期完結制、という学習の形における画期的な取り組みをスタートさせる、特別な春でもあります。
「ね、あなたは英語はどのクラスにしたの?」
「私はLL2。あなたは?」
「LC9をとることにしたの。どんな授業かな、楽しみだなー。」
「そうね、なんか、わくわくするわね。」
生徒それぞれが、正に学園が望む形で、即ち、友達が取るから自分も、といったレベルの選択でなく、自らの自立的な判断に基づき科目を選択しています。正に、SISの生徒のよき文化があって初めて成立していくシステムであると、あらためて思うのです。そして同時に、生徒の「わくわく」に十分応えられるような授業を提供していかなければならないと、深く責任を感じるのです。
99年度、SIS教員の年間目標として「授業充実」を最初に掲げております。更に「コースディスクリプションへの取り組み」「『5つのレスぺクト』教育の推進」というあわせて3つを本年度SIS教員の取り組み目標といたしておりますことをお知らせします。
校内各校務分掌がどのような仕事を進めているかといったお話も、『インターカルチュア』本号の「進路情報室」のように、進めていく予定です。
家庭―学校の協力関係の中でSISの教育は育っていきます。家庭―学校の協力関係の基礎になるだろう基本的コミュニケーションに、可能な限り心を配っていきたいと思います。
その一環として持たせていただきました4月9日、23日の「新入生・編入生の保護者の皆様のためのペアレンツ・イブニング」。例年どおり多くの出席者を得る事が出来ました。お忙しいところ皆様ありがとうございました。
4月20日付け文書でお知らせしましたように高等部3年生の下校時間に関して新システムをスタートさせました。音楽の授業の状態改善のため授業助手の採用(春学期)も決定しております。(本原稿執筆時の段階でまだよい人が見つかっておらず募集を引き続き行っています。)与えられた条件の中で、可能な改革を、一つずつ、一つずつ、と思っています。
お子様にどれだけの期待を寄せていらっしゃいますか?
「我が家は子どもには勉強のことも何も言わず、自分の人生なのだから、親からは期待を押し付けたりしないようにしてるんです。」
でも、それでは、やはり、子どもは少しかわいそう。もちろん過度の期待は子どもを圧迫するだけの結果になるでしょうが。
親というものは、赤ちゃんのころから、ずうっと我が子を見つめてきて、そしていつか自然に「その子にちょうどよい大きさの期待」というものに気づいていくものなのではないだろうか、と、そんなことを思っています。
私の父母も、そうであったように、いま、ふと、気づくのです。
「ちっちゃな体で、幼い頃は病気ばかりしていて、ただ知的好奇心のようなものだけはずいぶん強そうな」そんな子を我が子として持った私の父母の思いを、ふと、思うのです。
強い意志力と穏やかな心を持って、与えられた責務に、力を尽くしてまいります。
一人一人の生徒を、私は今日、大切に出来たか?
問いかけを続けつつ。
★一連の改革について
本校では、1998年度より、それまでの4学期制から各学期同授業日数の3学期制(60日×3)へと移行しました。4月〜6月を春学期、9月〜11月を秋学期、12月〜3月を冬学期と呼んでいます。
また1999年度から、学期ごとに単位を認定する「学期完結制」を導入しました。このため、学期ごとに履修科目、時間割が変わります。
さらに1999年秋からは、併設の大阪インターナショナルスクールとの共通カレンダーが実現されるため、2校がほぼ同じ授業日になり、合同の授業や行事等がますます活発化することが期待されます。
★卒業生大学等合格状況報告 (1999年4月19日現在)
( )は指定校推薦合格者数を表す。なお、過年度卒業生分で、不明・無回答も若干あり。
学校名 |
合格者数 |
|
現役 |
卒業 |
|
〈国公立大学〉 |
||
筑波大学 |
2 |
|
大阪大学 |
1 |
|
大阪教育大学 |
1 |
|
島根大学 |
1 |
|
滋賀県立大学 |
1 |
|
神戸市外国語大学 |
1 |
|
神戸商科大学 |
1 |
|
大阪市立大学 |
1 |
|
〈私立大学〉 |
||
関西学院大学 |
15 |
3 |
立命館大学 |
12 |
1 |
上智大学 |
7 |
|
慶應義塾大学 |
7 |
|
同志社大学 |
6 |
4 |
関西大学 |
5(2) |
1 |
甲南大学 |
4 |
5 |
関西外国語大学 |
4(1) |
1 |
岡山理科大学 |
2 |
1 |
成安造形大学 |
2 |
|
中央大学 |
2 |
|
武蔵工業大学 |
1 |
1 |
龍谷大学 |
1 |
1 |
青山学院大学 |
1 |
|
英知大学 |
1 |
|
京都外国語大学 |
1 |
|
高知工科大学 |
1 |
|
国際基督教大学 |
1 |
|
芝浦工業大学 |
1 |
|
神戸海星女子大学 |
1 |
|
相愛大学 |
1 |
|
朝日大学 |
1 |
|
追手門学院大学 |
1(1) |
|
桃山学院大学 |
1 |
|
同志社女子大学 |
1 |
|
日本大学 |
1 |
|
東海大学 |
1 |
|
神奈川大学 |
1 |
|
大阪工業大学 |
1 |
|
東京電機大学 |
1 |
|
法政大学 |
1 |
|
明治大学 |
1 |
|
〈私立短期大学〉 |
||
関西外国語大学 |
1 |
|
大阪女学院短期大学 |
1 |
|
梅花女子短期大学 |
1 |
|
〈専門学校〉 |
||
大阪モード学園 |
1 |
|
〈海外の大学〉 |
||
Chung Ang Univ.(韓国) |
1 |
|
Pratt Institute(米国) |
1 |
|
California State Univ.(米国) |
1 |
|
Chapman Univ. (米国) |
1 |
|
Hunter College of the city of New York(米国) |
1 |
|
Univ. of Southern California(米国) |
1 |
|
海外の大学その他は結果待ち |
★第8回入学式 8ヶ国語で生徒宣誓
4月5日(月)、千里国際学園中等部・高等部(SIS)と校名変更して初めての入学式が行われました。体育館では周囲に万国旗が飾られ、華やかなバンド演奏の中、中等部1年生48名、高等部1年生69名(内部進学50名含む)を学園関係者一同あたたかく迎えました。
今年も帰国生を中心に8ヶ国語で生徒宣誓が行われ、日本語・秋田桃江(中等部1年)、韓国/朝鮮語・朴啓江(高等部1年)、インドネシア語・門敬子(高等部1年)、マレー語・福地智幸(中等部1年)、タイ語・萩田愛子(中等部1年)、ドイツ語・藤田千晶(中等部1年)、スペイン語・入山慎一(高等部1年)、英語・長尾貴博(中等部1年)の8名がそれぞれ大役を果たしました。
★環境問題への取組みを4新聞社が紹介
高等部2年小松麻美さん
池田大介
高等部2年1組担任・社会科
高等部2年1組の「小松麻美(こまつ
あさみ)嬢」が「ゴミ問題」に取り組んでいるのは、同じ社会科の比較文化担当の野島先生から聞いていた。1年の長きにわたり高校1年生が(四苦八苦して)作成する「イヤーレポート」の題材という。私も、在欧時代に、当地での「ゴミ問題」への対応を目の当たりにし、実際生活していた一人として、彼女に新聞の切り抜きを渡したこともあるが、担当のダッタ先生・野島先生によると史上二人目の「比較文化グランドスラム(詳しくは、ダッタ先生か野島先生まで!?)」を達成した生徒としても、"嬉々"として(苦労も勿論したことだろうが)レポート作成に、(それこそ)熱中していたらしい。内容が何よりもソレを物語っているとのこと。
彼女は、ドイツでのホームステイ経験を元に、きっと語学等を修得しようともしたことだろうが、それに止まらず、これから大学等の研究機関で研究する、あるいは、それ以前の、地球市民としての、一大テーマを見つけてきたのだ。
なお、小松麻美さんは、産経新聞・毎日新聞・朝日新聞、そして神戸新聞に紹介されています。
★異動のお知らせ
<新任>
石川栄男
常務理事
この度、4月1日付で阪急電鉄から当学園にお世話になることになりました。これまでは、阪急電鉄以外に、森組(総合建設業)、阪急リエゾンサービス(不動産管理業)、アルナ工機(車両メーカー)等々の会社を経験させて頂きましたが、主に人事業務に携わってきました。
「少くして学べば 壮にして為すあり 壮にして学べば
老いて衰えず
老いて学べば 死して朽ちず」
「三学」より
これは幕末の儒者
佐藤一斎が書き著した「言志晩録」の中の章句で、小生の好きな言葉の一つですが、生涯一学徒として今後も精進したく思っています。
学園業務は初めてですが、建学の精神を体得し、一日も早く戦力となれるよう努める覚悟ですので皆さん方のご指導の程よろしくお願いします。
山本靖子
英語科
はじめまして。このたび、皆さんの仲間入りをすることになりました山本靖子です。担当教科は英語です。アメリカ、カナダでの第2の学生生活を終えて4年ぶりに日本に戻ってきました。留学中の専攻の関係で、異文化コミュニケーション、多文化教育にとても関心があり、今後それを英語の授業に役立てられたらなと思っています。性格的には好奇心の強い方で、留学中は何かイベントがあるといえば顔を出し、(第1の)学生時代には、バレーから、サックス、三味線まで色々とチャレンジしました。趣味は音楽やスポーツ等ありますが、友人達と美味しいものを食べながら語り合うこと(といってもくだらない話しばかりですが)をこよなく愛しています。これからこの学校でひとりでも多くの人と知り合いになれることを楽しみにしています。最初は色々いたらない面もあるかと思いますが私なりに精一杯頑張りますので、よろしくお願いします。
新庄佑三
国語科
このたび、縁があってこの千里国際学園でお世話になることになりました。よろしくお願いします。
今時の日本に30名学級どころか20名台前半の学級を実現している学校が過疎地域以外にもあるとは思いもしなかったので、驚いています。また、いわゆる校則というものが最小限しかないことに、深い共感を覚えています。
小人数学級の効用については、一般に「先生の目が行き届きやすい」という風に言われていますが、より正確に言うなら「教師の、子ども・生徒に対する受け止め方がゆったりする」と言った方がいいように思います。何時も後ろから追い立てられ、対人関係でも非常な気遣いをしながら毎日を送っている今の日本の子どもたち。そんな中で、子どもたちの思いをふんわりと受け止めてやれる条件が(校則のことも含め)この学校にはそろっていると思います。
非常勤といっても、子どもたちの成長に責任を持つという点では、おろそかなことは出来ません。皆様の助けをお借りしながら精一杯、かつほのぼのと勤めたいと思っています。よろしくご援助下さい。
北野みゆき
数学科
初めまして。数学科の北野みゆきです。創立当初から注目していた、こちらの学校へ勤めることができ、大変光栄に思っております。昨年までいろいろな学校の(公立、私立)講師として勤めてきましたが、千里国際学園は、今まで知らなかったたくさんの発見があり、驚きと、緊張と、新しい知識を得られる喜びで、あっと言う間に一週間が過ぎていきます。もともと学校が好きで、年を追うごとに教師という仕事が好きになり、今は好きな仕事ができることにとても感謝しています。慣れないことも、失敗も多々ありますが、どうぞよろしくお願い致します。
神谷 弥
情報・数学
4月より、この千里国際学園で数学及びコンピューターの授業を受け持つ事になりました、神谷弥という者です。教師生活4年目ですが、中学生を教えるのは、教育実習以来なので、期待と不安が交錯していますが、「一生懸命教えている」という気持ちが生徒に伝わればいいな、と思っています。
元々、教師になるのが夢だったので、今は教師の仕事が出来て、とっても幸せです。まだまだ未熟者の私ですが、末永い付き合いになるよう、一生懸命がんばっていきますので、宜しくお願いします。
志浦 直子
書写・書道
四月初め、私は桜の花のトンネルをバスの窓から見上げながら、千里国際学園に来ました。新しい環境への期待に胸を膨らませながらも、少し緊張気味だった私でしたが、新入生の溌剌とした笑顔と、彼等を迎える先生方や上級生の暖かい笑顔が、これからの学園生活の楽しさを予感させてくれ、勇気づけてくれました。若い希望に満ちた生徒達の日々の成長に関わることで、教えると同時に私も又教えられることが多いでしょう。一日一日を大切に、自然な気持ちで生徒達と接していきたいと思っています。
廣田文野
生活科学科
はじめまして、今年度よりSISで御世話になることになりました廣田文野と申します。既に始まっている授業の中で、皆さんの授業に対する熱心な姿勢には驚かされることがとても多く、毎日楽しく過ごしております。ここでは、私がいつも心がけていることについてお話します。
よく、「会話はキャッチボールである」といわれます。ありふれていますが、とても奥が深く、意外と実践できていないことが多いと思う言葉です。相手にとって受け取りやすいボールを投げること、そして相手のボールを受け止める努力をすること、それは会話というコミュニケーションの基本ともいえることだと思います。
授業の中で、また、生活の中でも、もし、わたしがみんなの受け取りにくいスピードのボールを投げていたり、みんなのせっかく投げてくれたボールを無視するようなことがあれば、いつでも、遠慮なく文句(!?)をいってください。それも私にとって大切なみんなとのコミュニケーションだからです。この一年一人でも多くの皆さんとコミュニケーションできる事を心より願っています。
中尾直子
保健体育科
体育の非常勤講師として1年間お世話になります、中尾直子です。昨年末、大晦日の日に、5年間のアメリカ、カリフォルニアでの生活を終えて帰国しました。長男出産のあと、専業主婦をしておりましたが、末の娘が、小学校3年生になったので再び、教職につくことになりました。久しぶりの現場で、子供たちに囲まれ、張り切っております。不慣れな点もありますが、どうかよろしくお願いいたします。
★男子サッカー優勝! APACサッカー・バスケット・テニストーナメントinマニラ(4/14〜17)
Osaka - APAC Soccer Champions
Michael J. McGill
Soccer Coach, English, Social Studies
On April 14 the APAC basketball, soccer and tennis teams left for a hot and
steamy Manila to participate in the 1999 APAC tournament.
The 16 Osaka boys had been preparing for the tournament since February and despite being
hit by a string of injuries were in optimistic mood, hoping to perform well in the
tournament games. Each of the participating teams was to play six games of 70 minutes
duration with temperatures often in the mid-30s.
The Osaka players got off to a good start with a victory over Shanghai. By the end of the
second day the chance for a place in the final hung in the balance. With Canadian Academy
having secured their berth, it was left to the Osaka team to beat Seoul Foreign School on
Saturday morning. A draw would not have been enough to gain a place in the final. The
Osaka team took the lead after twenty minutes only to concede a goal to Seoul before the
end of the first half. The boys dominated the game in the second half finally scoring that
important goal which was our ticket to the final.
The final was played at 5.30 p.m. under the floodlights in the stadium adjacent to Brent
Academy. Both the Osaka and CA teams were suffering from heat, fatigue, and injuries
accrued over the previous five games. The final was hotly contested, the score 0 - 0 at
the end of normal play, 0 - 0 at the end of extra time. The game was now to be decided on
penalties. At the end of the first round the score remained tied at 3 - 3 and it was not
until the twentieth penalty of the shootout that the Osaka Goalie, Noboru Nishimura,
shooting against his opposite number made his penalty to give Osaka the win and first
place in the tournament. There were celebrations all round.
Naoto Honjo, Ryo Kobayashi and Yuichiro Terai were chosen as the Osaka all - star players
and I would like to congratulate them and the entire team on their outstanding performance
and sportsmanship. A big thank you to Asako, our manager who carried gallons of water, to
Mr. Pekin for helping us fight off the cramp and to Mr. Searle for co-coaching the
championship team.
Girls' Varsity Basketball
Donald Gagner
Basketball Coach, Science
The SIS/OIS girls' varsity basketball team had a very successful APAC
tournament, finishing with a 4-2 record and third place overall. They were the only team
to defeat the Brent School of Manila, the winners of the APAC tournament.
Most importantly, the Osaka team won the APAC Sportsmanship award as voted by all the
coaches. They truly deserved it because they never gave up, always played hard and fair,
and were always friendly and kind to everyone, including their opponents.
Azusa Yamada of SIS was voted to the APAC ALL-STAR TEAM, and she was outstanding in every
game.
Tennis
Mark Avery
Tennis Coach, English
This year saw the inaugural APAC boys and girls tennis tournament. It was a
great success and our students all competed very well, despite the conditions being so
very different to what we had been practicing in. They played on hot, dry, dusty and very
hard clay courts in temperatures of around 30 degrees and intense humidity. However, this
never deterred them from going out and doing their best. Unlike the basketball and soccer,
these students were out there on their own. The boys were, on occasions, overpowered by
the other schools but their results in individual sets improved steadily throughout the
tournament. They should be feeling positive about what they were able to achieve. The boys
doubles pair hadn't played together in competition before we went to Manila as Michihiro
only replaced Ray Clayton at the last minute. In their last match against CA, they had
things worked out and produced their best results for the tournament.
The girls team came second overall. They got off to a slow start against Beijing but their
form improved as they quickly adapted themselves to the conditions. The match against
Beijing was the only match they lost. They played very well, not only individually but as
a team, and won all three of their other matches. When they met CA in the final round,
they had to win or face the possibilty of not getting a place in the final. They kept a
level head throughout the match and secured the victory and another chance to meet Beijing
for the number one spot. However, Beijing again proved too strong. But 14 year old Shoko
was able to get more games from Beijing's number one than anyone else had in the
tournament.
I want to commend the team on the hard work they put in throughout the year and the way
they conducted themselves while we were there. A lot of people commented on "the nice
group of kids from Osaka." I could only agree. Congratulations!
Girls Team:
Shoko Masago
Miho Tanaka
Yuki Narukawa
Yuko Shimizu
Boys Team:
Ryusuke Nishikida
Naoki Sato
Matthew Waterhouse
★The Kansai Tournament (3/5,6 &12,13)
Mark Pekin
Athletic Director, P.E.
Girls Basketball:
On March 12 and 13th the varsity team played in the Kansai Basketball Tournament at
Canadian Academy. Although only winning one match, the girls team was successful in
winning the sportsmanship trophy and gained valuable match experience for the trip to
Manila after the spring break. The girls will be practicing hard during the vacation and
many thanks to Mr. Gagner for taking the team to CA.
Miss Kano took the A&B Middle school teams to Marist March 5 and 6th to compete in the
Girls Middle School Tournament. The A team finished in fourth place and the B team played
off in the final and lost narrowly, taking out the second place trophy. Thank you very
much to Kano sensei for looking after the teams at MaristBrothers for two days.
Soccer :
The Middle school boys soccer team finished in second place at the end of season
tournament at Canadian Academy. The team defeated Nagoya and Marist but then lost to CA in
the final 5-1. Thank you to Mr. Lewis for coaching and escorting the team to CA.
千里国際学園のチームスポーツは千里国際学園中等部・高等部
(SIS) と大阪インターナショナルスクール(OIS)の2校で1チームを編成しており、この形態での参加を認めるインターナショナルスクール関西リーグとAPAC(Asia
Pacific Activities Conference)の公式試合等に参加しています。
<I.S.関西リーグ参加校>
カナディアンアカデミー(神戸)、マリストブラザーズ(神戸)、名古屋インターナショナルスクール(名古屋)、E.J.キング(佐世保)、M.C.ペリー(岩国)、千里国際学園(大阪)
<APAC参加校>
北京インターナショナルスクール(中国)、上海インターナショナルスクール(中国)、ブレントインターナショナルスクール(フィリピン)、ソウルフォーリンスクール(韓国)、カナディアンアカデミー(神戸)、千里国際学園(大阪)
(注)「大阪セイバース(The Osaka Sabers)」は千里国際学園スポーツチームの愛称です。
★厳寒の北海道学年旅行
カントリーコース編
野平志乃
高等部3年
「ウーワァ、さ、むー!メッチャ寒いやんこれ!」
これが北海道女満別空港の自動ドアから出た瞬間、皆が初めて口にした言葉だった。雪も軽く積もっている中、私たち関西族は貸し切りバスに乗り、3日後にシティーコースの皆とサッポロで合流する予定だった。
北海道に着いたその日のメインイベントは、シベリアから流れてきた厚さ1mくらいの流氷をカチ割っていく「オーロラ号」に乗る事だった。船が港から離れていき、目の前の海が濃厚な青からあたり一面の白い氷に囲まれると私たちはデッキに上がった。ゴンゴン、ガリガリ、と厚みのある氷が割れる音を耳にしながら私たちは顔の水分と頭髪がカツラごと飛ばされそうな強風の中で、「これこそタイタニックやなー!」と叫びあった。見渡す限り一面の氷、しかも「国産」ではない情景に感動し、北海道の自然に圧倒された。
二日目、三日目は道内を横断する計画だった。バスの中では夜更かしのため熟睡している人もいれば、何時間も窓の外の景色にホレボレしてた人もいた。「こんなに寒い時期に何でまた北海道なんや。」と関西での気温が上昇していくにつれ自分たちで決めた行き先に対してブツブツと文句を言っていた人たちのことを思い出した。旅行委員の一員として、この旅行を実現するのは手間ひまかかる仕事だった。学年の意見を取り入れ、それが予算、時間、場所的に可能か不可能かを考えながらも旅行社の人達と打ち合わせもした。学年末の試験やレポートで時間を取られ、先生達に「旅行どうなっている?」と聞かれるまで頭が回らなかった事もあった。でも、北海道の「感動の道」を通り、雪一面の地平線が見えそうなぐらい雄大な自然に囲まれると、学校で蓄積されたストレスが白い息と共に発散されていく気がした。
長かったバス旅も今日で終わり、という三日目は朝6:00起床で熱気球に乗った。富良野平野から地上50メートルの景色はなかなかのものだった。その日は一日中凍った湖上でワカサギ釣りをし、天ぷらにして食べた人もいれば、カーブでのスピンを楽しみながらスノーモービルに乗っていた人もいた。午後からは汗だくになりながらも体力勝負でバター作りをした人、陶芸、アイスクリーム、ソーセージ作りをした人、と皆それぞれ色んな体験をしていた。
車窓から見える景色が、白いじゅうたんから少しずつ町並みに変化すると共に何か切ないものがこみ上げてきた。これからシティーコースの人達と二泊できる事を待ちどおしく思っているはずなのに心のどこかで北海道ならではの自然が恋しくなった。「今度は夏に来ようよ。卒業旅行でもいいし。」と自分を慰めるような会話を友達とかわしながら北海道の大自然を背に札幌へと向かった。
シティーコース編
阪上佳代子・中村友紀
高等部3年
8時30分ジャスト。集合時間になっても現れない人数名。8時55分、やっと全員集合。シティー、カントリーにわかれていざ出発。
「アテンションプリーズ、アテンションプリーズ」(国内線やのになんで英語やねん)「機内食まだ?」(2時間のフライトやのにでるか)「この飛行機うちらの貸し切り?」(んなわけないやろ)こんなアホなことを言いながら飛行機は大阪を無事離陸。当日悪天候の影響で機内は大揺れ。命からがらなんとか函館空港に着陸成功。
というわけで最初にやってきたのが「海峡市場」。わりと小奇麗なレストランで、なかなかの美味だった。昼食も済ませバスに乗り込み五稜郭公園に到着。歴史博物館を見学し、五稜郭タワーに登り眺めを満喫。ひとまず荷物をホテルに置き、向かった場所はその名も「八幡坂」。ポッキーとチャーミーグリーンのCMでおなじみ(通称ポッキー坂)。坂の上で自由行動開始。女子数名により個人用ビデオカメラでポッキーのCM撮影開始。(自己満)。シーン1:プルルルルー、プルルルルー、(携帯電話を取り出す)「ねえ今どこにいると思う?
…ポッキー坂よ!」など馬鹿らしいことを約2時間もやり続けた。日も暮れかけ海沿いで未成年の主張をし、普段の胸のうちを約1時間叫び続けた。
その日の夜、私たちの心に焼き付いた忘れもしない100万ドルの夜景。ロープウェイで山上に登り、体中につきささるやりのような強冷風をうけた。顔がとてつもなく痛かったが美しさに勝るものはなかった。(1470円自腹も痛かった)。
二日目。早起きしてホテルの近所の朝市に向かった(自由行動)。市場のおっちゃん、おばちゃんにつかまって困っている友人を助けながら活気あふれる道を進んでいくと変なおじさんがいた。すさまじい寒さの中、なんと彼は半袖で立っているのだ。友人らは物珍しそうに彼をじっと見つめている。私は我慢できず彼に声をかけてみた。「おっちゃん寒ないの?」すると彼は、「毛があるから大丈夫。」と毛むくじゃらの手を見せてきた。すごい毛だった。近くで見るとますますすごい。腰の辺りまでのびた白髪交じりの髪。毎晩ビールをジョッキで5杯は飲んでいると推定される大きく出たお腹。いかつい巨体にきれいな瞳。私のほっぺのホクロを指し、「そのエクボすごくかわいいね。」と彼は言った。「これホクロやで。」と私が言うと、「北海道ではホクロのことをエクボと言うのさ。」と言った。意味不明だ。不思議な朝だった。
午前10時00分、大沼公園到着。目の前に広がる銀世界。あまりの寒さに男子3名、上半身裸になり、叫び始めた。それから先生も含めた雪合戦開始。みんなびしょぬれになりながらも満点の笑顔だった。
次に行った所が昭和新山で、ここではバター作りに初挑戦。濃縮された牛乳を10〜20分間ひたすらふりふりシェイクするだけの簡単作業であるがこの作業がまたしんどい。しんどさをまぎらすために、大迫先生と真砂先生はバターをふりながら踊っていた。非常に奇妙な光景であった。ほかほかのじゃがいもに出来立てのバターをかけて食べたが、普段の2倍も3倍も美味しく感じられた。
そしてまたまた豪華ホテルに到着。ここの食事がまたまた豪華で美味しいの何の。あまりの美味しさに私たち2人は完食してしまった。おそらく女子の間で私たちだけだろう。この後、あまりの満腹さに2人でのたうちまわることになってしまうのだが。
2時間ほどお腹を休ませ、いよいよ私たちは露天風呂に向かった。髪は凍り、顔は寒いのに体は温かくとてもいい気持ちだった。1時間くらいのんびりしていたと思う。次の早朝、どっきりカメラ「寝起き編」の撮影を開始した。ターゲットはシティーコースきっての美人2人+1人。もちろんビデオカメラは回っていた。「朝っぱらから何やっとんねんっ」って突っ込みを入れたくなるような一品に仕上がった。
三日目。洞爺湖や支笏湖をまわってノーザンホースパークに到着。ここで我を忘れ無邪気にそり遊びに没頭した。この後、カントリーメンバーと合流した。
ここまでがシティーメンバーが過ごした主なコースである。今自信を持って言えることは、この旅行はすごく意味のあるものだったということだ。みんなで過ごしたこの時間は一生忘れることはないであろう。
北海道最高。シティーメンバーばんざい!
★留学体験報告
イギリスでの一年
シェフナ麻利子
高等部1年
思ってもみなかった事でした。中学二年生の夏、学校から帰るといきなり父から、「四月から一年間イギリスに住む」と言われました。学校生活がとても楽しかった私は、違う学校に行きたくないと、猛反対しました。今思えば何であんなにイギリスに行きたくなかったのか、自分でも良く分かりません。頑固な私は、最後まで「行きたくない」と反対し続けました。でも、留学という形で行くと聞き、それもそんなに悪い話ではないと、密かに思ったりもしました。結局むりやり連れていかれ、気が付いた時にはイギリスにいました。
ちょうどその時イギリスではイースターホリデーというものがあり、学校は休みだったので、すぐには行けませんでした。家にいる間、私はテレビを見て、イギリスの音楽やいろんな番組を観察していました。困った事に、テレビにでてくる人たちは皆、イギリス英語のアクセントがあり、私は何を言っているのか、よく聞き取れませんでした。私はイギリスにいるのが嫌だった為、イギリスの悪い面ばかり見ていて、文句ばかり言っていました。
私が住んでいたのはイギリスの南の方で、海ぞいのブライトンに近い所でした。ブライトンは昔からの保養地で有名で、ロイヤル・パビリオンなど、見所があります。中でも私が好きだったのはパレス・ピエーという海の上に鉄骨を張り出して作られた遊園地でした。
初登校の日、私は少し緊張しました。私の学校は公立で、制服もありました。イギリスでは公立の学校はあまりよくないと言われ、私学に行く人が多いのですが、評判が良いと言われていた近くの公立の学校に通うことにしました。担任の先生がクラスに私を紹介して、それから女の子二人に私の世話をたのみました。その女の子二人に学校を案内してもらったりしました。皆はとても優しくて、すぐにいろんな人と知り合うことができました。生徒数は多かったけれど、学校自体はそれほど大きくなく、授業移動の時は廊下がぎゅうぎゅうずめでした。三時十五分になると皆すぐ家に帰るので、三時半になると学校は静かで、ほとんど誰も残っていない状態です。小さな事かもしれないけれど、イギリス人はすごく家族思いで、母の日や父の日は絶対と言っていいほど皆親にプレゼントを渡しています。私の友達とかも、家にいるのが一番いいといつも言っていました。
笑えたのは、イギリス人が持っている日本のイメージです。一度クラスメートに、「日本は忍者や侍がいるけど恐くない?」と聞かれ、私は唖然としてしまいました。そんな風に日本の事を思っていたという事は、やはり日本のことを良く知らないという事なので、私はびっくりしました。日本というと「寿司」というイメージがありますが、ほとんどの人は寿司は好きでないようでした。生の魚を食べる事がどうしてできるのか信じられないそうです。
気が付くといつのまにかイギリスの環境に慣れてしまい、日本に帰る時がやってきました。私のクラスは最後のお別れとしてパーティーを開いてくれました。とてもうれしかったのに、わたしは泣いてしまいました。別れを言うのはやはりつらい事で、もう二度と会えない人もいるかと思いすごく寂しくなりました。初めは行きたくなかったイギリスも、今は行って良かったと思います。とても良い経験でした。
Life in the U.S.
シェルトン恵美理
高等部1年
「外国の学校に行きたい」と「American High School
生活を体験したい」と言いう気持ちを交えて私は America の Fort Wayne,
Indiana 州 の Concordia Lutheran High School へ留学をしてきた。
はっきり言ってカルチャーショックを受けた。インターナショナルスクールに通っているダブルの私でも、American
School に溶け込むにはかなりの時間がかかった。
最初の一ヶ月ほどは、友達もなかなかできず、英語の授業にてこずっていた。そんな時、SISのある友達の声が頭に浮かんだ。「千里国際学園オモンナイ!学校嫌い!」私ははっきり言ってそんな意見がいやだった。自分の幸福もみえない人がいやだったのだ。私は親友や親を離れ、新しい環境で必死だったんだ。
向こうの学校のオリエンテーションの日に千里国際学園の柔軟さに気が着いた。向こうの学校の方がChristian
School
だと言うことにもかかわらず、ルールが多かったのだ。でも、何しろ父の時代からある学校で、先生によるとルールは少しずつ生徒の態度によって増えていったらしい。私にはその時千里国際学園の将来が見えたような気がした。このままいくと、千里国際学園もルールの多い学校になってしまうかもしれない。もしかして、今は自由ではなく単なるアナーキーなのかもしれない。みんなにはこれほどの責任は耐えられないのかもしれない。
始めはAmericaが嫌いだった。日本に帰りたくて仕方がなかった。千里国際学園の友達がうらまやしかった。でもそんな自分がいやになった。私は気づいたのだ。そんな自分は「学校オモンナーイ」と言ってる友達と変わらない、自分の幸せに気づいていないということに。
それに気づいた私は次々といろんなことに参加した。三つの劇に出演し、一つはメイクとセットの設定を担当した。他にもビデオクラスを受け、自らMusic
Videoを制作した。Thespian Conferanceという演劇の全州大会にも行き、Monologue
competitionでSuperior Awardをもらった。コーラス部でソロももらった。それから友達もあっという間にできた。
幸せは自分でつかむ物だということが身にしみた。私は日本に帰ってくることに少し抵抗があった。でも日本にいる間は、日本を満喫したい。Americaで習ってきた一番大切なこと、それは
"Life is what you make it." I will live life to its fullest!
★4月入学・編入学海外帰国生紹介 入学センター
中等部1年
バニヤンジェームス イギリス
藤田千晶 ドイツ
福地智幸 シンガポール/マレーシア
早瀬裕輝 アメリカ
保城早耶香 ドイツ
角本知佳 アメリカ
小山亜里沙 アメリカ
松村実果 アメリカ
溝口絢子 アメリカ
長尾貴博 アメリカ
中尾悠士 アメリカ
荻田愛子 タイ
岡部怜子 アメリカ
柴田理人 アメリカ
高見朋可 シンガポール
田中英実 香港
富川 理 アメリカ
馬越準也 アメリカ
山田磨里 アメリカ
中等部2年
有田梓 イタリア
芦田佳子 コロンビア
古沢恵理奈 オーストリア/タイ
今中由花子 アメリカ
松野はる香 ドイツ/カナダ/パナマ
森本奈津子 カナダ/アメリカ
植村麻美子 ドイツ
高等部1年
芦田晃子 コロンビア
長谷 優 アメリカ/イギリス
林 由加 アメリカ/マレーシア
井上翔太 ブラジル/メキシコ/スペイン
入山慎一 メキシコ
門 敬子 インドネシア
勝原亜弓 クェート/マレーシア
久保智之 シンガポール/インドネシア
西岡聖一郎 台湾/中国
太田竜太郎 中国
田渕 彩 アメリカ
辻田陽子 香港
梅谷美知子 アメリカ/ドイツ
山口智史 アメリカ
高等部2年
角本翔太郎 アメリカ
宋 伽耶 イギリス
鶴田翔士 イギリス/シンガポール
高等部3年
井関沙綾 オランダ
★『あさひ希望の里』へ訪問 クラスでボランティア体験
新見眞人
中等部3年2組担任・理科
1999年3月13日(土曜日)参加者(ボランティア):中等部3年2組 長みさき・福田見菜子・堀桃子
・井上咲姫・伊藤愛・片山英摩・金桃子・南出由希・諸正義彦・牛田圭・安田弥央(以上11名)
感想文
牛田 圭
3月13日、私はクラスの自由参加のボランティアに参加しました。その「ボランティア」というのは、地下鉄谷町線太子橋今市駅から徒歩10分くらいの所にある、障害者の方々の働く『あさひ希望の里』という施設の訪問です。今回はクラスから11名が参加しました。
私は向かう途中、何をしたらいいのか、どんな人がいるのか、を考えたりしていました。本当のことを言うと、明後日に試験をひかえているいま、ボランティアしてる場合じゃない気がする、なんて友達と言っていたりしました。
『あさひ希望の里』に着いて玄関に入った瞬間に、みんな大きな声で挨拶してきてくれました。私はみんなの明るさに驚きながら、一人一人に返事をしていきました。向こうの人たちは話をするとき、しっかりと私の目を見て話してくれます。私はあんまり見詰め合いながら話すのも変な感じがするなあって初めは思っていました。しかし、しばらくそうしているうちに、それが自然になってきて、みんないい人たちばかりで、それは目を見れば分かってくるような気がしてきました。私はよく人と話すときに、視線を下にしてしまうと自分でも思っていました。だから、その時から私も相手の目をしっかり見て話すように心掛けました。そうするとまるで、目でコミュニケーションしているみたいで、不思議な感じがしてきました。
私たちは午前中はグループに分かれてそれぞれ別々の仕事を手伝いました。私の班は陶芸班でした。始めは毎日やっているという朝礼に参加しました。この班は知的障害の人がほとんどでしたが、自分たちで何もかも進めていく姿を見て驚きました。作業が始まっても準備から全部自主的に行ない、さらに私の分まで準備してくれました。そしていざ陶芸を開始すると、私は隣の人などと何を話したらいいのだろうと悩んでしまいました。そのとき、目が合ってしまったのです。
私は笑っていただけでしたが、相手の人はまるで私が考えていたことが分かったかのように、話しはじめてくれました。
学校のことや家のことなど次々と質問が飛んできました。私はその質問に次々と答えていったのですが、結局私の方からは何も言い出せませんでした。相手の方はみんな私より年上で、私の親の年齢ぐらいの人までいました。皆さんはそのことをちゃんと分かっているみたいでした。だから、まだ中学生の私が困っているのを見ると助けてくれたんだと思います。
最後に『あさひ希望の里』の職員の方からお話を聞きました。今、日本の知的障害者に対する介護は非常に遅れていて、8人に1人しか付くようになっていない、他の国では1対1や2対1という数があたりまえになってきている、と聞きました。
8人の知的障害者といってもその中に重度の身体障害者が何人入るかもしれません。そうすると8人に1人なんて、とても無理だと思いました。この問題は今後もっとしっかり考えられ、必ず見直されるべきです。このほかに就職差別など問題はたくさんあります。今、知的障害者の人が働くなんてあんまりできることじゃありません。向こうの方の話によれば、就職したいと考えていた人も少なくはなかったみたいです。私たちはみんな他人のことを考えたり自分のことを考えたりします。そして、色々なことを感じたりもします。知的障害者だからといって感情が無いなんて私は思いません。人ならばその時その状況に応じて、哀しみ、喜び、苦しみ、といろいろなことを感じるはずです。それがある限り、人は皆同じであり、平等でなければならないと思います。だから障害者扱いというような「障害者」という言葉はなくし、同じ人間として、相手に助けが必要なときには、援助してあげればいいと思います。そして反対に助けられることもあるでしょう。そうしていけば、きっと人々はもっとお互いを必要とし、広い心を持つようになっていくと私は思います。
そして最後に、私ははじめ行く前に「ボランティアなんて…」って思ってしまったことに、とても後悔しました。私はあの日、色々なことを学び、とってもすばらしい経験をしました。それと同時に私自身もとても楽しんでいました。「こんないい経験ができて本当に良かったね。」と、友達と帰り道に話しました。そして、「また行きたいね。」とも。また行く時を楽しみにしています。もっといろいろな人にもこんな経験をして、こんなことを感じてほしいと思ったので、私はみんなに奨めます。皆さんも是非一度でも体験してみて、人との交流を楽しんでみてはいかがですか。
★保健論文抄録発表
岡田憲志
保健体育科
昨年度も保健の最後の締めくくりとして、高校2年生(現高等部3年生)が保健論文に取り組みました。保健論文とは、前年までは保健ファイナル・レポートと呼ばれていたものです。例年どおり、テーマは「性」に関すること。「性役割」「人工受精」「日本の売買春問題」「インターセックス〜半陰陽〜について」「性同一性障害」「中学生・高校性から見た親の存在」など、非常に興味深いテーマが並んでいると同時に、一言で「性」と言っても、さまざまな分野を含んでいることがわかります。また、「クローン〜人間への応用は本当によいのか?〜」などのように、なかには特別な興味を持って「性」以外のテーマに取り組んだ生徒も何人かいます。
今年からはタイトルにあるように、論文色を強くし、また、発表用に抄録も作りました。そのおかげで、公開授業を兼ねたとても興味深い発表会がおこなわれ、生徒同士の理解や知識が深まったと思います。
優れた抄録はたくさんあるのですが、その中でもベストのものを順次このインターカルチュアに載せていきたいと思います。その第一弾は、中島花子さんの「出生前診断−あなただったらどうしますか−」です。ぜひ、ご一読下さい。そして、興味を持たれた方は、図書館にある論文自体の方もご覧になってください。彼女だけのものではなく、他の優れた論文もたくさんあります。
これらの抄録に対する意見、感想、賞賛、批判は私が受けますので、もし何かありましたら、ぜひ体育科の岡田までご連絡下さい。
出生前診断について
中島花子
高等部3年
今日、様々な方法で、胎児の様子がわかる検査が行われています。しかし技術ばかりが先走りして、倫理的な面がおろそかになっているように思われます。私たちは出生前診断についてどう考えていけばいいのでしょう。私が保健論文のテーマに選んだ出生前診断とは、赤ちゃんがまだおなかにいるうちに、その子に異常があるかないかを調べる検査のことで、現在一般的なのが、@超音波検査、Aトリプルマーカー検査、B羊水検査です。@は多くの病院で実施されている検査で、安全性について問題はほとんどないといわれています。Aは母親の血液を採取して、それのタンパク質の濃度を調べることによって、ダウン症などの障害が確率でわかります。Bは、母親のおなかに細い針を刺し、赤ちゃんをとりまく羊水を吸い出して調べます。
このような検査を実際に受けた人が、新聞に体験談を載せていました。ある人は、数回の流産を経験して、やっと授かった赤ちゃんが医者に勧められた羊水検査の結果、ダウン症だとわかり、中絶を決心しました。また、医者からの説明もなく受けたトリプルマーカー検査の意味が、今でもわからない人や、何気なく受けたトリプルマーカー検査で、障害の確率が高いと言われ、羊水検査を受けた人もいました。一方、ダウン症の子を持つ親からは、検査の必要性がわからない、障害を排除しようとする社会を危惧するという意見が載せられていました。同じく新聞に載っていた出生前診断のアンケートでは、検査を受ける人の、検査に対する意識が弱く、自分の意見をしっかりと持っていない人がほとんどでした。
このような実状を含んでいる社会においては、以下のようなことが求められます。この検査を受ける受けないは、最終的には、本人たちの希望によるものですが、一人の胎児の命を左右する検査(トリプルマーカー検査では、異常が確率でしかわからないので、とくにきちんとした説明が必要)についてしっかりとしたインフォームド・コンセントを医者から与えられる制度、その後の相談、そしてカウンセリングを確立していかなければいけません。医者に、障害児は産むべきでないという考えが広まらないように、本人の自己決定を尊重し、支援するという医療体制が整う必要があるのです。また、検査を受ける側の人間にも、中絶を促してしまうかもしれない検査への認識と責任、障害に対する理解を求めなければいけません。あやふやなままの意識で、障害を理由にした中絶は認められてはいけません。しかしながら、両親が遺伝性疾患因子(筋ジストロフィーなどは死に至る)を持つ場合においては、私の検査に対する、障害を理由にした中絶はいけないという意見は残酷になってしまうのです。遺伝病を患って生まれてくるとわかっている子どものために中絶を希望した場合、倫理的に中絶はだめ、とは言えなくなります。
出生前診断を否定するのがもはや現実的ではないのならば、障害者を排除するための検査ではなく、また妊婦が、検査は胎児のためになると錯覚するような検査ではなく、障害は誰の身にもおき、障害を持っていても、一人の人間だ、と思えるような検査になって欲しいです。ヘレン・ケラーの「障害は不便であるが、不幸ではない」という言葉が意味を持つ社会を私たちは目指し、つくっていかなければいけません。
保健論文タイトル紹介(発表順)
中川洋子 「人工授精―人工授精のすすめ−」
合田美穂 「月経痛の解消法」
中島花子 「出生前診断−あなただったらどうしますか−」
苗村華子 「私達ができる避妊法」
岡本佳織 「インターセックス〜半陰陽〜について」
田中美帆 「高校生の男女のセックス観&世代のセックス観」
辻本亜紀 「男女の違い」
原田 卓 「AIDSとは?〜基本知識から最新情報まで」
平尾景子 「マザー・コンプレックスが生まれる理由」
松下善行 「平安時代の愛のかたち」
成川由季 「『従軍慰安婦』問題」
趙 秀燃 「同性愛と社会」
野島 徹 「男性の脳と女性の脳の違い」
上田 郁 「少年愛とは」
内坂献二 「どのようなセクハラが行われているのか?」
池山朋子 「腎臓移植」
中村友紀 「十代のセックス、妊娠」
時任隼平 「男女の魅力の感じ方の違い」
稲本恭子 「ダイエットとは!?」
西村 昇 「セックスレス」
菅 麻衣 「中学生、高校性から見た親の存在」
山下亜佐子 「性犯罪者テッド・バンディーと精神病理学」
藤田裕也 「日本のストーカーの現状」
薮内麻衣 「ストロベリートークとは何か?」
山野房道 「性同一性障害」
室谷まゆ美 「『不純異性交遊』について」
角田直樹 「日本における『セクハラ』の原因と特徴」
吉川千晴 「テレフォンクラブ」
三木紘子 「高齢者と性」
フィーノ・アンジェラ 「痴漢」
西本憲夫 「日本の売買春問題」
井上大輔 「輸血感染とその対策」
井上恵美 「家庭内暴力」
西川大史 「バイアグラ」
坂上佳代子 「拒食症と過食症」
市川 純 「愛とエロティシズム」
岡田拓土 「男性の脳と女性の脳の違い」
★ティーンズカラオケ選手権'99西日本決勝で準グランプリ 高等部2年中村蕗子さん
斉藤 数
理科
この2月から3月に毎日放送とヤマハ音楽振興会の主催によるティーンズカラオケ選手権'99が開かれました。高等部2年生の中村蕗子さんが作詞とボーカル、宋るい君が作曲を担当し、オリジナル曲でこの選手権に参加しました。2月7日の近畿地区予選にあたる「三木楽器大会」では、76名の出場がありましたが、その中でオリジナル作品で参加したのは2名のみでした。なかなかの接戦でしたが、この予選でグランプリを獲得。その後2月21日に開催された「近畿ブロック大会」でもグランプリを受賞しました。そして3月14日に行なわれた、四国・沖縄までも含む西日本決勝の「関西エリアファイナル大会」に出場し、みごと準グランプリに輝きました。
ちょうど学校のほうが期末テスト期間中であったため、十分な歌の練習ができず入賞はあきらめていたとのことで、コンテストの合間を縫って会場外で(猛)テスト勉強をしていたそうで、発表・表彰式に間に合わず閉会寸前に会場に駆けつけ賞状・賞品をもらうという一幕もありました。
中村蕗子さんの話
決勝は合計18人出場。そこからグランプリ1人、準グランプリ2人が選ばれました。グランプリ賞はオリジナルソングのレコーディング、準グランプリは賞品ミニギターだったんですが、これめっちゃほしかったからマジうれしかったんです。
歌った曲は "Full Moon Prayer" 宋ルイと飯塚啓介と私
でやっているユニット"Core Of Soul"で作った曲です。作曲は
宋君、作詞は私です。今録音中で、他の曲も一緒にしてテープを作る予定。できたら皆さんも買って下さいね。(笑)
★フランス語検定・ドイツ語検定
トラスコット徳子
語学学習センター
フランス語検定
昨年11月に実施された、仏検(実用フランス語技能検定試験)1998年度秋季検定について、グッド先生よりご報告頂いたのでお知らせします。
2級合格
中等部2年 藤下未貴さん
中等部3年 畑 明広さん
3級合格
高等部3年 小竹 賢さん
ドイツ語検定
ドイツ語担当の桂木先生より、2月に実施されたドイツ語基礎検定(ZDaF)に於いて本校生徒が合格したとのご報告を頂きました。
ドイツ語基礎検定(ZDaF)合格
高等部3年 野島 徹さん
以上の皆さんおめでとう。今回、フランス語・ドイツ語検定について報告を頂いたのは初めてでした。この他にスペイン語・イタリア語もありますが、受験をし合格をした人、また合否問わずその内容などをお話しいただけると嬉しいです。これから受けようと思っている人にも参考になるかと思いますので、ご報告よろしくお願いします。
★進路情報室発進
池田大介
進路情報室長・社会科
進路部は、新生「千里国際学園中等部・高等部」の発進とともに、「進路情報室」と名を新/改たにし、4月5日の99年度初日より、生徒の進路相談等を中心に業務を始めております。
とにかく、今日の多種多様な入試方式を以て、生徒の個性を慮り、受験する生徒達のニーズに合致させようとする大学入試側の努力は、結果的に、情報の一元的な取捨選択を、非常に、極めて難しくしているようです。
進路情報室では、春休みの9割以上が資料の整理に終わったということからもわかるように、大量の情報・資料を、本校用に選別し設置しております。つまり、進路情報室とは、あくまでも進路に関する情報を収集するための場所なのです。そして、その情報収集の際に、池田や見島先生がお手伝いできたら、と考えております。
今までの大勢を占める手法としての、大学のランク別・地域・志望分野別の大量生産方式の進路(含受験)指導は、(たとえ本校のように小さな学校であっても)限界にきているのが事実でしょう。本校の進路情報室システムは、チマチマとしてもどかしいかもしれませんが、ある意味では生徒一人一人対応していく非常にぜいたくなシステムと言えるかもしれません。
これから毎号インターカルチュアに進路情報室からの記事を掲載する予定です。内容的には、どちらかというとカタくなく、ヤワらかめで!各学校で活躍している本校卒業生からの"生"の情報も提供できたら、と思います。もう4年制大学を卒業して社会人となっている本校1期生もいますので、受験だけの枠にとらわれない興味深い内容にしたいと考えています。乞うご期待!?
★BIRD MAN CLUB
小俣こずえ
高等部1年
お久しぶりです。BIRD MAN CLUB
です。覚えていますか?「鳥人間コンテスト選手権大会」に出場するのを目的に活動しているクラブです。この4月から新しく入った人は学校の掲示板にポスターやパンフレットを貼っているので是非一度読んでみて下さい。
近況報告です。3月にやっと図面ができました。TV局に話を聞きに行った結果、滑空機ではなく、先尾翼が人力によってはばたく飛行機になりました(図面は掲示板に貼り出します)。今、その図面を書類審査に出しています(これを書いた4月15日現在)。結果は4月下旬にわかります。
この審査に合格すればコンテスト出場が決まります。そのコンテスト出場に向けて4月にはクラブのキャラクターを募集し、ゴールデンウィークには飛行機の製作作業を始めます。
まだまだ部員募集中なので、興味のある人は生徒・先生に関わりなく大歓迎です。是非
BIRD MAN CLUB
で青春を感じて下さい。あなたの入部を待っています!!!
(4月28日現在速報) 残念ながら今年は書類審査で落選しました。また、来年に向けて頑張ります。
★ハイスクール(HS)生徒会
苗村華子
HS生徒会書記・高等部3年
春、桜の似合う季節を迎えたと同時に、SISハイスクール生徒会執行部は新しいメンバーを迎えました。
今年の選挙は、立候補者が5人しかおらず、信任投票となりました。
そして、『会長』は、高2の橋野周一郎、『議長』は高2の中村蕗子、『会計』は高2の川端千彩子、『書記』は、高2の鄭有雅、『通訳』は、高1の刺賀
繭理の5人と決まりました。任期は、1999年の4月から、6月までを研修期間とし、9月から、2000年6月までを任期とします。皆さん頑張って下さい。
今年も毎年恒例の学園祭が、5月22日土曜日に行われます。学園祭は、旧生徒会執行部が中心となり、新生徒会執行部が補佐という形で行われます。
この学園祭は生徒によって行われる数少ない年間行事の一つであり、またその中でも一番大きい行事と言えるでしょう。去年の反省より、今年はより生徒皆さんの意見を取り入れようと思っています。そして、生徒皆さんが楽しかったと思えるような学園祭にしたいと思います。
中等部一年生の皆さんにとっては、初めての年間行事となるわけですが、これを機会にもっとこの学校を知ってもらえることを期待しています。
★ミドルスクール(MS)生徒会
諸正義彦
MS生徒会長・中等部3年
学校が始まってから1ヶ月たちました。新入生、編入生の皆さん学校に慣れましたか?
生徒会は4月から新しいクラレプ(クラス代表)を迎えてSIS、OISともに生徒会執行部を新しくしました。そして新メンバーで新入生歓迎を兼ねて行った1回目のイベントが"ムービーナイト"(映画鑑賞会)でした。今回はシアターで4月20、21、22日と3日間にわたって行った大規模なイベントでした。前回のムービーナイト(昨年12月)では2階の3教室を使って3作品を同時上映しましたが、今回は"ディープインパクト"を初めとする3作品をシアターのスクリーンと大型アンプを使って上映し映画館の迫力を再現してみました。一方運動部の練習と重なる日があったり、飲食厳禁としたため見に来てくれる人が少なくなるのではないかと心配していましたが、予想を大きく上回る大勢の人が来場してくれて盛会のうちに第1回のイベントは終了しました。
このように、千里国際学園では学年やSIS、OISの枠を越えて生徒会が中心になって様々なイベントを通して仲間づくりに積極的に取り組んでいます。今後も様々なイベントの実施予定がありますが、より多くの生徒の皆さんが積極的に参加することによって、この仲間づくりが実りあるものになるようにしていきたいと願っています。生徒会執行部の生徒ばかりでなく一般の生徒の皆さんも積極的に意見や企画、運営、準備に参加、協力してみて下さい。
ところで、次に予定しているイベントは"不思議ウィーク"です。"不思議ウィーク"というのは学園祭を盛り上げるイベントで学園祭までの1週間を決められたテーマに沿って仮装をするというものです。昨年は「髪の毛や服などカラフルにする日」や、「男子は女装し、女子は男装する日」などがありました。皆さんの参加と取り組みを楽しみにしています。
不思議ウィークを盛り上げて学園祭を成功させましょう!
★10kmマラソンで学園新記録
馬場博史
ランニングクラブ/トライアスロンクラブ顧問・数学科
3月21日(日)小雨降る中、宝塚市役所前武庫川河川敷公園で開催された「武庫リバースポーツフェスタ」の10kmマラソンの部で、鷲尾美陽子さん(高等部1年)が48分31秒、長俊介君(OIS12年)が41分47秒でゴールし、いずれも本学園生徒の新記録をマークしました。また、3km女子では長みさきさん(中等部3年)がゴール前で激しく競り合って1位でゴールし、デッドヒート賞を獲得しました。
参加者全員が無事完走し、ゴール後は主催者が用意したつきたてのお餅に舌鼓を打っていました。
他の完走者は次の通り。
【3km】
福田紀子、前野ケイティ、菅野あずみ(以上中2)、生野利典(中3)
【10km】
馬場博史(教員)37'54"
★「笑い」で新学期疲れを吹き飛ばそう!
松井尚子
保健室
お腹をかかえるくらい大笑いをすると、すごく元気が出てきたりしばらくにこやかになった経験はありませんか?昔から人はこの笑いの効果に注目していましたが、なぜ笑うと元気になるかはよくわかっていませんでした。最近になって、笑いは免疫力(体を攻撃からまもる力)を高め、酸素を活発に摂取して病気の予防や疲労の回復に役立つことが科学的にも証明されるようになりました。今ではこの効果をもっと専門的に研究して病気の治療に使おうと「笑い療法研究学会」なるものもあるそうです。
実際に痛みの強いリウマチ患者さんが落語を楽しんだら、その前と後では血液の中のある物質の量が下がって、3週間くらい痛みが軽くなったデータもあります。「脳内革命」という本が以前ブームになりましたが、それも笑いや前向きの感情が脳の中で作用してベータエンドルフィンという一種の麻薬のような物質を産生し、痛みが和らぐことをのべています。
その人の気持ちの持ちようが実際に体や、また人間関係も変えてしまうなんて不思議ですね。そうはいっても、そんなに笑っていられない時も、もちろんあります。そんな時は、作り笑いでもいいのだそうです。あるいは笑いのある場所に近づいたり、少し気分転換をする努力をすれば、ずっといい結果が出るそうです。
「本当?」なんて疑う前に、がははと笑ってみませんか。新学期でたまった疲れもきっとどこかへ行ってしまうはず…。緑の美しい季節を、笑顔で過ごしたいですね。
★1999年度音楽関係行事カレンダー
大迫奈佳江
音楽科・日本語科
1999年
4月5日(月) 入学式歓迎演奏
5月20日(木) スプリングリサイタル(4時)シアター
5月22日(土) 学園祭 OIS小学部アートの祭典(8時50分)玄関
6月4日(金) MSスプリングコンサート(4時半)シアター
6月11日(金) HSスプリングコンサート(6時半)場所:箕面メイプルホール
10月2日(土) 運動会開会式
10月19〜22日(火〜金) 玄関コンサート(授業時)玄関
11月11〜13日(木〜土) オールスクールプロダクション シアター
12月2日(木) 小学部ウインターコンサート(2時15分)シアター
12月10日(金) HSホリディーコンサート(6時)シアター
2000年
2月1日(火)2日(水) ウインターリサイタル(4時)シアター
2月18日(金) MS・HSウインターコンサート(4時半)シアター
3月18日(土) 高等部卒業式(10時)体育館
★1999年度オールスクールプロダクションのお知らせ
大迫奈佳江
音楽科・日本語科
1999年秋、11月11日(木)〜13日(土)に予定されているオールスクールプロダクションの公演内容が決定されました。
今回私たちが目指すものは、生徒が中心になって作り上げるミュージカル・レヴューです。
まず、テーマを決めます。そして、脚本を創ります。アイディアや音楽を持ち寄り、ミュージカルの形に仕上げていきます。ストーリーができるか、ストーリーのないものになるか、まだ何もわかりません。興味のある人が集まり(舞台出演だけでなく、舞台進行、舞台裏方などもすべて)、テーマを話し合い、互いにインプットを得て独自のものを創作していきます。ミュージカル仕立てですが、必ずしも歌を歌う必要はありません。
予定は、以下のようになっています。
第1回ミーティング 4/20(火)オーディション 5/6(木)、5/7(金)*IB受験者は、後日リハーサル 5/11(火)、5/18(火)、5/25(火)、5/27(木)、6/1(火)、6/8(火)、6/15(火)
★保護者会だより
今回のチャットコーナーは新しく自分の人生に羽ばたいていった今年の卒業生の保護者特集です。投稿して下さった方に感謝し、卒業生全員のご活躍を祈ります。
今、卒業
早いもので8年間に渡る千里国際学園とのおつき合いが終わろうとしています。始めの頃の興奮、莫大な期待、興味……いつの間にか足が遠のいていました。しかし、中学、高校において親がこれだけ学校行事に参加でき、子供と共通の話題を持つことができたのは幸いでした。
年々、盛大かつ本格的になるコンサート、参観に行くたびに残念に思う運動会の場所の狭さ(海外の条件の悪い日本人学校をいつも思い出していました)、いたずらをするたびに先生とゆっくり話し合うことができたこと?等、卒業式当日は、本当に色々思い出しながら過ごすことができました。
最近淋しく感じていることは、優れて教えることの能力の高い先生方が教室から遠ざかって行かれている現実です。千里国際学園の良さは建物、設備、教師によってもたらされる環境にあります。特に、教師の、生徒に与える影響は、サラリーマン化した現代と言えども、いまだにとても大きいものがあります。
千里国際学園で人生を多いに語り、また大きな課題を与えられ、子供は今卒業していきます。ありがとうございました。
(M・N)
自分色のタペストリー
3月6日、千里国際学園の卒業式。お天気にも恵まれ、我が家の長女も同級生も、見る顔みんな輝いていた。あれから1ヶ月程たった今、旅立ちの日の若々しく、誇らしげで溢れるような笑顔を作ってくれたものが何だったのか、学校が彼女に与えてくれたものは何だったのか、そしてそれをどう受け取ったのか、娘がいつも話していたことを思い出しながら振り返ってみた。
まず、決して勤勉な努力家とはいえない、また、気の向いた科目しか勉強せず、不勉強な点は多々ある娘だけれど、何かを学んだという確信、何かを身につけたという自信を与えてくれる授業を受けられたこと。中でもいつも楽しそうに話していたのが日本人ではないD先生に教えてもらう日本史。ライシャワー博士の著作、その他の学説書を2、3冊読み、客観的に分析しながらのアプローチでとても楽しく学べたという。果たして日本の教科書を読んだことがあるかどうかさえ怪しいのだけれど、この授業で学んだ時代に関しては少々自信があるなどといってくれる。そのほか、ShakespeareやArthur・Miller、Samuel・Beckett等の作品を読み、それに基づき自分の意見を話したり書いたりし、クラスメイトや先生とBackgroundの違いを超えて話し合う喜びを教えてくれた英語のクラス。Assignmentの多さは一番だったらしいけれど自分を表現する訓練をしてもらったと喜んでいた。このクラスと担当のG先生には彼女の進路に大きな影響をいただいた。ある先生から教えて頂いた
"Literature is a window to the world"
を胸に彼女の世界を広げるべく頑張って欲しいものだと願っている。
授業のみならず、クラブにも最後の最後まで顔を出し運動をしたり、上達しないと落ち込みながらもアンサンブルを楽しんだ音楽、みんなで作り上げる喜びを実感したオールスクールプロダクションと、彼女なりに納得のいく3年間が過ごせたのだと思う。
また、今いるすべての先生が学校にとって必要だという娘…。敬意をもって認められる先生がたばかりで良かったと思う。屈託なく3年間過ごせたのも、そんな先生方のおかげにちがいない。親子共々感謝している。
そして最後に忘れてならないのは友人たち。なんてよく遊ぶんだろうと呆れたり腹を立てたことも幾度となくあったけれど、後で写真を見ると本当に楽しそうな顔、顔、顔。良い時も悪い時も一緒に過ごしてくれてありがとう、の言葉しかない。
こんな風に千里国際学園のあれやこれやが縦や横に走る糸のように織り合わさって、自分だけの模様をのせたタペストリーのように、一人一人個性にあふれた高校生活を作らせて貰えたように思う。
東京で新しい生活を始めている娘だけれど、どうかまた綾なすタペストリーを織り始めて欲しい。そして、何年後かにはまた納得の笑顔で大きく羽ばたいてくれることを期待している。
(T・O)
卒業生の皆さんへ
卒業おめでとうございます。
あの日、立派に執り行われた卒業式、そして式に臨む皆さんの顔から、今までの学園生活への感謝の気持ちと、この春から始まるであろう新しい生活に対する思いとを感じることができました。若い人達の成長を見るということは本当に嬉しいことです。その成長は、あなた方の素質もさることながら、それをつぶすことなく引き出し、伸ばして下さった先生方、職員の方々のお陰であることを、あなた方は、よくわかっていらっしゃると思います。でも、それを身をもってしみじみと感じるのは、卒業して新しい生活が始まってからでしょう。「ああ、あの学園は、すごかったんだなあ。」と、思うことがきっとあると思います。そして、その学園で学べたことを嬉しく、誇りに思う日も……。
21世紀を担うあなた方、素晴らしい未来(になるかどうかは、あなた方一人ひとりの手に委ねられているのです。)は、もう、すぐそまで来ています。そして、夢は必ず叶います。多様な考え方が溢れる現代社会の中で、人と違う意見でも、きちんと言える姿勢を大切にし、お互いの個性を認め合い、お互いの文化を認め合える真の国際人としての活躍を期待しています。
最後に我が娘にひとこと言わせていただくならば、あの輝ける船出のセレモニーにおいて、あなたの大切な友達の中に、あなたを見ることが出来て本当に良かったと思っています。卒業おめでとう。
(細見多恵子)
★第8回学園祭のご案内
テーマ「カラフル」
5月22日(土)10:00〜15:00
模擬店・バザー・野外ステージ等
駐車場の余裕がありませんので、車での来校はなるべくご遠慮下さい。
★編集後記
千里国際学園中等部・高等部(SIS)と校名が変わり、学期ごとに単位を認定する「学期完結制」がスタートし、大きな変革の時期を迎えたという感じがします。生徒の皆さんにとっては、選択の自由が増えたことによって、自分の適正や将来のことなどを考える機会が増えたと思います。一学期間の履修科目数は少なくなりましたが、一つの科目の授業時数は多くなりました。少ない科目にじっくりと取り組めます。このことが良い結果につながることを願っています。